吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

FC2BBSから移動しようと目論んでいます。
http://reyline.web.fc2.com/index.htm

香春の呉音霊の足跡は国東半島の姫島から何処へ No434

2016-05-11 10:04:43 | 神霊界考察
香春の呉音霊との邂逅については
『呉音霊を考える No402』のブログ記事で記載したように
白山権現姫神社が起動したことをスタートとしている。
しかしそのことを知ったのは10年後である。
現実的には菊池の八大龍王神社からの帰りに
菊理媛神と菊池との関係を考察していて
『きくりひめ』と呼ぶか『くくりひめ』と呼ぶか
『きくち』と呼ぶか『くくち』と呼ぶかを
音読検証していて呉音霊の感応に繋がったのが最初である。
その時の記事で「神霊界的には呉音で呼ぶか漢音で呼ぶかで
全く別の神霊界に繋がる場合があるので要注意である。」
と記載したのはそういう理由による。

この呉音霊の導きにより白山権現姫神社の働きを
理解したという経緯となっている。

おおまかにはこういう流れなのだが
バックボーンとしては
『宇佐の呉橋を彷徨う呉音霊は懐かしみ通り抜けるのか? No419』
で記載したように
「呉音霊の祭祀は葦北の矢城山祭祀で出てきた古い龍神に導かれている。」
この龍神がどういう来歴の龍体なのかは
今からの詳細解明が必要だが
筆者HPの『加藤清正公と八大龍王神』
初筆となっている。
矢城=八城=八代であり矢城=八木=八岐でもある。
土地の龍体としては八代の八竜山 竜峰山 竜ヶ峰などの龍の名前に
つながる龍体だと考えているがまだ確証は得ていない。
広島の友人でもある巫覡とともに矢城山祭祀を執り行ったのが
2014年7月27日のことだった。
その後8月になって友人は熊本からの帰りに
広島の太田川上流の湯の山明神(湯の山温泉の)に参拝して
大朝鳴滝温泉に泊っているのだが、
その時以来大雨となり
とうとう3日後に太田川の下流の広島市安佐南の八木で
大雨による山津波が発生して死者74人の大災害となっている。
もともと広島市安佐南区の八木は
香川景光が13世紀に地頭職となり、
現在の城山(八木5丁目)に八木城を築いたことが始まりのようだ。
天文元年中迫に大蛇が顕れて
香川勝雄がこれを殺したとする伝承がある。
斬った蛇の首が飛んで落ちた場所に、
沼が出来て蛇王池といわれたが、今は田畦となったと伝えられる。
山中に龍王3社があり、その大蛇の頭胴尾を3つに分けて祀る。
この宮に雨乞いすれば必ず雨があるという。
ただ「八木蛇落地悪谷」の名前は
古い時代の山津波被害から付けられて
それで上記伝承が生まれたものかもしれない。
余談だが筆者と友人は8月に広島の八岐大蛇伝承地を参拝する予定だった。
ところが私が8万円を入れた財布を紛失してしまい
この話は流れてしまう。
『広島の少彦名神を祭る着天神社 No136』の記事の安芸太田町加計から
広島市まで太田川に沿って南下したことがあったが
八岐大蛇の神霊の荒ぶる氣が強いと感じていたからだ。

今この記事を読むと産鉄地域という事であり
もしかすると呉音霊との繋がりもあるのかもしれないと思う。


さて今回の本題になるが
『香春の呉音霊 No403』のブログに記載しているように呉音霊の足取りは
国東半島の姫島の比売語曽神社とは
語曽=呉楚で中国呉楚の姫氏ということを
意味しているというところまでとなっている。
それ以降の流れとしては広島の呉(呉音のくれ)に足跡があるが
それ以降の足跡を見いだせていなかった。

本日すずたま様紹介の菊池氏についてのブログを読んでいて
再びヒントを戴くことが出来た。
この件については筆者次ブログで考察していきたい。

ところで白山権現姫神社と西原村河原の白山姫神社についてのみ
ということでお願いしたいが
この白山は『日本における呉の太白の祭祀 No429』
で示す諸塚太白山大司大明神社と同じく
太白山=呉太伯からきている。
そして姫は呉太伯が偉大なる姫氏ということを指し示している。











コメント (10)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 亀趺は贔屓で兄弟の椒図は海... | トップ | 緊急 西原村の白山姫神社 ... »
最新の画像もっと見る

10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
パミールの白山 (すずたま)
2016-05-12 19:34:27
>白山権現姫神社と西原村河原の白山姫神社についてのみということでお願いしたいが

とは、「諸塚太白山大司大明神社と同じく太白山=呉太伯からきている」のはこの2社のみという意味なのでしょうか?
しかも白山姫の「姫」もまた姫氏(=呉太伯)のこと、と?

