吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

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美具久留御魂神社と二上山と檜原神社 No523

2019-08-18 16:47:11 | 神霊界考察
2008年の事だから10年以上も前になるが
私の住む西区の産土神である北岡神社の茅の輪くぐりの案内看板が気になった。

この景色の背景の山は二上山ではないかと推察した。
二上山は北方の雄岳(517m)が少し高く南方の雌岳(474m)が少し低く
二つの山頂がある双耳峰となっている。
この絵では左側の山が高いので二上山の西側から眺めた図になる。
地図でざっと探すと美具久留御魂神社ではないかと推察できた。
この際に過去の記憶に残る檜原神社の事も頭に浮かんだ。


  美具久留御魂神社

檜原神社


今回実際に足を運んでそれぞれの位置から眺めてみたが
この二つの神社には霊的に相関関係があると感じられた。

googleで調べてみると

この檜原神社と美具久留御魂神社を線で結ぶとちょうど二上山の馬の背を通る。
この線の角度は約5.7度となっている。

  

美具久留御魂神社では御神霊の氣が強かった荒魂を祀る別宮の和邇宮(龍神社)を
通過しているが参道の方向も二上山に向かう設計となっているようだ。

しかしこの由緒書によれば大国主命の荒魂は和邇神と称された龍神であったとあるが
この話は初見である。
 とても強力な神氣で守られている和邇宮

出雲大社では龍蛇神を御神体としているし
大国主命の和魂は三輪山に祭られる大物主神で蛇神とされる。
また大国主命の荒魂は狭井神社に祀られている。
『大倭神社註進状 並 率川神社』によると大国主命の荒魂を大国魂大神としている。



私見では狭井神社と率川神社はもともとは塞ノ神ともされるクナトの大神を
祭祀していたと考えているが
大国主命の荒魂とはまさに大国魂大神であり
大国魂大神=縄文の久那戸大神=龍蛇神=和邇神と考えてもいいのかもしれない。

狭井神社と率川神社については『出雲井神社のサイ神 No152』及び
『奈良の三笠山と蘇我氏 No148』を参照していただきたい。

この美具久留御魂神社の別宮の和邇宮がどういう位置付けなのかは
分からないが何か秘密が隠されていそうである。

2011年に美具久留御魂神社の大蛇と白雲宮と二上山に祭られる「神蛇大王」との
関係については『美具久留御魂神社の「白雲宮」と二上山の「深蛇大王」 No291』
まとめているので参考にしていただきたい。

またこの神社の由緒として以下の伝承がある。
祟神天皇(人皇第十代)時代に丹波の国の氷香戸辺の子に、
『玉藻鎮石。出雲人祭、真種之甘美鏡。押羽振、甘美御神、
底宝御宝主。山河之水泳御魂。静挂甘美御神、底宝御宝主也。』
という神様のお告げがあり、天皇はそれをお聞きになって、
活目入彦命(垂仁天皇)を河内国支子(きし)に遣わし当社を祀らせ、
山河之水泳御魂=美具久留御魂神社と御名を称えなさった。
(日本書紀第五巻崇神紀六十年條・出雲国風土記)

これは出雲の神宝である玉藻鎮石 真種之甘美鏡 底珠が祭祀
されていないことによる出雲神の呪詛のことを言っている。

この氷香戸辺の子の歌であるがネット情報のホツマツタヱでは
『玉藻垂つ 出雲祭らば まくさまじ』とも歌っている。

どうでもいいことかもしれないが
山河之水泳御魂から付けられた神社名であれば
「みくぐるみたま」であって「みぐくるみたま」ではない。

今回三輪の檜原神社との相関もあると筆者は判断したので
水泳御魂と三輪の三重に巻く意にも相関があると判断する。
つまり御諸山が三輪とされたのは
「水泳御魂」を由来としている可能性が高い。


