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ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

讃美歌第二集 161番 「輝く日を仰ぐとき」

2018-11-11 20:33:19 | 讃美歌
下↓はネットの解説です。***************************************

大自然の不思議な営みに感動し神を賛美したスウェーデンの牧師による一編の詩が、
スウェーデンの民謡と共にドイツ語やロシア語、英語に翻訳されアメリカに渡り
1970年代にはアメリカで最も愛唱される賛美歌となった。

曲は1800年頃のスウェーデン民謡とある。
曲名の“O Store Gud”はスウェーデン語で詩の題名でもあり英語では“O Great God 
偉大なる神”の意味である。後に著名な宣教師となった Carl Boberg 牧師(1859-1940)が
26歳の時の体験をもとに作詞したものである。
その体験とは、彼がスウェーデンの南東の海沿いにある美しい土地を訪問した時、真昼に
突然雷を伴う嵐に見舞われたが、それが通り過ぎた後、輝かしい太陽が照り輝き、美しい
虹がかかり森の中から鳥のさえずりが聞こえてきた。
この時、彼は思わず大地に跪き豊かな自然を創造された神を賛美したと言う。
それから数年後の1886年、ある集会で、彼の作ったこの詩がスウェーデン民謡の調べで
歌われているのを聴いて驚いたという。

東ヨーロッパとロシアに接するアパラチア山脈地方で伝道していた英国の宣教師 Stuart K.Hine が
1933年にウクライナの集会でこの歌に接した。
スウェーデン語からドイツ語を経てロシア語に翻訳されたものであった。
そして、アパラチア山脈の山中で彼も原作者と類似した体験、すなわち、突然の雷雨の通過、その後の
すがすがしい山並みの景色に出会い、ウクライナの集会で聞いた“O Great God”を思い出し、
Hine 自身の感動を作詞した。これが英語で歌われている“How Great Thou Art”である。
第1節では「雷鳴りわたるとき」と歌われ、第2節では「そびゆる山にのぼり」と歌われている。
第3節以下は別に機会に追加され1948年に完成された。
1954年、版権がアメリカの出版社に渡り、Billy Graham の伝道の一環としてゴスペルシンガー
George Beverly Shea によって歌われたのを契機にアメリカを中心として急速に広がっていった。
尚 Carl Boberg の原作を忠実に英訳したもの“O Mighty God, When I Behold the Wonder”も
讃美歌集に残っているが、“How Great Thou Art”と内容はかなり異なっているとのことである。

  輝く日を仰ぐとき 
  月星(つきほし)眺(なが)むるとき
  雷(いかずち)鳴り渡るとき 
  まことの御神(みかみ)を思う
 Chorus:
   我が魂(たま) いざたたえよ
   聖なる御神を
   我が魂 いざたたえよ
   聖なる御神を

  森にて鳥の音を聞き 
  そびゆる山に登り
  谷間の清き流れに 
  まことの御神を思う
 Chorus:
******************************************************************

明るい日差しの中、今日11日の永眠者記念礼拝は何名かのご遺族の方も見えて
(あ、私もその一人ですが)穏やかに和やかに終わりました。
この讃美歌は今日の礼拝で歌いました。 とても有名な讃美歌のようですが、私は初めてでした。
ブログに載せるために調べていたら、ナント! エルヴィス・プレスリーが歌っていましたよ~ 嬉しい~! 
大昔、若かりし頃、キャ~!エルヴィス!とまでは騒ぎませんでしたが、今日は思いがけずエルヴィスの
豊かな甘い声のゴスペルに、若き日を思い出しシアワセなひと時でした。
How great Thou art........ 
私も神様によって造られた物、私は小さな者ですが、人体も動物も自然も何もかも本当に神様の
アートは偉大です。 この地球を大切に守って次の世代の方々にお渡ししなくては、と思いました。
遠くない将来、それがいつかは神様のみ心ですが、御許に召されて先に召された方々と会える日が
楽しみです。 夫とも会えますように! (^-^)


ここをクリックするとエルヴィスの歌うゴスペル “How great Thou art” を聴くことができます。
英語の歌詞です。
O Lord, my God, when I in awesome wonder
Consider all the worlds Thy Hands have made
I see the stars, I hear the rolling thunder
Thy power throughout the universe displayed
Then sings my soul, my Saviour God, to Thee
How great Thou art, how great Thou art
Then sings my soul, my Saviour God, to Thee
How great Thou art, how great Thou art

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散歩した公園の夕焼けです。 もう少し雄大な写真を載せたかった (;´д`)
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讃美歌536番「むくいを望まで」

