吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

FC2BBSから移動しようと目論んでいます。
http://reyline.web.fc2.com/index.htm

砌霊剣の鋭さ No492

2018-08-04 23:12:31 | 神霊界考察
イザナギが火之軻遇突智神を斬った霊剣は天十握剣の「天之尾羽張剣」だとされるが
この剣は八岐大蛇退治の時に「蛇之麁正」と名付けられている。
この十握剣はいつの頃かイザナギの子のタケミカヅチが所持したのか
あるいは別のものなのかの詳細は分からないが、
のちに神武天皇が東征途上において熊野での敗北受難の際に
タケミカヅチから高倉下を通して十握剣の韴霊剣が授けられている。
その後石上神宮に預けられるのだがその時には布都御魂剣と呼ばれている。

さてイザナギが火之軻遇突智神(火之迦具土神)を斬ったというのは霊的に言うと
水の要素と火の要素を切り分けたということになる。
切った際に淤加美神=龗神 水の神霊と
建御雷神 雷の神霊などが産まれていると記紀に記載されているが
実際には純粋な火のエレメントである火産霊も産まれていると推察する。
火の神の名前は伏せられたままになっている。

過去においてその斬った時々で天十握剣は名前を与えられているが
カグツチを斬った際の天十握剣の名前を以前より探していた。

先日、香川県高松市一宮町の田村神社の由緒書に興味深い文を見つけた。
この田村神社は以前吉備津彦命の調査でかなり調べた神社で
香川県東かがわ市の大水主大明神とも呼ばれる水主神社と共に
倭迹々日百襲姫命を祀る神社で定水大明神とも呼ばれる。

この由緒書に「天隠山命は高倉下命(たかくらじのみこと)とも申し
神武天皇御東征の砌霊剣を奉っ て偉功を立て給ひ後
御子天五田根命(又の名を天村雲命(あめのむらくものみこと) )と共に
紀伊国より当国に渡らせられ山河を以て
国郡の境界を分つなど開拓水利の基 を定められた。」

ここに『砌霊剣』とあるがこれは一般に言われる韴霊剣のことである。
砌みぎりの意味とは「水限(みぎり)」の意で、雨滴の落ちるきわのことである。
雨滴の雫が石畳に落ちて穴を穿つがその石畳も砌とよぶが
砌は水と水滴と、又水滴と石畳の境界をも意味する。
まさに火之軻遇突智神から火と水とを切り分ける霊剣を『砌霊剣』と呼ぶのは
切れ味鋭く妙味がある。



※さくら様から石切剣箭神社との関係についてコメントをいただいたので
砌という一文字の漢字が日本で石切から派生した可能性について探ってみたが
中国の説文新附には既に載っているので10世紀以前にすでに中国で
使われていたことは間違いない。
石切剣箭神社は物部氏の祖 伊香色雄命が建てたとも言われるが
この伊香色雄命が石上神宮に布都御魂剣を奉納しているので
この神社名の石切剣は砌霊剣の事で箭は天羽羽矢を意味することは間違いない。
ということは砌という一字の漢字を石切と読み間違えた可能性の方が高い。











コメント (9)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 霧島高千穂峰で呉音神に感応... | トップ | 特別投稿 禮月さま伯母の夢... »
最新の画像もっと見る

9 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
砌・みぎり (さくら)
2018-08-07 10:42:50
この「砌・みぎり」の字を観て、東大阪にある、「石切神社」を思い出しました。
正式名称は「石切劔箭神社」
「石切劔箭(いしきりつるぎや)」は御祭神の御神威が強固な岩をも切り裂き、貫き通すほど偉大な様をあらわしております。こちらは、でんぼの神様で、できものを切り取るのです。予防ではなく、できてしまったものの治療に効くとなります。身を切る、みぎりになります。
こちらには、八大龍王社があります。池もあった模様。


岩、崖から沁み出でる水を「鴨玉依姫」とみなして、
8月5日
京都上賀茂神社「賀茂別雷神社」に参拝しました。
鴨川でつむじ風に襲われたり、アイフォン水没しましたので、鴨川の上流の神社。あっ、鴨川で「サクナダクダリ」もしました。ちなみに、もっと上流には雲畑の「志明院」が在ります。こちらは、なかなかマニアックな場所です。頭の神様になります。

