吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

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特別投稿 禮月さま伯母の夢啓示のページP11

2018-08-16 22:07:14 | 神霊界考察
P10はコメント数220を超えていますのでP11での展開をお願いします。

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101 コメント

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吉田様・皆様へ (禮月)
2018-08-17 01:41:13
吉田様

伯母の夢啓示の11ページ目を開設して下さり、感謝いたします。

ここから下は吉田様とここをご覧いただいている皆さまにお伝えしたい事です。

10ページ目の最後で書くつもりでしたが、伯母から「もう蘇我王朝の事について語る事は無い。あなた(禮月)は既に一人前になりつつある。」というメッセージを受けとりました。

伯母「何だか今年の6月頃からこの国の土地が騒がしくてね…ラジオ聞けなくなっちゃったの。未だ番組やってるのかしら?」

私「え?!もう伯母さんの話終わり?」

伯母「蘇我大王家に関する事は、もう話す事無いかも・・・それと禮ちゃん(私・仮称)、私達の家系は蘇我大王家を追い詰めた側なの。だから私達『父と父の姉妹達』もあなたも、蘇我大王家の方々に謝らなければならない立場なのよ。そこは覚えておいてね。でも、稲目様お一人は随分と粋なのか寛容なのか、あなた個人の事はお嫌いではないみたい。私は今、ちょっと別な事を任されちゃったから、あまり禮ちゃんとは頻繁に会えないかな?でも、大事な事があればまた来るけどね。」

私「伯母さん?他の仕事って?」

伯母「仕事の内容は機密事項だから内緒。ゴメンね。でももう禮ちゃんは独り立ちしても大丈夫かも。今度はY美さん『母の妹の方の叔母』を手伝ってあげて欲しいかな。まあ、また会いましょう。」

ここで夢は終わりました。

7/7に母方の伯父が逝去して以来、今度は母の妹の叔母であるY美(以下Y美叔母さん)が奇妙な夢を見る様になったのです。Y美叔母さんが見たどこでもドアと多数のウナギ(ハモ)の群れの夢は、吉田様の滋賀県での呉音霊の事でお役に立てた様ですし、お香による神事のお蔭で、見事に私自身の原因不明の耳鳴りも治まりました。

今後は手力男の研究をされているとくこ様や、息長氏の研究をされている惟様のお力を借りて、過去に伯母が話してくれた内容の検証をして行く事と、Y美叔母さんの見た夢をここに書いて行こうと思います。

6075
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もう一人の伯母が見た夢 (禮月)
2018-08-17 08:49:24
早速Y美叔母さんの見た最新の夢を書きます。

大阪四天王寺の所でも書いたのですが、彼女は「あめのいわふね」と描かれた飛行機が鞠智城に向かって飛んできた夢を見たのですが、ビックリした事に、飛行機の中からはプチトマトみたいなさくらんぼみたいな妖精らしき物凄が降りてきたそうです。

私が見た夢は、鞠智城の中でプチトマトだかさくらんぼみたいな妖精?が円陣を組んで踊ったら、大きくて真っ黒な羊が出てきたという内容でした。

Y美叔母さんと私の夢が同じ場面の夢である事には変わり無さそうです。

叔母さんはプチトマトかさくらんぼみたいな妖精の事を、植物のグミかユスラウメではないか?と言っていました。

ユスラウメ・・・そうかもしれません。
鞠智城の中で踊るユスラウメの妖精?達の夢は意味深です。事実吉田様はユスラウメを神饌とされていましたし。
ユスラウメ(仮に)達が呼び寄せた漆黒の大きな羊の意味も気になります。牛嶋神社の羊みたいな方の牛像に似ていました。
8825
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天寿国繍帳による蘇我稲目の出自 ()
2018-08-17 11:29:48
禮月さま

蘇我 や息長氏のコメントを書いてるうちに吉田さまにこちらを案内されてるのが気がつかなかったので、そのまま書き込んでしまいました。

今後ともよろしくお願いいたします。
ブログ主の吉田さまにも御礼申し上げます。

天寿国繍帳には 巷奇 稲目宿禰 と記載されているのですが 従来これを、記紀に合わせて ソガ稲目と無理矢理読んでいました。
蘇我の当て字が 曽我 宗我 など多い事情によりますが
実際は 奇 は 斉の 草書体で活字にするときの読み間違い とするのが前掲書で指摘されています。

