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吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

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香春の呉音霊 No403

2015-07-22 10:31:09 | 神霊界考察
前回の記事の『呉音霊を考える No402』を記載し終わったら、
呉音霊について次の秘鍵が香春神社にあると伝えられた。

香春というのは今まで一度も調べたことが無い地域だが
『物部氏の三輪での祭祀の背景考察 No263』のコメントにて2011年に金鷹さまから
『秦氏一族の中でも奈良や京都の時代よりも遥か前から
渡来していた北九州は豊国の香春の鷹を象徴する
弥生時代の秦氏の血筋の者です。』というコメントと
『香春岳の辛国息長大姫大目命は神功皇后とは違う。
この神は鉱山の神であり、多々良の神=青銅製鉄の神。
即ちカバラの錬金術の神である。
この香春岳で神功皇后が関係しているのは卑弥呼の関係と言われている。』というコメントから
香春の地域は百済から渡来した弓月氏や新羅経由の秦氏である辛嶋氏などの
奉祭する地域なのだろうと漠然と考えていた。

今回呉音霊との関係を明らかにする必要性が出てきたので地図を見てみると

確かに呉という地名や少呉という地名が見つかった。
福岡県田川郡香春町鏡山呉という地名もあり呉人と銅鏡との繋がりを強く感じさせる。
知りたい呉との繋がりは前回も記載したが
春秋の呉越の呉(紀元前12世紀から紀元前473年 場所は蘇州・上海)であるが
三国時代の魏呉蜀の呉 (222年 - 280年 場所は南京あたり)が無関係というわけではない。
呉鏡で検索してみると
赤鳥元年 (238年) 内行花文鏡  山梨県三珠町鳥居塚出土
赤鳥七年 (244年) 平縁神獣鏡  兵庫県宝塚市安倉古墳
と呉から伝来されたか呉人が作った可能性がある鏡が2枚は出土している。

呉人のことはまだ糸口しか見つかっていないが
「漢倭奴国王」という倭奴国王への印の伝授や
「親魏倭王」という魏の皇帝から女王卑弥呼への印の伝授をみても
敵対する呉人は日本においても
追い詰められていったのではないかという推測が成り立つ。

八代市の中心部を流れる前川の徳淵(とくぶち)という所に、
河童が住んでいたという伝説が残っている。
この徳淵にいた河童の祖先は仁徳天皇の頃(313~399年)に
中国は呉の国から九千坊という頭目に率いられ
揚子江(長江)を下り黄海を経て
八代に上陸したと言われている。
その数は九千匹と結構な人数だ。
この河童と云われる呉人が九州の各地に広がっていったという。
確かに長江下流から季節風に乗って流れていくと九州地方に流れ着く。
熊本天草の富岡海岸の漂着物にもそれがあらわれている。
  
この一族こそ呉人の渡来の最初であるといわれている。
しかしこの伝承も時代は三国時代の魏呉蜀の呉であろう。

宇佐神宮に呉橋というものがある。
何度か補修等為されていていつ作られたのかははっきりしない。
屋根付きの木造橋で日本百名橋の一つとされている。
呉人が架けたと伝えられこれが橋の名の由来として残ったということだ。
間違いなく宇佐神宮の創建には呉音霊が関与している。

ここまで書いていて今、香春の呉音霊の一柱が見えた。
それは神農とされる姿と似ていた。

この姿は過去に感じた気比の都怒我阿羅斯等(ぬがあらしと)と思えた。

調べてみると香春には現人神社があった。
そして香春の霊ラインはこの現人神社を指し示していた。
香春の第一の秘鍵はこの地に呉人の気配があり
その呉人を指し示すのは都怒我阿羅斯等ということになる。


この地には白山菊理媛か天日槍の気配があると思っていたのに
都怒我阿羅斯等が現れたのには驚かされた。
都怒我阿羅斯等は呉人の血統なのだろうか?
『日本書紀』には崇神天皇の時に額に角の生えた都怒我阿羅斯等が
船で穴門=下関から出雲国を経て笥飯浦に来着したとある。
敦賀は都怒我=角鹿が語源と云われている。
朝鮮から渡来したと考えられているが
今回の一連の流れから云えば中国の呉の国の
長江からの渡来である可能性が示唆されている。

