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ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

讃美歌97番「朝日は昇りて」

2015-12-08 16:08:50 | 讃美歌
讃美歌97番「朝日は昇りて」  Shinsen Sanbika, 1890
                    「CHRISYMAS DAY」by Chugoro Torii
 1 朝日は昇りて 世を照らせり、
   暗きにすむ人、 きたりあおげ、
   知恵に富みたる主 世にいでたり、
   愚かなる人は きたりまなべ。

 2 力にみつる主 世にのぞめり、
   かよわき人々 きたりたのめ、
   安きを賜う主 世にくだれり、
   苦しめる人は 来たり受けよ。

 3 救いを賜う主 世に生まれぬ、
   高きも低きも きたりいわえ、
   天地(あめつち)しらす主 世にあらわる、
   よろずの物みな どよみうたえ

1868年に日本で作られた讃美歌です。
作曲者、鳥居忠五郎は大学教授なのですが、牧師の子でした。
北海道の親元を離れていた中学時代、妹の病気を思い、不遇に耐えて教会へ通っていたそうです。
その後、音楽の学びを始めたのですが、その曲は、外国でも知られ、愛されているといいます
日本基督一致教会の『讃美歌』(1881年)に収録されました。
作詞者は奥野昌綱(1823-1910)と推定されています。
この詞はほかに「螢の光」や「諸人こぞりて」などにのせて歌われていたそうです。
ここをクリックすると讃美歌97番を聴くことができます。

カテゴリ「讃美歌」の記事を載せるのは久しぶりです。
このブログを始めてから3年半、ご紹介した讃美歌は120曲以上になりました。
礼拝で歌う讃美歌は限られているのでしょうか、讃美歌集には500以上の讃美歌が
載っているのですが、だんだんご紹介する曲が無くなりました。
仕方ありません、これからはすでに載せた讃美歌も載せることにいたしましょうか。


公園の水場に現れた<シロハラ>です。
これからの季節、な~んだ、またシロハラか~と
言われるようになる普通種の冬鳥です。

美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
心に重荷を負っている方、病に苦しむ方、虚しい思いを抱いて生きていらっしゃる方、
どうぞ、勇気を出して教会の扉を押して中にお入りください。
どんな時も常に共にいてくださるイエス様にあなたもきっと出会えることと思います。
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讃美歌338番

2015-11-19 18:46:22 | 讃美歌
先週の主日礼拝に明るくなった礼拝堂で大声で歌いました。
普段、家では大声で歌を歌うことがあまりないので教会で思い切り声を張り上げると
(ア、つまり神様を讃美する、ということです、勿論 (^^;) 気分が晴れ晴れいたします。
この讃美歌の歌詞が大好きです。 
この歌詞のように主に依り頼む気持ちで過ごすと、この世の出来事に右往左往する自分が鎮められ
深い平安が与えられます。

讃美歌338番「主よ、終わりまで」
      “O Jesus, I have promised” by John Ernest Bode, 1868
      「ANGEL’S STORY」by Arthur Henry Mann

 1)主よ、終わりまで 仕えまつらん
   御側(みそば)離れず おらせ給え
   世の戦いは 激しくとも
   御旗(みはた)のもとに おらせ給え

 2)浮世の栄え 目を惑わし
   誘(いざな)いの声 耳に満ちて
   試むる者 内外(うちと)にあり
   主よ、我が盾と ならせ給え
 
 3)静かに清き 御声(みこえ)をもて
   名利(めいり)の嵐 静め給え
   心に騒ぐ 波は凪(な)ぎて
   我が主の御旨(みむね) さやに写さん

 4)主よ、今ここに 誓いを立て
   僕(しもべ)となりて 仕えまつる
   世にある限り この心を
   常に変わらず 持たせ給え

現代のあらゆる歌集に収められている秀歌である。
作詞家、作曲家ともオックスフォード大学で学び、それぞれの分野で多大な貢献をした。
作詞家John Ernest Bode(1816-1874)はオックスフォード卒業後、母校の講師と
教会の牧師を努めた。
1855年には栄誉あるBampton Lecturer(18世紀前半、聖職者John Bamptonにより設けられた
宗教問題に関する講座で活発な論争を提供する講座として有名である)にも選ばれた。
この歌は作者の1女2男の堅信礼のために作られたもので、実感が溢れており、1869年に
発表されて以来、盛んに歌われるようになった。

