宇佐神宮には相当数参拝しているのだが
この呉橋に興味が沸いたのは初めてだ。
というのも正面と思っていた大駐車場側から大参道に入ると
呉橋は西の外れに位置するので
あまり足を向けることのない位置になるからだ。
しかしこの呉橋側からの参道が本当は意味を持つのかもしれない。
この西参道が昭和初期までは表参道であり、
朝廷より派遣された宇佐使と呼ばれる勅使が通ったため
勅使街道とも呼ばれていたというようなことも今回初めて知った。
屋根の流れを見るとヌメッとしたカーブを描いているが
確かに呉人の象徴トーテムのカタツムリ的だと思った。
是非写真を拡大してその意味を目視で理解してほしい。
宇佐神宮では唯一この橋にのみ呉の名前が残っている。
ちなみに香春では地名の香春町鏡山呉や小呉や
バスの経路の香春(呉)線や呉ダム等
まだ呉という言葉がいくつも残っていた。
さて宇佐神宮周辺の地図を見ると
参道は呉橋側の方が長い事が判る。
どうもこの参道が指し示す先に意味がありそうだ。
現在の本宮は小涼山=亀山という古墳上にあるのだが
指し示す先は大尾山となっている。
『宇佐神宮ガイドマップ』を見た同行の巫覡が
大尾神社に行きたいと言っていたので回ってみることにした。
大尾神社手前には護皇神社がある。
和気清麻呂を祭祀している。
宇佐八幡宮神託事件の現場は
この時代にこの大尾山にあった宇佐神宮で起こったらしい。
参拝時の感想は一言では言い表せない。
審神で自身の霊的感応は取り敢えずはねのけてはいるが
真偽を抜きに記載すると
護皇神社はもともと鉄祭祀の呉王神社であったという。
呉音霊を呉音神として祭祀するには最適な場所なのかもしれない。
どうも呉音霊は吉備で封印されているようだ。
封印には和気清麻呂の一族が絡んでいるように思う。
以前から記載しているが景行朝に
吉備津彦命の子三井根子命が葦北国造に任じられて
その子供が刑部靱負阿利斯登で
孫が日羅=将軍地蔵となっている。
吉田一氣は八代の八大龍王神の信仰で繋がりがあるのだが
呉音霊の祭祀はそれとは別に葦北の矢城山祭祀で
出てきた古い龍神に導かれている。
そもそもなぜ矢城山祭祀を執り行ったのかというと
健軍神社の御神霊に導かれてその摂社の祭祀をすることを約束したからなのだが
健軍神社の矢城神社はその神業途中に摂社として創られた謎の神社である。
一度この辺りの神霊背景を整理しないといけないのだが
今回の神業は健軍神社の御神霊に機は熟したと
背中を押されていることは間違いない。
この吉備の件については
禮月さまが『角を奪われた河童?』
2015-07-30 16:10:13
で以下のようなコメントを残されている。
奪われた河童の角は、製鉄技術技術と製鉄に必要なインフラの事かな?と思います。
また「角」は武器も連想させるので、武力も削がれたのでしょうか?
その武力を削いだのは誰でしょう・・・
私は、もう一つの製鉄王国である吉備と、
鬼から財宝を奪った桃太郎(吉備津彦)の存在を思い出しました。
吉備津彦が闘った鬼のモデルは百済からやって来た高度な製鉄技術を持つ
「温羅(ウラ・オヌラ)」と言われています。
温羅も頭に角があり、蚩尤との外見的な共通点があります。
只ここで一つ問題が生じます。
河童(呉人)から角(製鉄技術とインフラ)を奪ったのが、
吉備津彦と温羅のどちらなのか?という事です。
前者の場合は、河童=温羅となり、辛国息長大姫の一族が吉備津彦に打ち負かされた事になります。
ところが後者の場合は、呉人と百済人との間に戦争が起きて
百済が呉から製鉄技術や設備を奪います。
吉備津彦は百済から製鉄技術を奪う訳ですから吉備と呉人との関係が複雑になります。
以上
この件に関して
吉備津彦は百済から製鉄技術を奪ったのではなく
呉人から奪ったものと思います。
この呉橋に興味が沸いたのは初めてだ。
というのも正面と思っていた大駐車場側から大参道に入ると
呉橋は西の外れに位置するので
あまり足を向けることのない位置になるからだ。
しかしこの呉橋側からの参道が本当は意味を持つのかもしれない。
この西参道が昭和初期までは表参道であり、
朝廷より派遣された宇佐使と呼ばれる勅使が通ったため
勅使街道とも呼ばれていたというようなことも今回初めて知った。
屋根の流れを見るとヌメッとしたカーブを描いているが
確かに呉人の象徴トーテムのカタツムリ的だと思った。
是非写真を拡大してその意味を目視で理解してほしい。