偶々、本殿・権殿の特別拝観でした。
金の獅子と、銀の一本角の狛犬がおり、影絵として、その対の絵が、扉に書かれていました。
本殿と権殿は大きさも造りも全く同じなのです。
神主さんのご説明では、万が一の時の為に同じものを用意しているという御話でした。
しかし、この水主神社の砌・みぎりの事を知りますと、この権殿には、隠された「秘・火のエレメント神」の事ではないかと思いました。

葵祭では、貴船神社の桂の葉と葵の葉を依代として身に着け御祭りする、、ここで、うん?貴船も関係するの?と密かに疑問符。
絵馬に書かれている馬の色によって、雨ごいの種類が違うとか、、絵馬の由来とか、、本当は馬で神事をするが、馬は貴重なので、絵にかいて神事をした、、
ここは、競馬「くらべうま」といって、馬を競わせるために作られた神社だとか、、
角のような、立砂の上には、陰陽を顕すために、二本と三本の松の葉が刺さっているとか、
9月9日重陽神事では「烏相撲」をし、菊花をお供えする。烏相撲は子供がするので、菊慈童のことを思い出したり、、中国の故事です。八代の妙見祭に、菊慈童鉾みたいなのがありました。蘇鉄もいました。

「衣通姫」の摂社があり、「坐摩神五柱」があり、「ミズハノメ」「高龗神」「住吉三神」「賀茂玉依姫」など、あんぐりしました。特に、「坐摩神」。事前に調査はしていないため。参拝して知るという。。何故か、賀茂玉依姫の人形と一対一で対面する事態になり、一人別室に通された。このために来たのだから、当然と言えば当然かと納得しながら、、京都を後にしました。



返信する
十握剣 (さくら)
2018-08-14 22:33:05
宮崎の神話と伝承より
https://www.pref.miyazaki.lg.jp/contents/org/chiiki/seikatu/miyazaki101/shinwa_densho/090.html

東霧島神社は神石があり、その切り分けた跡で、「十握剣」をご神体とあがめている。

十握剣
戸矢学氏の「三種の神器」より
熱田のご神体「草薙剣」がヤマタノオロチの体内から取り出された剣であるなら、そのオロチを退治した剣「十握剣」はどこか。
鹿島神宮、中臣鎌足を始祖とする藤原氏の氏神
ここに、展示されている。
271メートルの長刀。国宝。
勝者の剣であり、草薙剣「天叢雲剣」は敗者の剣。
これは、不比等のたくらみで、八岐大蛇を蘇我氏に例え、鎌足をスサノオに擬えたのであり、鹿島神宮の剣は十握剣かどうかは、わからない。
返信する
単位間違い (さくら)
2018-08-15 21:09:03
271メートル⇒271センチメートル
271メートルだなんて、あり得ないですね。
春日大社宝物展でも、3メートルの長い刀見ました。
あれは、もしかして、十握剣の模写なのかもしれないです。
説明では、春日大社の御神体だとのことでした。

「三種の神器」の原型は古代中国である。
「三種による王権の象徴(王器)」の起源は、紀元前4500年ごろときわめて古く、黄河文明よりも古い揚子江文明に発する。良渚文化。都市国家として、最古だが、長江の氾濫洪水によって、滅亡した。その後、夏王朝が誕生し、夏は良渚をそのまま受け継いでいる。
紀元前4500年前から始まるこの国家は「都城」を持っていた。その王宮に当たる場所から、大量の玉製品が発掘された。古代中国では、「玉」は「魂が宿る聖なる石」であり、それの原点が良渚文化である。
三種の王器とは、玉琮、玉璧、玉鉞である。
・玉琮は、宇宙を自らの手につかむという、天空は円形、大地は方形という哲学、筒型。
・玉璧は、富の象徴であり、円盤形
・玉鉞は、軍事であり、マサカリである。