※コメントは検索でヒットしなくなりましたので
私の備忘録として自分のコメントを検索用に添付させていただきます。
吉田一氣 (ulalaさまへの返信) 2019-08-22 02:20:09
コメントありがとうございます。
2011年の8月にこの神社についてのulalaさまブログを
読ませていただいてからちょうど8年が経過しましたが
やっと遅ればせながら参拝出来ました。
以前の記事では丹後の真名井神社との類似性について
指摘させていただきましたが、
今回は檜原神社との相関について記載しています。
これは全く別のアプローチからたどり着きましたが
檜原神社も真名井神社も天照大神を祭祀する
元伊勢という関係にあります。
私にとっては今回やっと美具久留御魂神社の記事を
書かせていただいてそこのulalaさまのコメントから
瓢箪から駒を得た思いです。
夢に見たという「わたしはみくる、ワカヒルメとして
和歌山の山中深くに祀られる」
という話を私が聞くのは初めてでしょうか?
当時の私には分かり得ないのですが、
このワカヒルメが今自分がテーマとしている呉音神と
大きく繋がっていると考えていて
ずっと調べているところなのです。
ワカヒルメは天照大神と最も近い存在ですが
機織りの神霊であるところから
呉系の姬氏がもたらしたと私が信じるところの
養蚕と機織りを司る神霊ではないかと思っています。
たぶん呉系姬氏の巫女なんだろうと判断しています。
紀の國の紀はもともと姬氏の國という話も信憑性があり
この紀の國は素戔嗚尊と五十猛神に征服されてしまい
姬の国は木の國になり五十猛神は木の神様となりますが
呉系の姬氏の巫女のワカヒルメは姬の国紀伊半島に
封印されているのではないかと感じていました。
その候補が玉置神社とか
あるいは八大龍王姫松明神あたりです。
ulalaさまの夢通りに「みくる」であるなら
やはり河川が必須のようにも思われます。
とにかく私にとって有難く興味深い話です。


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30 コメント

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酷暑お見舞い申し上げます (ulala)
2019-08-19 12:28:38
こちら近畿におこしだったのですね。
蒸し暑かったでしょう。

美具久留御魂神社と大神神社と狭井神社、とてもなじみのある神社です。
三笠山も、阿倍仲麻呂のあの天の原の歌が書かれた掛け軸は、実家の床の間に掛けてあったので懐かしいです。

この先の謎解きワクワクします。
返信する
丹波の巫女埴輪 (さくら)
2019-08-19 12:58:24
美具久留御霊神社に行かれたのですね。
お疲れ様です。
そして、別宮もきっちり参拝されて、「和邇神」という新たな情報ですね。
美具久留御霊神社の別名が「和邇宮」で出雲族末裔だと本に書いてありました。裏山の眞名井ヶ原。
京都亀岡の出雲大神宮の眞名井の水。
出雲大社近くの「真名井神社」。酒造用の水。
元伊勢、籠神社奥社「真名井神社」
宮崎高千穂の「真名井の瀧」

私も過去二回参拝させて頂きましたが、、
一回目の参拝ポイントは
・太陽の道として、淡路島「伊勢久留麻神社」を起点に東向きのライン上にある寺社仏閣を巡っていた。「久留」と言う字があるので気になった。日向なんでしょうね。
桓武天皇の末裔「平」姓が「クル」を受け継ぐらしい。

・真名井という名称⇒真実。本当の名前は「井」、つまり水神。

・ヒカトベと大蛇伝承。このころ、「にしきとべ」「いひか」「なぐさとべ」を調べていました。「いひか」→「いかり神社」船の碇と関係あるのか?宝船で碇があるのは、大将軍八神社。魔王。妙見神。
広島の双葉山東照宮の近くにあった、「いかり神社」

・咒神と言う言葉。→神呪寺→六甲姫神

二回目参拝時は、こちらのブログのコメントにバラバラと書きました。

この記事とのシンクロ現象としましては、
2018年6月に起きた大阪北部地震余震回避の為に、夏に赴いた小菅山は登拝できなかったため、季節の良い11月にもう一度小菅山に登る計画を立てていました。

その直前に近所の友人達とお昼食べて、箕面山で足湯に浸かりながらの会話。
・私「今度の連休に長野に登山に行くねん」
・友人「登山するの?本名ちゃんのイメージ違うわ。長野まで?長野の何処?長野の山いいよね。」
・私「言っても、わからないと思うよ。小菅ってとこ、不思議な夢見て地震回避の為に行くことになってん」
・友人「そう。有難う。地震回避のお祈り有難うございます。ここら辺で、どこか登山した?登山仲間と来週、河内長野の山に登る予定よ」
・私「二上山とか良かったよ」
・友人「二上山は私の実家から、彼岸の中日・春分秋分の日に、太陽があの二つの山の間を通るのが見える位置にあるんよ」
・私「あー、奈良の実家ね。私達の共通の知り合いが、私と誕生日が同年同月同日で、友人ちゃんと知人は高校が同じだったのよね。卒業アルバム見せてくれたね。」