作曲者Arthur H.Mann(1850-1929)はオックスフォード大学で音楽の博士の学位を授けられる
かたわら、近隣教会のオルガニストを勤め、1876年以降終生ケンブリッジのキングズ・カレッジに
おいてオルガニスト及び聖歌隊指揮者を務めたが、その名指揮は歴史的なものであったと伝えられている。
この曲“ANGEL'S STORY”は E.H.Miller 夫人の“I love to hear the story 
which angel voices tell”のためにMannが作曲したものでその歌詞に基づいて曲名がつけられた。
その後、この歌はANGEL'S STORYのほか SUPPLICATION あるいは WATERMOUTH 等の曲名で
広く一般の讃美歌集にも採録され、また一部では、本讃美歌、即ちJohn Ernest Bode の
“O Jesus、I have promised 主よ、終わりまで”の曲としても普及した。
(以上、解説はネットから引用させていただきました。 m(_ _)m )

ココをクリックすると讃美歌338番のメロディを聴くことができます。


公園の楓が色づき始めました。

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讃美歌488番

2015-11-10 15:40:41 | 讃美歌
一昨日の永眠者記念礼拝で歌いました。
讃美歌集では「永生 天国」の項に入っています。
心から頼りにしていた姉が神の国に召された時もお別れに歌いました。
その時は涙涙で私は殆ど歌えませんでしたが、今でも♪憂きも悩みもなく~♪ や
♪幸い身に余る豊かなる恵みを~♪”と歌うとグッと胸が詰まります。

讃美歌488番「はるかにあおぎみる」
  “There's a land that is fairer than day” by Sanford Filmore Bennet, 1867
   「SWEET BY-AND-BY」 by Joseph Filbrick Webster, 1867
 1)遙(はる)かに仰ぎ見る 輝きの御国(みくに)に
   父の備えましし 楽しき住処(すみか)あり
  Chorus:
   我ら ついに 輝く御国にて
   清き民と ともに御前(みまえ)に会わん
 2)輝く御国にて 憂(う)きも悩みもなく
   楽しき声合わせ 絶えずともに歌わん  
  Repeat Chorus.
 3)父の愛あふれて 幸(さいわ)い身に余る
   豊かなる恵みを とこしなえにたたえん
 Repeat Chorus.

■1941年のアカデミー賞を受賞作品ゲーリー・クーパー主演の「ヨーク軍曹」で、主人公のアルヴィン・ヨークが
自分を裏切った友人を殺す為に嵐の中、銃を持って馬に乗って出向いている時、雷に打たれ落馬した。
手にしていた銃に落雷したのである。意識を取り戻したとき、銃身は雷で押し曲げられていた。
その時に教会から聞こえてきたのが、この讃美歌である。この歌に引き寄せられるようにヨークは教会の中に入り、
会衆と共に讃美歌を歌い神を讃美している自分を見出した。ヨークの回心であるが、パウロの回心を思い出させる
場面である。この後、ヨークは熱心なキリスト者となり、聖書に忠実に生き、良心的兵役拒否者となる。
この映画の時代は丁度、第1次世界大戦に米国が参戦しようとしていた時期であるが、この映画の製作は
第2次世界大戦の始まった頃であり、映画制作の目的は戦意高揚ではなかったかと思われる。
良心的兵役拒否者のヨークも、“自由”の名の下に徴兵され、味方の苦境の中で大きな功績をあげて英雄となった。

■この讃美歌は天国を歌ったものである。
1節の「・・・父のそなえましし たのしきすみかあり。」はヨハネによる福音書14章2節「行ってあなたがたのために
場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたも
いることになる。」を引用したものと思われ、2節の「かがやくみくににて、うきもなやみもなく、・・・」と
3節「・・・豊かなるめぐみを、とこしなえにたたえん。」はイザヤ書35章10節「主に贖われた人々は帰って来る。
とこしえの喜びを先頭に立てて、喜び歌いつつシオンに帰り着く。
喜びと楽しみが彼らを迎え、嘆きと悲しみは逃げ去る。」を参照したものと思われる。

■作曲者ジョーゼフ・P・ウエブスター(Joseph Philbrick Webster 1819-1874)は、ロウエル・メイスンのもとで
音楽を学び、ニューヨーク他東海岸で活躍の後、最後にウイスコンシン州のエルク・ホーンに定住した。
ここで、作詞者のサンフォード・F・ベネット(Sanford Fillmore Bennett 1836-1898)と一緒に讃美歌の
作詞、作曲に励み、その中で、一時アメリカの子供達や楽隊で流行したのがこの讃美歌である。