2018-09-29 19:16:51 | 讃美歌
讃美歌536番「むくいを望まで」

"Cast thy bread upon the waters" by Phoebe A. Hanaford 1829-(1921)
「OFFERINGS」Anonymous

1 むくいを望まで 人に与えよ、こは主のとうとき みむねならずや、
  水の上に落ちて 流れし種も、いずこの岸にか 生いたつものを。

2 浅きこころもてことをはからず、みむねのまにまに ひたすら励め。
  風に折られしと 見えし若木の、おもわぬ木蔭に 人をも宿さん。

証しと奉仕に関する讃美歌で「むくいを望まで」と文語体のタイトルですが、口語では
「むくいを望まずに」という意味です。
歌詞はニューイングランドのユニバーサリスト教会(万人救済派)において女性として
はじめて牧師に任命されたPhebe Ann Coffin Hanaford(1829-1921)です。
クエーカー教徒の船主の娘として生を受け、文才に恵まれ十代で地方紙に記事を掲載。 
ラテン語、数学を学び数年は教鞭を取りました。詩作、子ども向け物語、エッセイ、
伝記を手掛け、アブラハム・リンカーンの伝記は二万部の売上を記録しました。
ユニバーサリスト教会誌の編集も担当し、ついには牧師に任命されたのでした。
(The Cyber Hymnalより)・・・・・・・ネットからの引用です。

ここをクリックすると讃美歌536番のメロディを聴くことができます。

この讃美歌は二週間くらい前に礼拝で歌いました。
礼拝で歌う讃美歌のほとんどはアップして、このブログのカテゴリ「讃美歌」の記事は150になりました。
礼拝での新規登場の讃美歌も少なくなった上に、稀に歌う曲はネット検索してもヒットしません。
うーん、カテゴリ「讃美歌」は先細りかなぁ・・・・困った・・・・

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10月7日から“夕礼拝”が始まります。 ホームページをご覧ください。


<コサメビタキ>
都市公園でも9月から10月にかけて、日本から暖かい東南アジア等に渡っていく
渡り途中のヒタキ類を見ることができます。
写真は鳥撮りを趣味としていた亡き夫が撮ったものです。
上手ですよね~ 親ばかならぬ夫ばか。 <(_ _)>
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讃美歌321番「わが主 イエスよ」

2018-08-02 11:52:00 | 讃美歌
讃美歌321番「わが主 イエスよ」
“More love to Thee, O Christ” by Elizabeth Payson Prentiss, 1869
「PRENTISS」by William Howard Doane, 1868

先週の主日礼拝で歌いました。

  1)我が主イエスよ、ひたすら
    祈り求む 愛をば
    まさせたまえ 主を愛する
    愛をば 愛をば
  2)世の安きと楽しみ
    求めたりし 身なれど
    今は願う 主を愛する
    愛をば 愛をば
  3)来たれ来たれ 苦しみ
    憂き悩みも いとわじ
    勇み歌わん 主を愛する
    愛をば 愛をば
  4)いまわの息 かすかに
    残る時も 愛をば
    増させたまえ 主を愛する
    愛をば 愛をば

作詞したElizabeth P.Prentiss(1818-1878)は、牧師の家庭に生まれ後に牧師夫人となった。
この詩は、彼女が病の床にあった1856年作られた。
13年後に夫に見せたところ夫君はこれを出版するようにすすめた。
William Howard Doane(1832-1915)がこれを見て作曲し1870年に彼が出版した "Song of Devotion"に
収録されてから数年間のうちに全米を風靡した。
敬虔な魂の祈りであり、今なお往年の人気を保持している。
W.Howard Doaneは、音楽の才に恵まれ数多くの作品(作曲)を残しているが、本業はオハイオ州シンシナテイを
中心として活躍した実業家である。
シンシナテイの教会で日曜学校の校長や聖歌隊の指揮者を務めるなど音楽を通じて伝道活動(福音主義運動)にも
大きな貢献をした。
シカゴには彼を記念した音楽堂があり、彼の宗教運動に対する偉大な功労に対してフランス政府から叙勲を
受けている。                            (以上はネットからの引用です)

ここをクリックすると讃美歌321番のメロディーを聴くことができます。

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日差しを避けて涼し気な<半夏生>の陰にぶら下がった<アオヤンマ>です。

