Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

「野いちご」イングマール・ベルイマン

2013-08-14 01:05:22 | cinema
野いちごSmultronstället
1957スウェーデン
監督・脚本:イングマール・ベルイマン
出演:ヴィクトル・シューストレム、グンナー・ビョーンストランド、イングリッド・チューリン ほか



面白かった!
ベルイマンのロードムービー。
老年の心の機微を、現実と追憶が混じり合う不思議な出来事の連なりで物語る。

って感じではあるが、ぜんぜんウェットなものではなく、
どんな夢でもちょっとした悪夢の要素があるように、
老人の夢や回想にはちゃんとひやっとする毒がある。

幼少期を過ごした家を訪ねるとき、老人は回想のなかに自分自身も登場し、
いや、自分自身のいるところにいにしえの幻が現れたのか、まあどちらでもいいのだが、
そこで幼い頃に惹かれた娘と話し、変な告白まで聞いたりする。

その夢?から覚めたときには、その娘そっくりな現代風の娘がボーイフレンドたちと現れて、
車の旅の道連れになったりする。

どこまでが夢なのか?どこからが現実なのか?
それほど境界があいまいになるわけではないが、もしかしたら??という含みもなくはない。
この幻視の旅が老年のものならば、わりと幸せな旅ではなかろうか?
老年て面白いのかもしれないな?



最近そういう老年ていいかも?と思わせるモノを観たような気がするのだが、
例によって思い出せない。

若くしてこういう年寄りに思いを寄せるような映画を撮るベルイマン。
主人公はいかにも頑固で偏屈そうだが、実際にこの役者さんは頑固で偏屈だったという話でw
ベルイマンも苦労したということなのだが、
そういう苦労もいとわずに起用して完成させる意志の出所はどこにあったんだろう。

あまり関連はないのだが、想田和弘監督『Peace』を思い出す。
福祉事業をやっている親戚の動向を観察するなかで、当然訪問先の老人たちの姿も「観察」される。
ここには人間への尽きない興味の視線がある。
『野いちご』にも老人への興味関心が感じられる。
ベルイマンは後年にも『サラバンド』のような映画を撮っているし、
若者に対するのと同じように老人に対しての興味を若い頃から抱き続けたんではないかなと
想像する。



老人老人と書いたが、この映画には老人のさらに母親というのが登場する。
これもインパクトある。
決して暖かく柔らかい人物ではない。
むしろ偏屈が加齢により不活性になって固まっているという印象の人だ。
彼女の存在によって、息子の嫁であるマリアンが心を動かすのも印象的。



冒頭近くの、ハイコントラストに撮られた夢のシーンは、
ドライヤー『吸血鬼』のやはり夢のシーンに共通するものがあるだろう。
棺に自分の姿を見るということは、両作品においてなにかの啓示として受け取られている。
(夢としてはドライヤーの方がさらに突っ込んだところまでいくのだが・・)



@ユーロスペース

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