つまり 巷斉 = 巨勢稲目
継体大王擁立に 大伴金村と巨勢男人があるのですが、巨勢男人に子がなかったので同族の石川家から養子として稲目をもらったとのこと。

境部真理勢や雄正など、稲目の近親に兵大権を持つ人物がいることとの整合性が取れているので、この前掲書の情報は信用できるように思いました。
返信する
惟様へ (禮月)
2018-08-17 12:24:27
>新しく出雲古伝の飛鳥文化と宗教争乱という本を発見したので取り寄せて読んでいました。
散家は出雲王国に仕える兵士の子孫と明記していました。
出雲王家の分家を構成員とする結社はタカラ筋といい財筋と書き、ここには上宮太子の息子である財王の子孫も含まれるそうです。

伯母(父の姉)によれば、皇極天皇にされている人物のモデルは三人おり、宝女王と百済王弟・堯岐生母・金春秋生母の三人だそうです。

>この本の情報では、一貫して蘇我家は三国港を本拠とした北陸の盟主であり
蘇我家の子孫の証言では
馬子も蝦夷も入鹿も蘇我家には存在しないそうです。子孫の伝なのでそれが真相なのでしょう。

いわゆる諸記に記載されている「蘇我氏」というのは存在せず、石川氏がその実態ですか・・・ここはもう一度私も検証してみます。

>蘇我家に振姫のみとなったので出雲大王家の次男彦太が婿入して継体大王となり、継体大王ー欽明ー敏達の敏達の妃に息長広姫があり息長氏の本宗は以降、皇室の藩塀になったようです。

蘇我(本当は石川家)の女王・振姫に出雲大王家彦太が婿入り→欽明→敏達ときて、今度は敏達が息長広姫女王に婿入りしたのですね?
因みに伯母曰く、広姫とカシキヤ姫は同母姉妹か従姉妹で、同派はしまいの場合は豊前宇佐女王の娘と言っています。従姉妹の場合は宇佐女王の姪だそうです。

また書きます。
6354
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惟様への返信2 (禮月)
2018-08-17 15:30:00
私は先代旧事本記の記述と照らし合わせてみても、カシキヤ姫は物部の血筋でもありそうなので、片親が物部なのだろうと思いました。故に、彼女を息長広姫の母方の従姉妹と仮定します。カシキヤ姫の正式名称は「豊御食炊屋比売命」なので、豊国(小野氏?秦氏?どちらかの国)出身の女性が母親と解釈します。

>記紀に記述される滅ぼされた蘇我氏は
全て石川氏とのこと
石川臣稲目ー麻古(馬子)ー雄正ー林太郎(入鹿)
麻古ー倉麿ー山田麿
麻古ー倉麿ー武蔵ー天武天皇

この系図と先代旧事本記と伯母情報をミックスして照らし合わせると、以下の様になりそうです。

石川臣稲目(蘇我稲目)ー麻古(馬子)ー倉麿(赤兄・大海人皇子)ー天武天皇(高市皇子???)
やっぱり一代ずれる・・・
このズレについては、他家(小野・息長)との系図が混乱して間に別の家の人間入ってしまった説と、天武が天智の息子だという説がある様です。
後者の説の場合は、本物の天智が大海人皇子で本物の天武が高市皇子だということです。

これに伯母説を合わせると本物の持統が志貴皇子、そして本物の文武が草壁皇子そして聖武の流れとなります。

おっと、何とここで蘇我善徳→連子→果安の3代の系譜が蘇我ではなく、小野か息長の可能性すら出てきました。
9458
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大間違い (禮月)
2018-08-17 18:07:48
>河内の蘇我と思われているものは全て石川氏と言うことですね。

スミマセン。とんだ大間違いを・・・(汗)
伯母が和泉・出雲蘇我大王家と呼んでおり、半島移住した倭人勢力・昔氏新羅女王・善徳女王と結婚した方の蘇我家こそ、河内の石川家で、蘇我善徳→連子→果安公の流れかな?と書きたかったのでした。

昔氏の当主・徳曼皇女(善徳女王)の王配になったから、河内の石川家は昔(せき)氏を名乗り、それが蘇我になったのでしょうかね?
4777
6627
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石川氏が蘇我氏にさせられた ()
2018-08-18 08:54:42
禮月さま