宇佐神宮では唯一この橋にのみ呉の名前が残っている。
ちなみに香春では地名の香春町鏡山呉や小呉や
バスの経路の香春(呉)線や呉ダム等
まだ呉という言葉がいくつも残っていた。
さて宇佐神宮周辺の地図を見ると
参道は呉橋側の方が長い事が判る。
どうもこの参道が指し示す先に意味がありそうだ。
現在の本宮は小涼山=亀山という古墳上にあるのだが
指し示す先は大尾山となっている。
『宇佐神宮ガイドマップ』を見た同行の巫覡が
大尾神社に行きたいと言っていたので回ってみることにした。
大尾神社手前には護皇神社がある。
和気清麻呂を祭祀している。
宇佐八幡宮神託事件の現場は
この時代にこの大尾山にあった宇佐神宮で起こったらしい。
参拝時の感想は一言では言い表せない。
審神で自身の霊的感応は取り敢えずはねのけてはいるが
真偽を抜きに記載すると
護皇神社はもともと鉄祭祀の呉王神社であったという。
呉音霊を呉音神として祭祀するには最適な場所なのかもしれない。
どうも呉音霊は吉備で封印されているようだ。
封印には和気清麻呂の一族が絡んでいるように思う。
以前から記載しているが景行朝に
吉備津彦命の子三井根子命が葦北国造に任じられて
その子供が刑部靱負阿利斯登で
孫が日羅=将軍地蔵となっている。
吉田一氣は八代の八大龍王神の信仰で繋がりがあるのだが
呉音霊の祭祀はそれとは別に葦北の矢城山祭祀で
出てきた古い龍神に導かれている。
そもそもなぜ矢城山祭祀を執り行ったのかというと
健軍神社の御神霊に導かれてその摂社の祭祀をすることを約束したからなのだが
健軍神社の矢城神社はその神業途中に摂社として創られた謎の神社である。
一度この辺りの神霊背景を整理しないといけないのだが
今回の神業は健軍神社の御神霊に機は熟したと
背中を押されていることは間違いない。
この吉備の件については
禮月さまが『角を奪われた河童?』
2015-07-30 16:10:13
で以下のようなコメントを残されている。
奪われた河童の角は、製鉄技術技術と製鉄に必要なインフラの事かな?と思います。
また「角」は武器も連想させるので、武力も削がれたのでしょうか?
その武力を削いだのは誰でしょう・・・
私は、もう一つの製鉄王国である吉備と、
鬼から財宝を奪った桃太郎(吉備津彦)の存在を思い出しました。
吉備津彦が闘った鬼のモデルは百済からやって来た高度な製鉄技術を持つ
「温羅(ウラ・オヌラ)」と言われています。
温羅も頭に角があり、蚩尤との外見的な共通点があります。
只ここで一つ問題が生じます。
河童(呉人)から角(製鉄技術とインフラ)を奪ったのが、
吉備津彦と温羅のどちらなのか?という事です。
前者の場合は、河童=温羅となり、辛国息長大姫の一族が吉備津彦に打ち負かされた事になります。
ところが後者の場合は、呉人と百済人との間に戦争が起きて
百済が呉から製鉄技術や設備を奪います。
吉備津彦は百済から製鉄技術を奪う訳ですから吉備と呉人との関係が複雑になります。
以上
この件に関して
吉備津彦は百済から製鉄技術を奪ったのではなく
呉人から奪ったものと思います。
大昔、スイスのルツェルンという地の屋根付き橋に似てるってどこかでコメントしたことがありますがこちらだったかなあ?今回の記事の写真が呉橋なのであれば似ているなあって思います。歴史のある木造の橋で湖の上にあります。
地形や池の配置を考えると川を渡る橋でありまた池や水場の上に渡した橋が大事な場所への軌跡にのるというのも、今の神社の作りから考えると大事な変えられいポリシーのように感じます。
おっしゃる通り、あんな立派な橋があるのならその延長上の大事な二点がありまたその間の水辺があるというのは地形的にも一番先に考える事ですね。水での禊も今でも大事ですから。そう私の中で橋姫と読んでいる方がいまして銅の姫なんです。水と橋と銅は、擬宝珠からも木を守る銅という効果でも切り離せませんね。いちいがしの並木がもう一方の橋の方だったのであら~と思いましたが呉橋の軌道上の楠といちいがしあるんでほっとしました。
また昨日奥出雲で地震ありましたから製鉄で、神託事件の方、そして吉備というのもタイミング的にもぴったりです。
吉備津彦は猿田彦のイメージでどうしてもみてしまうんですよね。呉人から製鉄を奪うのに関わってしまう。そうかお父さんと考えるといいのかなあ?温羅さんが息子だったらどうなんだろう?阿曽姫って温羅さんと関わってたような?母としたら息子と母に対する父との争い?