ところで炎帝神農氏の子孫である兵主神の蚩尤であるが
やはり角があるように書かれている。
『蚩尤』


河童はひょうすべ=兵主と呼ばれていることからも
八代に上陸した呉の九千坊という頭目は
炎帝神農氏の子孫。兵主神の蚩尤の子孫である可能性を感じる。
それならば頭に角があってもおかしくない。
河童の角はどこに消えたのか?
またこの一族と都怒我阿羅斯等との繋がりを考えていきたい。

要するに筆者は春秋の呉人は上海から船で九州にダイレクトに
いわゆる「江南ルート」で渡来して
その後、朝鮮に渡ったという経路を予想しているのだ。
この「江南ルート」とは日本のイネの中に
朝鮮半島にない遺伝子があったことから想定されている。
つまり稲は朝鮮経由で伝来したと云えないらしい。
参考文献
『すでに縄文時代に長江から稲が伝わっている』
『熱帯ジャポニカは中国江南地方から来た』
『長江文明の伝播と水田稲作を拒否した縄文人』

魏呉蜀の呉と日本との接点については
日本書紀及び穴織宮伊居神社に伝承が残っている。
『のりちゃんず 穴織宮伊居神社』
『阿知使主の謎』
阿知使主と呉王謁見の伝承
呉王は日本よりの勅使の到着をいたく喜び饗応し、
早速数多の優れたる工女の中より撰びに撰び人選を重ねて
裁縫の師として兄媛(えひめ)弟媛(いろとひめ)を、
機織の師として穴織・呉織の四媛を贈られた。
また呉をくれと呼ぶのは呉までの道のりを案内したのが
久礼波、久礼之だったからだそうだ。
日本書紀 応神天皇三十七年阿知使主・都加使主を呉に遣わし、縫工女を求めた。
阿知らは高麗ヘむかい、呉を目指した。
高麗王が久礼波・久礼志を道案内としてよこしたので、
阿知らは呉へ行くことが出来た。

ところで前出の江南から九州へのダイレクト航路は
一方通行であり逆に九州から航路で行くのは難しい。
従って戻る場合は朝鮮陸路経由となる。

どうも弥生時代を創りあげたと思われる春秋の呉人の伝承(紀元前300年)は
三国時代の呉の伝承(紀元300年頃)で上書きされているようだ。

その上に倭国大乱で呉人は敗戦し俘囚とされた為に
ますます情報が混乱してしまったようだ。


『日本書紀』によると都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)は
于斯岐阿利叱智于岐(うしきありしちかんき)とも呼ばれ
意富加羅国の王子という。
意富加羅国とは朝鮮のことだとされるが、
記紀にもその他の歴史書にもその言葉に該当する国は無いようだ。
意富をオオと読まずにユーカラ国と読んで
中国のことではないかという話もある。
意富を無視し加羅国の部分から朝鮮としているが確実性は無い。
時代は第十代崇神天皇 第十一代垂仁天皇の時代とされ
天之日矛の伝承と完全にかぶっている。
これは春秋の呉人の伝承が上書きされたせいだと判断する。

ところで伝承では都怒我阿羅斯等も天之日矛も女性を追っかけて渡来している。
内容は錯綜しているが、とりあえず以下の組み合わせに仮定したい。

天之日矛-阿加流比売神  但馬国一宮の出石神社 新羅国王子
天之日矛に牛を殺すのかと咎められた男が許しを乞うて赤玉卵を献上
これが美しい童女と化した。
日本において渡来系出石族の伝承と重なり合って信仰されている。

