「みたらし団子」の起源は、下鴨神社?
欲張って二つのものを同時に手に入れようとして、結局はどちらも得られず失敗することを「虻蜂取らず」とも言う。同じ意味の「二兎を追う者は一兎をも得ず」という外来の諺の方が分かり易いのだけれど、何故、食べる訳でもない「虻」や「蜂」を取ろうとするのかは意味不明…主語が「人間」ではなく「蜘蛛」ではないかと解釈された方もいらっしゃるが、これまた真偽も不明ではある^^;
朝方、また変な夢を見ましてね…ある会場に多数の高級品が置いてあり、ご自由にお持ち帰りくださいという触れ込みである。『おやじぃ』は何故かオッカー用にオルゴールを手にしていた。(夢の中でもオッカー想いとは素晴らしい…無料というところが気になるけれど^^;)しかし、自分の物もと欲をかいたところで時間切れ…店員さんににらまれた。しかも、それらの品物は総て「盗品」だったというオチまで付いていた。果たして『おやじぃ』はその品物を返しただろうか…夢から覚めたのでその続きは分からない。自分の『良心』というものを信じたいのだけれど、「虻」でもなく「蜂」でもなく、今の生活には全く関係のないオルゴールを手にしていたことも意味不明…オルゴールを誰かに贈る夢は、誰かに想いを伝えたいという心の表れという『夢診断』もありますが(笑)
今夜は「たこ刺し」も付いた^^;
さて、見出し画像の「みたらし団子」…京都下鴨神社が発祥という説もあるのだけれど、『おやじぃ』は「たまり団子」と呼んでいた。夏休みが明けて『たまり団子のような顔(日に焼けた)』をした子どもたちが多数いたものであるが、今時『たまり団子のような』などと表現したら『蔑称』となってしまうのだろうか…大人なら「小麦色の」とさえ表現すれば合格かも知れないなぁ(笑)
はてさて、農林大臣の『汚染水』発言…「処理水」ならば許容され、『汚染水』ではイメージが悪すぎるということかしら?通常「処理」では除去できないトリチウムが環境基準値以下とは言え含まれていることには変わりはないのであるけれど…。大人なら「処理水」と表現しなければいけない。ギリシャ神話が元話の「王様の耳はロバの耳」もアンデルセンが発表した「裸の王様」も、子どもたちの声は素直であり、時として『辛辣』である。大人を名乗る人々は、人を傷つけてはいけないと何とかソフトランディングを試みるのである。『毒』を薄めたところで、物事は何も解決していないというのにねぇ。「盗品」を『戦利品』と説明されたなら、『おやじぃ』はオルゴールを返さなかったかも?すべて、心の奥底にある『良心』の問題という気がしてきたぞい(笑)