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ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

讃美歌276番 「光と闇との」

2017-10-23 13:48:26 | 讃美歌
昨日は所用で礼拝をお休みしました。
この讃美歌は先々週の礼拝で歌ったものです。
曲の中では三連符がたくさん使われていますが私は(多分他の方も?)
それはあまり気にせず、なだらか~に歌いました。(^-^)

讃美歌276番 「光と闇とのゆきかう巷(ちまた)」
“Once to every man and nations” by James Russel Lowell, 1845
「TON-Y-BOTEL」by Welsh Hymn Melody

1 ひかりとやみとの ゆきかうちまた
  いずれのかたにか つくべきわが身、
  燃えたついのちを みまえにささげ
  今しも行かばや、まことの道を

2 ほまれとさかえを うくるはたれぞ、
  ときわのかむりを うくるはたれぞ
  義を見ていさめる ますらおなれや、
  臆するものには  悔いのみのこる

3  血しおに染みたる なやみのみちを
  十字架の御旗を  かざしてすすみ、
  けわしきカルバリ おおしく過ぎて
  あめなるみくにへ さきがけのぼらん

4 この世のいきおい みなぎりあふれ
  あくまのつるぎは はむかい来とも、
  いかでか阻(はば)みえん、ひかりのみくに
  あおげや、わが主は みくらにいます。

ジェームズ・ラッセル・ローウェルの作詩。
19世紀アメリカで活躍した人で、作家活動から編集者、外交官としても働きました。
奴隷制度廃止のための活動が知られています。
この詩は、彼が1845年に作った長い詩の抄訳だそうです。

曲はイギリスのウェールズの讃美歌(Welsh Hymn Melody)のメロディで、
曲のタイトル名は「びんの中(TON-Y-BOTEL」
嵐の晩、海岸に打ち上げられた瓶の中からこの曲が見つかったという伝説があるようです。

 Once to every man and nation,
 Comes the moment to decide,
 In the strife of truth with falsehood,
 For the good or evil side;
 Some great cause, God's new messiah,
 Offering each the bloom or blight,
 And the choice goes by forever,
 'Twixt that darkness and that light

ここをクリックすると讃美歌276番を聴くことができます。

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久しぶりに野鳥を撮ることができました。 朴の木の実を突く<コゲラ>です。
(画像をクリックすると大きな画面になります。)
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讃美歌198番「父、御子、み霊の」

2017-10-11 21:35:10 | 讃美歌
10月8日の礼拝で歌った讃美歌198番はバプテスマ(洗礼)を歌ったものです。
元の歌詞は「Faith of Fathers」で、この「 父親の信仰 」は、 カトリック教の 賛美歌であり、
1849年にヘンリー8世とエリザベスによってイングランド国教会が設立された時から、 カトリック
殉教者を記念してフレデリック・ウィリアム・ファーバーによって書かれたものだそうです。

「Faith of our Fathers」は↓のようなもので、かなり激しく過激です。
(ネット検索で翻訳されたもので妙なところがありますが・・・・・・<(_ _)>)

私たちの父親の信仰! まだ生きている
ダンジョン、火、剣にもかかわらず:
ああ、私たちの心は喜びでどのように高い
私たちはその栄光の言葉を聞きます。

私たちの父親の信仰! 聖なる信仰!
あなたは死まで真実になります。

暗い刑務所に縛られた私たちの父親たちは、
まだ心と良心に自由だった:
彼らの子供の運命はどれほど甘いだろうか、
彼らのように、あなたのために死ぬことができたら!

