吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

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特別投稿 禮月さま伯母の夢啓示のページP4

2016-07-30 12:59:44 | 神霊界考察
コメントが長くなり読みづらいと思いますので
このP4に続けてください。
20160715作成 吉田一氣


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214 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
吉田様 (禮月)
2016-10-03 12:51:27
毎回有難うございます。
ご厚意を心から感謝いたします。
9580
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とくこ様 (禮月)
2016-10-03 13:14:12
そうでしたね。
不比等は橘の女性を強奪して妻にしたんでした。
忘れていましたごめんなさい。

藤原の今までの悪行を考えると、橘の女性を強奪して迎えたくらいでは、姫神も磯良も怒りが収まらない気がするのです。伯母説ですが、藤原宮子は蘇我赤兄の孫で長屋親王とは従兄妹だったとの事です。長屋親王が新しい藤原王朝に自らの従姉妹贈ったのも、祭司の関係上の理由があっただろうとも思えました。

隼人系の橘、牛系苗を祖先に持つ蘇我、そして河豚系苗の血筋を持つオオガの女性の三系統の苗族の血筋の巫女達が春日を祭司したのかもしれません。
5335
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禮月さまへ (とくこ)
2016-10-03 19:33:08
春日権現験記絵巻では、春日大明神が橘氏の娘に憑いて神託を下し、明恵上人の天竺への渡航を止めたことがあります。橘氏娘は高い所に飛び上がって宣託を下します。
春日大明神は絵巻では夢の中では、竹の上にいる正装の貴女として描かれています。(隼人の竹か?)

お能では後シテの猿沢の池の八大竜王のようです。藤原氏の宮守の翁とは違う神とされています。ということは、春日大明神=八大竜王(九頭竜大神?)
安曇磯良が春日大明神で、八大竜王なのでしょうか?

春日「大」明神(藤原氏の春日の宮守の翁とは違う)が憑くのは橘氏娘のようです。

どうして藤原氏の娘に憑かないのか不思議だったのですが、藤原氏の氏神は春日「大」明神ではないからでしょう。

藤原氏は春日氏から春日の土地を取り上げ、橘氏に鹿島明神を運ばせ、春日大社を建てさせます。

春日大社の土地を譲るように春日氏と交渉したのが春日氏と同族の粟田真人(長屋王)だったそうです。春日氏は藤原氏に追い出された腹いせに春日大明神とか大春日氏とか称したりしたそうです。

春日氏の祖神のほうが元々の春日大明神ですのに、藤原氏の祖神が春日「大」明神だとワザと歴史で錯覚して混同するようにしてきたみたいですね
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禮月様へ 鯰と蚩尤の補足です (とくこ)
2016-10-03 19:59:13
何度もすみません

河豚もナマズも蛇もウナギも雷魚も「狗魚」て゜河豚=鮎=鯰ですので、苗族の蛇(女媧と伏羲)はトーテムとしては鯰トーテムと同じなのです。

九博の苗族の冠のアップの太陽の鳥の翼を見ていただくと、龍(蛇)になっています。
二匹の鯰トーテム=鳳(おおとり)であることが表現されていると私は考えます。

ウナギはぬめぬめの蛇で、ヌルヌル系で、蛇が翼になっていて、三角縁神獣鏡では、翼(魚のひれ?)を持った蛇??として女媧と伏羲は表現されています。もしかしたら、ウナギ???と思ってしまいました。

蚩尤の角は伏羲と女媧(蛇?)ですが、中国・日本でも兵主神とされていることから、ひょうず→ひょすべ(兵主神の一族)→河童になって、あの神楽のトンスル頭の神になると考えています。
兜巾の原形をあの頭に載せていたので、それが河童のお皿になったのかもしれません。
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粟田真人は653年に記録があります。 (禮月)
2016-10-03 23:57:05
とくこ様へ
粟田真人が長屋親王と同一人物???
だとしたら生没年がこの二人は大きく異なるのですが・・・

あくまでウィキペディア情報ですが、粟田真人の活動は653年に僧侶として唐へ赴いたという記録があります。更に没年は719年です。どう見ても高市天皇の息子にはなり得ないんですよね。高市天皇の生年は諸記で654年、伯母説で660年との事です。ただ、粟田真人の孫が長屋親王ならありかな?位には思いますが。

春日大社は蘇我のものでもあった様です。
春日≒後の香宗我部で、蘇我+秦+和邇+阿多隼人の様な感じかな?と伯母の話から推測しているのですが。

ナマズ=フグ=鳳凰なら隼人族と同族ですね。
となると、大神(オオガ)と隼人と辛嶋も皆同族ですね。
6806
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オオガは熊鰐みたいです (Unknown)
2016-10-04 08:22:49
禮月さま

確かに藤原不比等(六五九~七二〇)
右腕として知られる粟田真人朝臣(?~七一九) 和珥氏・春日氏の後裔
粟田真人が紀州日高郡の海女から探してきた美女を不比等が養女とし、文武天皇夫人藤原宮子となって七〇一年に聖武天皇 を産む

Wikipediaは表の歴史で
藤原氏が追い出した春日氏の春日神社などでは、宮子を探してきたのは長屋王ではなく、粟田真人になっています。それで長屋王=粟田真人だと思ってました。

和珥氏で気がついたのですが、ワニ氏が理由があって、粟田真人に変えたのではないでしょうか?