暑~~い!毎日が続いています。
カリフォルニアやイタリアギリシアの山火事も強風に煽られて納まる気配がありません。
今年の夏の異常気象は地球環境が臨界点を超えて壊れ始めたとしか思えず恐ろしいことです。
8月2日朝日新聞の朝刊に「地球環境 限界なのか」というインタビュー記事が載っていました。
知らない言葉も多くて私には中々理解しにくいのですが、地球という緑の星の環境を守ることは
人類全体にとっての急務なのではないでしょうか。
これまで、いわゆる先進国が人間の利便性を求めることを良しとして開発最優先できた結果が
現在だとしたら、今になって引き返すことはできず修復可能とは思えず、呆然とします。
便利さを享受して生きて来た私も責任を負うべき愚かな人間の一人だと思い暗い気持ちになります。
神様、ノアの箱舟のような、地球を真っ新にするようなことはもうなさらないのですよね。
愚かな人間の愚かな止め処ない欲望を止め、神様を知る賢い知恵を、本当の知恵を人間に
お与えください!って、もう遅いのかな~~ 地球は本当に臨界点を超えてしまったのかな~~

40度を超える気温、道路の温度は60度を超えているのではないでしょうか。
後期高齢者の私は昼間外を歩く勇気が無くなり、家でくすぶっています。 
頭も燻って働かなくなりました。
休み勝ちのブログ、お許しください。 <(_ _)>
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讃美歌21 18番「心を高く上げよ!」

2018-07-18 14:24:19 | 讃美歌
先週の主日礼拝に歌いました。
美竹教会では、最近、時々「讃美歌21」の讃美歌を歌います。
初めて歌う讃美歌、大歓迎!です。

「“Lift up your hearts” we lift them, Lord, to Thee」
  by Henry M. Butler, 1833-1918
「SURSUM CORDA」 by Alfred M. Smith

 1 「こころを高くあげよ!」
   主のみ声にしたがい。
   ただ主のみを見あげて、
   こころを高くあげよう。
 2  霧のようなうれいも、
   やみのような恐れも、
   みなうしろに投げすて、
   こころを高くあげよう。
 3 主から受けたすべてを、
   ふたたび主にささげて、
   きよきみ名をほめつつ、
   こころを高くあげよう。
 4 おわりの日がきたなら、
   さばきの座を見あげて、
   わがちからのかぎりに、
   こころを高くあげよう。

英語原歌詞「Lift up your hearts!」をうまく日本語に訳し、主からの呼びかけの言葉となっている。
作詞者のヘンリー・M・バトラーはイギリス聖公会の司祭。作曲者は、アメリカ聖公会の司祭。
小節線にあまりこだわらずに、言葉を大切にしながら流れるように歌いましょう。
歌詞は、曲名にもなっているスルスム・コルダ(心を高く挙げなさい、ラテン語)は哀歌3:41「天にいます
神に向かって両手を上げ心も挙げて言おう」に基づいている。
カトリック教会では、昔から使われてきた言葉でミサや聖餐式のはじめに言われてきた言葉です。(ネットからの引用)

ここをクリックすると「讃美歌21 18番」を聴くことができます。
歌っている promusica さんのホームページをお訊ねすると実にたくさんの合唱がアップされていました。
合唱のすべてのパートをお一人で、何重唱も・・・・・
その音域の広さ、美しい声、何回も録音して重唱にしている技術と根気、感動しました。
皆さま、ここをクリックして promusica さんの美しい合唱をお楽しみください。

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<ヤブヤンマ>

「ヤンマのぶら下がり」を御存知ですか。
気温35度を超える日中、公園のヤンマたちは暑さを避けて樹々の梢の
てっぺんから下りてきて地面に近い低い梢にぶら下がります。
夕方、日が傾いて夕風が吹き始めると公園の池の上を飛び始めます。
「黄昏飛翔」と私は呼んでいます。
酷暑続きの毎日ですが、公園にはカメラを胸に下げてヤンマのぶら下がりを
探す虫撮りさんがきっといることでしょう。
残念ながら私はもう無理ですね~。  
トンボ撮りさん、熱中症に気を付けてよい写真を撮ってくださいね。
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讃美歌21 79番「みまえにわれらつどい」

2018-06-08 19:05:09 | 讃美歌
先週の日曜日は第一日曜日、美竹教会では毎月第一日曜日には聖餐式が行われます。
今日の讃美歌は聖餐の感謝として歌った「讃美歌21」の79番「みまえにわれらつどい」です。
この讃美歌は讃美歌第二集179番と同じで、以前にもこのブログに載せました。
今回は素敵な歌声が見つかったので再掲することにいたします。

ここをクリックすると伸びやかな男声で日本語の「讃美歌21」79番を聴くことができます。
1 みまえにわれらつどい、ともにわかつみ糧(かて)を、
  世(よ)の光(ひかり)なる主(しゅ)のことばもて祝(しゅく)したまえ。

2 み招(まね)きにこたえつつあずかるさかずきをも、
  世(よ)の光(ひかり)なる主(しゅ)のことばもて祝(しゅく)したまえ。

3 みわざをたたえうたい、みまえにつどう民(たみ)を、
 世(よ)の光(ひかり)なる主(しゅ)のことばもて祝(しゅく)したまえ

そして、ここをクリックすると Joan Baez が歌う
“Let us break bread together” を聴くことができます。

  Let us break bread together on our knees, (on our knees)
  Let us break bread together on our knees. (on our knees)
  When I fall on my knees with my face to the rising sun,
  O Lord, have mercy on me.

