♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■絶望のただなかで

2005年09月05日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道です。
 
 えー、普通私たちは歌を歌う・・つい歌を口づさむっていう時は、何か嬉しい時とかですね、心がこうはしゃぐような時ってあると思うんですけれども、あのー、聖書の中ではですね、必ずしも歌えるような状況ではない中ですけれどもでも神を讃美するという意味のことばがあるんですね。

 で、詩篇の42篇とか43篇という所には、「なぜ」「なぜ」ということばが8回も繰り返されてですね、私たちの人生の中には、どうしてこんなことが起きるの?、どうしてこんな辛い目に会わなきゃいけないの?、と思うようなことってある訳ですね。それをこの詩篇の記者は、なぜなんだ?というふうに問いかけながら、でも「私はなおも神を誉めたたえる」というふうに言ってですね、そこに神の救いの期待があるんだということをこの詩篇の記者は言っている訳なんですね。

 で、私は韓国のある牧師から聞いたんですけれども、奥さんは熱心なクリスチャンなんですけれども御主人は大のキリスト教嫌いで、奥さんが教会から帰ってくると「何でお前は教会へ行くんだ。」と言って、もうことばの暴力だけでなくって実際に手を挙げて、時には蹴飛ばしてというようなですね。でもこの奥さんですね、叩かれたりいじめられたりするたびに讃美をするんですね。「主よ、みもとに近づかん」という有名な歌があるんですけど、神様はこのことを通してもっと私を神様に近づけてくださるとそういう意味で歌を歌うもんですから、いじめるたびに歌うもんですから御主人がなおさら怒って、「そんなに嬉しいのかー!」とか言ってなお叩いたりするというようなことだったんですねえ。ところがこの御主人、その朝鮮戦争の頃にまあ戦争に行く事になって、で、当時の国連軍と戦って捕らえられて捕虜になって、その時のその捕虜とした指導者がアメリカのクリスチャンだったそうなんですよ。で、「みんなの中にクリスチャンがいるかって、もしいたら助けてやってもいいぞ。」って言った。で、助けてもらいたいために「私はクリスチャンです。」って手を挙げた。そしたら、「そうか、じゃあ君は讃美歌を知っているだろう。歌ってみてくれ。」って。一度も歌ったことはないんですけれども、自分がいつも叩く時に歌っていた奥さんのその歌を思い出して「主よ、みもとに近づかん」って歌ったんですね。そしたら、「上手い。もう一節歌え。」でも奥さんはいつも1節しか歌ってなかったんで後は分らなかったんですけど、でも相手は韓国語は分らないと思って、「何だかよく分らないけれども」とか言いながら歌っていたんですね。でも結局この人はその事によって命拾いして、やがてクリスチャンになって牧師になった。歌えないような時に歌った歌がこの人を救ったというエピソードですね。

 ( PBA制作「世の光」2005.9.5放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会に行ってみるというのもいいんじゃないかなあ。近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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