吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

FC2BBSから移動しようと目論んでいます。
http://reyline.web.fc2.com/index.htm

特別投稿 禮月さま伯母の夢啓示のページP7

2017-05-02 00:59:29 | 神霊界考察
コメント数150超えていますのでP7での展開をお願いします。

『特別投稿 禮月さま伯母の夢啓示のページP1』へのリンク
『特別投稿 禮月さま伯母の夢啓示のページP2』へのリンク
『特別投稿 禮月さま伯母の夢啓示のページP3』へのリンク
『特別投稿 禮月さま伯母の夢啓示のページP4』へのリンク
『特別投稿 禮月さま伯母の夢啓示のページP5』へのリンク
『特別投稿 禮月さま伯母の夢啓示のページP6』へのリンク
『特別投稿 禮月さま伯母の夢啓示のページP7』へのリンク
『特別投稿 禮月さま伯母の夢啓示のページP8』へのリンク


コメント (190)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 教育ニ関スル勅語と儒教精神... | トップ | 続続 香春の呉音霊の足跡  ... »
最新の画像もっと見る

190 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
感謝致します (禮月)
2017-05-02 09:46:12
吉田様
スレッドを立てて下さり、感謝致します。
呉音霊と黄泉神の対立のお話にも、大変興味があります。
8488
返信する
ありがとうございます 早速お邪魔致します (とくこ)
2017-05-02 10:51:34
吉田さまへ

田道間守の裔の橘枝冬が宮司家に入ったのですか。

それで橘氏と幣立神宮と関係があったのですね。
史実では橘奈良麿は生死不明で、橘奈良麿の変の奈良麿は実は生き延びていて、九州に落ち延びています。佐賀県杵島郡橘村です

奈良麿の孫の島田麿が鹿島神宮から春日明神を勧請し、春日大社を建立しているのです。関東にいた河童(鳶職)を連れて、釘を使わない苗族の建築技術で春日大社を建立したようです。藤原氏のご機嫌とりというところでしょうか
橘氏はいわゆる苗族(蚩尤民族)だと思うのは、そういった河童を束ねる立場の氏族だったためです。

そしてその子孫は熊野国造家に養子に入り、その子孫が楠木正成で、その嫡子が幣立神宮に落ち延びていて、宮司家に入っているんです。

そうでしたか、それでですか
幣立神宮に御参りしたときに、
藤連枝春命と橘連枝冬命の墓碑があり、橘枝冬は墓碑にあった人かもしれませんね
(写真も撮ったのですが、サイトをポシャらせてしまったときに消してしまいました。復元したらまたお知らせします)
返信する
弊立神宮の伝承 (禮月)
2017-05-03 12:29:40
弊立神宮の伝承を伯母の話に照らし合わせて解釈すると、幽閉されて殺されたのが嫡子にして末子の仲哀天皇とその生母だと思います。仲哀天皇の生母は片方の血が宿禰と同じ隼人系民族の血を引いており、ギ皇后とは別人だと言っていました。
宿禰の皇位継承は夏后釈迦一族と呉氏熊一族も快く思っていなかった上、ギ皇后との軋轢もあったから、宿禰死後はさぞかし混乱したと思います。
3434
返信する
菟道稚郎子(仁徳天皇) (禮月)
2017-05-03 15:19:02
菟道稚郎子こそが本物の仁徳で3年間統治していたと伯母が言っていましたが、彼が統治できていた所を見ると、彼の生母か妃の誰かが垂仁系か夏后釈迦(篭坂)・呉氏熊(忍熊)の血を引いていたのだろうと思いました。

郎子を暗殺し、仁徳を僭称した雄略の叔父と雄略本人が次に行った事は、ギ皇太后の処刑と夏后釈迦氏と呉氏熊氏の粛清だとの事です。因みに呉氏熊氏は熊本が拠点らしいです。弊立神宮は呉氏熊氏も関わっているのでしょうか?
9019
5918
返信する
筑紫の三輪山と大己貴神社 (禮月)
2017-05-03 22:48:36
風邪を拗らせてプラズマ肺炎手前まで行っていしまい、仕事を早退して参りました。(涙)

