ゆうゆうの教会便り

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「ナホム書」は「12小預言者」の第7番目って?

2018-05-18 23:15:59 | 聖書
毎日読んでいる聖書、旧約聖書は、何度目かの「ナホム書」になりました。
まず先に私の唯一の参考図書「聖書事典」の解説を読みました。


「聖書事典」の「ナホム書」解説文書のはじまり**********
1.正典での位置 本書はヘブライ語正典の第2部「預言者」の後半である「後の預言者」の
第4書「12小預言者」のうち第7番目の書である。*********

そういえば、「ヨナ書」や「ハバクク書」の解説も“正典での位置”から
始まっていました。 今まで、勝手に読み飛ばしていましたが、正典、ヘブライ語正典、第2部「預言者」の後半・・・・?? 
私には何のことやら分かりません。 早速、ネットで検索、検索です。


聖書正典(せいしょせいてん。またはカノン(英: Canon))とは、ユダヤ教およびキリスト教の正典である。
ユダヤ教ではヘブライ語聖書(一部アラム語)が聖書正典であり、キリスト教では旧約聖書と新約聖書が聖書正典である。

教会会議の基準で、神的な霊感を受けて書かれたと認められた文書群であり、ユダヤ教、正教会、カトリック教会、
プロテスタント、自由主義神学の高等批評でそれぞれ相違がある。
トリエント公会議は聖書正典を旧約46書、新約27書、合計73巻とした。
プロテスタントは旧約39巻、新約27巻の66巻である。
宗教改革時代はカトリック教会とプロテスタント教会の間に、正典の範囲について議論があったが、双方の間に
聖書が絶対の権威を持つことについての異論はなかった。
旧約聖書はキリスト教徒の名称であるため、ユダヤ教では旧約聖書と呼ばない。
また、ユダヤ教では2区分または3区分にわけられる。そのためこの区分をめぐって複数の説が唱えられてきた。

三大区分説
1.律法(トーラー)5巻。 創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記。
2.預言者(ネヴィイーム)8巻。
    1.前預言者4巻。 ヨシュア記、士師記、サムエル記、列王記
    2.後預言者4巻。 イザヤ書、エレミヤ書、エゼキエル書、12小預言者(ホセア書他。ナホム書はこの7番目)
3.諸書(ケトビーム)11巻。
    1.真理(エメト)3巻。 詩編、箴言、ヨブ記
    2.巻物(メギロート)5巻。 雅歌、ルツ記、哀歌、伝道の書(コヘレトの言葉)、エステル記
    3.その他3巻。 ダニエル書、エズラ記・ネヘミヤ記、歴代誌

フーム、なんとなく分かりました。
「聖書事典」の記述は、この“三大区分説”に則って書かれているのですね。

ところで「教会会議」の基準で決められた、とありますが、「教会会議」って何なのでしょうか? 
また、公会議との違いは?


教会会議(synodもしくはcouncil)とは、教会の会議。通常はキリスト教教会が、教義や管理上の問題を話し合うために催す会議を指す。
公会議は教会全体の会議であるため(あるいはより正確には、会議の参加者たちを教会全体であるとみなす者が集めた会議であるため)にそう呼ばれる。

↓ 公会議についてのより詳しい解説 
公会議とはキリスト教において全世界の教会から司教(主教)等の正規代表者が集まり、
教義・典礼・教会法などについて審議決定する最高会議。
それぞれの公会議は、開催地の名前を伴って~公会議と呼ばれ、同地域で複数回の公会議が行われた場合は
それぞれ第~を冠する。
別称として、世界公会議、エキュメニカル会議、普遍的公会議、全地公会議、総会議、万国公会議などがある。
公会議(公会)に対して、地方ごとに行われる教会会議も存在する。とくに西ヨーロッパにおいて、地方ごとの
教会会議もしばしば公会議 (concilium, council) と称されることがあるが(例:1095年のクレルモン教会会議を
「クレルモン公会議」と称するなど)、世界公会議と、こうした地方ごとに開催された公会議とも呼ばれる教会会議の
性格は異なる。

教会会議のより権威ある最高会議が公会議なのですね。

公会議は新約聖書の使徒行伝にみられるエルサレム会議がそのルーツであるといえる。初代教会では信仰についての議論が
紛糾すると、各地域において代表者が会議を開き、決議を行っていた。だが、アレイオス派の問題が生じるにいたって、
すべての地域の代表による会議の開催が必要となった。そうして開かれたのが最初の公会議である325年の第1ニカイア公会議であった。
以後、多くの公会議が行われているが、場合によっては、後の公会議や教皇の勅令によって、公会議の無効、または議決の
部分的修正がされる場合がある(たとえば449年のエフェソスにおける会議は「公会議」を名乗りつつも、完全に政治的計算から
行われたため、エフェソス強盗会議(陰謀公会)と呼ばれ、公会議の中には数えられていない)。
西方教会においては、1378年の教会大分裂(シスマ)によってローマとアヴィニョンに教皇が並立し、教皇権の混乱と弱体化を
引き起こした。 この事態は教皇首位説のもとでは解決困難であり、公会議にこそ教会の最高決定能力があるとする公会議主義の
主張が台頭した。
1414年のコンスタンツ公会議では公会議主義者の主導によって公会議主義が決議されたが、教皇至上主義派の巻き返しもあって
後のバーゼル公会議では教皇首位説が決議されることになった。
古代から中世まで、この種の宗教会議はしばしば東ローマ帝国の皇帝や時の権力者が召集し、また議長を務めることすらあり、
世俗権力の強力な影響下で議論されることが多かった。そのため、ローマ使徒座を首位とする西方教会(カトリック教会)では、
ローマ教皇(教皇)自ら出席せずにその特使(枢機卿)を派遣して、後に教皇が決議を承認するという形式が慣例となっていた。
しかし、現在のカトリック教会の定める教会法では、教皇による召集が義務となっている。

公会議に関しては、キリスト教の各教派によってその重要性の解釈は異なっている。
•カトリック教会では、325年の第1ニカイア公会議から1962-65年の第2バチカン公会議までの21回の公会議を認めている。
•プロテスタント諸教会は(宗教改革期以降の公会議はもちろんのこと)すべての公会議を認めているわけではないが、
 特に初期の数回の公会議の重要性は認識されている。
 とくに、当時優勢であった異端アリウス主義を大論争のうえ排斥し、アタナシオスらによって三位一体論を公式に採択した
 第1ニカイア公会議(325年)および第1コンスタンティノポリス公会議(381年)、さらに三位一体論が正統的な神学である
 ことの再確認と、キリストの神人両性論が公式に採択されたエフェソス公会議(431年)およびカルケドン公会議(451年)は、
 プロテスタントの全教派を通して最も重要な歴史的な公会議であるとされている。

聖書の三大区分、教会会議と公会議、今日は聖書とキリスト教のお勉強でした。
それにしても覚えられないな~〈´Д⊂

「高等批評」という言葉も初めて、読めば読むほど分からないことばかりてんこ盛り (´Д⊂

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明後日の日曜日はペンテコステ(聖霊降臨祭)で、礼拝後は祝会です。
皆さま、どうぞお出かけください!


公園の<カキツバタ>も終わりました。
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