※あの5,7度のライン上に友人の奈良の実家があるみたいです。ちなみに、檜原神社は私は参拝していません。天照大御神のようですね。
大神神社に誕生石がありますので、ここでもリンクしてきてます。

そして、肝川八大龍王神にちょっとずつ、関わろうかと思い、多田神社と小童寺に参拝してみたのです。
多田神社は、鳥居から見える川と石としぶきの景色が秘境のような感覚で、滋賀彦根の「大滝神社」つまり犬上さんを思い出しました。川は猪名川でした。
道の駅猪名川近くに在る、屏風岩などの景勝地?といえるかどうか、、、と繋がっていることも感じました。
摂末社で厳島神社、金毘羅神社などがあり、六所宮もあり、鳴動するので、吉例としてとらえ、神剣宝馬を奉納して、祈願祈祷を厳修せられたと書いてありました。いわゆる、鳴宮かと思います。
こちらの名前の無い摂社にも、活日神社、野間神社同様金ぴか龍の金具が掛かっていました。
それと、唐椿という木が植わっていたのですが、
看板には、旧多田院檀家の薩摩藩主島津家より贈られた国内最大級のものである。
中国雲南地方より南の亜熱帯地方を原産とする樹木。

小童寺は、「美女丸」という事で出向きましたが、何も手がかりは得られずに、道が狭く、急斜面と角度が直角で異常に気を使いました。次の日に向かう場所で、偶然「美女」が出てきましたので、関係があったのでしょう。










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丹波の巫女埴輪2 (さくら)
2019-08-19 16:12:25
丹波の巫女埴輪の事を書くことは
さらっとさわりだけにしておきます。
本来はコメントに書く気はなく、勝手に納得しておこうと思っていました。
京都に泉涌寺があります。末の京都北野観音寺、ここに願行上人筆の不動明王像があります。
22玉に「富士」「不二」「藤」「布字観」で石上神宮の新嘗祭の事を書いています。寝食を神さまと共にするのです。
野間神社にて「久佐々」は、「さいくさ」で三輪素麺の発祥の名前かと思ったと書いていますが、島原半島に出向き色々
感じるものがあり、「菊池」の本質がわかったり、、
島原も素麺が有名みたいです。そのまま、佐賀県に行きましたが、「たいら。太良・たたら・ひら」の連続でした。

願行上人の系譜
清和源氏の系図
貞純親王⇒経基王⇒満仲・・・・願行(相州大山開基也)
どうも、関東に行く前に丹波の船井郡須知町に縁があるようです。
この願行上人が麻生院で鉄の不動明王を作ったりしています。
弟子なのか、憲淳と言う方がいまして、この方は、藤原定家の子、二条為世の子のようです。

それで、船井郡に行ってみたのです。曽根444号線でした。曽根は阪急沿線にある駅名です。
しかし、ネットに騙されたのか、予想していたようなお寺はなく、どうみても民家であり、すごく遠慮して早々に退散しました。
わざわざ遠くまで高速で来たので、何気なく近くの神社に参拝しました。
「何鹿神社」というのです。
私は、「いかが」と読んでいたのですが、本当は「なにしか」と読むようです。
いや、でも蘇とかいて、「いかる」、斑鳩と読むように。
綾部の鳥「イカル」は「何鹿」と言う字を充てるようです。きっと、「いかる神社」だと思います。
このイカルは、饒速日、物部氏、つまり石上氏の生駒山の近く斑鳩峰のイカルかなと思ったりしています。
交野妙見宮とかあります。
この丹波地区は機織り、七夕関連のような気がしますので。天文館とかありました。
偶々、亀岡で「曽我部」と言う地名を通り、、蘇我氏かな?豊能郡にも曽我部は有ります。
そこは、大原神社と春日神社がありました。やっぱり、春日神社があると思いました。
あと、彦佐知神と書いていました。
そして、近くに古墳があるようで、道の駅になっていました。名前が「味夢の里」
「味?」が付く名前。池には大きな蓮が咲いています。
道の駅はとても充実していて、遠かったけど来てよかったと思いました。
武内宿禰のもう一つの名前か、弟に「味・うま」が付いたと思います。
道の駅で京都西陣織の「絹製品」。模様は、雲と波のうねりの柄二つを買いました。
京都北区「賀茂」にある会社だと紹介を受けました。
そこに併設されている観光案内所に、「巫女埴輪」が飾ってあったのです。
本来は二体、対であるようです。
家に帰ってから、ゆっくり調べようと思いながら、
最後に近くの、「琴瀧」に行きました。
山の名前が美女山、また美女かと思いながら、そこにある「琴の弦のような白糸」の瀧でした。
多羅多羅としたたり落ちる。光が射すとまた違う美しさ。
美女と琴と多羅。琴の生糸は伊香具神社。
その前に「能満神社」にも寄ってみました。
「のま」だと思ったからです。
神武天皇の摂社があり、「烏天狗」。
事代主神、武甕槌神。
鶴亀の池がありました。
亀は水の中にある石であり、そこの亀の上に鶴が(敦賀)降り立つのが瑞祥であり、長寿を表すとのことです。鶴亀遊ぶ。
そして、帰宅後ネットで調べると、琴ではなく「鼓が瀧」と書かれていまして、、私の知っている鼓が滝は、多田と、熊本岩戸公園近くの瀧になります。