熱と気管支炎で眠るに眠れない夢うつつの中で、奇妙な夢を見たのです。伯母もたかちゃんという少女も出てこず、スポーツ刈りの頭に黄色いトレーナーかシャツを着た10歳位の男の子が出てきたのです。

私は京都の平安神宮の様な朱と緑で塗られた楼門と、門の中には八角形で八層の建物(中国の万寿寺木塔や天寧禅寺の様な感じの)が建っていました。私がここはどこなんだろう?と疑問に思っていると、スポーツ刈りで黄色いシャツを着た男の子が寄って来て「ここは三輪だよ」というのです。

明らかに私が知っている奈良の三輪山とは違うので「ここが三輪なわけないじゃん!大神神社にはこういう建物無いよ。」と言うと、少年は「ここは筑紫の三輪だよ。大己貴様と仲哀天皇をお祀りしてるの。」と返してきました。

更に驚いた事に、こんな事も言っていたのです。「肥後の金色の『フグナマズさん』もここに埋まってるの。水晶の中に閉じ込められてるんだ。」

私は何の事やらますますわけがわからなくなり、「金色のフグナマズさんって何?水晶に閉じ込められているの?肥後って熊本県だよ。」と聞き返してしまいます。

男の子は刃渡り30㎝位の短刀を取り出して、「これで『金色のフグナマズさん』を閉じ込めてる水晶は切れるよ。」と私にその短刀を見せてくれました。夢はここで終わりです。
8218
4965
返信する
「夢に出てきたおんがさま」の奇妙な夢 (禮月)
2017-05-05 18:36:53
熱は下がりましたが、猛烈な咳が・・・

再び、例の黄色いシャツを着たスポーツ刈りの少年と筑紫の三輪山が出てきました。

八角形八層の建物の中には、牛の様な鬼の様な人間の様な・・・奇妙な生き物を象った人形が置いてあります。その人形は弥五郎どんの様な恐い鬼の姿ではなく、どちらかと言ったらユーモラスな外見の人形でした。人形の背中は扉が付いており、何か収納できる様な作りになっています。
少年は私に左側を指差して「あそこにある神籖10本をこの人形の中に入れて!」と指示をして来ました。私の方は、もはやこの少年に突っ込みを入れるのも野暮なんじゃないか?と思って彼に従っていました。
「鬼の様な牛の様な人間の様な奇妙な人形」に彼が指示した神籖10本を入れた途端、周りの光景が変わります。すると少年が言っていた通り、巨大な水晶の塊の中に金色のフグみたいな魚が閉じ込められていました。周りを見渡すと、篭に閉じ込められた翡翠色のナマズやら、紺碧色をしたウナギがいたりと奇妙な光景でした。篭に閉じ込められた翡翠色のナマズが「助けてくれ~」と叫んでいたので、私は思わずそちらへ歩寄ってしまったのですが、少年は 「このナマズは未だだよ。今は無理。順番なんだ。今日は水晶の中の金色のコイツを助けるんだ。」と言うとおもむろに持っていた短刀から鞘を外して水晶を一刀両断にしました。
すると中いた金色のフグの様なナマズの様な魚が出てきました。私がその金色の奇妙な魚を受け止めると、魚は「我はミスラである。そなたらには助けられた。誠に感謝する。」と言いました。

「鬼の様な牛の様な人間の様な奇妙な人形」といい、「沢山のフグやナマズやウナギ」といいどれも皆呉音霊の象徴ばかりが出てきています。それらが筑紫三輪山と大己貴神社に封印されているというのでしょうか?