私たちの父親の信仰! 聖なる信仰!
あなたは死まで真実になります。

私たちの父親の信仰! メアリーの祈り
私たちの国をあなたに戻さなければなりません:
そして、神から来る真理を通して
イギリスは確かに自由でなければならない。

私たちの父親の信仰! 聖なる信仰!
あなたは死まで真実になります。

私たちの父親の信仰! 私たちは大好きです
私たちのすべての闘争において、友人と敵の両方:
愛がどんなことを知っているかのように、あなたにも説教する
親切な言葉と善良な人生によって:

私たちの父親の信仰! 聖なる信仰!
あなたは死まで真実になります。

ヘンリ8世と、特にその息子のエドワード6世によるプロテスタント化に反発した女王メアリー(ヘンリー8世と
キャサリン・オブ・アラゴンの娘で、エドワード6世は異母弟)はカソリックへの回帰を進めようとしたが
うまくゆきませんでした。(エリザベス1世は異母妹になります)
メアリーのプロテスタントへの締め付けは相当厳しく彼女は bloody Mary と呼ばれました。
最終的には、メアリーの後に女王になったエリザベス1世により、イングランド国教会は
プロテスタントになるのですが、その後も、プロテスタントでもカルヴァン派のピューリタン(清教徒)
による革命も起きたり、複雑です。
ヘンリ8世はもともとは熱心なカソリックだったのですが、キャサリン・オブ・アラゴンとの離婚を
認めないローマ教皇への反発からイングランド国教会を作ったそうです。
離婚問題だけでなく、莫大だった教会財産を思うままにしたいという誘惑も感じていたようで、
トマス・クロムウェルのもとで委員会が結成され、修道院が保持していた財産が国家へ移されていき、
こうしてイギリスの修道院は破壊され、荒廃しました。
この当時のイングランドの歴史は血なまぐさいようですが、興味深くもあります。
エリザベス1世がイングランド王の時代、スコットランドの女王だったのが別人のメアリーです。
彼女は後にエリザベス1世によって処刑されます。 かなり複雑で覚えにくい・・・・(-_-;)

下 ↓ は私たちが歌った讃美歌189番です。
“Ich bin getauft auf deinen Namen” Johann Jacob Rombach, 1734
「ST.CATHERINE(TYNEMOUTH)」Arr. From Henri Frederick Hemy (1865)
By James ]George Walton, 1871
1)父、御子、み霊(たま)の ひとりのみ神よ
  わが身はいま死に 主にこそ生きけれ
  今日より御民の ひとりとしたまえ。
2)父なるみ神は 児として愛でまし、
  悩める主イエスは うれいをとりさり
  命のみ霊は ちからをたまいぬ。
3)くらきのつかさの もとより逃れて、
  今しもわが主の きよめを受けたり
  悪魔よ、しりぞけ かかわりなければ
4)父、御子、み霊の ひとりのみ神よ、
  生きては主にあり 死にては主にゆき
  はなるることなく つかえしめたまえ。

ここをクリックすると今風の美しい声の讃美歌198番を聴くことができます。
背景はアメリカのクリスチャン?を描いています。 "A Tribute to Faith in America"

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讃美歌316番 「主よ、試み受くるおり」

2017-09-21 22:45:18 | 讃美歌
9月17日の主日礼拝で歌いました。

讃美歌316番「主よ こころみ」
“In the hour of trial” James Montgomery, 1834
「PENITENCE」Spencer Lane, 1879

1 主よ、こころみ うくるおり、いのりたまえ わがために。
  こころおそれ 迷うときも、あいのみかお 向けたまえ。

2 世のたからは 目をうばい、世のほまれが さそうとき、
  十字架の主の みくるしみを、しめしたまえ わがむねに。

3 わずらわしき 世のわざに、やるせもなき かなしみに、
  なおひそめる いつくしみを、見させたまえ あやまたず。

4 塵より成る このわが身、塵にかえる そのときも、
  主よ、御顔を あおぎ見つつ、ゆかせたまえ みもとへと。

この讃美歌に関する日本語解説が見つからず苦労しました。
↓ 下の解説はいかにも不十分なものです。
作詞者、作曲者の名前をクリックすると英文の解説が出てきます。
お時間のある方はどうぞお読みください。
私は日本語だけ、英語は無理です・・・・・💦 
Penitence は「懺悔」という意味でした。