都怒我阿羅斯等-比売語曽神 氣比神宮境内摂社の角鹿神社(式内社)香原の現人神社
意富加羅国の王子 牛黄の代償として得た白石が美しい童女と化した。

『古事記』では比売碁曾社の由来が天日槍と阿加流比売神の伝承となっている。
『日本書紀』では垂仁天皇2年条の注において都怒我阿羅斯等とその妻の伝承となっている。

このブログの末尾コメント欄に記載されているが
八幡神を奉祭する祭祀一族の末裔の伝承を教えていただいた。
それによると父が西周王の子孫(呉系)で母は釈迦族の末裔であるインドの王女が
2千年前に中国から葦船に乗って日本に渡来したそうである。
この女性は日本では辛嶋勝乙女とされるが、
首長としての能力があり彼女が大日霊女となったそうだ。

この話を利用しようという訳ではないが
比売語曽神は呉系で長江からの渡来人であったという
仮説の傍証としたい。


20160212後記
国東半島の姫島の比売語曽神社とは
語曽=呉楚で中国呉楚の姫氏ということを
意味していると考える。

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128 コメント

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Unknown (ulala)
2015-07-23 08:36:10
猛暑ならびに大雨お見舞い申し上げます。
お久しぶりです。
いつも読ませてもらってますが、私のレベル低すぎてコメント残すに至りませんでした。
邪馬台国の時代まで魏と繋がってて、それから五王時代まで途絶えるのですよね。
崇神天皇はミマキイリヒコで、魏と対立してる国から来られたんだなと思ってました。
2007年秋、紹興酒の紹興、杭州、蘇州、上海などを巡りました。
呉越の民族の違いが今でも一般民家の屋根の形にも残されていました。
車窓から見た農村地帯に日本の原風景を見た気がしました。
少なくとも近畿地方は呉の国の風習が残ってるなと
当時のブログ旅の記録残したのを懐かしく思い出しました。
返信する
吉田さま (りひと)
2015-07-23 09:00:46
凄いですね、河童が大活躍した時代があったのですね。それが日本を支えていたはずです。屋根付きの橋なんて!スイスにもありますね、繋がっていたら面白い木造の橋でルツェルンという地です。湖のある地です、水の神一緒かも?
すもうの土俵にも屋根ありますね、そう今話題になっている国立競技場も屋根でもめてますね。屋根と河童も関係ありそうな気がします。木を守る為だったと思いますね。

そう都怒我阿羅斯等さんですが、私の中ではヒボコさんとかぶってますが、朝鮮からではなくもっと早く日本に定住していたはずの一族に感じてました。嬉しいです。そう鹿もここにつながるはずです。ただ角はホルン型で鹿の角は後世の象徴だと思います。人間ウォッチからの解釈のみですが、若草山にもいたように感じますね。刀の鍔もいっぱいありましたけど金属と火の関わりもあると思います。呉音関係者だと凄いですね。
今年のポケモン映画にも力持ちの角に輪をかけた魔神のようなポケモン出てきましたね、みかづき型の角、これです。手がいっぱいでしたね。
どうやら牛や鹿の象徴になる方々が最重要なのかもしれないと思うながれになってきてます。お仲間に河童も必須です。
エリア的には九州だけではなく関東も東北にも広がっていくとも妄想してますが、それは地震やその他事件等で自然の流れで見えてくるといいですね。神のペースで人間が動かされる、これぞいい和合なのかもしれませんね。3198、3と8が1と9を挟む、まずは男性の方の解釈が必要みたいですね。
返信する
Unknown ()
2015-07-23 14:49:45
さすが先生、とても博識でいらっしゃる。感動します。

私も秦氏が住んでいたという事を見ました。

先生が掲載されておいでる、神農様のお写真、香春神社の山王社様のお姿によく似ていらっしゃいます。ハッと致しました。さすが先生…すごいですね。
神農様の息吹は今も香春にもおいでられるのですね。