  Let us drink wine together on our knees, (on our knees)
  Let us drink wine together on our knees. (on our knees)
  When I fall on my knees with my face to the rising sun,
  O Lord, have mercy on me.

  Let us praise God together on our knees, (on our knees)
  Let us praise God together on our knees. (on our knees)
  When I fall on my knees with my face to the rising sun,
  O Lord, have mercy on me.

なんと懐かしい! あのジョーン・バエズですよ!
「べ平連」の集会かコンサートか忘れましたが、ライブで、清々しくも力強いバエズの歌声を
聴いたことを思い出しました。 
朝日のあたる家、花はどこへ行った、ドナドナ、We shall overcome, などなど。 
若い時に覚えた歌は今でも忘れていませんね~。 (^-^)

↓ ネットからこの曲の解説です。解説は相変わらずネットからのコピペですみません。
聖餐を主題とした数少ない黒人霊歌である。
3節からなる英語の歌詞は、1節がパンを割き、2節がぶどう酒を飲み、3節が神を称えたものだが、
その他の歌詞は全く同一である。しかし、実際に聖餐式で使うことを考慮し、
各節の後半の同一歌詞の2行は原歌をやや離れて意訳されている。
この歌は、素朴で敬虔な表現ゆえに1955年頃からアメリカで大変ポピュラーになった。
この歌の成立時期と場所は詳しくは不明だが、いつのまにかアメリカ中にひろがった。
おそらくアフリカから奴隷として連れてこられた人たちが、即興的な自由な礼拝を行い、
そこで歌われていたものを聖公会が典礼歌として採用したものであろうと言われている。

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初夏の公園、今日も強い日差しでした。
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讃美歌21 346番「来たれ聖霊よ」

2018-05-25 14:57:13 | 讃美歌
先週のペンテコステ礼拝で歌いました。 

"Holy Spirit, ever living" by Timothy Rees(1874-1939)
 1  Holy Spirit, ever dwelling(living)
    In the holiest realms of light;
    Holy Spirit, ever brooding
    O'er a world of gloom and night,
    Holy Spirit, ever raising
   Those on earth to thrones on high;
   Living, life-imparting Spirit,
   You we praise and magnify.
 2  Holy Spirit, ever living
    As the Church's very life,
    Holy Spirit, ever striving
    Through us in a ceaseless strife,
   Holy Spirit, ever forming
   In the Church the mind of Christ;
   You we praise with endless worship
   For Your gracious gifts unpriced.
作詞者のTimothy Rees (1874-1939), Bishop of Llandaff はウェールズCardiganshire生まれ。
Ardwyn School、Aberystwyth、University of Wales Lampeter、St.David’s College で学んだ。
1896年にB.A.取得。AberdareのSt.Michael’s College で1年学んだ後1897年12月に助祭として叙任され、
その1年後司祭となった。
Mauntain Ash で二年間代理牧師(curate)を務めた後 St.Michael’s College に講師として戻った。
1906年に York のthe Community of the Resurrection at Mirfield に参加し、そこで1931年
Bishop of Llandaffとして任命されるまで務めた。
Llandaff では1939年4月に亡くなるまで司教として務めた。
彼は英語とウェールズ語の素晴らしい語り手であり、讃美歌作者としても尊敬されていた。
"Holy Spirit, ever living as the church’s very life”
"God is love, let heaven adore him”"O crucified Redeemer” 等いくつかの讃美歌を作詞した。
1914年から1919年までの5年間、軍(the Forces)のChaplain(従軍牧師)を務めM.C.(?)を授与された。