作詞者であるスコットランドのジェームズ・モンゴメリー(James Montgomery, 1771-1854)は
生涯400もの讃美歌を著しています。
1833年から王室より200ポンドの年金が与えられています。(The Cyber Hymnalより)

スペンサー・レーンについて
ロードアイランドのウーンソケットにあるセントジェームス教会での日曜の朝礼拝の後、牧師は
夕方の礼拝のために賛美歌をレーンに渡しました。 レーンはその賛美歌が気にいらなかったので、
彼の妻が夕食を料理している、その間に「PENITENCE」を作って、これを使用しました。
この詩はチャールズ・L・ハッチンズ(Charles L. Hutchins、1874)が「教会の賛美歌」で
初めて出版しました。 この曲はレーンの賛美歌への唯一の貢献です。

ここをクリックすると讃美歌316番のメロディーを聴くことができます。

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今は夏鳥と冬鳥の端境期で公園にはこれといった野鳥の姿は見られません。
<ヤブラン>が今を盛りと咲いていました。
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讃美歌224番 「勝利の主イエスの名と」

2017-09-08 11:52:55 | 讃美歌
9月3日(日)の礼拝で、実に久しぶり!に新しい讃美歌を歌いました。
当然ほとんどの方がよく歌えませんでした。 練習しなくては。
このブログのカテゴリ「讃美歌」も久しぶりの更新です。

讃美歌224番 「勝利の主イエスの名と」
    Ye servants of God, Your Master proclaim, Charles Wesley,1744
    「PADERBORN」Paderborn Gesangbuch,1765

1)勝利の主イエスの名と 栄光の神の国
   四方の民にのべ伝え 広めよとの声聞こゆ

2)主の救い神のわざ そのままに受け入れて
   生まれ変わりともどもに 神の国へ進みゆけ

3)人々よみ救いを 心より喜びて
   歌声あげもろともに ほめ称えよ主のちから

4)いざ歌え救われて 喜びに踊るもの
   のべ伝えよみ恵みの いとも奇しき神のわざ

歌詞の作詞者チャールズ・ウエスレイ(Charles Wesley 1707-88)はメソジスト教会の
創設者John Wesley(1703-91)の弟で、数多くの優れた讃美歌を作詞しメソジスト運動の
進展に大きく貢献しました。英語讃美歌作者の中の王者と目されている人です。
英国に於けるメソジスト運動推進の初期の段階でウエスレイ兄弟は様々な迫害や困難に遭遇したが、
この歌はそうした中で同信の人々を鼓舞するために1744年“Hymns for Times of Trouble 
and Persecution 困難と迫害の時のための讃美歌”と題して公にされました。
1744年は、後のメソジスト教会の組織的基盤となる毎年一回の合同会議
(The annual Conference)が初めて開かれた年でもあります。

曲はドイツの“Paderborn Gesangbuch,1765”から英国の“Hymns Ancient and Modern,1916”に
採用されたものだが、原曲(1765年当時)は少し異なります。
The Hymnal 1982 Companion, vol. IIIB (p. 1000) によると、18世紀に流行した曲で、
"Mein Hertz sey zufrieden  ―私の心は満たされていますー" の歌詞。

更にもともとは民謡で、断定はされていませんが1742年に出ていたようです。
1807年の Buschinig and von der Hagen's collection of German folk songs の
ヴァージョンの旋律は少し違っています
Brahms の 編曲が "forty-nine folksongs" の第9番にあるそうです。
Paderbornはドイツ中部地方にある都市の名前です。  (以上、ネットからの引用です。)

ここをクリックすると讃美歌224番を聴くことができます。

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最近ちょっとご無沙汰ですが、公園の<カラスウリ>は
そろそろ色づいているでしょうか。
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讃美歌257番 (再掲)

2017-04-03 21:10:07 | 讃美歌
讃美歌 257番  「十字架の上に屠られたまいし」 
 O Lamm Gottes, unshuldig, by Nikolaus Decius, 1531
「O LAMMGOTTES, UNSCHULDIG」 Christiche Kirchenordnug, Braunschweig、1542