■ウエブスターは、音楽家にありがちな繊細で、神経質で一種の躁鬱であったらしい。
作詞者ベネットによれば「ある時、ウエブスターが自分の部屋にやってきて、無言でストーブに背を向けた。
私が“どうかしたのか”と尋ねると、彼は段々良くなるよ!It will be all right by and by.と答えたので、
とっさに“やがて楽になる The Sweet By and By!  これでよい讃美歌が作れるのではないか”と彼に言い、
机に向かい筆を走らせた。出来上がった歌詞を彼に見せると、たちまち彼の目は輝きを見せ作曲に取り掛かった。
そして、メロデイ―を作った後、コーラスの楽譜を記して2人で合唱を始めた。この間三十分も経っていなかった。」と
記している。
ベネットは南北戦争に従軍の後、エルク・ホーンに戻り、医学部を卒業して20年以上医師として働いた。
(興味魅かれるエピソードの記事はネットからの引用です。)

ここをクリックすると讃美歌488番のメロディを聴くことができます。


長~い触覚、多分<ツユムシ>だと思います。

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讃美歌391番

2015-11-06 13:31:06 | 讃美歌
先週、礼拝説教にちなんで歌いました。

讃美歌 391番 「ナルドの壷ならねど」
    “ Master, no offering “ Edwin Pond Parker, 1888
    「LOVE’S OFFERING」 Edwin Pond Parker, 1888

 1)ナルドのつぼ ならねど ささげまつる わが愛
   みわざのため 主よ 潔めて うけませ うけませ

 2)よわき民に ちからを おぐらき世に ひかりを
   あたえて主の たかき御旨 なさばや なさばや

 3)怖(お)ずるものに 平和を なげくものに のぞみを
   わかちて主の ふかき恵み あらわさん あらわさん

 4)この世のわざ おわりて あまつ国に かえらば
   主よみまえに 仕えまつらん ときわに ときわに

アメリカの美しいデヴォーショナルな歌である。作詞・作曲者エドウイン・パーカー(Edwin Parker 1836-1925)は、
メイン州に生れ、ボードウイン・カレッジとバンガー神学校とを卒業して会衆派の教職となり、
1860年、ハートフォード(コネテイカット州)の牧師に就任、1906年にはコネテイカット州議会付のチャプレンに
任命された。
讃美歌に大きな関心をもち、多くの歌集を編集したが、創作の歌は少ししかない。
それらのうちでこれは最も広く用いられているもので、1888年、説教の後で読むために作ったものである。
翌年、“Christisan Hymnal,1889”に発表された。  (ネット記事からの引用です。)

ココをクリックすると讃美歌391番を聴くことができます。


<キンクロハジロ(♂)> 後頭部に垂れた小さな冠羽が可愛らしいです。
冬の間この公園で越冬し、春にはシベリアやユーラシア大陸北部に渡ってゆきます。


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讃美歌140番

2015-10-12 22:27:58 | 讃美歌
讃美歌140番「いのちのいのちに」
       “Jesu, Meines Lebens Leben” by Ernst Christoph Homburg, 1658
        Orig. Melody : Wolfgang Wessnitzer, 1661  Horm. B. Zorn, Choralbuch, 1891

 1) 命の命に ましますイエスよ
    主イエスはわがため その身をすてて
    ほろびの淵より 導きいだし
    朽ちぬ命を あたえたまえり
 2) ああ主よ、主イエスは 恥をもしのび
    わがため呪いを 身に負いたまい
    悪魔のわなより 救いいだして
    永遠のやすきを さずけたまえり
 3) ああ主はわがため 十字架をとりて
    たかぶり傲りを あがないいだし
    あまつ栄を 得させたまえり
 4) わが身にかわりて 死にたるイエスよ
    十字架をあおげば なぐさめつきず
    悩みもおそれも すべて消えゆく
    主のみめぐみは ありがたきかな

この讃美歌についての解説は探すことができませんでした。 m(_ _)m
礼拝の時に歌った讃美歌をこのブログでご紹介してきましたが、すでに118曲、
曲の解説を見つけられないこともあって、中々新しい讃美歌をご紹介するのが
難しくなりました。 残念です。