以前、偶然北岡神社には参拝しましたが、朝早かったせいか、門が締まって中には入れずです。小高い丘であり、近くの地名は「呉服」でした。神木・夫婦楠木が入り口にあり、八の字に回るのが良いようなことが書かれていたと思います。三輪山や、美具久留御霊神社に関係するのですか?入り口に疫神社があった記憶があります。
京都八坂神社の疫神社は経基さんが祭祀しました。
茅の輪であり、「蘇民将来」ですね。






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丹波の国の氷香戸辺 (さくら)
2019-08-20 08:17:52
最初の美具久留御魂神社に訪問理由は、
「丹波の国の氷香戸辺」と「井光」が同一かどうかの感触を確かめるために訪れています。
二回目は、神功皇后の肖像画と多色の蛇の夢を見たのがきっかけで、訪れました。
その時は、三社詣り「恩智神社」「美具久留御魂神社」「建水分神社」と南河内の水分神として訪れました。
恩智神社は春日神であり、牛頭天王を祀りますので、元枚岡神社つまり、元春日大社となります。
つまり、春日氏奉祀の和邇神を祀っていることになると思います。
美具久留御玉神社に白雲宮があるのですが、
現在の祭神は神武天皇・南朝天皇 皇后です。
これが、建水分神社も、楠木正成、南朝天皇 皇后を祀ることと被る感じがしています。
ですので、恩智神社と美具久留御霊神社を繋ぐものは、和邇神ということになります。
美具久留御魂神社と建水分神社は、南朝を支えた楠木家の奉祀神、、水分神、、豊布都神、神蛇大王という事になるのかもしれません。
貴志の宮と言われています。
咸古神社にお祈りに行きましたが、「貴志の宮」の紹介チラシがありました。
私は、健軍神社の雨宮神社の御神体神水との感触を得たのですが、、形の相違によって、有るものが浮かび、、結論としています。

八尾の常世岐姫神→恩智神社→美具久留御魂神社→咸古神社→(春日神社・八大龍王神・三弁財天・雨宮神社)
恩智神社→ウサギの関連で、大三輪神社と春日大社、宇治平等院、宇治上神社

そして、
丹波の国の氷香戸辺と井光の検討でしたが、、
吉野の井比鹿ではないと、、思っています。
でも、冷たく凍る感じは似ているのです。鹿と言う字が入るのも丹波の出石の磯神かとも思うのですが、、
その代わり、御所市の長尾神社の水光姫は井光と同じとされていますが、この長尾の水光姫と丹波の国の氷香戸辺は同一と思っています。

それは、長尾神社に水光姫の井戸があるのですが、
石が乱雑にされていて、その石は丸く穿っていたり、筋が彫ってあったり、そして藤の枝が覆っていたとのことで、これは私の前に8月5日丑三時に顕れた水の光の和邇(輪)であり、富士、藤、不二を表す八の神霊の姿だと思えたからです。







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Unknown (ulala)
2019-08-20 10:24:33
美具久留御魂神社は、富田林の丘陵地にPL教団の平和の塔があり、その反対側東斜面に鎮座します。
南大阪で生まれ育って、8/1の花火大会はじめPL教団には関心あっても、反対側の貴志には全く無頓着でした。