で俯瞰的にみれば、ここに関わる一族全滅させる二段階作戦のようにも。吉備津彦さんも温羅さんも地元で人気もありますし。奈良の葛城さんたちと同じ手法でやられてるようにも。
温羅さんは巫女と組んでいる以上銅の方であり、また吉備津彦さんは武力のDNAを持っている鉄の方なのでは?
そうだ、これってさるかに合戦では?
東京では日本昔ばなしを子供番組で日曜にやっています。昨日やっていました。禮月様が母がやられるとか言ってましたがストーリーも頭の中からすぐ消えてまた次の情報スペース空ける為かすぐ忘れちゃうこの頭なので。
そうその中で柿を投げつけられてお母さんが亡くなるんですね。猿は吉備津彦、蟹は温羅、母蟹は阿曽姫?私の中ではそんなイメージです。番組は興味深かったのですが忙しい日だったのでじっくり観れませんでしたがそこだけ頭に入ってきました。そうその後のもう一話が牛鬼のタイトルでした、超かぶりつきかたったですが出かける前準備で無理でした。なので今後調べようかとは思ってます。
そうそれと先ほどTVで申年の話題年賀状での昔からのたしなみみたいなもので申年には稲妻がいいとか?またラーメンのザラの模様で四角の渦左右の渦を並べた模様もいいようです。なにか意味ありそうですね。猿田彦と雷神は関係あるのでしょうか?私の中の吉備津彦と温羅、さるとかにイメージがかぶってきました。風神と雷神はセットがいいとか?かな。
そうその中で司会の設楽さんが秩父(有名な織物あるようです)で織物に関係がある一族で、コメンテーターがスウェーデンの血のある方というのも深読みしましたね。4333、4980、4と8出た!
牛の頭、鬼の身体、角もあるそうだし、毒も吐く。また昆虫の羽を身体に持つとか?銅にも関わる!?
大昔そういう一族が各地にいてそして各地で妖怪とされている可能性も、神功皇后とも八つの頭?バラバラに?
かなり興味深いですね。
牛鬼は呉音霊の怒れる姿のごとく思えてしまいます。
牛窓神社では、この地で天皇を亡くした神巧が男装して三韓征伐に出かけた地とされています。
男装ではなくて、ある男性(吉備津彦勢力?)が、三韓征伐ではなくて国内の征伐に出発したのではないでしょうか?呉系殲滅のために。
西大寺観音院の龍宮門型の石門真ん前から、かつての永安橋は豊原角神社に向けてかかっていました。その袂に今は無い我がボロ家はありました。永安橋は今は無く、もっと下流に架け替えられています。
祭神・比売碁曾神
近くに鬼(き)の城があります。
また備前には春日神社・八幡神社その他の名で、姫大神・比売大神を祭神とする神社がたくさんあります。
そのひとつ幸地山神社は岡山市東区邑久郷にありますが、わが西大寺より吉井川沿岸の少し上流にあり、隣がなんと太伯郷です。
今読んでいる丸谷憲二という学者さんのHPでこれらの情報にふれているところですが、この方は、総社市の姫社神社の祭神は「周文王姫氏」であり、呉からの渡来人である姫氏の記録を消すために比売語曾神を祭神名にしている、と言っています。
(比売語曾神:都怒我阿羅斯等の妻・白石から生まれた童女~書紀)
(比売碁曾神:天之日矛の妻・阿加流比売・赤玉が女になる~古事記)
この方のHPには西大寺観音院について興味深いこtがたくさん書かれているので、じっくり読むつもりです。
牛鬼については現地に行っていないのですが
とりあえず記事を書こうとしていました。
ところがWikipediaの牛鬼の項目の
東京都墨田区の牛島神社の撫で牛の写真を見て
筆が止まってしまいました。
あの牛の頭の紋章というか皿というかトンスラというかは
何でしょう?