では宇佐神宮の一之宮にいらっしゃるのでしょうか?
返信する
吉田一気 (ulala様への返信)
2015-07-23 23:29:59
お久しぶりです。
コメントありがとうございます。
おかげさまで記事もなんとか
400を超えることが出来ました。
過去の記事の見直しもしていく必要があるのですが
自分で書いたことをどんどん忘れていくので
ブログの中身を濃くしていくことと
全体の整合と合理性を図るのは大変です。
旧石器人 縄文人 弥生人
その中に紛れる中国春秋・日本の弥生時代の
倭人 呉人 越人 楚人
それから3世紀の魏呉蜀の影響とを分けて
日本人の根底に流れる血統を
神霊背景的に探り出すのはなかなか困難です。
渡来人が押し寄せる中でも
保持されてきた気質のなかに
日本人としての神霊背景的があるのだと
思っています。
呉越の民族の違いが今でも中国で残っているように
日本にもその形跡があると思います。
神霊背景は歴史学者でも考古学者にも
解き明かすことが出来ない在野の学問です。
信仰の菩提となるものです。
これからも応援よろしくお願いします。
返信する
感謝です。 (りひと)
2015-07-26 12:13:44
ありがとうございます。父も喜んでいるはずです。新羅のヒボコはすでに先住していないと辻褄が合わない事と考えてました。都怒我阿羅斯等のぬは呉音ですね。それに伴い日本の鏡族が歴史に復活してくるはずです。金属との接点や技術の凄さでそこに日本再評価があるといいですね。阿知使主についても以前調べましたがスサノオやここも色んな伝承ミックスしたりかぶったかなり複雑です。
今年は父と同じ36年ぶりの三碧木星のひつじ年なのです。どこかで分身を産みたいと思ってましたが、体があると逆にやられてしまう可能性もありますのでこれでいいのかもと吹っ切れました。芸能界では、流産を超えて無事出産のニュースも多い年、また去年は数々の古を忘れていた災害による聖地の被害者もいっぱいいました。きっと生まれ変わってきていると思います。三碧木星って3とあおと木って物部さんとも関係ありそうですよね。ひつじは、犠牲になってきているイメージもあるので残り12月まで将来のための人材がどんどん揃ってくるといいですね。来年はさる、今年と来年は守り本尊も大日如来!鏡族が大事にした太陽や日が復活すると思います。火山の男神の復権になるかはこのさき、ゆっくりと。吉田さまの研究に関わるかはわかりませんが、楽しみにしております。よろしくお願いします。
4187、4は呉音一族と8は角一族、その間に一男?7の星も見守ってるといいです。
富士山が噴火したら日本の半分、阿蘇が噴火したら世界が危険、ならば噴火に対しての警戒と準備そして自然の恩恵に対しての感謝と人間活動の断念やあきらめや譲歩必要ですね。持ちつ持たれつでも人間の力は微力だとここのところ十分感じた事わすれないようにします。6047?6も理解必要なんでしょうね。81の前は60?物部さんがもっと先?連れて来られたのではない?石の信仰かなあ?大国主命さんだとどこも落ち着く理由?エンドレスみたいですが、生活第一でゆっくり研究します。
返信する
息長氏は呉人の末裔では? (禮月)
2015-07-29 08:48:04
香春の記事も読ませて頂きました。「辛国息長大姫大目命」ですか…あの息長氏との縁を強く感じます。恐らく彼女こそが三韓征伐に登場する神功皇后のモデルになった方のお一人でしょう。卑弥呼や台与よりも、もう少し古い時代に半島へ渡った女性権力者がいた可能性大です。息長という姓から、たたら製鉄のイメージは連想されます。大陸から海路で九州北部に逃れてきて、製鉄技術を伝えた蚩尤(神農炎帝氏)の末裔の可能性が高そうです。時代にするとBC150~AD50位でしょうか?崇神天皇が勢力を拡大する少し前だと思われます。
上代語で「から」とは半島や大陸のみならず、列島から見た海外全般を示しますから、決して朝鮮半島のみを示していたのではありません。何故か日本の古代史研究家達は「から」を高句麗、百済、新羅に限定している人が多いですけど。そのせいか、私達が小学生の時は日本に製鉄技術が伝わったのが、新羅からとされて、5世紀末から6世紀初頭と教科書にも書かれていました。
都怒我現羅人さんが列島にやってきたのも、当初は南下した勿吉に追われた6世紀末位かと思いましたが、もっと古い時代とした方が自然だと思います。
崇神天皇とは敵対していたのか、息長氏は半島でも勢力を伸ばしたのでしょう。古事記と日本書紀は、神功皇后を卑弥呼か台与である様な、無い様な感じでぼかして書いています。卑弥呼を特定の個人を表す名前ではなく、肩書き役職を表す名前と考えれば、辛国息長大姫大目命も製鉄の炉の炎の神に仕える「火巫女」だった可能性があり、魏誌倭人伝に登場する卑弥呼とは別人となります。但し台与の方は息長氏の血を引いている可能性が否定できません。気比神宮のある「越」出身と書かれているからです。
中国の歴史書と広太土王碑文に残されている史実と照らし合わせるなら、神功皇后の三韓征伐のエピソードは、雄略天皇が辛国息長大姫大目命を政治的プロバガンダに用いた事がきっかけではないか?という仮説を立てました。
三國史記を編纂した高麗王朝も、新羅の建国を高句麗よりも古い時代に見せかける為に、雄略天皇の半島遠征を大辛国息長大姫大目命の半島移住の史実としたのだと思われます。
返信する
吉田様へ (すずたま)
2015-07-29 12:09:37
吉田さまの神霊的考察が日本というクニの最深層の真相に及びはじめるのを目の当たりにし、戦慄的に身の引き締まる思いです。皆様方のようには霊的感受性に恵まれもせず、神様系にもうとい私ですが、古代史を少々かじってきて、結局知識面だけで研究しても真実にいたることは絶対に絶対に無理、と悟り始めました。