ここをクリックすると美しい讃美歌140番の歌声が聴かれます。



ボタンクサギの花に止まる<ジャコウアゲハ>です。

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讃美歌228番「ガリラヤの風かおるあたり」

2015-09-24 15:25:05 | 讃美歌
20日の礼拝で歌いました。
「主の祈り」の中の「御国を来たらせたまえ」から発想し、平和な地球を願って作詞されたそうです。

讃美歌228番 「ガリラヤの風」 作詞: ko Yuki,1929
                   作曲:Lowell Mason,1823 MISSIONARY HYMN
 1) ガリラヤの風 かおるあたり、
   「あまつ御国は 近づけり」と、
    のたまいてより いく千歳(ちとせ)ぞ、
    きたらせたまえ、 主よ、 み国を。

 2) たたかいの日に いこいの夜(よ)に、
    みくにをしたう あつきいのり、
    ささげられしは いく千度(ちたび)ぞ、
    きたらせたまえ、 主よ、み国を。

 3) 憎み、あらそい、 あとを絶ちて、
    愛と平和は 四方(よも)にあふれ、
    みむねの成るは いずれの日ぞ、
    きたらせたまえ、 主よ、み国を。 

原作者由木康氏(1896―)の作品は日本キリスト教団賛美会員会編纂の讃美歌集で一番多い。
又、数多くの歌詞が翻訳されている。
氏は,関西学院文学部をおえて、聖書と神学を学び日本キリスト教団東中野教会牧師、
青山学院神学部その他で聖歌学を講ずる一方讃美歌の編纂に携わった。
この曲は,氏が昭和6年版「讃美歌」の改訂に携わっていた頃,一夜主の祈りの中の
{み国をきたらせたまえ}と言う句から霊感を受け,第一次大戦中の経験を思いおこして,
永遠の平和が実現する神の国を待望しつつ作った歌である。

旋律の“Missionary Hymn”はLowell Mason(1792-1872)によるものであるが、
讃美歌214番「北のはてなる」のためにこの曲を作曲した。
ところが,この曲はうたい易く且つ原歌詞(214番)の気分とよく合っているので,
たちまち全米に広がり,各派の讃美歌集や日曜学校の聖歌集にまで採り入れられた。
メイスンの代表作の一つである。
この曲は『変ホ長調』であるが,214番は『ニ長調』である。

讃美歌228番のオルガン伴奏が、ここをクリックすると聴くことができます。
本当に歌いやすい讃美歌です、どうぞ伴奏に合わせて歌ってみてください。


公園の野草園にさいていました。 <シュウメイギク>

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讃美歌第二編 179番

2015-09-10 10:05:30 | 讃美歌
先週の讃美歌練習の時に歌いました。 難しい歌で、なかなか歌えず覚えられず。 (^^;)

讃美歌第2編179番 「みまえにわれらつどい」   
        “Let us break bread together, on our knees”  詩:黒人霊歌
        “COMMUNION SPIRITUAL”  曲:黒人霊歌

1)みまえにわれらつどい
  ともにわかつみ糧(かて)を
  世の光なる主のことばもて 祝したまえ
2)み招きにこたえつつ
  あずかるさかずきをも
  世の光なる主のことばもて 祝したまえ
3)みわざをたたえうたい
  みまえにつどう民を
  世の光なる主のことばもて 祝したまえ


聖餐を主題とした数少ない黒人霊歌である。
3節からなる英語の歌詞は、1節がパンを割き、2節がぶどう酒を飲み、3節が神を称えたものだが、
その他の歌詞は全く同一である。 しかし、実際に聖餐式で使うことを考慮し、各節の後半の
同一歌詞の2行は原歌をやや離れて意訳されている。
訳者の岸本洋一氏は、編曲(1962年)されたものを聖餐式で用いている
The East Harlem Protestant Parish, New Yorkの教会での礼拝を経験された。
ひざまずいて聖餐にあずかり、頭をたれて罪人の私を憐れんでください(ルカによる福音書18章13節)と
神に祈る内容である。
この歌は、素朴で敬虔な表現ゆえに1955年頃からアメリカで大変ポピュラーになった。

この黒人霊歌の原曲は、The Hymnal 1982 Companion (no. 325) の解説によると、
William Barton の Old Plantation Songs (1899;短縮版) および John W. and Frederick J. Work の
Folk Songs of the American Negro (1907) に収録された。
また、Johnson 兄弟の The Second Book of Negro Spirituals (1926) に "When I Fall On My Knees
(Wid My Face to de Risin' Sun  スペルの間違いではありません)" という題名でピアノ伴奏付きの
編曲版が載っている[Companion to The United Methodist Hymnal (no. 618) はこれが最初の印刷版の
ようである]と言う。1940年代以降に一般の讃美歌集にも採用されるようになった。 (以上、ネットより引用)