それが初参拝に至ったのは、夢うつつで「わたしはみくる、ワカヒルメとして和歌山の山中深くに祀られる」と聞こえたのでした。
へぇ~「みくる」、ミルクと間違ったらあかんと思い、すぐに「みくる」で検索。
初音ミクと美具久留御魂神社がヒット。
「みぐくるみたま」なのに、私の中では「みくぐるみたま」と定借して間違えてしまうこと多々あり、困ったもんだと思ってました。
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記憶が蘇えってきました (さくら)
2019-08-21 18:11:11
すっかり、忘れていましたが、、
檜原神社は二回参拝しています。
山辺の道を二回歩いているのです。
高校2年の秋遠足(柿を食べた)と社会人3年目の有志春遠足(苺食べた)今から思うと池田市に縁のある会社仲間と私あわせて4人ですね。
山辺の道、最終は檜原神社参拝して終了だったと思います。拝殿の無い、山がご神体のところでした。
檜原神社の祭神は天照大神若御魂神ですね。
天照大御神と書いてしまいました。失礼しました。

ということは、この記事の二上山、北岡神社、美具久留御魂神社、檜原神社、全て参拝済みでした。
一回目の美具久留御魂神社参拝時は170号線からすっと、行けたのですが、、
二回目の時は、楠木正成の生誕地やら、千早赤阪村、カエル見たり、金剛山の麓をうろついて、建水分神社に参拝してから向かいました。そこでも、なかなかの神秘写真が撮れたのを覚えています。
で、其処から向かう際に、170号線ではなく、参道に真直ぐに正面から入る道を案内され、線路の踏切とか通って参道になりましたので、地図を見ますと、二回目は偶然、別宮、龍神社の横を通っていますね。しかし、その当時別宮に気づいたかどうか、覚えていないです。
その後、恩智神社に向かいました。

難波八坂神社と恩智神社が常世岐姫神社、別名八王子神社とゆかりがあったと思います。
この難波八坂神社は祇園牛頭天王を祀り、二つの紋ですので、北岡神社とのご縁もあるのかもしれないですね。
恩智神社に感応院と言って、母木がありまして、聖徳太子の伝説があります。
http://www12.plala.or.jp/HOUJI/otera-2/newpage164.htm
戸原様=河内の式内社=
http://www.y-tohara.com/naka-onchi.html

北岡神社は京都八坂神社・感神院で疫神社ですので、久と言う名前の付く摂社がきになりましたが、、
一番は「宮地嶽神社」が摂社で祀られていたことが、、
参拝時にいいなぁと思いました。
憧れの宮地嶽神社です。
この夏に「宮地嶽神社」に行きたいと思い、初めて公式HPを見たのですが、その時に、神職さん達が扇を持って、ダイナミックに舞っている写真があり、
いいね、いい感じよ(*^^*)これが、見たい(*'▽')
調べますと、平日ですので、一人で新幹線で行こうかとか、妄想してます。

私は、元伊勢、檜原神社に参拝していたこともすっかり、忘れるほどでしたが、最近訪れた
「何鹿神社」の事を詳しく調べますと、
丹波国何鹿郡 出石鹿[山石]部神社読み 古 イツシノカノイソヘ、近代所在地 京都府船井郡京丹波町曽根竿代29旧地名 丹波国何鹿
確かに、参道に小川が流れていて良い雰囲気でした。

出石の鹿の磯部で、こちらの氷香戸部の氷上町にも石部神社があり、、
宝賀寿男先生の「石部神」とは
http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/hitori/isibe1.htm
こうして見ると、石部神社及び石作神社の殆どが物部氏族と息長氏族に関連して説明できることになる。そして、石作神社の祭神は石作連の祖神・建真利根命であろうし、石部神社の祭神については、元来が特定の一神であるならば、物部・息長両氏族の共通の遠祖で、天石門別命(紀伊国造等の祖神・天手力男命とは別神)の別名ももつ天若日子(天津彦根命。天照御魂神の子)が原型ではなかったろうか。

と書かれていますが、まあ、まだよくわからないですね。ただ、富山の射水国の事と、石部菅生神社の事が気になりました。石部菅生神社は行く予定中。
氷上町は、石で水分嶺があるのですかね。
こちらも、少し調べてみたいと思いました。