以下は、迷いに迷った末に少しだけお伝えさせていただくことに決めたところの「封印された八幡神」に関する、ある情報です。トンデモ的に通説とはかけ離れていますが、私は真実であると仮定して一般歴史書を漁りつつ検討を続けてまいりました。神霊的観点ではどうご判断いただけることでしょうか?
○字を含むのは、このコメントで吉田さまに一切のご迷惑をおかけしたくないためです(あまり意味がないかもしれませんが?)。

最低限に簡略にお伝えします。その情報によれば、
八幡神(ヤハタノカミ)とは、2千年ほど前に生きた一人の渡来女性です。
千数百年にわたり段階的に、近代にいたっては徹底的に、完全犯罪的に、封印されています。
その女性とは、書紀ではアマテラスの別名とされるところの、オオ○ルメ(○日霊女)、その名は「辛○勝乙女」です。

情報元は、1994年刊「今、○界と○本で何が起こっているかその恐るべき実態」(調和を目指す○絡会)という2冊組の簡易な印刷の本。著者は、八幡神を奉祭する祭祀一族の末裔、辛○某女史。
古代史や日本神話に無知かつ無関心だった数年前の私を、一気にその分野に引きずり込んだのが、知人に譲られたこの本でした。今は入手困難です。

全編通して縷々訴えられているのは、八幡の真実を一子相伝で秘匿してきた血統にあるために、「ある世界的組織」から攻撃を受け、古文書は○内庁に取り上げられ、先端科学テクノロジーおよび霊的テクノロジーにより、「魂エネルギーの簒奪」が行なわれ、いかなる過酷な状況下で廃人化あるいは死にむけて心身を抹殺されつつあるか、壮絶怪奇なる体験の数々が臨場的に記述されています。(現在は生きておられないと思います)。
肝心の八幡情報は、霊的攻撃により記憶も薄れつつあるとのことで、ほんのわずか、全体の数パーセントにもなりません。
数年前にはネット上にこの本についてのコメント(トンデモ・オカルチック部分への関心のみであり、八幡情報に注目したものは皆無)がいくつかあったのに、不思議なことに今日見ると全て消えています。何故か英訳本のみ通販されていますが?

