2012/2/27放送
世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか、関根弘興です。
「かけがえのない」ということば。これは「とても大切なもの」という意味ですね。もともとは「かけがえ」という意味は「他のものと掛け返る」すなわち「取りかえる」という単純な意味で使っていたそうですが、それが「かけがえのない」という表現が定着するようになると、その意味は「非常に大切な」すなわち「他のものでは代用が効かない」という意味になっていったのだそうです。ま、欠けてしまったら他のものでは代用が効かない、唯一の価値あるもの、それがかけがえのないという意味なのだという訳ですね。
私が私であることの理由、あなたがあなたでなければならない理由はそれは一人一人がかけがえのない存在だからなんです。他のものでは代用が効かない、あなたでなければならない大切な存在だということなんです。
時々私たちは失敗や挫折・失望が襲うと、自分なんかいてもいなくても意味がないんじゃないか?、他の者といくらでも代用がきくのではないか?と考えてしまうことがあるかもしれません。でも聖書はあなたという存在をかけがえのないあなたなのだと繰り返し語っているんです。イエス・キリストはこのように語っています。
マルコの福音書8章36節
「人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう。」
あなたのいのちは決して他のものと代用できない、比べることのできない価値あるものだということを教えているんですね。
価値というのはどのように決まるか御存知ですか? それはそのものを得るために支払われた額によって決まるんです。
たとえば1万円を支払って買った時計なら買ったあなたにとってそれは一万円の価値があるでしょう。10万円でギターを買うならそれはあなたにとってそれだけの価値があるからこそ支払ったということですよね。
御存知ですか? あなたはかけがえのないほど価値高い理由、それは神の独り子なるイエス・キリストがあなたのためにご自分のいのちを島津にあなたのために十字架にご自分を惜しまずに差し出してくださったのです。
イエス・キリストが釘付された十字架、それは偶然の運の悪い処刑ではなく私たちの罪をイエス様が身代わりに背負われた十字架なんです。イエス・キリストはご自分のいのちに代えてあなたという存在が神様とのまっすぐな関係を持ちながら生きて行くことを願っているんですねえ。
あなたはかけがえのない存在です。イエス様ご自身がご自分のいのちに替えるほどあなたはかけがえのない存在なんです。だからこの愛を受け入れ、イエス・キリストを救い主として信頼し生きること、人生を大切にしながら生きて行くこと、これを聖書はあなたに求めているんですね。
(PBA制作「世の光」2012.2.27放送でのお話しより)
***
さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
***
このサイトは URL名として
http://yonohikari.biblica.info
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。
世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか、関根弘興です。
「かけがえのない」ということば。これは「とても大切なもの」という意味ですね。もともとは「かけがえ」という意味は「他のものと掛け返る」すなわち「取りかえる」という単純な意味で使っていたそうですが、それが「かけがえのない」という表現が定着するようになると、その意味は「非常に大切な」すなわち「他のものでは代用が効かない」という意味になっていったのだそうです。ま、欠けてしまったら他のものでは代用が効かない、唯一の価値あるもの、それがかけがえのないという意味なのだという訳ですね。
私が私であることの理由、あなたがあなたでなければならない理由はそれは一人一人がかけがえのない存在だからなんです。他のものでは代用が効かない、あなたでなければならない大切な存在だということなんです。
時々私たちは失敗や挫折・失望が襲うと、自分なんかいてもいなくても意味がないんじゃないか?、他の者といくらでも代用がきくのではないか?と考えてしまうことがあるかもしれません。でも聖書はあなたという存在をかけがえのないあなたなのだと繰り返し語っているんです。イエス・キリストはこのように語っています。
マルコの福音書8章36節
「人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう。」
あなたのいのちは決して他のものと代用できない、比べることのできない価値あるものだということを教えているんですね。
価値というのはどのように決まるか御存知ですか? それはそのものを得るために支払われた額によって決まるんです。
たとえば1万円を支払って買った時計なら買ったあなたにとってそれは一万円の価値があるでしょう。10万円でギターを買うならそれはあなたにとってそれだけの価値があるからこそ支払ったということですよね。
御存知ですか? あなたはかけがえのないほど価値高い理由、それは神の独り子なるイエス・キリストがあなたのためにご自分のいのちを島津にあなたのために十字架にご自分を惜しまずに差し出してくださったのです。
イエス・キリストが釘付された十字架、それは偶然の運の悪い処刑ではなく私たちの罪をイエス様が身代わりに背負われた十字架なんです。イエス・キリストはご自分のいのちに代えてあなたという存在が神様とのまっすぐな関係を持ちながら生きて行くことを願っているんですねえ。
あなたはかけがえのない存在です。イエス様ご自身がご自分のいのちに替えるほどあなたはかけがえのない存在なんです。だからこの愛を受け入れ、イエス・キリストを救い主として信頼し生きること、人生を大切にしながら生きて行くこと、これを聖書はあなたに求めているんですね。
(PBA制作「世の光」2012.2.27放送でのお話しより)
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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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このサイトは URL名として
http://yonohikari.biblica.info
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。