私は漠然と普通の白山信仰における白山とか白山姫とか白山権現とかククリ姫とか十一面観音とか…と思っていたのですが。といっても、そもそも「普通の白山信仰」というものが何なのかさっぱりわかってないのですけど。わからないまま気になり続けてきました。
ただ、正直言うと何となく怖いものもあると、うすうす感じてもいました。白山信仰を打ち出す例えば霊能者とか精神世界系の人に、独特の暗さを感じます。「裏神仙界」っぽいというか?
何かこの2社と諸塚太白山大司大明神社とは、それらいわゆる白山信仰と区別しなければならないものがあるのでしょうか?

それと、最近どこかで「パミールからきた河童」ということをおっしゃっていましたね?パミールって突然出てきたような気がするのですが、以前から触れておられたかどうか全部の記事をつぶさに読み込んでいないので失礼申し上げているでしょうか?ヒマラヤはおっしゃっていましたから、近いわけではあるのですが。
私は、ごく単純に、ビジュアルに、パミール高原あたりが大好きです。世界で一番行ってみたいところかもしれません。白い山々の連なりと、そこを水源とする河や湖、乾いた土地・・・今画像集見ていたら、ため息でてきました。魂の源郷かとおもうくらいです。(あの翠色の川や池もあって・・・玉の原産地。玉~カシュ~翡翠の色。)

呉の太伯のルーツもパミールあたりなのですか?
不思議なことに、たった今気が付きましたが、パミール~呉の太伯と関連付けて白山姫ということを考えると、あの独特の暗さが無いです。晴れ晴れ!です。
そのへんが、もしかして吉田様が「いわゆる白山姫」について今は明言されない何かがあるのでしょうか?
あのよくわからない独特の裏っぽい匂いのない無い白山姫ならば、私も西原村の白山姫神社により想いを集中しやすくなる気が、今してきました。

菊池肇氏のホームページ読み返しましたが、いろいろと興味深いものがあります。
菊池氏嫡流はまさに句呉の民でしょうね?
返信する
吉田一気 (すずたま様への返信)
2016-05-13 00:58:39
鋭い指摘ですね。
実は『阿蘇国造神社 鯰社参拝 No424』
http://blog.goo.ne.jp/yoshi_iltuki/e/5c93a254e5a188e5378ce66560cb95b2/
でチベットの三江源が日本の縄文人の源流となっている
と記載していますが
このチベットの西にパミール高原があります。

八代と球磨の河童伝承では
いまは昔、河童の先祖はパミール山地の一渓水、
支那大陸の最奥、
中央アジア新琵省タクラマカン砂漠を流れる
ヤルカンド川の源流に住んでいました。
寒さと食糧不定のため、
河童たちは二隊に分かれて大移動を開始しました。
一隊は頭目貘斉坊(ばくさいぼう)に率いられて
中央ヨーロッパ、ハンガリーの首都フタペストに到着し、
この地に棲息しました。
頭目九千坊は、瑞穂の国日本をめざし
部下をひきつれて黄河を下り黄海へ出ました。
そして泳ぎついたところは九州の八代の浜です。
仁徳天皇の時代、今からざっと干六百年の昔です。
九千坊一族は、球磨川を安住の地と定めました。
となっています。
それで「パミールからきた河童」という記載となった訳です。

呉音霊がからんだ白山神社2社は
白山=太白山=呉太伯=姫氏だと思っていますが
他の白山神社に対して私が知る情報としては
呉音霊がからんでいないので
今のところは上記表現となります。
『香春の呉音霊の足跡は国東半島の姫島から何処へ』で
新展開がありますので今後は増えていくかもしれません。

