讃美歌 第二編 157番 「この世の波風さわぎ」
1)この世の波風さわぎ 誘いしげき時も
悲しみ嘆きの嵐 胸にすさぶ時にも
御前に集い祈れば 悩み去り憂きは消ゆ
いざ共に讃え歌わん 恵み深き主のみ名
2)一つの望みに生くる はらから共に集い
互いに仕えむつめば 世になき安き満ちて
あめなる喜びあふる 麗し神の民よ
いざ共に讃え歌わん 恵み深き主のみ名
美竹教会の礼拝で「賛美歌第二編」はあまり歌いませんが、2月24日の北川牧師による礼拝で
この歌を歌いました。 よく知っているダニーボーイ(Londonderry Air)の旋律に思わずにっこり。
ここをクリックするとリコーダーによる美しい旋律を聴くことができます。
↓ネットの解説、抜き書きです。 ********************
アイルランド民謡“Londonderry”の旋律に松平惟太郎氏の作詞を配した曲である。
旋律はLondonderry Air(ロンドンデリーの歌、或は調べ)と呼ばれ、19世紀半ばに、古くから伝わるアイルランド民謡の
一つとして歌集(the Ancient Music of Ireland, 1855)に発表されて、アイルランド、スコットランド地方に広まった。
この旋律のために100以上の歌詞が創作されたが、20世紀の初めに“ダニーボーイ Danny Boy”の歌詞が配されて以来
欧米を始め世界中に広まった。
この歌詞は出征するわが子を送る親の愛の歌といわれ、第一次世界大戦の前年で、世界中が戦争の予感におびえていた頃で
あったことも急速に普及した理由の一つといわれる。
Danny Boyの作詞者はFrederic Edward Weatherly(1848-1929)というイギリス人で、職業は弁護士であったが、作詞に熱心で
多くの作品を残している。Danny Boyは1910年の作品であるが、1912年にアメリカにいた義理の妹から“Londonderry Air”の
旋律が送られてきて、彼はDanny Boyに相応しい旋律であると考え多少歌詞を変更して1913年に発表した。
アメリカの義理の妹は、アイルランドからの移住者がよく口ずさんでいたこの旋律を書き記し兄に送ったものである。
19世紀中頃、アイルランドで起こった大飢饉の時に多くのアイルランド人がアメリカ大陸に移住してきたが、彼らと共に
この旋律もアメリカに渡ったものと思われる。
この民謡の発掘にまつわる物語;
(1)ロンドンデリーは、北アイルランド(英国)第二の都市であるが(州都はベルファスト市)、アイルランド固有の
伝統文化が強く残されている地域である。19世紀の半ば、この近くに住みアイルランドの古い民謡に関心を持っていた
Jane Ross(1810-1866)がある時、流しのフィドラー(盲目 Jimmy McCurry 1830-1879)のこの美しい調べに魅了され、
彼を家に呼びいれ、彼女が旋律を書き留めるまで幾度となく弾いてもらった。
彼女は、この旋律を音楽の収集家 George Petrie(1789-0866)に贈り Petrieはこれを1865年発行の“the Ancient Music
of the Ireland”で発表した。Miss Janeはこの旋律の曲名を知らず、Petrieには、ただ非常に古い民謡だと説明し、
Petrieが、地名にちなんで“Londonderry Air”と命名したと言う。
(2)その後の調査により、この旋律はこれ以前にEdward Bunting(-1843)が1796年に最初に発行した“The General
Collection of the Ancient Music of Ireland”に“Aislean an Oigfear(ゲール語 英語ではthe young man's dream)”
として既に収められていることが分かった。
Buntingはこの旋律を1792年、Belfast Harp Festivalにおいて、Harp奏者のDenis Hempson(1697-1807 3歳の時、天然痘に
かかり盲目となる)から聴き、コレクションに加えた。尚、Hempson は Jane Rossの近くに住んでいた。
当時のアイルランドやスコットランドでは、フィドルやハープ或はバグパイプなどを抱えて歌を奏でながら村から村へと
回り歩く流しの芸人が多かったようだ。
(3)“the young man's dream”は、又、“O'Cahan Lament オカハンの哀歌”として17世紀頃からアイルランドや
スコットランドで親しまれた旋律と言われる。
O'Cahanはロンドンデリーに土着の一族だったが、17世紀の初め、エリザベスⅠの後を継いだジェームスⅠがアイルランドを
実質支配するためにイングランドとスコットランドからの移住を奨励し、土着のアイルランド人の多くは土地を没収された。
O'Cahan一族も同様だったが、一族の長であったRory Dall O'Cahanという盲目でハープを得意とする人物が、ある晩、
酒に酔って家路に帰る途中よろめいて倒れ、気を失った。気を失っている時に妖精達がハープで奏でている大変魅力的な
メロデイ―を聴き、目覚めて家に帰りすぐさま、そのメロデイーを書き取ったと言うことだ。 **********************
私が通っている英国好きが集まっている楽しいクラスで今ちょうどアイルランドの伝説や歴史を勉強しています。
アイルランドの伝説の偉人ク・ホリンや1916年のイースター蜂起なども聴いたばかりです。
共にゲール由来の家名で孫や子孫を表すのですが、アイルランド人には O' がつくものが多く、スコットランド人には
Mc や Mac が多いそうです。「風と共に去りぬ」の主人公 O'Hara や「アラビアのロレンス」で印象的な演技をした
俳優 O'Tooleもアイルランド人です。
久しぶりの「賛美歌」カテゴリでした。

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1)この世の波風さわぎ 誘いしげき時も
