Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

「闇の鶯」諸星大二郎

2009-06-20 17:05:59 | book
闇の鶯 (KCデラックス)
諸星 大二郎
講談社

このアイテムの詳細を見る


諸星大二郎の最新の単行本です。
(と言ってしまうと、そのうちに最新ではなくなってしまうのでよろしくないのですが)
単行本未収録の作品を集めたもので、初出年は1989年から2007まで広めです。表題作のみが89年発表のもので、あとの作品はみな21世紀の作ですね。

作風も1作毎に違った味わいがあり、諸星ワールドの意外な懐の深さを楽しめます。

***

「それは時には少女となりて」2004初出
これは妖怪ハンターの稗田礼二郎が登場するシリーズの1作ですが、稗田は手紙として登場するだけで、主人公は高校生の潮(うしお)と渚の二人になっています。名前のとおり海辺の漁村(いや、村かどうかはわからん)が舞台の、古事顕現もので、浜辺に残る「蒙古の石塁」と、化け物を表す古来の語彙「モッコ」をかけた謎めいた気分を上手く織り込んで、海辺の禍々しい面をよく描いています。
そう、とても海辺の雰囲気がよく出ているのです。潮の匂い、べと付いた風と砂、気色悪い小さな生き物、霧、そういう実際の海辺のきたならしいところの感覚が読んでいてよみがえってきます。実際にある海辺の禍々しさに形を与えたのがこの作品でしょう。ワタシがこの作品が(というか、潮と渚シリーズが)好きなのは、自分が以前海辺の住人だったせいもあるでしょう。また、作者の禍々しさへの嗅覚が確かであることもよく実感できるのです。

そのうえ、妙に軽妙な感じが漂うのも好きです。海の魔はやや軽薄な少女になって現れますが、そのノリは普通の10代の少女のそれであり、すこしも妖艶であったり謎めいていたりしません。それに対する潮と渚のカップルも、ちょっと掛け合い漫才的な微笑ましさを振りまいていい感じです。諸星作品の女性らしく、気丈で行動力もあり頭の良い渚に対して、危うく魔に引かれそうになる潮の情けない感じがよいですね^^


「人魚の記憶」2007初出
これも海辺ものです。ネタとしては単純なものですが、その導入がステキにすばらしいですね。冒頭の見開きで、主人公の謎めいた記憶とそれに結びつくトラウマ的なサイレン拒否症を示しているところがカッコイイですね。
ことあるごとに故事伝承にものごとを結びつける諸星らしく、サイレンの語源の説明なんかで箔をつけていますが、実際はそれはストーリーとは関係ないところも笑えます。
しかし、彼の記憶にある断崖の下、海岸の洞窟の風景は、なんとワタシの記憶にある江ノ島の外海側の景色と似ていることか。。もちろん昭和40年代くらいの、整備される前の江ノ島外海側ですね。引き潮になると断崖の下を伝って歩けるようになるところなんかも似ています。そういうことで、これも気に入った作品です。
おぼろげながらも強く心を動かす記憶が導入になっているところは、たまたま今読んでいる村上春樹「1Q84」と似ています。


「描き損じのある妖怪絵巻」2007初出
京極夏彦トリビュート本に寄稿したものだそうです。冒頭のいきなりの絵巻がなかなか京極堂臭くていいですね。これもネタ一発ものですが、登場人物と一緒に由緒ある古家の過去について探っているうちに、途中でオチがありありと分かってしまうところが(笑)いい感じです。おお?それはあれじゃないか?と一緒に気づき、ラストでは、ああ!やっぱり!!というふうに味わえるネタです。
初出にあった前後数ページはカットされたということですが、そこも読みたかったな。
途中ででてくる「松井家」との確執でもうちょっとハナシが膨らむかなあと思っていましたが、そうではなかったです。
でてくる学者さんは明らかに稗田礼二郎そのひとですし。


「闇の鶯」1989初出
これだけが80年代の作品です。
パソコン少年対山姥、という趣にしたかったとあとがきにありまして(笑)それでもパソコンウォーズはいちおうでてくるけど全然本筋に関係なく(笑)
でもそのパソコンと山姥という取り合わせが、何とも居心地の悪い奇形性を作品にもたらしていると思います。
そのパソコンやワープロの意匠がまた今みると古くさいのも笑えますし、古いだけでなくあきらかに作者はパソコンについてよく知らないと思われるところもいいですねww(衛星通信ってなんだよ?)

それと、明らかに環境問題へのメッセージが込められていますね。山姥=山の神という設定で自然との共生をラストに持ってくるという全体的な構図もそうですし、森林伐採や植林の弊害、原発について、工場による環境破壊について、と直接的な言及があります。89年ころは最初の環境問題ブームのころで、その議論は未熟ながらも一部の意識ある人々が訴えるという感じだったと思います。そのブームはバブルの崩壊で環境より成長を・・という機運でいったんリセットされてしまいましたが、今は不景気を逆にてこに環境はビジネスになるという形になってきましたね。そんなことを思いながら89年の素朴なメッセージを見るとまた考えるところがあります。


「涸れ川」2001初出
これはまた諸星らしい、この世ではないけれどもどこかに存在する世界、を描く作品ですな。この隔絶された空間も時間もさだかでない世界の感覚はとても好きです。「私家版鳥類図譜」にもそういう隔絶世界がありました。いいですな~
諸星の「どこかほかの世界」にはいつも「輝く中心」のようなものがある気がします。ここではそれは半月型の湖です。水もまた光と通じる感じがしました。
その世界にありながら、異質で結局そこに帰属しきれない人物もまた、定番のように登場します。これも諸星的です。
前半の海辺系の作品も好きですが、「涸れ川」もかなり好きですね。

*****

下の子Mちゃんがこの本をパラパラとめくり
パパはなんでこんな怖いの読んでんの?とか言っておりました。
いや、別に怖くないですよ。。あんたも読みなさい


人気blogランキングへ
↑なにとぞぼちっとオネガイします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする