ゆうゆうの教会便り

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讃美歌第二集 191番

2014-05-20 22:29:59 | 讃美歌
先週の礼拝で歌いました。 
前回の讃美歌練習のときに教えていただいて練習してあったのに
きれいさっぱり忘れていて、初めて歌うようで、とても難しかったです。
オルガンに合わせて文字を追うので精一杯、意味はよくつかめませんでした。  (^^;)

讃美歌第二編 191番 「主のまことはくすしきかな」

 1)主のまことはくしきかな 迷い悩むこの身を
   とこしなえに変わらざる 父のもとに導く
 
 Chorus:
   大いなるは主のまことぞ 朝に夕に絶えせず
   御恵(みめぐ)みもて支え給う たたえまつらん、我が主を

 2)春も秋も夏冬も 月も星もすべては
   主のまことと憐れみと 尽きぬ愛を表す
 Repeat Chorus.

 3)罪人らを憐れみて 救い給う御恵み
   喜び満ち望みもて 仕えまつるうれしさ
 Repeat Chorus.


作詞者 Thomas Obediah Chisholm(1866-1960 米国人)はケンタッキー州の小さな州立学校で学び
16歳でその学校の教師になり、21歳で週刊紙の編集助手となった。
27歳のとき洗礼を受け、30歳後半でメソデイスト派の牧師となりしばらくの間、教区の牧師を勤めたが、
健康がすぐれなかったためインデイアナ州の農家に移り住んだ。
その後ニュージャーシー州に移り保険の外交員を務めたが晩年はメソデイストの施設で過ごした。
生涯に1200の詩を書き、その大半が出版され、その多くが作曲されたという。
苦労人であったが才能に恵まれた人であった。

この詩は、自身の経験と聖書の真実から作られたという。 旧約聖書の「哀歌」3章22-23節をベースにしている。
「哀歌」3章22節ー23節
主の慈しみは決して絶えない。 主の憐れみは決して尽きない。
それは朝ごとに新たになる。 あなたの真実はそれほど深い。


最後の「あなたの真実はそれほど深い」が原作では“great is your faithfulness”であり、これがこの賛美歌の題名となっている。

作曲した Willam Marion Runyan(1870-1957 米国人)は、メソデイスト派の牧師の息子として生まれ,
音楽の才があり、12歳で教会のオルガニストとなったほどである。
21歳で牧師となり主としてカンザス州で牧会に勤め、また、福音伝道師として州内各地の伝道に従事した後、
シカゴに移り、Moody Bible Institute(ムーデイ―聖書学校 19世紀後半の福音伝道家ムーデイ{Dwight L.Moody}が設立)に
深くかかわることになった。
この曲は、Chisholm の歌詞のために作曲されたもので、Runyanは、この歌詞に大変感動して作曲し、
歌詞にこめられたメッセージが彼のメロデイーによって広められるよう熱心に祈ったという。
そして、その後、実際にこの賛美歌が広く用いられたため、神が祈りに応えてくれたものと彼は書き記している。
尚、この賛美歌はムーデイ―聖書学校の非公式な校歌(賛美歌)となっている。   (以上、解説はネットからの引用です。)


解説で、この讃美歌の成り立ちを初めて知りました。
「哀歌」のこの聖句は大好きな聖句です。
そうだったんですね~ ただ難しい歌だなぁ、という感想では申し訳ないことでした。
今度歌う時は言葉をよく理解しながら、思いを込めて(大声で)歌います。 

讃美歌第二集191番はここをクリックすると聴かれます。  



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