丹後半島伊根の地を訪れたのでついでに寄ってみました。
しかしこの寺領という地名が全く見当たらない。
仕方がないので近くにある野村という地名を入力してその辺りで聞けば何とか成ると車を走らせた。
伊根町役場前から府道57号線で野村へ、行って見ると何とかなるもので寺領方面の看板があり、教えられるとおりに進むとやがてほんの4~5軒の寺領の集落に入る
しかし何処をどう見渡してもそれらしき公孫樹の木もなければ、お堂らしき建物も見えない。
これは大変なところに来たとあきらめようとしたとき、たまたま人影を見つけたのでラッキー、観音堂の公孫樹のことをたずねてみた。
それは僕のように他所から来たものには解るべくもなく、この集落からさらに林道で丹後町碇高原へ抜ける途中にあるという。
殆ど車も通らないような林道を教えられ車を移動すること約10分弱、もうあきらめようとした頃左手壇上にそれらしく開けた場所を見つける。
公孫樹に関する看板などは何処にもなく、よそ者の僕らには想像もつかないような山奥です。
境内と思しき広場状の叢に石鳥居が建っていて、その奥に観音堂と思しき建物、乳垂れ公孫樹は鳥居の左奥手の森閑とした杉林を分けるように聳えていました。
多分もう何ヶ月も人など来たこともないのだろう、夏草がそろそろ境内中を埋め尽くしそうな勢いでした。
往古平安時代からこの寺領一帯には恩教寺の大伽藍が建立されていたと伝えられるが室町時代にはすでに衰退、ただ今にこの小さな観音堂とこの大公孫樹を残して山林に帰っている。
寺領の名称はこの恩教寺の寺領であったところからきていると言う事だそうです。
この公孫樹の根元には「澄朝明神」の小祠が安置され、乳の出ない婦人が、この公孫樹の皮を削りとって煎じ服用すると乳が出るようになるといわれ、信仰篤い樹であることを伺わせる。
大銀杏には垂れ下がる気根のせいか乳房、母乳に関係した話が多く語りつがれている。
その割にはこの公孫樹には株立ちのせいか殆ど気根も確認できず、まだまだそれほど歳老いてはいなさそうです。
8本の株立ちで、目通り8.45m、樹高 27m、樹齢は不明となっています。
撮影2008.5.17