 1) 十字架のうえに 屠(ほふ)られたまいし
    こよなく清き み神の子羊(こひつじ)
    わがため悩みを しのびたまいし
    み恵み げにも尊(とうと)し

 2) 十字架のうえに 屠られたまいし
    こよなく清き み神のこひつじ
    み救いあらずば 罪のこの身は
    ほろびを いかでまぬがれん

 3) 十字架のうえに 屠られたまいし
    こよなく清き 御神のこひつじ
    乏(とも)しくかよわき われを憐れみ
    安(やす)きを 常にたまえ       (ヨハネによる福音書 1:29)

作詞はドイツ語で “O Lamm Gottes、unschuldig 汚れなき神の子羊よ” となっており
作詞者は Nikolaus Decius(1490-1541)作曲者は Johann Spangenberg(1545年編曲)となっている。
この讃美歌の原曲は、古いグレゴリウス聖歌 Agnus dei(アニュス・デイ)“世の罪を負い給う神の子羊よ、
われらをあわれみたまえ”である。
これをニコラス・デキウスが独訳し、その独訳歌詞に合わせて彼が編曲したもので、むしろドイツ語の創作と
見るほうが妥当である。 1542年に讃美歌集で発表されて以来、ドイツの代表的コラールの一つとなり
ドイツのあらゆる歌集に採録され、広く全独で愛唱されるようになった。
その後、1545年 Johann Spangenberg が旋律の一部を変更した曲が現れ、現在ドイツではその双方の曲が
併せ用いられている。
“讃美歌” では、Spangenberg の曲が採用されているが、“讃美歌21” では、デキウスの曲を用いている。
ニコラス・デキウスはドイツのバイエルンの生まれと言い、修道士となったが、ルターの宗教改革に共鳴し
修道士をやめてブラウンシュヴァイクの学校長になった。
その後、新教派の説教者となり、後に聖ニコラス教会の牧師となった。
ニコラス・デキウス独訳の“汚れなき神の子羊よ”の歌詞は、そのまま、バッハの“マタイ受難曲”の出だしの合唱
「おいで 娘たち 共に嘆こう」の後のコラール「おお、神の子羊、罪もなく」に用いられている。

☆ アニュス・デイは、ミサや聖餐式の通常式文に含まれる賛歌の一つ。 「神の子羊」の意で、洗礼者ヨハネが
 イエスを見て言った「見よ、世の罪を取り除く神の子羊だ」(ヨハネによる福音書1章29節)から取られている。
 日本のカトリック教会では「平和の賛歌」と呼ぶ。元来はシリア起源で、7世紀末に教皇セルギウス一世が
 聖体のパンを裂く時に歌うキリストへの賛歌としてミサに取り入れた。  以上「岩波 キリスト教辞典」より

ここをクリックすると讃美歌257番(ドイツ語)を聴くことができます。
ここをクリックすると日本語の讃美歌257番を聴けます。

 このブログのカテゴリ「讃美歌」は140曲近くなり、毎週の礼拝でここに載せていない讃美歌を
 歌うことはほとんどなくなりました。
 このブログの記事を遡って読む方は(多分絶対に)いないと思って讃美歌の記事を時々
 再掲させていただこうと思います。  
 新情報も追加できるとよいのですが、以前の記事と全く同じということもあるかもしれません。<(_ _)>
 
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久しぶりの<翡翠(カワセミ)>
もう求愛給仕が始まりました、花も動物も公園は春です。
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讃美歌225番

2017-02-19 17:05:49 | 讃美歌
讃美歌225番「すべての人に」 
作詞 by Ko Yuki,1936
作曲「FUKUIN」 by Toshiaki Okamoto,1940