ここをクリックすると讃美歌第二編179番を聴くことができます。
帯に短し襷に長しという感じで良い演奏が見つかりませんでした。
(って、参照したサイトに失礼かな? ごめんなさい)

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讃美歌517番

2015-09-01 17:19:30 | 讃美歌
讃美歌517番 「我に来よと主は今」 一昨日の礼拝で歌いました。

 1)我に来(こ)よと主は今 優しく呼び給う
   などて愛の光を 避けてさまよう
 Chorus: 帰れや、我が家に 帰れや、と主は今呼び給う
 2)疲れ果てし旅人 重荷を下ろして
   来たり憩え、我が主の 愛のみもとに
 Repeat Chorus.
 3)迷う子らの帰るを 主は今待ち給う
   罪も咎(とが)もあるまま 来たりひれ伏せ 
 Repeat Chorus.

原作者Frances Jane(Crosby)Van Alstyne(1820-1915)は、アメリカの多作な盲人女流歌人である。
盲人オルガニストトと結婚してVan Alstyneの姓となったが、一般にファニー・クロスビーと呼ばれている。 
日本基督教団讃美歌ではこの曲のほかに、489番 “きよき岸べに” 493番“つみの淵におちいりて”
495番“イエスよ、この身を ゆかせたまえ” 524番“イエス君、イエス君、みすくいに” 
529番“ああうれしわが身も”などに採用されており彼女の歌は日本でも広く普及している。

ファニー・クロスビーは、生まれた直後の目の治療が失敗し失明する悲運に見まわれたが、祖母や母親の
愛情ある教育、育成により彼女の持って生まれた才能が生かされ盲人学校での勉学、卒業後、
教師としての務めの傍ら詩作に励んだ。
讃美歌の作詞を始めたのは44歳の時で偉大な讃美歌作曲家ウィリアム・ブラッドベリーとの出会いからであった。
その後、彼女の作品に作曲したWilliam Howard Doane, George ColesStebbinsや19世紀後半の大伝道者ムーデイと
伝道歌手サンキーらとの出会いと協力の過程で生涯六千以上と言われる讃美歌を作詞した。
1915年95歳で天に召されたクロスビ‐は、身長145センチと小柄であったが、心にはいつも喜びが湧いていたので、
その顔は輝いており、そばに行くと、その喜びが「感染」したと言われた。(大塚野百合「讃美歌・聖歌ものがたり」)

作曲者George Coles Stebbins(1846-1945)は、少年の頃父の農園で働きながら田舎の歌唱学校(Singing School)で
音楽を勉強した。
シカゴで働きつつ教会の音楽指揮者を務めボストンに移り、1876年の秋、大説教家ムーデイ(Dwight Lyman Moody)及び
音楽伝道者サンキー(Ira David Sankey)を知り、その影響によって、音楽伝道者(Singing Evangelist)となった。
その作品はすべて福音唱歌であって、美しく、甘く、大衆的である。
この曲は、ファニー・クロスビーの“Jesus is tenderly calling to-day”のために1883年に作曲した曲であり、
米国の福音唱歌中でも有名なものの一つで、ひろく米国人に愛唱されている。  (以上、ネットからの引用です。)

ここをクリックすると讃美歌517番を聴くことができます。

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教会学校夏の遠足(NHKスタジオパーク)の写真を「最近の活動と今後の予定」ページに載せます。
よろしかったら覗いて見てください。 (^-^)


夏の終わり、尾の先が団扇のようなトンボ<ウチワヤンマ>もそろそろご退場ですね。
ヤンマといってもヤンマ科ではなくて<サナエトンボ科>だそうです。 (@@)
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讃美歌164番 「こひつじをば」

2015-06-02 20:43:22 | 讃美歌
一昨日の礼拝で歌いました。
とても歌いやすい讃美歌で、初めてでしたが奏楽に合わせてすらすら歌えました。

讃美歌164番 「こひつじをば ほめたたうる」
          "Crown Him with many crowns" by Mathew Bridges, 1851
          「DIADEMATA」by George Job Elvey, 1868
 1) 子羊をば ほめたたうる
    妙(たえ)なる物の音(ね) 天(あめ)に聞こゆ
    いざ御民(みたみ)よ、恵みの主に
    栄えの冠(かむり)を 献(ささ)げまつれ

