朝夜はめっきり涼しく清々しい季節となりました。窓を開けての就寝は風邪をひきそうですが、日中の気温は30度近くあり紫外線も強烈で太陽による放射線量も高そうです。しかし、今日は清々しくなかった。
午後一時から岩沼市役所の全員協議会室で、宮城県議会の畠山議長と大震災対策特別委員会議員や県職員を交えて震災復興の意見交換会が2時間の予定でありました。
午後一時きっかりに始まった会議では冒頭、地元選出の村上議員から『午前中は、井口市長の案内で被災した玉浦地区を視察してきた』と説明がありました。
村上議員の進行で県議会議長や委員長、そして岩沼からは市長と議長がそれぞれ挨拶した。委員や我々議員の紹介などで20分の経過です。
それから震災復興の説明ということで井口市長が15分もの長い説明です。ここまでで35分経過しています。市長の説明中に県委員が眠そうにしていたのを思い出す。(説明がわからなかったのかな?)
この会議は議員による意見交換会なのですが、なぜ市長が説明しなければならないのでしょうか。議長が説明出来ないから市長に頼んだのか、市長が出しゃばりすぎなのか分かりません。意見交換会は無駄な35分が過ぎ、市長は席を外しました。
意見交換は活発な質問が飛び、まだ聞きたいことはあったのに2時間という時間切れで終了時刻は3時10分。個別に聞きたいことも、帰りのバスが待っているからといそいそ帰路につかれた。清々しい季節のもやもやとした一日は、議員同士の意見交換ではなかったような気がする。
市長は議員生活長いから、議員と混同していたの?
現実は、①年齢に関係なく障害者手帳を持っている人(非常に軽くとも) ②75才以上の年齢の人すべて
罹災証明は半壊以上です。75才以上が3人いれば30万です。
ちなみに我家は80才を越えて私たちが扶養しているとても元気なおばあさんです
義援金の配分は『配分委員会』というのがありましてそこで決まります。配分委員会のメンバーは把握していません。
震災前の議会で社協職員による募金着服事件がありました。社協の配分委員会はありましたが、募金を集める『募金委員会』のメンバーは名簿すらありませんでした。ちなみに募金委員会長は井口経明市長です。岩沼の募金関係はズサンだったのです。
等級に関係なく障害手帳を持っている人、75才以上の人に10万支給。
その人たちを養っている私たちの方が大変なのに。
平等に世帯主に配分は考えないのかな。にこにこと100円バスに乗って、手続きに行くのをうらめしそうにながめる私って変?
「市長の案内で被災地を視察してきた」なんて平気で言うのも変。恥ずかしくないのかな? 地元の県議たる自分が県議会議長ら県の関係者を案内するのが筋でしょう。何も、忙しい市長を付き合わせることもあるまいに…
また、自分のアタマで考えないタイプである沼田健一議長が、会議の開催を引き受けたのでしょうから、目的が不明な会議になってしまうのも仕方ないでしょう。
井口経明市長が長い説明をしたあと、すぐに中座してしまうのは、この会議(県議集団)に、何も期待していないという証拠でしょう。