この曲は「ABBOT'S LEIGH」という曲で、作曲したのは、Cyril V.Taylor。
彼は英国の司祭の息子、オックスフォードのキリスト教会に通っていた。
その後、イングランド教会で聖職授与され、 ブリストル大聖堂 、そして後にソールズベリー大聖堂(1969-75)の
先唱者*)となった。
第二次世界大戦中、英国放送協会(BBC)の宗教放送のプロデューサーとしてイングランドのアボットリーに駐留して
いた時にこの有名な曲「ABBOT'S LEIGH」を書いた。
1953年、Royal School of Church Music がカンタベリーからアディントン・プレイスに移ったとき、
彼は最初の学長になった。
何年もの間、彼はHymns Ancient&Modernのproprietor(所有者、事業主)を務め、2つの補遺版と
New Standard Editionの編集に大きな役割を果たした。
偉大な20世紀の讃美歌を現代讃美歌から除外することは決してできない。
アボットリーは戦時中BBCの本拠があったブリストルの近くの村の名前である。
大胆な旋律の感情表現を持つドラマチックなこの曲は力強い伴奏と堂々としたテンポで斉唱、合唱どちらにも叶う。
*)「先唱者」とか「先唱」という言葉は、共同体によって、使われ方がまちまちのようです。詩編の部分を歌う人や、
  ミサ賛歌の出だしを歌う人を言うところもあれば、聖歌の番号や立ったり座ったりの指示をする人を指す場合も
  あるようです。
ここをクリックすると"Holy Spirit,ever living"の美しい合唱を聴くことができます。
初めての讃美歌で、私は20日の礼拝では全く歌えませんでした。 こんなに美しい曲だったんですね~

  ↓日本語の歌詞です。
   1 来たれ聖霊よ、信ずる群れに、 
     絶えず働きて 命をたまえ。  
     主イエスのこころを こころとなして
     ゆたかなみ恵み、たたえよ、つねに。

   2 強き聖霊よ、 信ずる群れに、
     今も働きて  力をたまえ。
     罪にとらわれし こころをきよめ、
     ゆたかな賜物、与えよ、つねに。

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「長年のご愛顧にお応えして・・・・」と生協からプレゼントされた薔薇。
手入れもされず年々みすぼらしくなって、今年は蕾が四つだけ。 (´Д⊂
出不精の私こそ生協のお陰で飢え死にせずに過ごせています。(^-^)
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讃美歌39番 「日暮れて四方は暗く」

2018-04-11 23:09:40 | 讃美歌
8日(日)の礼拝で歌いました。エマオの出来事がもとになっている讃美歌です。

讃美歌39番 「日暮れて四方は暗く」
“Abide with me:fast falls the eventide” by Henry Francis Lyte, 1847
「EVENTIDE」 by William Henry Monk,1861

1)日暮れて 四方(よも)は暗く
  我が霊(たま)は いと寂し
  寄る辺(べ)なき 身の頼る
  主よ、ともに宿りませ
2)人生(いのち)の 暮れ近づき
  世の色香 移り行く
  とこしえに 変わらざる
  主よ、ともに宿りませ
3)世の闇 押し迫りて
  誘(いざな)いの 声繁(しげ)し
  時の間も 去りまさで
  主よ、ともに宿りませ
4)死の刺(はり) 何処(いずこ)にある
  主の近く ましまさば
  我勝ちて 余りあらん
  主よ、ともに宿りませ
5)十字架の くしき光
  閉ずる目に 仰がしめ
  御栄(みさか)えに 覚むるまで
  主よ、ともに宿りませ

作詞は英国国教会の聖職者ヘンリー・ライト。
彼は小さな漁村の教会の牧師として、病気がちで喘息と結核に苦しみながらも死ぬまでこの教会に仕えました。
彼の歌の多くは漁夫や幼児や病人のために作られていたようです。
彼自身の病状が悪化して転地療養のために村を離れることになり、最後の説教をすることになった時、
その説教の直前にこの讃美歌が書かれたのです。彼は転地療養のためにイタリアに向かう途中で召天しました。
54歳でした。その悲しい知らせを聞いて、彼のいた漁村の人々は教会に集まり、この讃美歌を歌い、
故人を偲んだということです。
最も頻繁に合わされる曲は "Eventide" で、ウィリアム・ヘンリー・モンクが1861年に作曲したものです。
作詞家自身も作曲し、その他にも何人かが作曲しています。
マハトマ・ガンジーのお気に入りの讃美歌でもあったそうです。
クリスチャンの葬儀でしばしば歌われますが、タイタニック号の悲劇があったとき、沈みゆく船の上で
船のバンドはこの曲を演奏していたと、生き残った人々が証言しています。

夕べの讃美歌として世界中で愛唱されている歌で、「主よ、ともに宿りませ」というフレーズが繰り返されて
いるこの讃美歌は、『ルカによる福音書』の「エマオに帰る二人の弟子」の話がもとになっています。

