その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

梅干しじじぃ

2024-08-05 09:52:18 | 巡礼

「梅干し婆」はあるけれど…

 世で『梅干し爺』と言われるかというと、そうは言わない。顔に刻まれた皺は、男の場合はその人の「人生」そのものを物語り、女のそれは、お肌のお手入れを怠った結果であるようにも言われるが、よくよく考えてみれば、お手入れにお金をかけるだけの稼ぎを上げられなかった男のせいであり、「梅干し婆」の旦那は甲斐性無しだったという誹りを素直に受け入れなければいけないのかも知れない^^;
 折角、移住してくれたというのに、色々な原因から別れを選択し、この地を出るという若者がいる。彼『A君』との交流も9月末で終わってしまう。昨夜は「激励会」と称して、『オジSUN
』たちは、また飲み明かしてしまい今朝は頭痛がする。(やはり、おバカは死ぬまで治らないようである^^;)出会いの数だけ別れがあるとも言われるが、生涯でただ一人だけなどと誓った記憶も遠い昔のことであり、いつの間にやら惰性と諦めで『仮初め』の間柄を継続しているだけかも知れない。別れる別れないなんざぁ、当の本人たちの問題だから、物知り顔で『説得』などしたりはしない。『おやじぃ』にしてみれば、生きていて楽しいかい?働いていて楽しいかい?一緒にいて楽しいかい?ただそれだけ、楽しいと感じられないなら、楽しくなる方法を考え、時としては楽しくない『原因』を排除するだけだわねぇなどと単純に考えるのでありますよ(笑)


我がふるさとねぇ…

 さて、雪さえ降らなければ、大きな災害もない住みやすい土地ではあるけれど、何故、ここに住み続けているかというと、外に住む場所を知らないからとも言えなくもない。ちょっと気が効けば、お隣の仙台でも東京でも良いのである。生まれ育った場所だからとか、両親の面倒をみなければいけないからというのは、後から付け足された住んでいる理由であって、よくよく考えてみるとこの場所に留まっている理由など無いに等しいのである。
 はてさて、『A君』の場合は一体どこへ流れていくのでありましょうか?土地への拘りが無い分だけ、どこへでも行けるという気楽さはあるようではあるけれど、また、その土地とのつながりを一から作り直さなければいけない。一人暮らしが気楽で良いと言う方もいらっしゃるが、『おやじぃ』はダメだね…友人『ノロ社長』は、今年も梅の土用干しを済ませ、集まった者たちに白干しを振る舞ってくれた。やりたいことを『てんでに(それぞれに)』やって、仲間に披露して自慢する。それでいいんだよ…それぞれが、そう長くもないのだから。42歳の厄年を終えたら、60歳の還暦なんてあっという間さ。てぇことは何かい?平均寿命もあっという間かい。そんな人生だもの楽しく生きなきゃ損だよ…せいぜい『A君』に贈れる言葉はそんなもんである(笑)

コメント
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