八角形八層の建物は秦氏を連想させるし、大己貴神社は神功皇后が大物主を奉ったのが由緒となっているので、筑紫三輪山一体も高御産巣日系手力男の領土だった事が判ります。

神功皇后が号令を掛ただけでは兵士が動かなかったという伝承が共通してのこってるので、この神功皇后は手力男大物主の正妻の息長大姫ではないと思いました。新羅との戦いではなく、伯母の話の通り「雄略天皇・北魏・百済」との戦いだとすれば、この神功皇后は忍坂大仲姫かもしれません。

つまり「おんがさま」こと筑紫の大己貴神社を創建したのは、忍坂大仲姫の神功皇后です。
3593
8678
返信する
不思議な夢ですね (とくこ)
2017-05-05 22:35:41
せきはつらいですね。気管支炎が喘息にならないように、春の風邪は特にお大事にしてください。

不思議なミュージカルのような世界ですね
その八角形の象徴するものは八幡なんでしょうか?八幡は今だによくわかりません。

その「神宮皇后」に祟るのは「大三輪の神」という話もあって、やはりタカミムスビ・手力男系とは疎遠というより、敵対していた「神宮皇后」みたいですね。

祟っているのは閉じ込められた人たち?(神??)だったのでしょうか
返信する
この神功皇后は息長じゃない (禮月)
2017-05-05 23:37:55
とくこ様

温かいお言葉をありがとうございます。

大物主の男系には、古来からの高御産巣日系(手力男系)とインド・イラン系の血を引く饒速日系の二つがある様です。

恐らく「おんがさま」を祀った神功皇后は、饒速日系大物主の血を引いていたのでしょう。つまり辛嶋勝乙目の方と同族になります。饒速日は手力男系大物主の末娘に婿入りして三輪を乗っ取る形になったから、手力男の男系一族にしてみたら面白くない筈です。

でも半分は(女系を辿ると)息長と手力男の血も引いているので、きちんと祭祀をしたら地元の民からも認められています。

神功皇后伝説も日本武尊同様一人ではなくて、複数の大日霊女達の伝承を纏めている事がわかりました。

辛嶋は隼人達とは友好関係を築いている筈ですが、秦の方はフグやナマズ(どちらも苗族のトーテムの一つ)を封印した(制圧した)過去があるのでしょうか???

でもすずたま様の書き込みだと、熊襲(呉系楚人?)と秦氏は同盟関係を結んでた様な感じもするのです。
苗族もそうである様に、秦氏も一枚岩じゃないんでしょうね。
9750
返信する
上宮王家系図 (禮月)
2017-05-07 01:35:19
伯母の話から上宮王家の系図が少し纏まったので、判明している範囲で載せておきます。

勿論日本書紀や古事記記載の内容とは大きく異なっているのでご了承下さい。

景行天皇(500年前後~570年前後か?)

敏達天皇(538年?~585年?)

欽明天皇(570年頃~630年頃との事)
この人も聖徳太子のモデルの一人だそうです。即位後暫くは蘇我馬子が摂政をしていたと言っていました。

考徳天皇(596年?~657頃との事)
同上です。

斉明天皇(661年没との事)
因みにこの斉明天皇こそ、日向だと伯母は言っていました。
返信する
山下影姫はやはり乳母だとの事 (禮月)
2017-05-07 11:56:16
伯母からの言葉です。

武内宿禰(応神天皇)の母とされる山下影姫ですが、やはり彼女は生母ではなくて乳母だと言っていました。

仲哀天皇の生母かつ武内宿禰の妃に山下影姫の孫娘か、影姫の妹の孫娘だった女性がいるとの事です。

ただ山下影姫一族は応神の皇后だったギ・カン皇后とは仲が悪かった可能性が高い、とも言っていました。何と山下影姫はヒミコの血も引いていたとの事でした。ただこの事は、系図上からは絶対に判らないそうです。

元正女帝(実は聖武天皇生母)、聖武天皇、考謙女帝(実は聖武天皇皇后)は、この武内宿禰周りの本当の系図を知っていたとの事です。
返信する

コメントを投稿

神霊界考察」カテゴリの最新記事