某女史の語るところを、もう少し書きます。
「辛島○○女の父は西周王の子孫、母は釈迦族の末裔であるインドの王女。2千年前に中国から葦船に乗って渡来した。
辛○氏はスサノオの子イタケルノミコトを祖とする。
彼女は類まれな神人であると同時に古今東西の宗教や学問に通じるマルチな天才だった。
世界諸宗教の根本はひとつと悟り、縄文アニミズムと合体させて、日本における最も古態の古神道を創始した。
その神祀りの方法は代々天○家に伝えられたが、禰宜の急死により昭○○皇には伝えられなかった」。

続き
おそらく、香春神社、香椎宮、宇佐八幡宮等の隠された元神は、すべてこのかたです。
比売大神とか辛国息長大姫大目命とか豊姫とかいうのも全部。(「大目」はオウマ←勝乙女のオツメ?乙女は乙目とも書かれます。)

神巧皇后は真実を隠すためにヒミコはじめ複数の祭祀女王(斉明天皇も含む?)がミックスされた捏造存在といまのところ推測しています。
ヒミコが親魏なら、半島の狗耶韓国(≒敵対していた狗奴国?)に兵を出すのは道理ですし、斉明が伽耶系と仮定すると、伽耶を乗っ取った統一新羅と戦うのも道理です。

自分なりの探索の結果、ククリ姫、白山姫、十一面観音、伊勢神宮内宮後方にある荒祭神、瀬織津姫、撞賢木厳之御魂天疎向津媛(ツキサカキイツノミタマアマサカルムカツヒメ)等の謎の女神たちは、みなこのかたと関連性があると考えています。イコールではありませんが、同じ霊統、範疇にあると。
その働きは、太陽女神ではなく、「月神」であり、水の女神の一面もあるのだろうと考えています。ククチヒコの狗奴国と対立したヒミコは別系統でしょう。

私見を述べますと、ヤハタノカミは、メビウスの8の字の中心にあって時代をククル(括る)(反転させる)神。即ち見えない世界での封印はすでに解かれ、今現在大御活躍中の女神と思います。
月の時代(夜の時代)(偽太陽の時代)を真実の霊太陽の時代に反転させる神です。
そして隠された神、ツキヨミノミコトの働きとも重大な関わりがあると・・・?
さらに、少彦名とも・・・?(吉田さまの少彦名考については未だほとんど読み込めてないのですが。)
返信する
続き (すずたま)
2015-07-29 12:11:42
続き
また探索の結果、オオ○ルメは呉方面から来たとの結論を得ています。鹿児島から上陸したと思います。かつて徐福が来たルートのひとつで、琉球弧を渡ってきた可能性もあり?
鹿児島神宮はオオ○ルメの伝承を残し、全国で唯一呉の太伯を祀る神社でもあります。

豊前宇佐の○島郷を中心に結集した○島氏は金属精錬集団でもあり、鉄を求めて半島南部に出向いたのでしょう。(すでに祖であるスサノオ系イタケルが開発した地?)
彼らを核とし、半島南部と豊前をつないで秦氏のクニが形成され(=狗邪韓国)、豊前の銅を求めてUターンした人たちが香春神社を建てたと思います。
新羅神が云々されますが、実は豊前から出向いてUターンした秦氏の神のわけです。
のちの統一新羅は元狗邪韓国の地(≒金官加羅)を祖神ごと吸収したのでしょう。それが金首露伝説(インドの王女を后に迎えた云々)になっているのかも?
新羅の建国譚は伽耶のコピーであり、半島史も日本史とセットで大幅に捏造されているでしょう。

最後に。
鷹やら小童のすがたで顕現する八幡神は、「我は誉田天皇広幡八幡麻呂(ホムタノスメラミコトヒロハタノヤハタマロ)なり」と名乗ります。ヒロハタヤハタと秦氏の神であることを強調しても、即ち応神天皇、とはどこにも書いていません。
応神天皇の和風諡号はホムタノスメラミコトとかホムタワケノミコト。ヤハタはつきません。
(ホムタですが、製鉄の溶鉱炉を指す、という意見も目にしたことがあります。)

もうひとつ、香春の銅が大仏に使われた背景とは、この偉大なる神女は大日如来(の再来)とみなされたのではないでしょうか?