***********イエスの二人の弟子が、十字架の出来事に落胆し、とぼとぼエマオに向かって歩いておりました。
すると復活されたイエスが彼らに近づいてきて、一緒に道を行き始めました。ところが、弟子たちはそれが
イエスであることに気づきません。二人はなおも悲しみに暮れながら、主と共にエマオへの道を歩いていくのでした。
その二人に、イエスは道々、聖書を丁寧に解き明かしてくださいました。その話を聞いているうちに二人の心は
段々と立ち直っていきます。そして、夕暮れ、エマオについたとき、二人は無理に引き留めて不思議な同行者に
「一緒にお泊まり下さい」と頼んだのでした。
こうしてエマオの宿で三人は食卓につきました。イエスがパンを裂き、感謝と讃美の祈りをされると、二人の目は開け、
その方がイエスであるということに気づいたという話です。***********
(以上、解説はネットからの引用です。)

ここをクリックすると讃美歌39番を聴くことができます。


エマオに帰る弟子二人と同行される主イエス・キリスト


↑ 復活されたイエスのことを知らせるためにエマオから
 エルサレムに戻る二人の弟子の絵だと思います。

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8日(日)の主日礼拝の説教は左近深恵子牧師による「イエスは家に入られた」というタイトルで「ルカによる福音書」の
エマオに帰る弟子と復活したイエスの話でした。
説教をお聞きしながら書きなぐった乱筆乱文の私のメモをまとめることができたらブログにアップしようかと考えています。
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讃美歌332番 「主は命を」

2018-02-22 13:10:31 | 讃美歌
讃美歌332番 「主はいのちを」
"Thy life was given for me" (I gave my life for thee) by Frances Ridley Havergal, 1858
「SACRIFICE」by Philip Paul Bless, 1838-1876

 1 主はいのちを あたえませり、
  主は血しおを ながしませり、
   その死によりてぞ われは生きぬ、
   われ何をなして 主にむくいし

 2 主は御父(みちち)の もとをはなれ、
   わびしき世に 住みたまえり。
   かくもわがために さかえをすつ、
   われは主のために なにをすてし

 3 主はゆるしと いつくしみと
  すくいをもて くだりませり。
   ゆたけきたまもの 身にぞあまる、
   ただ身とたまとを 献げまつらん

この歌は、原作者(Frances Ridley Havergal 1836-79、英国人)がドイツに滞在中、デュッセルドルフの
ギャラリーで有名なシュタンバーグ(Sternberg)作の絵画 “Ecce Homo”「この人を見よ!」の前で、その添え書き
「我、汝の為にこれをなせり、汝はわれの為に何をなしたるや? This have I done for thee; what has thou
done for Me?」に感銘を受けて作詞したという説がある。
絵は、鞭打ちを受け血を滲ませてピラトの前に立っているキリストを画いたものである。
(ハヴァルガルの手記にはそのことは書かれていないらしいが・・・)
"ecce homo"「エッケ ホモ」は有名な場面で、絵画他の芸術で重要なテーマと一つとなっている。

この歌の題は「Thy life was given for me」となっているが、「I gave my life for thee」が原作者のもので、
讃美歌の編纂者が原作者の了承を得て変更したとあるが、原作者自身は、自分の歌詞のほうが自分の受けた感銘に一層
忠実であると言っている。

ハヴァガルは、19世紀イギリスの代表的聖歌詩人であった。父は国教会の聖職者で、広い教養と稀な詩的天分に恵まれ、
父の転任により各地を転々としながら彼女は恵まれた広い教養と天分により宗教詩と讃美歌との創作に努めた。
彼女の詩歌は献身と清潔とを主題とするものが多いため「清潔の詩人」と呼ばれる。
☆ Sternberg の “Ecce Homo”制作の年代については不明だが、この絵画が間接的に John Wesley のメソジスト運動
(18世紀前半)やアメリカにおけるJonathan EdwardsやGeorge Whitefield等による第1次大覚醒運動の起点と
なっていることが分かっている。

