阿蘇の神界について話すことは恐れ多いが
日本だけでなく世界にとっても
非常に重要な神霊界であるとだけは伝えておきたい。
さて今回の私の祈願でも
祈りの対象を明確にすることは大切なことなのだが
阿蘇には龍神界と神界が重なり合って存在していて
どうしても祈願は龍神界に感応してしまい
神界の蓋を開けるのはなかなか困難となっている。
前回の記事『霊的考察ではありませんが.... チリの噴火の巨人』の
コメントでみなさんに火山の神について考察していただきましたが
阿蘇神社の祭神の健磐龍命は火山神とも云われるものの
阿蘇おんだ祭で神への供物の膳を頭の上に乗せて運ぶ女性の
(宇奈利と呼ぶ)人数は、
阿蘇十二神に火の神と水の神が加わった十四人となっている。
つまりこの火の神と水の神が火口の神だと考えられる。
阿蘇の中世の歴史を紐解くと
まず中国『隋書 倭国伝』581-618年には
「有阿蘇山、其石無故火起接天者、俗以為異、因行祷祭。有如意寶珠、其色青、
大如雞卵、夜則有光、云魚眼精也。
新羅、百濟皆以倭為大國、多珍物、並敬仰之、恒通使往來。」と記されている。
訳文は
「阿蘇山があり、そこの石は故無く火柱を昇らせ天に接し、
俗人はこれを異となし、因って祭祀を執り行う。
如意宝珠があり、その色は青く、雞卵のような大きさで、
夜には光り、魚の眼の精霊だという。
新羅や百済は皆、倭を大国で珍物が多いとして、
これを敬仰して常に通使が往来している。」
隋の時代にすでに倭国の自然崇拝の祭祀が
中国にまで伝わっていたことになるが
富士でも出雲でも宗像でもなく
阿蘇山のみ祭祀の記載があるという特殊性を理解していただきたい。
また如意宝珠については謎ではあるが
私は阿蘇の火口の寶池のことだと勝手に理解している。
というのも以前飛行機から火口の寶池を見た際に
エメラルドグリーン色の丸い眼のようだと思ったことがあるからだ。
それに火口と宝池とで火と水とのペアになる。
阿蘇山岳仏教の開祖は天竺インド出身の最栄読師であり
阿蘇山上で感応し十一面観世音菩薩を自ら刻んで本地としている。
これ以来阿蘇は観音の山であり山裾に寝観音を感得し
「三十七坊五十一庵」が建ち並び一大霊場となる。
また十一面観世音菩薩の伝承にはもうひとつ話がある。
木練上人と呼ばれる行者が
阿蘇の本当の主を知ろうとしたという話が
「彦山流記」に載っているらしい。
内容はネットからの拝借であるが
木練上人が阿蘇の本当の主を知ろうと
火口で般若経を一生懸命に唱えていると、
まずタカが現れ、更に僧侶・小竜・十一面観音が次々に現れたが、
その一つ一つを池の主ではないとしりぞけてお経を唱続けた。
やがて山は動き池は騒いで、九頭八面の大龍が出現した。
これぞこの火口の主と信じ目的を達成したと思って
山を降りようとするとにわかに大雨が降って、
川は洪水になり、渡れないので
山中の道を探して道に迷ってしまう。
すると一軒の小屋があり、一人の若い女人がいた。
女人に泊めてくれと頼むと快く承諾した。
この女人に着物を借りると上人に欲心が起こり
まだ知らない男女の交わりを試そうと女人を押えつけた。
女性は抗うこともなくまず口を吸えといったが、
上人は自分は日夜、口で秘密真言を唱える身だからそれはできないという。
しかし、女性はそれでは目的が達せられないというので、
しかたなく上人が口を吸ったとたんに舌をかみきられた。
上人は気絶してその場に倒れ、女性は大龍になって天に昇った。
上人が意識をとりもどしてあたりを見ると、
女性も家もなく山中に独り取り残されていた。
上人は犯した罪を悔い、不動明王に祈願し
舌をもとどおりにして下さいと一心に真言を念じた。
そうして念じていると四~五歳くらいの童子が現われて上人の舌をなでた。
すると舌は元どおりになり心身ともに安らかになった。
そのとき空から声があり「御岳に登って実体を拝すべし」という。
そこで上人はただちに御岳に登ると、
再び空から声があり「眼根に支障があるから本物を見ることが出来ないのだ」という。
そこで、上人は印を結びひたすらひたすらざんげの行をしていると
そこに現れたのが十一面観音の姿である。
上人が望んだ池の主の実体で
仏の慈悲によって人びとの幸せを広めようとする姿である。
上人は欣喜雀躍し、礼を言って山を去った。
さて阿蘇には龍神界と神界が重なり合って存在していると述べたが
三体の龍神が火口にはおられる。
過去より何人もの霊能力者が口を揃えて龍神様が居られますと言っている。
どなたが建てたのかは解らないが
山頂の阿蘇火口の山上神社の横には三体の龍神の石碑も建っている。
右 尊壽光王龍王神
中央 龍宮大霊最上尊
左 燈明蓮女龍王神
吉田一氣はこの三体の龍神を
国龍神 健磐龍神 龍宮乙姫として祭祀している。
もし封印された神が居られて
その封印解除により神界の蓋が開くとしても
そいう神業を私は主目的として進めようとしている訳ではない。
大難を小難に小難を無難に
まつり替えていただくことをのみを目的として祈願している。
※龍宮乙姫の真実について
『日本国家鎮魂の奈良の毘盧遮那仏』で自分の思うところを記載している。