白山信仰は秦泰澄が確立したものです。
秦氏です。
同じく秦氏創設の松尾大社 伏見稲荷社は
それ以前の古い信仰を下敷きとしています。
従って白山信仰も同じ構造の可能性があります。




返信する
広島 太田川 (さくら)
2019-02-17 21:36:59
2018年5月頃に、島根で震度5ぐらいの地震が起きて、島根大田地区の神社の鳥居が倒壊したと思うのですが、
その時に、広島の太田川の下流域の神社に呼ばれていました。
緊急でしたので、新幹線で行く予定で調べていたのですが、喧嘩を吹っかけられまして、拗ねて行かなかったのです。
その後、豪雨が起こり、非常に心が痛み八芒星祈願を決行しました。

漸く、この大田川下流域の神社に行きました。
広島の最古社のようで、二葉山がご神体ですね。
私が呼ばれたヤシロは、分靈されていて、ぽつんと、小さな祠があるだけでした。両側に、白梅が咲いており、立派な蜜柑の木もありました。
蜜柑の実をもらって、家の庭に埋めようとしていましたら、歴史研究家のようなおじさまたちが3人来られ、ここはどうたらこうたら、仲間内のお話しをしていて、私は県外の人間ですので、遠慮して、そのまま引き上げました。
その後、この記事にに書かれている、大朝鳴滝温泉を楽しみに向かいましたが、積雪のある中、本日休業と書かれた、札が垂れさがり、温泉はお預けになりました。近くに、竜山八幡神社などがあり、その大朝鳴滝温泉の看板も、リアルな龍の絵が描かれていました。
なかなかの野趣あふれる温泉のような感じです。
このまま、引き下がるのも、悔しいので、1ギガしかないスマホで検索して、「龍温泉」と言うのを見つけ、千代田と言う場所になります。
そこに、向かいました。名水の里とか書かれていて、確かに水がおいしいのです。臭みも何もない、、
そして、その温泉のあるホテルに着くと、いきなり「神楽」の案内があり、どうも、ここは奥出雲に相当して、「八岐大蛇」の本番のような場所です。料理のメニューにも、激辛の「おろち」麺とかあって、オロチ?
神楽の看板も、どうみても、「妖怪」やし。
まさか、3月に行くつもりが
この時点で「八岐大蛇」に呼ばれるのか、、、と困惑しました。
神楽がビデオ上映していたのですが、「大江山」と「塵輪」でした。
勘弁してー。
他の演目には、「土蜘蛛」「八岐大蛇」などあります。
そして、広島の歴史という本があり、パラパラと見ていると、須弥山の「弥山」にいるのは、摩多鬼神だと書かれていて、オドロキでした。



返信する
後学の為に (さくら)
2019-02-18 12:49:49
どうも、関東の事象とも呼応しており、
ラスボスとなるのでしょうか。今の嫌カンとも関係あるでしょう。
後学の為に
2014年5月から7月に体調悪化が顕著になり、8月に八代の龍神様に賭けることを決めます。
自宅→別府→大分、熊野磨崖仏、大日如来→熊本、龍王神社→天草→福岡、篠栗88か所とダム→帰宅途中の山陽自動車道にて、救助のヘリなどで広島で大災害が起こったことを知る。

福岡の88か所は、波切不動さんを観に行き、音の観音様に行きました。最後、ダムに寄り、名前に鳴るがついたと思います。「鳴淵ダム」でした。
返信する
八岐大蛇の毒気 (さくら)
2019-02-20 19:39:51
広島から帰宅して、安易に近寄った八岐大蛇の毒気にやられたのか、倒れ込んでしまい、丸2日間寝込んでいました。
最後、仮死状態というか、自力で動けなく臨死体験のようなものを経て、生還したような気配です。
その丸二日間は、うとうとと夢と現実のはざまを漂っている感じです。大抵は、一日だけで復活できますが、今回は2日間でした。
私は、場の強い場所に行くと変化を起こす体質なのでこうなりますが、普通の人は大丈夫です。そのうとうとの中で、色々と教えてもらったことが、、
賀茂別雷神とは、、
雷神ではなく、分ける神様つまり、剣の意味の神様で。
電気分解と関係する。
八岐大蛇のしっぽにある剣を取り出すには、この別雷命神の力が必要。
それには、やはりあの般若のことを理解できる人でなければ、意味が解らないし、使いこなせない。
久佐々神社にある曾我社の曾我兄弟についてもう少し調べなさい。
犬養橘美千代さんは、神功皇后の系統になる。霊統なのか、血統なのかは知らない。犬上郡に、曾我神社があり、近江蘇我氏の祖神を祀りますが、曾我兄弟の名前で祀られている。犬上郡は、聖徳太子(蘇我氏系統)と大日如来、龍宮、日向。稲神とは蘇我稲目の伊奈からきている可能性もアル。
それを知っている不比等は、美千代さんを妻にしたみたいです。天神八座の結界をもしかしたら、破ることが出来るかもしれない。
Amazonみたいなものを(システム)作りなさい。
これは、私には無理なので、だれか違う人に託します。