作曲はPhilip Paul Bliss(1838-1876 米国人)によるものである。曲名は “Sacrifice”となっている。
ブリスは、福音唱歌(Gospel Songs)作家として優れた人である。
ペンシルバニア州に生まれ、シカゴ゙で音楽を学んだ後、聖歌隊の指揮者、指導者として、又日曜学校の校長として
日曜学校用の歌曲を作った。
19世紀項半の米国は、キリスト教の改革運動(大覚醒運動-the Great Awakening-)のうねりの中で、19世紀最大の
説教家(evangelist preacher)と言われる Dwight Lyman Moody(1837-1899)が、聖歌歌手(gospel singer)
Ira D. Sankey(1840-1908)と組んで全米はもとより英国を始め大陸諸国を巡回伝道し多くの人々を信仰へと導いた。
各地での集会でSankeyが好んで用いた聖歌の一つがブリスの作ったものである。
Gospel Songs(Hymns)のカテゴリーは MoodyとSankey の活躍によって確立されたもので米国讃美歌の第2期黄金時代を形成した。
Gospel Songsの特徴は、福音書の教えを強調した平易、簡素で反復的、庶民的、律動感ある旋律で、愉しく歌い易い作品が多い。
                                      (以上の解説はネットからの引用です。)

ここをクリックすると讃美歌332番を聴くことができます。

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ついにインフルエンザに罹ってしまいました。
全身の倦怠感と頭の重さは恐ろしいほどで、9日にベッドに倒れ込んでからほとんど動けず、
五日経ってようやく医者に行けました。
医者では、インフル特効薬を使うには時遅し、ということで普通の風邪の対処薬を処方されました。
いまだにすっきりしません。齢は争えませんね、正直に着実に、体力・気力が落ちています。
独り暮らしの私は水分の補給と体力保全のための食事は何とかしなくては、とヘロヘロしながら
二階のベッドと一階の台所の間を動いて凌ぎました。
熱が出なかったのがなによりでしたが、高熱だったらとても動けなかったことでしょう。
引きずり込まれるように眠り続けましたが、夢うつつ状態はそれほど苦痛ではありませんでした。
このまま主の御許に召されるのも恵みだな~などと朦朧とした頭で考えたりしていました。
齢を重ねるだけのこれから、体力・気力に関しては希望は持てません。
私のような独り暮らしの老人、病気になった場合、皆さんはどんな風に凌いでいられるのでしょう。



公園に紅葉した<南天>の葉が残っていました。
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讃美歌533番

2018-02-07 14:35:19 | 讃美歌
讃美歌533番 「くしき主の光」
“There's sunshine in my soul to-day” by Eliza Edmunds Hewitt, 1887
「SUNSHINE」 by John Robson Sweeney, 1887

1 くしき主の光 こころに満つ、
  み空わたる日の かげにまさる。
 
(繰り返し)
   ああ主よ、わが主よ
   かがやくみすがたを、
   胸にうつすとは、わが主の恵み。

2 くしき物の音は こころにみつ、
  口に言い得ねど 主はききたもう。

3 春ののどけさは こころにみつ、
  とりは声きよく 花はかおる。

4 愛のよろこびは こころにみつ、
  かくてわが歌は ついに成りぬ。

☆原作者Eliza Edmunds Hewitt(1851-1920 米国人)の代表作で、
 ジョン・スウイーニーの曲と共に、子供の世界に受け入れられ、流行の寵児となった。
 彼女は、背骨を傷めて、人生の後半は不自由を強いられたが、教会学校の教師として
 又、讃美歌の作詞にも打ち込んだ。
 この歌は、一時期、コルセットをはずすまでに腰の痛みが回復した折にその喜びを
 歌に託したものである。
☆John Robson Sweney(1837-1899)は音楽の天分に恵まれ、早くから学校や、
 日曜学校で音楽の指導を始めた。
 又、ヴァイオリン、ピアノを習得し、合唱団に所属し、Gleeクラブや子供の演奏会を
 支援した。
 人生の後半の25年間はペンシルバニアのミリタリー・アカデミーで教鞭をとった。
 この曲は、1887年 Hewitt の歌詞に、Sweeney が曲を付けた日曜学校の歌である。
 (解説はネットから引用させていただきました。)

ここをクリックすると讃美歌533番のメロディーを聴くことができます。
気分よく、元気よく歌えるメロディーで、子供達が元気に歌う様子が見えるようです。
「くしき主の光」を「くすしき主の光」と歌っていましたが、意味も同じ、
充てる漢字(奇しき・奇すしき)も同じでしたね。(^-^)

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<シメ>という名の、少々強面の野鳥です。
冬鳥として都市公園で普通に見られます。
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讃美歌258番「貴きみ神よ」

2017-11-11 13:57:20 | 讃美歌
 讃美歌258番 「貴きみかみよ、」
“Aus tiefer Not schrei ich zu dir” by Martin Luther, 1523
「AUS TIEFER NOT」 Johann Walther's Gesangbuchlein, Wittenberg, 1524