日本だけでなく世界にとっても
非常に重要な神霊界であるとだけは伝えておきたい。
さて今回の私の祈願でも
祈りの対象を明確にすることは大切なことなのだが
阿蘇には龍神界と神界が重なり合って存在していて
どうしても祈願は龍神界に感応してしまい
神界の蓋を開けるのはなかなか困難となっている。
前回の記事『霊的考察ではありませんが.... チリの噴火の巨人』の
コメントでみなさんに火山の神について考察していただきましたが
阿蘇神社の祭神の健磐龍命は火山神とも云われるものの
阿蘇おんだ祭で神への供物の膳を頭の上に乗せて運ぶ女性の
(宇奈利と呼ぶ)人数は、
阿蘇十二神に火の神と水の神が加わった十四人となっている。
つまりこの火の神と水の神が火口の神だと考えられる。
阿蘇の中世の歴史を紐解くと
まず中国『隋書 倭国伝』581-618年には
「有阿蘇山、其石無故火起接天者、俗以為異、因行祷祭。有如意寶珠、其色青、
大如雞卵、夜則有光、云魚眼精也。
新羅、百濟皆以倭為大國、多珍物、並敬仰之、恒通使往來。」と記されている。
訳文は
「阿蘇山があり、そこの石は故無く火柱を昇らせ天に接し、
俗人はこれを異となし、因って祭祀を執り行う。
如意宝珠があり、その色は青く、雞卵のような大きさで、
夜には光り、魚の眼の精霊だという。
新羅や百済は皆、倭を大国で珍物が多いとして、
これを敬仰して常に通使が往来している。」
隋の時代にすでに倭国の自然崇拝の祭祀が
中国にまで伝わっていたことになるが
富士でも出雲でも宗像でもなく
阿蘇山のみ祭祀の記載があるという特殊性を理解していただきたい。
また如意宝珠については謎ではあるが
私は阿蘇の火口の寶池のことだと勝手に理解している。
というのも以前飛行機から火口の寶池を見た際に
エメラルドグリーン色の丸い眼のようだと思ったことがあるからだ。
それに火口と宝池とで火と水とのペアになる。
阿蘇山岳仏教の開祖は天竺インド出身の最栄読師であり
阿蘇山上で感応し十一面観世音菩薩を自ら刻んで本地としている。
これ以来阿蘇は観音の山であり山裾に寝観音を感得し
「三十七坊五十一庵」が建ち並び一大霊場となる。
また十一面観世音菩薩の伝承にはもうひとつ話がある。
木練上人と呼ばれる行者が
阿蘇の本当の主を知ろうとしたという話が
「彦山流記」に載っているらしい。
内容はネットからの拝借であるが
木練上人が阿蘇の本当の主を知ろうと
火口で般若経を一生懸命に唱えていると、
まずタカが現れ、更に僧侶・小竜・十一面観音が次々に現れたが、
その一つ一つを池の主ではないとしりぞけてお経を唱続けた。
やがて山は動き池は騒いで、九頭八面の大龍が出現した。
これぞこの火口の主と信じ目的を達成したと思って
山を降りようとするとにわかに大雨が降って、
川は洪水になり、渡れないので
山中の道を探して道に迷ってしまう。
すると一軒の小屋があり、一人の若い女人がいた。
女人に泊めてくれと頼むと快く承諾した。
この女人に着物を借りると上人に欲心が起こり
まだ知らない男女の交わりを試そうと女人を押えつけた。
女性は抗うこともなくまず口を吸えといったが、
上人は自分は日夜、口で秘密真言を唱える身だからそれはできないという。
しかし、女性はそれでは目的が達せられないというので、
しかたなく上人が口を吸ったとたんに舌をかみきられた。
上人は気絶してその場に倒れ、女性は大龍になって天に昇った。
上人が意識をとりもどしてあたりを見ると、
女性も家もなく山中に独り取り残されていた。
上人は犯した罪を悔い、不動明王に祈願し
舌をもとどおりにして下さいと一心に真言を念じた。
そうして念じていると四~五歳くらいの童子が現われて上人の舌をなでた。
すると舌は元どおりになり心身ともに安らかになった。
そのとき空から声があり「御岳に登って実体を拝すべし」という。
そこで上人はただちに御岳に登ると、
再び空から声があり「眼根に支障があるから本物を見ることが出来ないのだ」という。
そこで、上人は印を結びひたすらひたすらざんげの行をしていると
そこに現れたのが十一面観音の姿である。
上人が望んだ池の主の実体で
仏の慈悲によって人びとの幸せを広めようとする姿である。
上人は欣喜雀躍し、礼を言って山を去った。
さて阿蘇には龍神界と神界が重なり合って存在していると述べたが
三体の龍神が火口にはおられる。
過去より何人もの霊能力者が口を揃えて龍神様が居られますと言っている。
どなたが建てたのかは解らないが
山頂の阿蘇火口の山上神社の横には三体の龍神の石碑も建っている。
右 尊壽光王龍王神
中央 龍宮大霊最上尊
左 燈明蓮女龍王神
吉田一氣はこの三体の龍神を
国龍神 健磐龍神 龍宮乙姫として祭祀している。
もし封印された神が居られて
その封印解除により神界の蓋が開くとしても
そいう神業を私は主目的として進めようとしている訳ではない。
大難を小難に小難を無難に
まつり替えていただくことをのみを目的として祈願している。
※龍宮乙姫の真実について
『日本国家鎮魂の奈良の毘盧遮那仏』で自分の思うところを記載している。