牛鬼は呉霊の残滓だと感じられます。
私にとっての鬼門の岡山には
近々行かなければ
ならないと痛感しています。
表情、口元などとてもよくできており、半端な人が造ったのでなさそうです。
私は角が水牛系の月型でなく、羊っぽいのに目が止まりました。
エジプトの「羊頭のスフィンクス」に似ています。それこそ筆が止まってしまいます。
https://amanaimages.com/info/infoRM.aspx?SearchKey=02248000196&GroupCD=0&no=
そういえば口元も、羊っぽい??
身体は牛だけど。
岡山は鬼門なのですか?
岡山で封印されているのでしょうか?
(丸谷憲二氏のHPでは、何と崇神天皇が備前にいたというのですが???)
撫で牛
http://bambeena.blog.fc2.com/img/20150903001621200.jpg/
水牛
http://doubutsuiine.tank.jp/iine/wp-content/uploads/2013/01/buvol-arni-1-560x396.jpg
牛
http://nge.jp/2015/02/22/post-96511
羊
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/33/Finnsheep_ram_close-up.jpg
牛が羊にすり替わるのは、遊牧系という説もありますが。
画像の貼り付けがうまくいかずすみません。
伽耶琴(カヤグム)を半島に伝えたのは、遊牧民族だという説があります。
それがわかるのは、古い伽耶琴の頭部が羊の角型だからだそうです。
http://web.fc2.com/jump/?url=http://achikochitazusaete.web.fc2.com/tabiachikochi/korea/koryon/uroku71.jpg
「パミールを出発した河童」のうち、長い間ユーラシアで遊牧していたグループがあるのでしょうか。
青蔵高原から左回りでエジプトまで行ったグループがあることは、ナルメルの鯰でもわかりますが。
右回りで半島に行ったのは伽耶琴になっているでしょうか。
苗族の牛は、遊牧民族では羊にすり替わっていったのでしょうか?
洛陽の洛は遊牧系を表すという説もあります。
周の平王は洛陽に遷都して東周を興します。
平氏の紋は蝶々ですが、エジプトのアテフ冠(頭上に2枚の羽を掲げる)に由来すると言っている人がいますが?(エフライム工房氏)
撫で牛は、どういうはるかな道を通ってきたのでしょうか?
パミールの河童が祖であることは確かなように思えます、河童頭ですからね。
なでなでしたことありますし、お世話にもなっています。そう羊との関係も気になりますね。群馬も羊になってると思います。
スカイツリーは心柱構造、作るべきだったのでしょう。9864
来年は本祭りで本物の黒牛がくるはずです。
若宮は多分日向系がいるのでは?と思っています。なるほどこのままの流れで邪魔きても進んでよさそうですね。命取られない程度で。
吉備津彦は良い方に解釈したいけど確かに一般的にはグレーですよね。私も倉吉から岡山への水運等でかなり気になっています。もちろん両方いるので怖い所ですがなぜかそちらへいってしまいます。9864いい数字
牛や羊をトーテムにしていた呉人は星読みの一族だったのではないか?と思うのです。かなり高度な天文学の知識があった筈です。
牛窓神社の牛鬼を、神功皇后らが成敗した話ですが、私はこの神功皇后とは忍坂大仲姫や息長足帯姫などではなく、武則天や藤原不比等(李史)らの事ではないか?と思います。呉人の血が濃い忍坂大仲姫や息長足帯姫が同じ呉人を倒すのはちょっと考えにくいからです。特に息長足帯姫の場合は新羅建国者の一人の昔脱解の子孫です。だから尚更彼女が生きていた時代に、昔朝の新羅と戦うのはおかしな話だと思うのですが。
ただ、忍坂大仲姫が金官伽耶の女王だった場合、金官伽耶は新羅・百済・高句麗とは仲が悪かったのでこの三国との戦争は考えられますが、吉備の牛鬼と呼ばれた呉人一派と仲が悪かったかどうか迄は判りません。
また姫氏も同族争いの極めて多かった一族なので、何とも言えませんね。南回りと北回りの海系と山系呉人同士の争いもありましたし。
1301
1096(十字軍遠征開始の年です)