ユリイカ2009年5月号 特集=クリント・イーストウッド青土社このアイテムの詳細を見る |
なにやらタイムリーな特殊
青土社もそれなりに販売戦略があるってことでしょうか
(見事にワタシは買ったしね)
原稿執筆時はまだ『チェンジリング』が公開中の頃のようで、限られた著者が『グラン・トリノ』を観ている、という感じです。
くっだらない評論も混じっていたりはするのですが、割と多角的に、いろいろな観点からイーストウッドについて読み解いているので、興味のある方、特に『チェンジリング』『グラン・トリノ』を観たかたなら面白く読める特集になっていると思います。
ハスミ師と黒沢監督の対談は予想通りの展開で(笑)ということはさておき、イーストウッド本人のインタビューや、『グラン・トリノ』の脚本家のインタビューなどがやはり面白いですね。
映画史的にも哲学的にもいろいろと位置づけることが出来るイーストウッド作品ですが、やっぱり本人はそんなことそれほど考えて撮ってはいなさそうなところが実に感動的です。『グラン・トリノ』も、老人+人種差別主義者なんていう主人公の脚本は書いても売れないぞと皆に言われた脚本を、さらっとイーストウッドが拾って、しかもほとんど一字一句の書き直しもなく使ったというのだからオドロキです。イーストウッドがいなければあの映画はないわけですけど、それと同じくらいあの映画は脚本家の手腕にも依っているのです。
そういうことはイーストウッド本人がいちばんよくわかっているのでしょう。
バタイユやフーコーの言葉を引きつつ、イーストウッド映画にまつわる死のイメージを「自由と真理」という概念に結びつける丹生谷貴志の論考がワタシには面白かったですね。そういうことというのは基本的に映画を観るのに不可欠な観点というわけではなく、ある意味ムダな深読みなわけで、だからこそもしかしたら理屈には出来ないけれど観賞後にモヤモヤと残る消化不良的割り切れなさをストンと突いてくれるのかもしれませんねえ。
逆に映画評論という畑のひとの書くことは、そういう不意打ちのような資質がないように思えました。特に映画に「古典期」というものがあったということを前提にした映画史的議論にはどうしても違和感を覚えずにはいられませんでした。
(「古典」はあるとしても、「古典期」という期間があったとはどうしても思えない・・)
ま、何を言っても結局は観ないことにはね・・・
(というワタシもほとんど観ていないイーストウッド)
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