1)すべてのひとにのべつたえよ、
  かみのたまえるみおとずれを。
  あめなる父はみ子をくだし、
  すくいのみちをひらきませり

2)あまねくのべよ、よき知らせを、
  まことの幸を もとめつつも、
  むなしきものにさそわれゆく
  世のはらからにのべつたえよ。

3)十字架のうえに死にたまえる
  み子こそ永久(とわ)のすくいなれや。
  かみのたまえる この知らせを、
  地のはてまでも告げひろめよ。

原作者由木康氏(1896―)の作品は日本キリスト教団賛美会員会編纂の讃美歌集で一番多い。
又、数多くの歌詞の翻訳されている。
氏は、関西学院文学部をおえて聖書と神学を学び日本キリスト教団東中野教会牧師、
青山学院神学部その他で聖歌学を講ずる一方讃美歌の編纂に携わった。
この曲は、福音をあまねく宣べ伝えるべきことを単純平明にうたった歌である。

作曲は岡本敏明氏。
東京高等音楽院(現・国立音楽大学)を卒業後、玉川学園でも指導をした。 (ネットからの引用です。)

難しい言葉使いの讃美歌ですね~ 「宣べ伝えよ」はともかく「神、のたまえる」は
どんな漢字でしたっけ? 難しいです。

ここをクリックすると讃美歌225番を聴くことができます。

<訂正そしてお詫び>
前の記事で19日(日)に美竹教会懇談会が開かれる、と書きました。
すっかり今日の午後だと思っていましたが誤りでした。
3月19日(日)に開かれます。 訂正してお詫びいたします。
テーマは<伝道>です。

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フェイスブックやツイッターもどうぞご覧ください。(ホームページから行けます。)


公園の一角に落ち葉の堆積場があります。
きっとミミズや虫たちの暖かい寝床なのでしょう。
それを目当てに?<トラツグミ>が居着いています。
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讃美歌204番「救いの君なる」

2017-01-27 21:39:11 | 讃美歌
先週の礼拝で説教「最後の晩餐」をお聴きした後に歌いました。 聖餐式の歌です。

讃美歌204番 「すくいのきみなる」
    "Lauda Sion Salvatorem" by Tomas Aquinas C. 1260
    「LAUDA SION」 by Gerard Francis Cobb, 1938-1904

 1)救いの君なる 主イエスの功(いさお)を 
   み民よ、うたえ 心の限りに、力の極(きわ)みに 喜び歌え
 2)我らが驚き あがむる御業は 世におおけれど
   神の子みずから 生命(いのち)をたまいし あいにしかめや 
 3)貴き主イエスは うたげを開きて 我らをむかえ
   生命(いのち)のもとなる まことの御糧を わかたせたもう 
 4)ここには小暗(おぐら)き 律法(おきて)の影すら 
   またく消えはて めぐみとまことはま昼のごとくに照りかがやけり

中世最大の神学者トマス・アクイナス(1227-74)が、1260年頃、聖体祭のミサのため
時の法王ウルバヌス4世の委嘱を受けて作ったものといわれる。
ローマ教会のミサの教義を詩化したものであるが、その中に閃いている礼典に対する
畏敬の念は、すべてのキリスト者の模範とすべきもので、ゆえに、プロテスタントの
讃美歌にも収録されている。
作曲は、英国人ジェラード・コブ(19世紀後半)の作である。
讃美歌の歌詞、曲両方の表題としての「Lauda Sion Salvatorem」は
「シオンよ、救い主をたたえよ」という意味である。 (解説はネットより拝借)

日本語のサイトを「讃美歌204番」探しても「救いの君なる」で探しても
メロディにたどり着けず、それではと"Lauda Sion Salvatorem" から探しても
讃美歌204番のメロディにはたどり着けませんでした。
そこで、作曲者 Gerard Francis Cobb と Lauda Sion で検索したところ
“Come, Pure Hearts in the weetest Measure” という曲にたどり着きました。
そしてそのメロディが、なんと讃美歌204番のものでした。
お聴きください、これが讃美歌204番「救いの君なる」のメロディです。

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<ルリビタキ>雌か? 雌タイプの雄の若か? 
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讃美歌103番「牧人ひつじを」

