すとう功の周回遅れ

元駅伝選手の「いろんなことに走り続けます」

新たな集団移転浪高し

2013年01月09日 | 市政・市制・市勢

 『本日天気晴朗ナレドモ浪高シ』この言葉は日露戦争で、日本の連合艦隊がロシア軍(バルチック艦隊)と日本海海戦を前に大本営に向け打電した一節です。

 司馬遼太郎が描いた長編小説『坂の上の雲』にも出てくる日本海海戦ですが、これから始まる戦いを前に『浪高シ』は複雑な意味が込められていたと思います。

 歴史上、ロシア軍は壊滅的な被害を出し、日本海軍は一方的な勝利となっています。戦争ではありませんが、本日岩沼市でも小さな『浪高シ』がありました。

 それは昨年から市へ「新たな集団移転に関する要望書」を出していた8世帯が、菊地副市長に再度要望をお願いするために市役所へ出向きました。

 8世帯中1世帯の都合が悪く7世帯7人集まりましたが、菊地副市長はご機嫌斜めでご立腹の様子でした。それは事前に伺うことは連絡済だが、マスコミ各社が来ることは伝えていなかったからです。

 テレビ局3社(宮城テレビ、東日本放送、仙台放送)、新聞社5社(読売新聞、産経新聞、河北新報、共同通信、時事通信)などが取材に来ていただきました。(把握した会社は以上ですが、他にもっと来ていたかも?)

 大友健議員が県庁の記者クラブに今日のことをFAXしただけなので、何社来てくれるかわかりませんでした。記者、カメラマンなど十数人来ていただきました。

 応接室に入る前の副市長は機嫌を損ねたままだが、「岩沼再建の会」代表の菊地さんからお願いの文書を受け取りました。その後、マスコミ各社は退席していただきましたが、7世帯は様々な訴えを申し上げた。

Photo

 副市長は「個別移転をお願いしたい」と良い返事ではありません。個別移転に様々な補助があるというが、土地を買わずに住める集団移転ほど良い補助は他には無いのです。

 昨年12月7日午後5時19分に地震があり、22分に津波警報が発令されました。東部に住んでいる方々は西へ避難するため道路は車で渋滞していました。

 また、12月議会で市は危険区域の設定をしたため、新築して住むことができなくなりました。住みたくない土地に家を建てることが、岩沼の復興だとしたら間違っていると思いませんか。どうしても岩沼に住みたいと思っている被災者8世帯が、安心な場所へ家を建てたいと願っています。

 「お金があれば集団移転なんかしない」「土地の買い取り価格は以前より安く提示された」「障害を持ったお年寄りを抱えて」等々8世帯の悩みは尽きません。でも諦めていません、市が認めてくれることを信じています。

 午前中の雪はやみ天気晴朗なれど8世帯は浪高シ

コメント (8)
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