その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

名月赤城山?

2021-12-24 09:05:49 | 転職

別れ別れになる首途(かどで)だぁ~^^;

懐かしの昭和歌謡「東海林太郎さん」の名月赤城山を思い出す…「男ごころ~に♪男がほれ~て♪」 北関東道から高崎JCTで関越自動車道にスイッチし、伊勢崎市のあたりから右手に「赤城山」を意識しはじめます。「赤城の子守唄」「名月赤城山」と何故か「国定忠治」の親分さんに結び付き、はて、『忠治親分』ってどんな人と疑問が湧いてくる^^;
略歴を見ると上野国国定村(現 伊勢崎市)生まれで、無宿人となってからは現在の前橋市辺りの街道宿を縄張りとした博徒(893)だったらしい。「赤城の山も今宵限り…可愛い乾分(こぶん)の手前たちとも…」という名台詞の大衆演劇に影響を受け、『義侠の人』というイメージではあるのだけれど、「天保飢饉」を名目に桐生市あたりの商家に押し入っているようだから、いわゆる役人を手こずらせた『悪党』だったようである…12月の頃には繰り返し放映される『赤穂浪士の討ち入り』の如く、『大衆演劇』から受けたイメージというものは、何故か人情噺が強調されて、『義賊』『義士』へと昇華してしまっているから恐ろしい^^;(生きている以上、何がしかの善行も行ってはいるだろうけれどねぇ…。)そうそう、我が在所の「蔵王山」のように、「赤城山」という峰は存在しないし、演劇の中では定番となっている「月に雁」のイメージは、群馬県前橋市内からではあり得ない光景である。会津逃亡中に東吾妻町あたりの関所で眺めたならば、台詞も頷けなくもないけれど…山が遠い(笑)


「ババンバ、バンバン・バン♪」

「ここは上州草津の~湯♪」と「8時だョ!全員集合」のエンディングで歌われていた「いい湯だな」でさえ、『おやじぃ』が子どもの頃は、山形県内ではテレビ民放局が一社しかなく、放映されていなかったのでありますよ。その分、東京の人気番組が一局に集約され、「ドリフ」は特番でしか流れなかった記憶でありますけれど、それでも「草津の湯」は脳みそに刷り込まれてしまったのでありますよ^^;
勤め人時代に「伊香保温泉」に行ったことはあるけれど、北関東道が整備されるまでは、観光バスで一般道を延々走らなければならなかったから、遠い遠い場所だったのであります。(途中下車せず、温泉だけが目的ならば行けただろうけれど、それじゃ~観光として成り立たないもの^^;)
はてさて、『忠治親分』を『義賊』と勘違いし、赤城山には月が掛かるものと思い込んでいる『大人の常識』というものは恐ろしい…今では山形県内も民放4局、ネットも視聴可能であるから、電波・情報過疎県からは脱却できたとは思うのだけれど、今でも中央からの情報を鵜呑みにしていることに違いはないようである。最近、友人『ノロ社長』は、30年前の「森高千里さん」にご執心であり、もう当の昔に卒業している『おやじぃ』は、彼女の「渡良瀬橋」を紹介しようかと思う…ところで、「渡良瀬橋」はどこだ?『群馬県足利市内』に架かる橋かぁ…いや違う!「足利市は栃木県である!」…北関東道を爆走していたら、栃木県も群馬県も関係無くなってしまっている。行政界にこだわっているのは、もはや行政だけかも知れないなぁ…目標とするところ、目的とすることがそれぞれ違うのだから。「男心に男が惚れる」のは簡単だけれど、「女心」はいつまで経っても分からない…情報過多だったりしてね…あり得ない(笑)


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