ワニ繋がりで、
http://lunabura.exblog.jp/19528271/参照

「太神」は「於保三和」と平安時代には読んでいた
七支刀を掲げる異国の神像のある「こうやの宮」の所在地太神(おおが)
この宮の正式名は「磯上物部神社」というそうです。

熊鰐さんが率いる遠賀水軍がオンガ、オオガともいい、
その上流から山越えしたら大己貴神社(朝倉市)に出る。

熊鰐さんは岡田宮(北九州市)に祀られていて、こうなっています。
(熊手宮)大国主命(オオクニヌシノミコト)
少彦名命(スクナヒコナノミコト)
県主熊鰐命(アガタヌシクマワニノミコト)
熊鰐さんは出雲系なのです。


そして丹生都姫の子(子孫)の高野明神(犬飼明神)の「こうや」はこうや
ただ、この丹生都姫が誰なのか、まだ不明なのです。手力男の娘が丹生都姫なら、もう親戚だと思います。

こうや・かふや、かや・・・下照姫の別名は「かやなるみ」
下照姫は海部氏系図では出雲の大国主の一族となっています。

オオガ氏はオンガ・遠賀の発祥なのでしょうか?
遠賀川式土器か何かが尾張と遠賀のみに広まって、と聞いたのですが。饒速日命(火明命?)が遠賀川を遡って瀬戸内海・尾張に至ったとすると、饒速日命か火明命繋がりなのかもしれません。尾張にいた氏族と繋がりがあったかもしれません。

オオガさんもこれからすると出雲系なのでしょうか?

石上神宮は磯神で安曇磯良でしょうか?

春日氏も橘氏も血のつながりがあります。
トーテムは違うけど同族かもしれません。
天日鷲が同族の伊勢津彦を攻めて伊勢をとったということもあり、やはり同族ではないでしょうか?
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参考になるかな? (りひと)
2016-10-04 09:05:16
 磐隅皇女(いわくま)さんの事が気になっていてこの一週間くらい開きっぱなしで忘れないようにしていたお名前。歴史に中の記述なので参考になるか?今は分かりませんがタイミングなのでコメしておきます。欽明天皇と堅塩媛との間の方で同母の兄は橘豊日大兄皇子(用明天皇)で聖徳太子の父になる方?。同母の妹は敏達天皇皇后となった額田部皇女。この関係が以前から特に気になっています。

熊の音とノーベル賞の大隈さんの隅とのタイミングで気になったのですが。
姫の方がクマで兄の方が橘とするとまず橘は消されますし、またその弊害として妹が神事系で使われるクマ?磐イワのキーワードも焼津の虚空蔵でも欽明の辺り。一般的には物部と解釈されているようにも。欽明さんのお妃さまは稲目の流れみたい?なので紙一重の関係。

あくまでも歴史の中での一コマ、これから何が分かって行くのか?気になりますね。

この前、飛騨高山では天神さん、名古屋では泥江県神社の御守りがやってきました。あがたぬしって言葉は以前から好きでしたけど、あがたが出てきたのでタイミング便乗しました。

そう、私はワニ系以前からのこだわり理由かも?悪いウサギに悪者にされていますが、本物のウサギが出てきたサポーターになれるといいなあ。8191
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額田大(布津)姫と邪なウサギ (禮月)
2016-10-04 11:46:44
りひと様
悪いウサギですか。
私は、平安時代の宇佐氏が果たして本当に兎狭氏の末裔か、疑わしいと思います。兎狭氏が和邇氏に宇佐を追われたのを良い事に、藤原に唆されて兎狭氏を騙って和邇氏から何もかも奪ったのでは?

額田大(布津)姫の兄(用明天皇は架空なので、明明ではない)の息子が考徳帝=上宮帝の正体の可能性が高くなりました。彼は物部大王家の天皇で、621年に崩御したお方では?
6362
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蘇我泊馬(そがのはつま) (禮月)
2016-10-04 14:08:55
昨晩、私の枕元に古代の衣装を纏った男性が毛並みの良い黒馬に乗って現れました。
男性は20代後半で自らを「蘇我泊馬(そがのはつま)」と名乗っていたのです。

泊馬様は私にこんな伝言を残して行きました。
「龍もミヅチも鳳(おおとり)も牛もそして鮎も、皆平等で勝ち負けなど無い。こればかりは余が伝えねばならぬな。だかそれを皆に伝える前に、余は崩れてしまった。上宮と共に。」

蘇我泊馬という人物は、初めて聞いた名前です。何者なんでしょう?!言葉遣いからして、天皇か皇太子に相当する位の身分がありそうです。「上宮と共に」という言葉が物凄く気になります!
7223
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現世の不安回避出来た。 (りひと)
2016-10-04 14:47:51
ここのところ悩んでまた不安に思っていたことが一つ目処がつきました。
そこでコメみたら孝徳さんですかありっぽい。

また夢黒馬の方ですが、黒い馬は将門系かイソラ系だと私の中では思っています。さんずいの水と白ってのも白山権現にもつながる男性の方のようには思います。

そう、みんな平等で自分の適材適所で一族同志協力していたはずです。そこに争いはなかったのに、争いとされて子孫への変な力を生みだしていたのか知れませんね。

上宮と共にって事は小野妹子ってのもありかもしれませんね。今でも柿渋やバジルや海藻等や山の草の効能等も改めて過去にもっと以前のままで研究続けていればもっとノーベル賞も取れていたのでしょうね。岐阜辺りにノーベル街道もあるくらいですから、東京以外が活躍してくる理由も見えてきそうですよね。

龍は若干うさんくさいと思っていましたが夢の方が筆頭の入れたのも意味を感じますし、蛇の違う表現なのか面白い語句まで。何か進展してきたのか?逆に路線変更を促してヘルプしてくれているのか?今後分かりそうですね。1406
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