古代中国では、天子たるものとして、封禅の儀を自ら執り行う。
封禅とは、山東省の泰山でおこなわれた究極の国家祭祀のことである。

返信する
広田神社 御宝物 (さくら)
2019-06-18 17:06:08
剣珠……「日本書紀」仲哀天皇2年(193)の条に、「神功皇后が関門海峡長門豊浦の津に泊まり海中より如意珠(こころままのたま)を得らると見ゆるも是なり」とあり、剣の形の現れたることから、剣珠と称された現存する日本最高最古の如意宝珠です。八幡大神(應神天皇)・神功皇后に戦勝を授け、高野山を鳴動させた神通の霊宝として著名です。

※高野山を鳴動??
という事は、肝川龍神=仮押さえ高野山の88の荒魂=南宮神社の如意宝珠=神呪寺が広田神社奥の院=鷲林寺となりそうな気配

《劔珠》はいつの時代からか廣田本社に秘蔵されておりますが、中世以前には廣田神社の別宮の浜南宮(現西宮戎神社神域)の根本社である南宮(廣田神社境外摂社)の本殿に祀られており、 その社殿床下には火災等の非常の災難から奉護する為、井戸の設けが有りました。 此の神井は、前出の『梁塵秘抄』に「南宮の宮には泉出でて垂井の御前は潤ふらん~」と謡われ、灘の酒造りを支える世に有名な「宮水」の起源ともなっています。

※剣珠は「日、火、霊」の要素を持つものなのか、本殿の下に井戸があり、お酒造りの宮水。

広田神社の荒魂は、大和の国の大和神社の祭神で、大国魂大神かとも思っていまして、

=垂仁天皇の御世に現れた大国魂大神について=
 第十一代垂仁天皇26年10月天照大神を伊勢に遷宮された時、大国魂大神(やまとおおくにたまのおおかみ)が大水口宿禰(おおみなくちのすくね)の夢に出て言われるのは、「初めの約束は、天照大神はすべての天原(あまのはら)を治め、代々の天皇は葦原中国(あしはらなかつくね 日本の別名)の諸神を治め、自分は自ら地主の神を治めることであった。先皇は神祗をお祀りになったがその根源を知らず云々」と祀り方に不満を述べられたため、渟名城入姫命(ぬなきいりひめのみこと)に命じて、神地を穴磯邑(あなしむら)に定め、大市の長岡岬(ながおかみさき)にお祀りなされた。しかし、渟名城入姫命も髪が抜け、痩せ細って祀ることができなかったので、大倭直(やまとのあたい)の祖、長尾市宿禰(ながおちのすくね)に命じてお祀りされたとのことです。



返信する
倭迹迹日百襲姫命 (さくら)
2019-06-21 08:20:41
大国魂大神の事を調べていますと、どうしても、倭迹迹日百襲姫命の事も関わってきます。

『日本書紀』では崇神天皇7年8月7日条に見える倭迹速神浅茅原目妙姫(やまととはやかんあさじはらまくわしひめ)

この名前をみて、
目妙というのが、妙見ではないかと最初思いました。
目妙=「まくわし」と読みます。
名前の中にある、「茅原」というのも、どこかで見たことがあると思い、
役行者の生誕地、吉祥草寺です。

634年に大和国葛城上郡茅原郷(茅原村)(のち掖上村茅原、現在の奈良県御所市茅原)に生まれる。父は、出雲から入り婿した大角、母は白専女。 生誕の地とされる場所には、吉祥草寺が建立されている。

以前、岡山の由加神社に行き、奥の院が妙見神社でした。由加大権現は、如何にも奈良金峰山寺の蔵王権現の雰囲気を醸し出していました。
役行者小角は、岡山で虚空蔵菩薩か、求聞持法を得たという文献を読みました。
岡山に「五流尊瀧院」という修験道の寺院があります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E6%B5%81%E5%B0%8A%E7%80%A7%E9%99%A2
※奈良時代に入ると皇室の熊野崇敬と相まって天皇の崇敬を受け、天平12年(740年)聖武天皇が児島一円を社領として寄進した。天平宝字5年(761年)には紀州熊野と同様の社殿(十二社権現宮)を整え、付近の木見に諸興寺と新宮を、山村に由伽寺と那智宮(現・蓮台寺、由加神社)を建て新熊野三山とした。