2018年5月に地震ではなく、4月でした。
「王子晋信仰」のコメントに書いています。









返信する
北斗七星 (さくら)
2019-02-21 00:13:32
広島の呼ばれた小さな祠の辺りは、北斗七星に模られた神社が点在する場所でした。其の山の上には、大きな宝珠があります。
呼ばれた祠ではなく、近くの宮の門扉に書かれた、図柄が奇抜で
瓢箪を持った仙人が口から火か息を吐いているその吐いているものの上にまた人が乗っています。
それと、蓮の花の蕾を持つ仙人が恐竜、和邇のようなちいさな怪物を肩に乗せています。
平将門も北斗七星の封印をされています。

曾我兄弟の曾我氏というのは相模の足柄なんですが、現在の小田原市辺り。
足というのが、、武内宿禰の名前に、『日本書紀』では「武内宿禰」、『古事記』では「建内宿禰」、他文献では「建内足尼」と表記される。
足があるのです。

「祐」と言う字「すけ」として、必ず一字世襲している。
普通に読むと「ゆう」なんですね。
「ゆう」といえば、熊「ゆう」。
熊野神社かな、、

曾我氏
相模国曾我荘を本領とする中世武家。系譜の上では桓武平氏の一流千葉氏に属するが,はじめて曾我を称した祐家以下の子孫が〈祐〉の1字を共有していることや,のちに陸奥国に拠点を移した子孫が伊豆に所領を相伝していることなどから考えると,下総に本拠をおく千葉氏よりも,伊豆の雄族伊東氏と縁の深い一族であったといえる。祐家の子祐信の妻に迎えられた女性が,仇討で有名な曾我兄弟の母である。曾我兄弟の実父は伊東一族の河津祐泰であるが,祐泰の死後母親が曾我に嫁したため,その連れ子である兄弟も曾我を称したのである。

※千葉氏と伊東氏がネックかと思います。
千葉氏は千葉妙見、蘇我姫神社、マカタ神社などが思い浮かびます。
伊東氏は宮崎県飫肥の日向のことが書かれていました。

犬上郡の曾我神社
今は木曾という住所ですが、犬上郡に曾我町と言う地名があり、豊郷「とよさと」の犬上神社に行く時に、「白山神社」を通るのです。この白山神社が気になっていましたが、住所は曾我町です。藤原鎌足を祀っています。
私は「とよさと」で、「豐」の関係かと思い出向いたのですが、犬上郡の古い地名をみるとですね。
これまた、見たことのある地名があるのです。
それで、もう、能勢の久佐々神社に何故、曾我社があったのか解ってしまいました。
鯰は、琵琶湖の竹生島で祀られています。
どちらが古いのかは知りませんが、繋がっているということは分かりました。それで、私に「ようこそ犬上さまへお参りくださいました」という御言葉だったのだと思います。

曾我兄弟の別名が、一万(曾我祐成(すけなり)),筥(箱)王(曾我時致(ときむね))
この一万と言うのが「種の一粒万両」で、箱が「龍宮の玉手箱」だという気がするのです。
甲と乙です。
偶々、広島で行くことになった神社も、箱王を祀っていたはずです。箱王って、珍しいなぁと記憶に残っているのです。