 1. 貴(とうと)きみかみよ、悩みの淵(ふち)より 
   呼(よば)わるわが身を 顧(かえり)みたまえや。
   み赦(ゆる)しうけずば きびしき審(さば)きに 
   たれかは堪(た)うべき。
 2. 世にある人みな 力のかぎりに いそしみ励(はげ)みて 
   正(ただ)しく生くとも、
   聖(せい)なるみかみの 恵みをうくるに 
   たれかは足るべき。
 3. おのれの業(わざ)には 少しも頼(たよ)らず、 
   ひたすら恵みの 力をたのみて、
   みことば畏(かしこ)み 疑うことなく、 
   のぞみてゆるがじ。
 4. わが罪あやまち 限りもなけれど、 
   底(そこ)いも知られぬ 恵みの御手(みて)もて
   イスラエル人(びと)を 救いしみかみは、 
   げにわが牧者(ぼくしゃ)ぞ。

「神はわがやぐら」と共に、宗教改革から生まれた不朽の作であります。
この歌詞はルターがヴァルトブルグ城で新約聖書のドイツ語訳を完成させた翌年の1523年に、
彼が「パウロ的詩編」と呼んで愛唱した詩編130編をもとに創作したものであります。
カトリック教皇庁から破門され、国会に呼び出されて皇帝カール五世の審問を受け、
身の安全が危機にさらされてヴァルトブルグ城に匿われていた時でした。
その苦しみ、悩みと心血を注いで完成させた新約聖書のドイツ語訳の喜びと信仰の確信が
にじみ出ているのではないかと思います。
曲は古いカトリック教会の旋律からルターが採用したものらしいという説が有力となっています。

 詩編130編と讃美歌の第1節を対比してみます。
    詩編130編                     讃美歌第1節                  
     貴きみかみよ、悩みの淵より                深い淵の底から、主よ、あなたを呼びます。
     呼ばわるわが身を 顧みたまえや。            主よ、この声を聞き取ってください。
     み赦しうけずばきびしき審きにたれかは堪うべき    嘆き祈るわたしの声に耳を傾けてください。
                                       主よ、あなたが罪をすべて心に留められるなら 
                                       主よ、誰が耐ええましょう。

10月31日は宗教改革記念日です。1517年のこの日、現在のドイツのヴィッテンベルグ大学教授であった
マルテイン・ルター(1483-1546、ドイツ)は、ヴィッテンベルグ城教会の門扉に「95か条の提題」を
張り出し、魂の救済を(贖宥状)免罪符など金銭で売買するローマ教皇庁に公然と抗議し、
宗教改革の烽火をあげました。この改革運動は全ヨーロッパに広まりカトリック教会に対して
プロテスタント派として現在に至っています。ルターの「聖書のみ」(聖書のみに忠実な教会)、
「信仰のみ」(純粋な信仰のみによる内的救済)、「万人祭司」(神の前での平等)の主張は、
宗教改革の3大原理として全てのプロテスタント教会の共有財産となっています。

ルターは聖書を自国語(ドイツ語)で読めるために、1522年ヴァルトブルグ城で新約聖書をギリシャ語から
翻訳し、1534年には新旧約聖書のドイツ語訳が完成しました。ルターはまた、讃美歌を牧師と聖歌隊だけでなく、
会衆全員が歌えるように改革し、自身でも多くの賛美歌を作り聖歌集を編纂しました。
「音楽は神の美しい素晴らしい賜で、神学に近い。」ルターの卓上談話の中の言葉です。
また、「讃美歌をよく歌い、神の喜びとなることはどのキリスト者にも隠れなきことであると思う。
・・・・しかり、聖パウロも・・・」と書いております。その聖書の引用箇所は次の通りです。
「キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、
詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。」(コロサイの信徒への手紙3章16節)
「では、どうしたらよいのでしょうか。霊で祈り、理性でも祈ることにしましょう。霊で賛美し、理性でも
賛美することにしましょう。」(コリントの信徒への手紙Ⅰ 14章15節)

旋律はルターの原作はないとされ、カトリックのラテン語聖歌、改革以前のドイツ宗教歌、民謡等から
取材されたといわれています。
「讃美歌」にはルターの作品が3曲あります。   (以上はネットからの引用です、感謝です。)


『いそしみ励(はげ)みて正(ただ)しく生くとも、聖(せい)なるみかみの 恵みをうくるにたれかは足るべき』
ルターの渾身の思いに胸打たれます。本当に、恵み無くして誰が救われるでしょうか。
少なくとも私は絶対にダメです。身も心も引き締めて神様に感謝です。

ここをクリックすると讃美歌258番を聴くことができます。

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薄い秋日の中の<シジミチョウ> 命果てる冬がそこまで来ています。
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