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みくる、ワカヒルメ・・・? (すずたま)
2019-08-21 22:26:31
二上山は大津皇子にかかわる山として思い入れがあり、美具久留御魂神社とか深蛇大王とかずっと古い話で自分の理解できる範疇ではないと決め込んでいましたので、この記事も自分にはお呼びではないテーマでした。
ただ、以前からみぐくるは「水くぐる」だろうか、と勝手に思って、勝手に次の歌と関連付けてみていました。
「ちはやふる 神代もきかず 竜田川 からくれないに 水くくるとは」。
なにか巫女が水に潜るような祭祀があったのだろうか、と。その後、牛を屠る祭祀というものが脳裏に入り込んできてあまり目に浮かべたくない光景を思い浮かべてしまったりとかしていました。
でも今回、ulala様の「みくる、ワカヒルメ」が頭に響きわたってしまって・・・

ワカヒルメはアマテラス(=大日霊女)の妹神とか、大日霊女の幼名とかの説がある一方、丹生都比賣神社(和歌山県伊都郡かつらぎ町)では、祭神・丹生都比賣大神(水神・水銀鉱床の神)の別名が稚日女尊である、とあります。

アマテラスの妹神では、からくれないの意味が不明ですが、丹生都比賣なら、からくれない=辰砂の朱色、となるのです。(おまけに深蛇大王に辰砂大王を連想してしまったりして(*´з`))。でもそれでは水クグルが行方不明に?・・・いや、よく読むと水神・水銀鉱床の神と書いてありますから、水神でもあるのですね。
すると、ワカヒルメは水神であり、からくれないの神・・・?
記事の内容がほとんど読み込めてないままの、とんちんかんな書き込みでしたら申し訳ありません。

それにしても「山河之水泳御魂」って、とてもいいですね、好きな言葉が増えました。
返信する
吉田一氣 (ulalaさまへの返信)
2019-08-22 02:20:09
コメントありがとうございます。
2011年の8月にこの神社についてのulalaさまブログを
読ませていただいてからちょうど8年が経過しましたが
やっと遅ればせながら参拝出来ました。
以前の記事では丹後の真名井神社との類似性について
指摘させていただきましたが、
今回は檜原神社との相関について記載しています。
これは全く別のアプローチからたどり着きましたが
檜原神社も真名井神社も天照大神を祭祀する
元伊勢という関係にあります。
私にとっては今回やっと美具久留御魂神社の記事を
書かせていただいてそこのulalaさまのコメントから
瓢箪から駒を得た思いです。
夢に見たという「わたしはみくる、ワカヒルメとして
和歌山の山中深くに祀られる」
という話を私が聞くのは初めてでしょうか?
当時の私には分かり得ないのですが、
このワカヒルメが今自分がテーマとしている呉音神と
大きく繋がっていると考えていて
ずっと調べているところなのです。
ワカヒルメは天照大神と最も近い存在ですが
機織りの神霊であるところから
呉系の姬氏がもたらしたと私が信じるところの
養蚕と機織りを司る神霊ではないかと思っています。
たぶん呉系姬氏の巫女なんだろうと判断しています。
紀の國の紀はもともと姬氏の國という話も信憑性があり
この紀の國は素戔嗚尊と五十猛神に征服されてしまい
姬の国は木の國になり五十猛神は木の神様となりますが
呉系の姬氏の巫女のワカヒルメは姬の国紀伊半島に
封印されているのではないかと感じていました。
その候補が玉置神社とか
あるいは八大龍王姫松明神あたりです。
ulalaさまの夢通りに「みくる」であるなら
やはり河川が必須のようにも思われます。
とにかく私にとって有難く興味深い話です。

返信する
吉田一氣 (すずたま様への返信)
2019-08-22 10:29:46
なるほど空海が感応した丹生都比賣大神ですか。
紀伊国一宮は丹生都比売神社ですね。
考えてみると以前参拝した際は少彦名神との関係の調査でしたので
ワカヒルメとの関係性など頭になかったので
その関係性が全く考察出来ていませんでした。
志摩地方であれば伊射波神社が二礼四拍手一拝で封印された神社ということもあり
私的にはワカヒルメ祭祀でとても気になる神社なのですが、
和歌山ではなく三重ですから候補から外れますね。
返信する
丹生都比売神社 (ulala)
2019-08-22 10:52:07
和歌山の山中深くに祀られるワカヒルメ、ということで丹生都比売神社に2回参拝しました。
とても心惹かれるところでした。
拙ブログでブログ内検索していただかれば参拝記録がヒットします。
そちらで賜ったキーホルダは今でも愛用しています。

ここ一年いろいろ体調わるかったり気になる箇所でてきて、加齢によるものだと思って我慢してました。
あるときブロ友めねふねさんから「もっとワカヒルメを信じたよっていいと思いますよ」とアドバイスもらいました。
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