2016-12-29 17:30:28 | 讃美歌
12月25日のクリスマス礼拝で歌ったクリスマス・キャロルです。
今頃クリスマスの歌?と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、
美竹教会の週報に載っていた「クリスマスの期間」のコメントによると
1月6日が「公現日」とされ、東方の博士たちがキリストを拝んだ日、また、
主のご栄光が異邦の国にも顕された日とされ、この日までがクリスマスと
考えられているそうです。
クリスマス飾りもこの日まで飾ってあります。
 というわけで、今回は
美しいクリスマスキャロルをお聴きください。

ここをクリックすると讃美歌103番を聴くことができます。

讃美歌103番「牧人ひつじを」
  ″The first Noel the angels did say”, Traditional English Carol
  「THE FIRST NOEL」Traditional English Melody, first appeared in
  “Christmas Carol Ancient and Modern” published by William Sandys, London, 1833

1 牧人(まきびと)ひつじを 守れるその宵、
  たえなるみ歌は 天よりひびきぬ。
  喜びたたえよ、主イエスは生れぬ。
2  仰げばみ空に きらめく明星(あかぼし)、
  夜昼さやかに 輝きわたれり。
  喜びたたえよ、主イエスは生れぬ。
3 その星しるべに みたりの博士ら、
  メシヤを尋ねて はるばる旅しぬ。
  喜びたたえよ、主イエスは生れぬ。
4 くすしき光の 導くまにまに、
  博士はまぶねの 主イエスにまみえぬ。
  喜びたたえよ、主イエスは生れぬ。


この歌はイギリス西部コーンウォール州に十八世紀以前から伝わる英語のキャロルです。
ウィリアム・サンディーズが1823年および1833年に刊行して以来、世界に広まりました。
日本語では「牧人羊を」と題されています。 日本語訳は津川主一が行いました。
クリスマス・キャロルは、キリスト降誕や降誕祭の頃の風物などを主題とした伝統的な歌謡です。
キャロルは、もともとは収穫祭や降誕祭などで歌われる共同体の祝歌でした。
十九世紀以降になると、クリスマス・キャロルに対する関心が高まり、それと共に歌詞の印刷出版や
新しい作詞などが行われてきました。


画像は、ムィコーラ・プィモネーンコ作「祝歌(キャロル)」です。
クリスマス・イヴに街の家々を訪ねてキャロルを歌う子供たちが描かれています。

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讃美歌205番 「わが主よ、今ここにて」

2016-12-15 21:23:38 | 讃美歌
美竹教会では月初めの日曜日に聖餐式があります。
12月の第1主日礼拝の聖餐式で歌いました。

讃美歌205番 「わが主よ、今ここにて」
"Here, O my Lord, I see Thee face to face" by Horatius Bonar, 1855
「ELLERS」 Edward John Hopkins, 1869
1 わが主よ、今ここにて
  したしくまみえまつり、
  かぎりなきさいわいを
  うくるこそうれしけれ。
2 めぐみの足れるときよ、
  いのちの充(み)てるおりよ、
  今しばし、とどまれや、
  主とともにわれ過ごさん。
3 ここにはあがないあり、
  ここにはなぐさめあり、
  わがけがれ、きよめられ、
  みちからはみちあふる。
4 おもかげうつししのぶ、
  今日だにかくもあるを、
  みくににていわう日の
  そのさちや、いかにあらん。

スコットランドの教会生活から生まれでた聖餐の歌の傑作である。
原作者Horatius Bonar(1808-1889)は当時の文学の影響や宗教詩の感化を受けず、
全く独自の道をゆき、イギリスの5大讃美歌作者の一人と言われ、詩篇歌のみを用いて
いた当時のスコットランド地方に創作讃美歌を普及させるのにあずかって力があった。
曲名が“ELLERS”作曲者がEdward John Hopkins(1818-1901)となっているが、
当初この旋律はJohn Ellerton(1826-1893)の“Saviour, again to Thy dear Name
we raise”のために作曲されたためである。
Edward J. Hopkinsは英国人。
王室礼拝堂で音楽教育を受け、55年間教会オルガニストとして働き、所属する教会の音楽を
世界最高のレベルまでに引き上げた。
宗派を超えて讃美歌を作曲、編集し幾つかの傑作集を出版している。
*******解説はネットからの引用です、いつもお世話になっております。 m(_ _)m

