1971(アメリカ)
監督:ピーター・フォンダ
製作:ウィリアム・ヘイワード
脚本:アラン・シャープ
撮影:ヴィルモス・ジグモンド
音楽:ブルース・ラングホーン
出演:ピーター・フォンダ ウォーレン・オーツ ヴァーナ・ブルーム ロバート・プラット
私はこういう西部劇が好きだ。派手でない、勧善懲悪でない、女性を描く、アンチヒーローな西部劇が・・・と書くと、定義矛盾のような気がしてくる。
そういう映画をなにも西部劇に分類しなくてもいいという考えも浮かんでくるけれど、やっぱり「西部劇でアンチヒーロー」を描かないと「アンチ」さは出せないわけで、やっぱり西部劇であることも重要なファクターなのだ。(自問自答)
日本で言うと「時代劇」だろうか。派手でない、勧善懲悪でない、女性を描く、アンチヒーローな時代劇・・・?
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1800年代おわりのアメリカ。
放蕩を重ねた男(ピーター・フォンダ)が、ある時、7年間離れていた妻子の元に帰ろうと決心し、旅の仲間(ウォーレン・オーツ)とともに家に戻る。
妻は、捨てられた痛手と、また去ってゆくときの喪失感への恐れから、帰宅を拒絶する。
男は、妻の使用人として働くことを申し出る。熱心に働く男とその仲間。
妻は次第に夫として受け入れる。
頃合いを見計らい、仲間の男は、「更に西を目指す」といって家を去る。なんてぇ思慮深いヤツだ。
しかし彼は、かつて道中でいさかいのあった一味にとらわれてしまう。
それを知った男は、友を救い出すために再び馬に乗り家を出る。必ず戻ると言って。
しかし・・・
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ピーター・フォンダの初監督作品。
ともすれば派手な復讐劇にでもなってしまいそうな設定だが、この映画は違う。
全編ゆったりとしたペースで、心にしみいるような大自然の光と、抑制のきいた音楽の連なりで描かれる。台詞も最小限。
スローモーション、ストップモーション、オーヴァーラップの多用により独特の質感を出す。
そこで描かれるのは、男たちの友情、信義、賢明さについて。
また、家に残された妻の孤独とたくましさ。
そして愛の回復と喪失の物語。
さらには、新しい関係の構築と賢明さの継続への静かな希望である。
たった90分のなかで、しかも抑制のきいた演出でこれだけのことを描いてしまった、これはなかなかの秀作に違いない。
徹底したリアリズムも魅力。
死のシーンのリアルさ。メークをしない女性たち。自然の光。大自然の風景と光。
その一方で、描かずして重要な物事を暗示する脚本とカットの妙技を見せる。
思うに、西部劇で西を目指さずに、「疲れた、家に帰る」(笑)というのは、大きくとらえると西部開拓の夢の終焉ということなのだろう。
男は馬に乗らないで、働いて酒を飲む時代へと変わっていく。そういう終末感のようなものがこの映画にはあるのではないかしら。
ラストにおとずれる本当の放蕩の終わりは西部時代の終わり、賢明さの時代の始まりのようである。
(まあ本当に賢明かどうかは置いといてー)
で、この映画、製作は1971年。
だから、これはやっぱりアメリカン・ニュー・シネマの時代というか、みんな60年代のパワーをいまだ信じつつも無意識には終焉を肌で感じてよりどころを失いつつあった時代な訳で、そうした時代背景をきっちり反映した作品なんじゃないかな。
のわりには興行的にはふるわなかったようですが・・・
これがさらに2002年にディレクターズカット版でリプリントされたわけで、これは何を意味するかというと・・・?冷戦終結後の・・・なんて言い出すとだんだんこじつけに近くなってくるのでよそう。とにかくいま観れることの幸運を味わおう。
(ら抜き言葉)
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音楽はヴェンダース「パリ・テキサス」のライ・クーダーをちょっと思わせる。
(ヴェンダースがこの映画を観ていた?ってのは十分あり得るように思えるが・・?)
その全編に重要な貢献をする音楽はブルース・ラングホーンによるもの。
ボブ・ディランのセッション等で有名。というよりディランの「ミスター・タンブリンマン」のイメージの元となった人!として有名。
サントラが欲しい!
あと、さすが70年代始めの作品、後に有名になる逸材がスタッフにいっぱいいるらしい。
美術のローレンス・G・ポールは、後に「ブレードランナー」でアカデミー賞にノミネートされている。
撮影のジグモンドはやはり後に「未知との遭遇」でオスカーをゲット。他にも「脱出」「スケアクロウ」「ディア・ハンター」「ラストワルツ」(!)などでおなじみな人だった。
こういうたたき上げのスタッフは、その時々のメインストリームに乗って、西部劇からSFから様々なジャンルで仕事をしているのが面白い、というか基礎体力があるなあと感心する。
あとこの映画、原題は「The Hired Hand」
これは「使用人」みたいな理解でいいのかな。どうも語学力がなくて・・・
でも確かに日本で公開する場合、ぱっとしないタイトルかもね(笑)
それからーと、クリントイーストウッドの「許されざる者」(1992)をちょっと思い出した。引退したガンマンが友の救出に行くっていう設定がよく似てる。まあこっちは結局はヒーロー物なんだけど(笑)
こんなところかな?
西部劇は、いわゆるジョン・ウェインものに代表される正統派の後に、
ペキンパー~ニュー・シネマの流れがあり、
その間に影響関係として、マカロニ・ウェスタンが入り込むって感じだと思うのですが、
(詳しい方の突っ込みがあると助かります。)
1960年の『片目のジャック』という、
最初、スタンリー・キューブリックに監督をオファーし、
結局は主演のマーロン・ブランド自身が監督したこの作品は、
西部劇という枠の中で、人が死ぬことの深刻さを扱っていて、
異色なものに仕上がっておりました。
人道主義的というのと、微妙にニュアンスが違うのですが、
西部に於いても命が貴重であることを謳った、アンチ・ヒーローもので、心に残り作品だと思います。
共演の、鼻に特徴があるカール・マルデンも良い味出してます。