吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

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毘沙門天の海若と鬼瓦とキールティムカ No340

2013-01-14 23:19:33 | 神霊界考察
兜跋毘沙門天の腰のベルトの顔は海若であると
『毘沙門天の謎 No333』の記事で記載したが
実は四天王には胸部分にも顔があるものがある。
これらを含めて「キールティムカ」とする説がある。
キールティムカはインドを中心に広がったらしいが
中国の鬼瓦の原型だと考えられている。

大宰府の毘沙門天のキールティムカ

写真を拡大して見て頂ければ分かるとおり
胸の部分の顔と腰ベルトの顔は別人のものと分かる。
そして確かに胸の顔はキールティムカであろう。

そういえば以前メデューサと鬼瓦の関係について
『麻の葉六角紋から八角紋への展開 No301』で考察したことがあったが、
鬼瓦を初めて日本にもたらした人物は空海だと考えている。
空海は中国の青龍寺で恵果より密教を学んでいるが
この青龍寺の鬼瓦は「キールティムカ」由来のようにみえる。
それは口から何かを産み出している特徴にある。
青龍寺の鬼瓦は「フェストゥーン=花綱」を口から出している。
空海が学んだ青龍寺の鬼瓦


フェストゥーンを口から出すキールティムカ


さて問題はこのキールティムカがナーガをコントロールしている存在にあることにある。
最上部のキールティムカとナーガ

実はキールティムカの起源を遡るとメデューサに繋がるという話もある。
つまり水の女神⇒メデューサ⇒キールティムカ⇒鬼瓦という流れだ。
前回、兜跋毘沙門天には土の要素に水の要素が入り組んでいると話したが
その傍証ともなろう。

そもそもメデューサを見ると石になるというのは、
土の要素である。
生物は土の中で炭化石化して化石になるが、
古代人も恐竜の化石を発見していたのだろう。
蛇が竜化するのは恐竜の化石を見つけ出したからと考えると
納得できる。




PS.今回びっくりしたのが「花綱」の画像検索で
再び『忘れへんうちに ほしがらす様ブログ』が一発目でヒットしたことだ。
『花綱を担ぐ童子はローマ? 』
実は前回の『麻の葉六角紋から八角紋への展開 No301』でも
「不思議なことに再び 忘れへんうちに ほしがらす様ブログがヒットした」と記載している。
この偶然は鳥肌ものだ。

※ フェストゥーン【festoon】
花,枝葉,果実,穀物等を帯状布で巻き,
2点間に緩やかにつり下げた形を示す装飾。
懸華(けんか)装飾,花綱(はなづな)装飾ともいう。
石,スタッコ,ないしブロンズのレリーフ(浮彫),および絵として表され,
主として古典様式建築のフリーズfrieze(水平装飾部材)
または墓碑等に荘重感と記念性を強めるために用いられる。
festa(〈祝祭〉の意)と同根の語で,
祝祭用の花綱がヘレニズム時代の祭壇,
神殿の装飾に転用され,ローマ時代に一般化した。



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1 コメント

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海より生まれる (はいせ)
2021-03-27 21:13:19
キールティムカは顔と手で表現されるそうですが、縄文の井戸尻遺跡などから発掘された人面深鉢なども顔と手だけが表現されています。

自分のへっぽこ感応に従って、太古の蛇を探る旅に行ってきました。
図らずもイツキヤマト大神・ハミト大神・ハズキ大神を紹介する旅になりました。
1日目:三輪(檜原神社⇒おかみ神社⇒狭井神社⇒三輪山登拝⇒狭井神社⇒久延彦神社)、和邇下神社
三輪山は足元に蛇神?さまの脈動をはっきり感じます。在家のお坊さんらしき方が「頭の上で渦を感じられるよ~」と登拝前におっしゃっていたのを聞いたのですが、頭の上・・・?足元ですけど・・・?
2日目:西宮(神呪寺⇒甲山登拝⇒鷲林寺⇒越木岩神社)
大雨でしたが、甲山の頂上で玉を捧げた時だけ雨が止んで太陽が顔を出しました。粋な演出でした。その後、霧で真っ白になりましたが、何とか下山。甲山からは弥生時代の青銅の矛が発掘されているそうです。
3日目:琵琶湖(天孫神社⇒長等神社⇒三尾神社)、名古屋(柳里神社⇒白龍神社)
比叡山に行く予定が地下鉄でアスクレピオスの杖と放射円のマークを付けたジャケットを着た人と乗り合わせた為、今回は蛇だわ~と思って大津に行きました。事前に眼の話をコメントしていましたが、湖に海神族が眼を投げ込まれるのは世界共通なのでしょうか?俄然、眼を取り戻してあげたくなりました。
4日目:諏訪(井戸尻遺跡)
諏訪湖越しに富士山がよく見えた途端に、諏訪大社に行く気が失せ、何故か井戸尻遺跡に。こちらは、遠州や多摩川の辺りからやってきた縄文人の遺跡だそうです。海人族ですね。富士山を右目に諏訪湖を左目に見立てていたそうで、双眼土器の右目は貫通しており、左目は埋まっています。すごい創造力と高い文化性です。駅から遺跡まで下っていくのですが、突然目の前が開けて富士山が見えます。その光景から外輪と共に海から富士山が出来上がったイメージが来たのです。不思議でしたが、俄然、親近感が湧きましたね。流石に博物館で数千の縄文器機に囲まれた時は本能的な怖さを感じましたが、5000年の時を経て富士山を見ていたんだな~と思ったら怖さも吹き飛びます。

大地母神にアクセスしようとすると海神や水の女神のイメージが来て不思議でしたが、縄文の頃から大地や火山も海から生まれるということがわかっていたんだな~。私のへっぽこ感応もなかなかやるな・・・と思ったのでした。
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