蘇我家は厳然として北陸三国港にあり、彦太が入婿したのですが、大伴金村と巨勢男人の要請で継体大王になりました。その時、各地の豪族から妃を娶り、北陸三国港の蘇我本家は、三尾氏の妃から生まれた椀子(まろこ)皇子が受け継いだと言います。

一方で、振姫との間の安閑・宣化天皇は父とともに奈良にやってきてそれぞれ天皇となったというわけです。

>蘇我(本当は石川家)の女王・振姫に出雲大王家彦太が婿入り→欽明→敏達ときて、今度は敏達が息長広姫女王に婿入りしたのですね?

ここはそうではなくて、蘇我女王の振姫という位置は変わらないです。
蘇我稲目(本当は石川稲目)というのがこの書での指摘です。
従来の研究では、継体大王は息長氏と見られていたのですが、そこが全く違って蘇我家に婿入りしたというのが実態というわけです。

継体大王ー手白香皇女から欽明天皇が生まれます。
手白香皇女の父は仁賢天皇、母は春日大娘皇女
同母姉妹に橘皇女

春日大娘皇女の父は雄略天皇、母は「春日臣深目の娘童女君」

宣化天皇ー橘皇女(皇后)の娘が石姫皇女
欽明天皇ー石姫皇女(皇后)の子が敏達天皇
敏達天皇ー息長広姫(皇后)ー額田部皇女(父:欽明、母:石川堅塩媛)

敏達天皇の段階で、息長氏と石川氏(蘇我氏に擬された)に皇統が別れたのが壬申の乱につながる王位継承の混乱の原因です。

>因みに伯母曰く、広姫とカシキヤ姫は同母姉妹か従姉妹で、同派はしまいの場合は豊前宇佐女王の娘と言っています。従姉妹の場合は宇佐女王の姪だそうです。

推古天皇は、カシキヤ姫と額田部皇女とも言われています。しかし、同一人物と思われていますが、実は別人なのかもしれません。
宇佐女王の姪になるには、蘇我馬子が宇佐女王の王配でないといけません。あるいは蘇我馬子の兄弟が王配であればいいのなら、この場合は境部麻理勢こと石川麻理勢しか該当者がいないです。

あるいは、母の堅塩媛そのものが宇佐女王であれば王配とは稲目そのものになりますね。ただしその場合は継体皇子厚王と息長黒郎女の娘が広姫なので、同母にはならず、異母姉妹という可能性の方が高いのではないでしょうか?

いろいろ考えると、息長氏そのものが宇佐女王を輩出した家系に見えてきますが、、、

>おっと、何とここで蘇我善徳→連子→果安の3代の系譜が蘇我ではなく、小野か息長の可能性すら出てきました。

善徳=倉麻呂?に思えてきます。

小野か息長ということはないと思います。
初期の記述は統一的に石川氏の人物を蘇我氏に置き換えているからです。
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系図の書き換えと乗っ取り (禮月)
2018-08-18 12:37:49
惟様

スミマセン。
伯母が「大阪和泉の蘇我氏」と言っていた王家が、大阪の石川氏ではないか?と6レス目で修正しています。つまり馬子から別れた善徳➡連子➡果安様の流れです。倉磨(善徳)が善徳女王配かつ和泉石川家の王で新羅も共同統治していたのかな?と。(新羅の王家系図も改竄の痕跡が結構ある事を、中国の研究家は認めています) そして山田倉(連子か?)が鳥取県にあった旧北燕の王族・キツ氏が建てた国へ婿入り、そして果安様が近江へ婿入りしたと考えています。

この時代の男姓は婿入りする事が多かったから、父親と息子でも名字が違うという事はザラだったと思われます。

毘曇の乱は661年以降新羅の王になった金氏にとって、大化の改新は百済人と言われる近畿藤原にとって都合が悪いから、時代が下ってから高麗と藤原五摂家が口裏合わせたというトンでも説まで見た事があります。
因みにその説を唱えている人曰く、女帝・推古が新羅では妖婦・美室にされているとの事でした。カシキヤ姫は新羅をも事実上統治していたそうです。