 2) 御使(みつか)いらも うち伏すまで
    我が主の御傷(みきず)は 照り輝く
    いざ御民(みたみ)よ、救いの主に
    栄えの冠を 献げまつれ

 3) 戦い止(や)み 矢叫び絶え
    祈りと歌との 声は響く
    いざ御民(みたみ)よ、平和の主に
    栄えの冠を 献げまつれ

 4) 空の極み 地の果てまで
    みいつの光は 照り渡りぬ
    父とともに 治(し)らす君に
    栄えの冠を 献げまつれ

作詞者マシュー・ブリッジス(1800-1894)は19世紀を生きた人で、当初英国国教会に属していましたが、
後にカトリックに改宗しました。
カナダ、ケベックで数年間を過ごしましたが、最終的には英国に戻りました。
作曲のジョージ・J・エルヴィーは、カンタベリー大聖堂の聖歌隊員から始まり
Royal Academy of Music で正式なトレーニングを受けました。
英国王室のために演奏する等でナイトの称号を得たり、輝かしい経歴を重ねました。

ここをクリックすると讃美歌164番を聴くことができます。
英語の歌詞も出てきますが、とても歌いやすいです。

ここをクリックすると、ウェストミンスター寺院でのエリザベス女王戴冠50年記念式典で
この歌が歌われているのを聴くことができます。 女王陛下も歌っています。(^-^)



<ダイミョウセセリ> 蛾みたいですが、蝶です。

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讃美歌498番

2015-05-25 23:16:31 | 讃美歌
讃美歌498番 「あぁみたまよ くだりまして」
    "Come, Holy Spirit, like a dove" by Frances Jone(Crosby) Van Alstyne, 1820-1915
    composed by Ira David Sankey, 1891

 1 ああ、みたまよ くだりまして、我が祈りきこしめし、
   御神なる救い主を 昼も夜も見せたまえ

 2 ああみたまよ くだりまして けがれたる この身をも
   いときよき 宮となして とこしえに 住みたまえ

 3 ああみたまよ くだりまして あまつ日を かがやかし
   義と愛の 満つる里と この世をば なしたまえ

作詞家のフランシス•ジェーン•クロスビー Frances Jane (Crosby) van Alsyne
(1820年3月24日- 1915年2月12日)はファニー•クロスビーとして知られています。
彼女は生後6週間という幼い時の医療ミスのために失明したのですが、後年、そのことを
逆に深く感謝し、非難のため町に住めず行方が知れなくなっていた医師を探し出して、
その気持ちを伝えたそうです。
彼女はアメリカの最高のプロテスタント讃美歌作詞家です。
幼い日から盲目であるにも関わらず8000以上の讃美歌を作詞し、歴史の中で最も多作な
hymnists の一人でした。
このブログでこれまでに紹介した讃美歌495番、529番も彼女の作詞です。
ファニー•クロスビーは、米国で最も有名な女性の一人です。

アイラ・D・サンキー Ira David Sankey(1840年8月28日 - 1908年)
1840年、ペンシルベニア州エディンバーグに生まれ、ペンシルベニア州内の農場を転々とする。
1857年に同州のニュー・キャッスルに移る。
南北戦争では北軍の兵士として従軍した。 戦後は、父の税務の仕事を手伝っていた。
1870年、インディアナポリスのYMCAの集会でムーディがサンキーの歌を聴いて感動して協力を求め、
6ヶ月後にムーディの伝道集会のソング・リーダーになった。
それ以来、1899年のムーディの死去まで、28年間リバイバル運動に参加して、音楽伝道者として、
伝道集会で独唱をしてムーディを助け、全米を巡回する。
1903年に失明し、1908年にニューヨークのブルックリンで死去した。
生涯に、多くの賛美歌を作曲し、その後の賛美歌に大きな影響を与えて、
福音唱歌(ゴスペルソング)の大流行のきっかけを作った。  (以上、ネットからの引用です。)

ここをクリックすると讃美歌498番のメロディを聴くことができます。



新緑の中の<キビタキ(♂)> 夏の繁殖のために日本に渡ってきます。 
繁殖地の山間部にたどり着く前に都市公園にしばらく滞在します。

美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
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