♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■主に、まことをもって、たよる / 福井 誠

2015年02月19日 | Weblog
2015/2/19放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「主に、まことをもって、たよる」です。

 それではイザヤ書10章20節から読んでみましょう。
 「イスラエルの残りの者、ヤコブの家ののがれた者は、もう再び、自分を打つ者にたよらず、イスラエルの聖なる方、主に、まことをもって、たよる。

 イザヤ書10章はイスラエルを攻め滅ぼしたアッシリヤに対するさばきを語っている所です。聖書の神様は、当時のイスラエルのみならず全世界の国々に向けて、ことに当時の世界の覇権を握っていたアッシリヤに対してもメッセージを送っていたんですね。その内容は、アッシリヤは自分の手の力で自分の知恵で賢さをもってイスラエルを攻め滅ぼしたたと考えているがそうではない。神様がそれを許されたから出来たことに気づかねばならない、というものです。そして身のほどをわきまえず、神の前に高ぶるならば最も頑丈な強者すらやつれ、燃えかすのように滅ぼされるだろう、と言います。

 神様は悪と不義に満ちたイスラエルを裁く道具として当時の超大国アッシリヤを用いられました。しかし、アッシリアがそれによって誇り高ぶることをお許しにはなりませんでした。この世界で起こる事柄はすべて神の手の中で起こっていることだからです。人が立つのは、すべては神の恵みと憐れみによるもの。逆に、倒れるのも神の計り知れないご計画の中で起こっています。人は、人の上に人はなく、ただ神がおられるのみであることを認めなくてはなりませんね。

 イザヤは言います。「残りの者たちは目覚めてイスラエルの聖なる方、主にたち帰るようになるだろう。」と。 「残りの者」という言い方は、当時はアッシリヤの虐殺から免れた家族の一部を指して言われました。後にこのことばは神の裁きに耐えて残って新しい神の民を形づくる核となる人々のことを指して言われるようになりました。つまりこの世界で起こる様々な盛衰の中で、もみくちゃにされながらも残される者がいる。それはこの世界をお造りになり、導いておられるまことの神を認め、神の戒めに従って生きていく人々です。

 皆さんにも社会の動きから聖書が語っている神の存在をぜひ感じていただきたいと思います。そして神様を信じていただきたいと思います。

(PBA制作「世の光」2015.2.19放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblica.info 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


 

 

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