・・・なるべく簡略をこころがけるつもりが、ついいろいろ書いてしまいました。間違った私見も混じっていると思います。これ以上は、コメント欄に長々書くようなことではないので、自分の責任において別の場所(ブログとか開設して?)で発表しようかと思っております。錯綜した八幡信仰史の研究も限りなく難解でなかなか進まないし、天○家のタブーに切り込むことでもあり、ずっと先延ばしにしにしてきましたが、きりがないので一か月後くらいには何とかしようか?と。(来月は仕事が忙しいこともあり)。一か月黙っておれない気がして、軽率と思いつつここに書かせていただきました。

ちなみに、私の母の郷里は菊池です。(私自身は岡山です)
「呉音霊」にそっと肩をたたかれて、このコメントを書いたかもしれません。
(ご判断によってはあとで削除してくださってもいいのですけれど?おまかせいたします。)
返信する
勉強になります。 (りひと)
2015-07-29 21:01:02
すずたまさんへ
本当凄い研究量ですね。そんな方にであえた事に感謝です。でも不思議ですね、伺いたい地、凄い地に縁がある方というのも!ネットならではの危険も同じく警戒しながらですね、吉田さまにも迷惑かけずで。そもそも私がとんでもない事ばかりで恐縮です。神社との付き合いと一緒で直接感じたこと教わったことに感謝することととまた自分の体験考えを含めて再検討してそして自分の考えとして自分の関わるすべき事だけみんな出来るといいですね。日本人にはそこが弱いので偉い方がこうと言ったらそこに疑問があっても流されていく。あれ~と思いながらも、外人ではあり得ないと思います。あなたはどうなの?って。でも今回競技場の事でも一般人の意見がたまりに溜まって変更にいくなんてびっくりですよね。日本の少しずつ変わってくるかもしれません。オリンピックの会場より選手への援助の水準が低いとの事も取りざたされましたね。何が大事かちゃんと考え始めましたよね。
歴史も色んな説があるのが普通、あとは受け取る方の利用の仕方に品格等が伴えばいいですね。
本当に勉強になりました、ありがとうございます。7398お決まりの番号、良し。
返信する
初めまして (禮月)
2015-07-29 21:56:32
すずたま様。
初めまして、禮月と申します。
すずたま様の香春神社と大辛国息長大姫大目の考察は、魏誌倭人伝や後漢書並びに晋書等の古代中国の歴史書の記述と照らし合わせても、何ら矛盾は生じないですね。大陸側が記録した史書は時期が正確なだけではなく、出来事も公平かつ詳細に書かれている為、半島と列島の古代~奈良時代までね歴史を考察する上では不可欠な資料です。
都市国家時代の新羅は、西周の末裔で神農炎帝氏の血を引く一族が列島から半島南部に建国した、狗奴韓国が母体の様な気がします。周王朝の王族の姓は「姫」か「妃」氏で、読みは「きし」だったと習いました。女神を氏神にしていていたか、神女たる巫女が政治の中枢にいた感じがします。この「姫又は妃」氏の長が大辛国息長大姫大目命で、彼女が朝鮮半島へ民を率いて移住したのでしょう。
一方、統一新羅を建国したと言うより西周系倭人が建国した新羅を簒奪したのは、外満州に住んでいた狩猟民族の勿吉族で、鼬婁(ユウロウ)とも呼ばれていました。
神功皇后の三韓成敗のエピソードは、外満州から南下してきた勿吉を撃退する為半島し在住していた倭人系新羅への援軍として赴いた雄略天皇とかつての狗奴韓国の領土を勿吉から取り返そうとした斉明女帝のエピソードをミックスしたものだと考えます。
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