世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興(せきねひろおき)です。今日も一日さわやかに過ごしていきたいですね。
愛知県の岡崎公園には徳川家康の遺訓の碑が建っています。「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し」 ま、人の一生というものは重い荷を背負って遠い道を行くようなものだと家康はことばを遺した訳ですねえ。しかしイエス・キリストは、「重荷をおろしてわたしが与える安息の中で生きていこう」(マタイ の福音書11章28節参照 )と約束しているんです。
私たちの人生の重荷の一つは、それは前回お話ししたように孤独感です。独りぼっちです。人はみんな、誰かが一緒に私と共に歩んで欲しい、と願っているものです。キリストは「わたしはあなたを離れず、あなたを捨てない」(ヘブル人への手紙13章5節参照)と約束される方です。あなたは決して独りぼっちではないと約束されるんですねえ。
そして人生の重荷、それは虚しさというものもあります。あなたはあなたの存在に、人生には意味と目的があるということを知っていますか? えーっ?! 同じような繰り返しで朝起きて会社に行って残業して帰ってきてまた朝出掛けて何の意味があるんだろうか。生きる意味なんてただ食って寝るだけだよーっ! まあ、そう考えたら人生は虚しいですよね。人は自分のしていることに意味を見い出せない限り虚しさがつきまとうのです。
人生に本当に意味があるんでしょうか? あなたの存在に意味があるのでしょうか? 聖書は明解に答えます。聖書の書き出しは、「初めに、神が天地を創造された」とあるんです。それはあなたの存在は決して偶然ではない!ということなんです。神様があなたにいのちを与えられた! そしてあなたが生かされていること自体に目的があるのだ、存在していること自体が目的なんだ、と聖書は教えるんです。
人生に意味があると分かった時、人は虚しさから解放されます。
詩画集で有名な星野富弘さんは事故で首から下が麻痺してしまいました。辛い日々が続き、もう生きている意味が分らない。いない方がましじゃないか。そんな失望の毎日が続いたそうです。しかしそんな時、聖書のことばに出会うんですねえ。それは、「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ の福音書11章28節)ということばでした。イエス・キリストのもとに休みがある、そして神様は私に新しい使命を与えてくださるに違いない、そう思い彼はたくさんの絵を書き始めたんです。
あなたは決して無意味な人生を送っている訳ではありません。勇気をもってキリストの招きに応え、キリストを信頼し、生きていきませんか?
( PBA制作「世の光」2007.01.09放送でのお話しより )
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