♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■清く正しく美しく / 羽鳥頼和

2015年02月21日 | Weblog
2015/2/21放送

 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。

 「清く、正しく、美しく」ということばがあります。このことばは宝塚歌劇団のモットーであり、創業者小林一三(いちぞう)のことばだそうです。ある人は「清く、正しく、美しく」なんて理想で絵空事だと思っています。現実というのはとにかく汚(きたな)く汚(よご)れた醜いものでしかない、その中で人は強くたくましくそしてしたたかに生きていかなければならない、と言います。

 聖書はどのように語っているでしょう。旧約聖書のレビ記からこのことを考えてみたいと思います。レビ記は神の律法すなわち法律が記されている書物です。レビ記20章には死刑にあたる罪のことが教えられています。どんなことした人が死刑に当たるのか記されているのです。子どもをいけにえとして火あぶりにするとか霊媒・口寄せをするなど異教の習慣を行う者、自分の父あるいは母を呪う者、更に姦通する者、近親相姦、動物と寝る者など様々な不道徳を行う者。このようなことを行なった者は死刑となると定められているのです。これらの行為は実際に人々が行なっていたことです。ですから神は人の行うことはきたなくよごれた醜いものでしかないことをよく知っておられるのです。そしてそのようなことは良くない、してはならない、と教えています。

 しかしこの法律の本当の目的は実は人を聖なる者とすることなのです。神は、「わたしは聖であるから、あなたがたも聖なる者となりなさい。わたしはあなたがたを聖なる者とする主である。」と言われるのです。

 ではどのようにして「清く、正しく、美しく」なれるのでしょう。神は人を「清く、正しく、美しく」する救いの道を与えてくださいました。それがイエス・キリストの十字架です。神は私たちを愛しておられるので、私たちの罪をきよめ聖なる者として清い生活を送ることができるように御子イエス・キリストを遣わされたのです。キリストは罪をきよめるために十字架にかかってくださいました。私たちはキリストの十字架によって清く正しく美しくなれるのです。

 明日は日曜日です。あなたを清く、正しく、美しくしてくださる神を礼拝するためにお近くのキリスト教会にぜひいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2015.2.21放送でのお話より )
 
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 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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