返信する
稲神=鯔背入彦説 (さくら)
2019-02-21 07:45:35
ずっと、稲神様として、そのまま書かれていることを抜き出してきましたが、
稲の笹原と息長鳥、犬上様(隣は近江息長氏の地)より、
鯔背入彦も妥当ではないかと思います。
鯔背つまり、成否を問う。入り彦なので、外国からの渡来系でしょうか。
犬上さまの奥社の龍宮は出雲の神様だった気配です。多賀大社は気比神宮に似ていました。
胡宮神社つまり、胡とはエビスの龍宮磐座は出雲大神宮の国常立尊などに似ていました。
兵主大社、穴師坐兵主神社、佐伯部、物部、彦八井耳、火別君、
犬上の君は、農地の確保、外交官としての手腕、天の日矛の系譜、つまりツヌガアラヒトの系統かもしれないといえるのではないかと思います。


返信する
Unknown (はいせ)
2021-07-26 07:00:13
縄文の竜宮の乙姫と八木大明神の件
パソコンのディスプレイが映らなくなってしまったので、スマホでのコメントです。
呉音神の話は吉田様と御友人の矢城山祭祀が発端なのですね。
ここで矢城=八城=八代と矢城=八木=八岐と指摘されています。
私は、三条市の縄文人が土器を作りはじめた頃にいた岩塩の岩陰洞窟遺跡の八木鼻遺跡からヒントを得て、八木=米=88と八木=八岐であり、縄文の竜宮の乙姫=波水度大神が火焔土器のクナド大神の系譜であることに至りました。
火焔型土器は北陸の土器と関東の土器と東北の土器の3つのハイブリッドだそうです。
岩塩の洞窟である山塊八木ヶ鼻に下りた御神霊八木大明神と守門神を祀る八木神社。合祀された雨生神社には大蛇伝説と雨乞いの御神徳があります。守門神を祀る神社は魚沼市周辺に分布しており、中には山犬が山津波を警告する話もあるようです。

またもや思いがけず自分の名字とも遭遇し、目が点になりましたが…。
一応、今回の調査はここまでとし、次はアラハバキ大神と巴豆岐大神の関係に迫りたく思います。
ただ現状では波水度大神と巴豆岐大神が混在していると感じることも多く、セットになっているようです。
返信する
吉田一氣 (はいせ様への返信)
2021-07-29 09:13:02
こちらへのコメントありがとうございます。
完全に失念した記事でした。
縄文の竜宮の乙姫=波水度大神が火焔土器のクナド大神の系譜である事の
調査ありがとうございました。
忘れないようにしないといけませんね。
返信する
碇神社から賽坐三柱神 (さくら)
2021-12-14 22:52:26
広島 太田川 (さくら)
2019-02-17 21:36:59から以下コメントさくらが5個書いていますが、ここの続きとなります。

この時に、夢で見てその場所を調べて出向いています。それが、太田川下流域になり、広島の古い信仰の場所でした。
その前に島根で地震が起こり、急遽広島に出向く予定にしていましたが、止めて、すぐ、広島岡山の洪水になりましたので、、その時の反省を込めて、この時は碇神社と二葉山周辺に出向いた記録になります。

この碇神社から箱島大明神⇒糸島の箱島神社(竜宮城)賽神三柱神がでてきましたので、縄文龍宮神だろうと思います。これは、玻月大神という漢字にしましたけど、いつきしま姫大神=さんき神=三宝荒神=白山菊理姫=波切不動尊=龍宮乙姫
アラハバキ神なのでしょうね。
ここは八岐大蛇霊と関係がありそうなのです。
三柱神ですから、火と竈と扇型の蛇(八岐大蛇霊)ということなのでしょう。

それで、私は気が付かなかったのですが、
牛田に古天神があり、少彦名神がお祀りされているようです。
須弥山の弥山にいるのは、摩多鬼神と書いていますが、宮島の御山神社のさんきさんでしょう。

天河弁財天の奥の院は弥山神社になり、ここも行かないといけないと以前から啓示があった場所になります。
天河弁財天と六甲比売神は同じだと感じています。
縁起では、琵琶山に鎮まる真名井の磐座
奈良の龍泉寺は八大龍王神ですね。
返信する

コメントを投稿

神霊界考察」カテゴリの最新記事