悲しみ嘆きの嵐 胸にすさぶ時にも
御前に集い祈れば 悩み去り憂きは消ゆ
いざ共に讃え歌わん 恵み深き主のみ名
2)一つの望みに生くる はらから共に集い
互いに仕えむつめば 世になき安き満ちて
あめなる喜びあふる 麗し神の民よ
いざ共に讃え歌わん 恵み深き主のみ名
美竹教会の礼拝で「賛美歌第二編」はあまり歌いませんが、2月24日の北川牧師による礼拝で
この歌を歌いました。 よく知っているダニーボーイ(Londonderry Air)の旋律に思わずにっこり。
ここをクリックするとリコーダーによる美しい旋律を聴くことができます。
↓ネットの解説、抜き書きです。 ********************
アイルランド民謡“Londonderry”の旋律に松平惟太郎氏の作詞を配した曲である。
旋律はLondonderry Air(ロンドンデリーの歌、或は調べ)と呼ばれ、19世紀半ばに、古くから伝わるアイルランド民謡の
一つとして歌集(the Ancient Music of Ireland, 1855)に発表されて、アイルランド、スコットランド地方に広まった。
この旋律のために100以上の歌詞が創作されたが、20世紀の初めに“ダニーボーイ Danny Boy”の歌詞が配されて以来
欧米を始め世界中に広まった。
この歌詞は出征するわが子を送る親の愛の歌といわれ、第一次世界大戦の前年で、世界中が戦争の予感におびえていた頃で
あったことも急速に普及した理由の一つといわれる。
Danny Boyの作詞者はFrederic Edward Weatherly(1848-1929)というイギリス人で、職業は弁護士であったが、作詞に熱心で
多くの作品を残している。Danny Boyは1910年の作品であるが、1912年にアメリカにいた義理の妹から“Londonderry Air”の
旋律が送られてきて、彼はDanny Boyに相応しい旋律であると考え多少歌詞を変更して1913年に発表した。
アメリカの義理の妹は、アイルランドからの移住者がよく口ずさんでいたこの旋律を書き記し兄に送ったものである。
19世紀中頃、アイルランドで起こった大飢饉の時に多くのアイルランド人がアメリカ大陸に移住してきたが、彼らと共に
この旋律もアメリカに渡ったものと思われる。
この民謡の発掘にまつわる物語;
(1)ロンドンデリーは、北アイルランド(英国)第二の都市であるが(州都はベルファスト市)、アイルランド固有の
伝統文化が強く残されている地域である。19世紀の半ば、この近くに住みアイルランドの古い民謡に関心を持っていた
Jane Ross(1810-1866)がある時、流しのフィドラー(盲目 Jimmy McCurry 1830-1879)のこの美しい調べに魅了され、
彼を家に呼びいれ、彼女が旋律を書き留めるまで幾度となく弾いてもらった。
彼女は、この旋律を音楽の収集家 George Petrie(1789-0866)に贈り Petrieはこれを1865年発行の“the Ancient Music
of the Ireland”で発表した。Miss Janeはこの旋律の曲名を知らず、Petrieには、ただ非常に古い民謡だと説明し、
Petrieが、地名にちなんで“Londonderry Air”と命名したと言う。
(2)その後の調査により、この旋律はこれ以前にEdward Bunting(-1843)が1796年に最初に発行した“The General
Collection of the Ancient Music of Ireland”に“Aislean an Oigfear(ゲール語 英語ではthe young man's dream)”
として既に収められていることが分かった。
Buntingはこの旋律を1792年、Belfast Harp Festivalにおいて、Harp奏者のDenis Hempson(1697-1807 3歳の時、天然痘に
かかり盲目となる)から聴き、コレクションに加えた。尚、Hempson は Jane Rossの近くに住んでいた。
当時のアイルランドやスコットランドでは、フィドルやハープ或はバグパイプなどを抱えて歌を奏でながら村から村へと
回り歩く流しの芸人が多かったようだ。
(3)“the young man's dream”は、又、“O'Cahan Lament オカハンの哀歌”として17世紀頃からアイルランドや
スコットランドで親しまれた旋律と言われる。
O'Cahanはロンドンデリーに土着の一族だったが、17世紀の初め、エリザベスⅠの後を継いだジェームスⅠがアイルランドを
実質支配するためにイングランドとスコットランドからの移住を奨励し、土着のアイルランド人の多くは土地を没収された。
O'Cahan一族も同様だったが、一族の長であったRory Dall O'Cahanという盲目でハープを得意とする人物が、ある晩、
酒に酔って家路に帰る途中よろめいて倒れ、気を失った。気を失っている時に妖精達がハープで奏でている大変魅力的な
メロデイ―を聴き、目覚めて家に帰りすぐさま、そのメロデイーを書き取ったと言うことだ。 **********************
私が通っている英国好きが集まっている楽しいクラスで今ちょうどアイルランドの伝説や歴史を勉強しています。
アイルランドの伝説の偉人ク・ホリンや1916年のイースター蜂起なども聴いたばかりです。
共にゲール由来の家名で孫や子孫を表すのですが、アイルランド人には O' がつくものが多く、スコットランド人には
Mc や Mac が多いそうです。「風と共に去りぬ」の主人公 O'Hara や「アラビアのロレンス」で印象的な演技をした
俳優 O'Tooleもアイルランド人です。
久しぶりの「賛美歌」カテゴリでした。

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