大国魂大神において、眼目(めめ)のつく人物が居ます。
遠津年魚眼眼妙媛(とおつあゆめまくわしひめ)

記・紀にみえる崇神(すじん)天皇の妃。
「日本書紀」によれば,紀伊国(きのくに)の荒河戸畔(あらかわとべ)の娘。豊城入彦命(とよきいりひこのみこと),豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)を生んだという。「古事記」には遠津年魚目目微比売とある。

返信する
玉津女神社 (さくら)
2019-06-24 18:36:36
夏至の日に、滋賀県を訪れました。
蓮の花か、梅花藻を見たかったのです。
そこで、気になる神社に参拝し、感応があったのが、「玉津女神社」という摂社になります。
この玉津女神と言うのを、調べていました。
紀ノ國、玉津島神社、井手町玉津岡神社。
この辺りの祭神とも絡むのですが、、
一番近いのは、
どうも、石上神宮の七座社の祭神の一柱だと思います。

天神社には、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)・神皇産霊神(かみむすびのかみ)の二座を、七座社には、生産霊神(いくむすびのかみ・中央)・足産霊神(たるむすびのかみ・生産霊神の右)・魂留産霊神(たまつめむすびのかみ・生産霊神の左)・大宮能売神(おおみやのめのかみ・足産霊神の右)・御膳都神(みけつかみ・魂留産霊神の左)・辞代主神(ことしろぬしのかみ・右)・大直日神(おおなおびのかみ・左)の七座をお祀りしています。 両社の九座は、 生命を守護して下さる宮中八神に、 禍(わざわい)や穢(けがれ)を改め直して下さる大直日神を併せてお祀りしたもので、 当神宮の鎮魂祭(ちんこんさい)と深い関係があり、 上古から御鎮座になっていると伝えられています。

この中の「魂留産霊神」のことでしょう。
たぶん、お守り「玉のを」の麻ひもの部分ではないかと思います。


建部大社では、大きな古い日月星の三光の灯篭がありました。移築してきたはずです。
足羽神社、城南宮、舟津神社しか、三光は確認していませんでしたが、建部大社にもありました。

穴師坐兵主神社に去年参拝していまが、その時、気になる祠が「祖霊社」でした。
その穴師と言う土地は、元は「大和神社」になりますので、今回の玉津女神は、やはり、石上神宮「布留社」の玉のをに掛かる麻ひもで良いと感じます。


返信する
とよひるめ・白雪とか白玉とか浮かびます (さくら)
2019-06-24 22:46:42
とよひるめ
=トヨウケビメは、日本神話に登場する神である=

豊受大神宮(伊勢神宮外宮)に奉祀される豊受大神として知られている。『古事記』では豊宇気毘売神と表記される。『日本書紀』には登場しない。別称、豊受気媛神、登由宇気神、豊岡姫、等由気太神、止与宇可乃売神、大物忌神、とよひるめ、等々。

『摂津国風土記』逸文に、 止与宇可乃売神は、一時的に摂津国稲倉山(所在不明)に居たことがあったと記されている。また、豊受大神の荒魂(あらみたま)を祀る宮を多賀宮(高宮)という(外宮境内社)

崇神天皇の御世、豊鍬入姫命(とよすきいりひめ)が天照大神の御杖代として各地を回るときに、最初の遷座地が丹後であった。その比定地はいくつか存する。

伊勢神宮外宮(三重県伊勢市)、奈具社(京都府京丹後市)、籠神社(京都府宮津市)奥宮天真奈井神社、比沼麻奈為神社(京都府京丹後市)で主祭神とされているほか、神明神社の多くや、多くの神社の境内社で天照大神とともに祀られている。また、トヨウケビメを祀っている稲荷神社もある。

外宮の神職である度会家行が起こした伊勢神道(度会神道)では、豊受大神は天之御中主神・国常立神と同神であって、この世に最初に現れた始源神であり、豊受大神を祀る外宮は内宮よりも立場が上であるとしている。