ここをクリックすると讃美歌205番のメロディを聴くことができます。

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地面の虫を採餌していることが多い<シロハラ>が、今日は枝に止まって
木の実を啄んでいました。 今シーズン初撮りです。
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讃美歌520番 「しずけき河の岸辺を」

2016-11-21 16:19:54 | 讃美歌
讃美歌ネタが続きます。 先週の「永眠者記念礼拝」で歌いました。

讃美歌520番 「しずけき河の岸辺を」
"When peace like a river attendeth my way"
    by Horatio Gotes Spafford,1873

1.しずけき河のきしべを すぎゆくときにも
 うきなやみの荒海を わたりゆくおりにも
     (おりかえし) こころ安し 神によりて安し
2.むらがる仇はたけりて かこめどせむれど
  いざなうものひしめきて のぞみをくだくとも
3.うれしや十字架のうえに わがつみは死にき
  すくいの道あゆむ身は ますらおのごとくに
4.おおぞらは巻き去られて 地はくずるるとき
  つみの子らはさわぐとも 神による御民は

この讃美歌の作詞者ホレーショ・ゲーツ・スパフォード(1828-88)は、医者であり、
大学教授であり、神学校の理事もしていました。頭が良く、人徳にも優れ、信仰も篤く、
誰もがうらやむような人間でした。
 しかし、彼は深い悲しみを知る人でもありました。
この讃美歌を作詞する2年半前のことです。彼は一人息子を亡くしました。そして、
その半年後に火災によって財産を失います。さらにその2年後、彼はこの讃美歌を
作るきっかけとなった大きな悲劇を経験します。
 彼は家族でヨーロッパ旅行をし、旅行の終わりには有名な伝道者ムーディ等と共に
イングランドの伝道に参加する予定でした。しかし出発直前にホレーショに急用が
できてしまいます。彼はやむなく奥さんと4人の娘だけを出発させたのです。
ところが、ホレーショの家族が乗った船は衝突事故を起こし、大西洋のど真ん中で転覆、
わずか12分で沈没してしまいました。奇跡に奥さんだけは助かりましたが、最愛の4人の
娘たちをいっぺんに失ったのです。
 彼はすぐに他の船で悲劇のあった大西洋に乗り出しました。そして、荒れた海の中に
なくなった娘たちの面影を、そして神様の摂理を思いながら、この讃美歌を作ったのでした。

 しずけき河の岸辺を 過ぎゆくときも
 憂き悩みの荒波を わたりゆくおりにも
 心やすし、神によりてやすし

 この詩にあるのは悲しみや嘆きではありません。もちろん、彼はどんなにか悲しみ苦しんだ
ことでしょうか。しかし、いかなる道、いかなる困難においても、神の救いを信じ平安の道を
歩ませてくださいという祈りがここにあるのです。
(日本基督教団 荒川教会のホームページの「讃美歌物語」から引用させていただきました。)

左近豊牧師著「信仰の手引き 祈り」の中に一人息子を無残に殺され、言葉を失った
詩人アン・ウィームズについての話が記されていました。彼女は詩篇の祈りに導かれて
祈りの語彙を獲得し、嘆きを深めて言葉を回復していったそうです。
この讃美歌の作詞者ホレーションのような方もいます。
まるでヨブのような苦しみに遭い、ホレーショはどんな風に回復していったのでしょう。
嘆きの受け止め方は十人十色、千差万別だと思いましたが「神、共にあり」の信仰に
依り頼む生き方は真実なのだと心から確信します。

ここをクリックすると讃美歌520番を聴くことができます。

美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。


陽だまりで翅を広げた<ムラサキツバメ> 尾状突起が
燕尾のようなので名前に「ツバメ」が付きます。 成虫越冬します。
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