この時代は父方・母方両方の姓を名乗る事もあったから?改竄抜きにしても後世の研究で混乱してるのかな?と思います。

因みに伯母情報では、女帝推古のモデル(私は敢えて推古女帝本人とは仮定しません)のカシキヤ姫は、父親が物部氏だと言っていました。ここは先代旧事本記の記録とも重なる部分がありますよね。私は阿毎王家が物部家と九州の蘇我氏(こちらこそ小野家か息長氏か?)の王朝で、ここから更に上宮王家が分家していたと考えています。貝鮹姫という皇女は、女帝推古と広姫の二人から生まれた事になってますが、ある人はこの貝鮹姫こそが女帝推古と広姫二人の母親であり、系図書き換えの為に娘にされたと言っています。

私は、貝鮹姫と貝鮹姫の姉妹が、それぞれ広姫とカシキヤ姫の母親(どっちがどっちの母か判らない)で豊前王国の皇女と解釈しています。この豊前王国も宇佐王国と同じ王国なのかは解りません。

話を戻しますが、私は蝦夷と入鹿は兄弟か従兄とかの関係ではないか?と疑っており、父と息子ではないと思います。従兄の場合は義兄弟でもあると思っているのですが・・・つまり入鹿の姉妹と蝦夷が夫婦です。

所で、馬子には男の兄弟もいたと思いますが・・・
2470
8331
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継体天皇には複数のモデルが (禮月)
2018-08-18 13:27:46
惟様

継体天皇にも複数のモデルがいるという説がありますから、考察は益々複雑ですよね。

山陰まで亡命してきた北燕の王族の一人である馮(ふう)氏も、継体天皇のモデルの一人として考察している方がいます。その人は、継体天皇と大国主と神武を同一人物としています。

惟様のお話を伺う限りでは、馮氏(元はキツ氏)の建てた国と出雲大王国は別物の様な気がします。
9322
返信する
Unknown (小川)
2018-08-18 19:43:54
こんばんは、久しぶりに見て、もう、
書きこみをもう、いいかなと思いました。
やはり、蘇我の因縁の関係者でしたか。

空海の弟子って、
言ってたけ?

私の記憶違いかもしれないですけど、
空海に関係してたはず。

その人が、
蘇我家のことを喋っていて、
日本に、災いが招くようになったのは、
関係していると。

ちなみに、大本教と関係しています✌
多分、すずさんだけ?
夢に現れたとか。

じいさんwww。
wwww。

その人、大本の神さまだろう。
日本神界でも、最高神に位置している人だろう。
なぜか、舞い上がっているのは、
霊人の影響をしている人だろう。

いいな~😣、
じいさん、
ひゅー、ひゅー、。
女性にチヤホヤされて。

あの⚪⚪と言われている。

出口王三朗が私のことを、
知っているのも、
関連している。

私の予測ですが、
今、出口氏は、第二霊国にいると思う。

私は、優秀な人間ではないが、
黒住、中山、出口、
人には、役目がある。

今の人は、
嘘に慣れてきて、
心で感じることを忘れている。

嘘だと、思ったのは、頭か?
こんなやつが、
神に選らばれるはずがない。

頭で考え、頭で判断する。

私は、あまり、吉田氏みたいに、
優秀な人間になる必要はないと思う。

知的な人間を、
神界が使うから、
下のものが、
知識欲を手にいれようとする。

霊界とは、地上の転写と申してあろう。

人は、自我が拡大し、
知的な内容を多く語る人間を
優秀な人間だと判断するようになる。

優秀であることが、
そんなに重要なことか?

本当に大切なのは、なにか?

徳ではないか。
諭す、優しさ。
愛するとは、
花に愛でることではない。

肉体人は、わからないが、
知識を与えたのは、
霊人が先である。

霊界から、構築され、
地上に転写されている。

なかなか、わかる御魂は、
少ないが。

優秀であることが、
そんなに、
重要なことか…。

私は、学校の点数では、
最下位に位置している。

それが、私の…、
ネガティブなのだが。

だが、同じ土俵では、
負けるが、

ふ、ははははは。
ニギハヤヒに関することなら、
この、私しかほかならない。

神武、娘。

また、ナガスネヒコ一族に、
贋物扱いされた。

ふ、…、

ニギハヤヒの後継者は、
苦しんだろう。

なにせ、あの男の…。

神武天皇か…。
昔のことだ。

なんでもない。
少し、喋りすぎた。

な~に、たんなる妄想なりにゃーよー🐱
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