「鎮魂歌」があるのですが、
意味不明な箇所も多いのですが、石上、三輪山、穴師などの奈良盆地東南部の地名と、「豊日孁とよひるめが御魂欲す」という歌詞。

水とマガタマ・真型魂とフル、布留。
それを(御魂)、箱に納めるのかどうか、、妄想というか、よくわからないし、知らんし。
箱は玉手箱のような気がするし。
しかし、最近、地震が多いですね。



返信する
瀬見の小川。蝉の鳴き声。 (さくら)
2020-08-06 00:14:18

ひぐらしの蝉の鳴き声から、冷気を感じて調べていたのですが、、
下鴨神社に瀬見の小川があることを知ります。

京都市左京区松ヶ崎を出て南流して賀茂川に入る泉川が,下鴨神社境内の糺森(ただすのもり)を通過する部分を,現在〈蟬の小川〉と呼ぶ。しかし,初見の《山城国風土記》逸文では,賀茂川の本流をさして〈石川の瀬見の小川〉と呼んでいる。鴨長明《無名抄》でも〈是ハカモ川ノ異名也。当社ノ縁起ニ侍ベリ〉という。現在の〈蟬の小川〉に転じた時期は不明。鴨長明の歌に〈石川やせみの小川の清ければ月もながれを尋ねてぞすむ〉(《新古今集》巻十九)とある。

※後々考察に使うと思われますので
φ(`д´)メモメモ...しておきます。


.
返信する
砌霊剣 (さくら)
2020-08-07 18:00:22
蝉について色々と思う事があり、調べています。
蝉時雨って、言葉があります。
蝉の鳴いている音が、しとしと降る雨を表しています。
蝉は、カメムシの仲間なので、、「水」と関係するのかな?と感じます。
松尾芭蕉の有名な句。
「閑(しずか)さや 岩にしみ入る 蝉の声」
「静か」が、「閑」という字を使っています。
この閑、カン、ヒマの字をみて、
生目神の平景清さんの、景は、景行天皇の「景」であり、髪長姫は本当は「景」長姫であり、同じ意味だと思うのです。
山下影姫の影は景なんだと思います。
景行天皇は
ヤマトタケル・日本武尊の父です。
本当の事は、隠されていると感じました。

それで、この「岩に染み入る蝉の声」は、、砌剣のことだと、、蝉の声はは水の音を表し、水で岩を穿つ様子を書いていると感じていまして、
この俳句を詠んだ場所は、
山形県の立石寺で詠まれています。
句意として
岩石が重畳(ちょうじょう)した山上には立石寺(りっしゃくじ=りゅうしゃくじともいう)がある。辺りには松柏の老樹がそびえ土石にも苔が生え、文殊堂、薬師堂などすべて扉がしまっていて物音も聞こえず佳景寂寞(かけいせきばく)としている。その静かさの中で聞く蝉の声は、まわりの岩にしみ透ってゆくように一層静寂を引き立たせ、心澄みゆくのを覚える。

立石寺は、巨大な岩山に林立する御塔群からなります。860年に清和天皇の勅命により、円仁が開山したとされます。円仁は、この山を開くにあたって、岩壁の前で香を焚いたとされます。この岩璧は今でも、「香の岩」として伝わっている。古代から、この岩山が仏教伝来より以前の縄文時代からの磐座信仰の聖地でしょう。
現在でも、死んだ人間の歯を奥の院に納める風習が残っています。ここを訪れた芭蕉は永遠に続く、「生と死」に向き合い、蝉時雨の中、トランス状態になり、生命の象徴を感じ、磐座は生命を超越した永遠の宇宙エネルギーを通じ、生命の象徴の蝉の声はその岩に吸い込まれ、帰っていく。

※この象徴的な意味を何故か、砌剣のことだと捉えたのですが、縄文時代から続く磐座に、香を焚く。
歯を納める。もやもや、まだ答えは出ません。



返信する

コメントを投稿

神霊界考察」カテゴリの最新記事