初篇のコメントが長くなり読みづらいと思いますので
このP3に続けてください。
20160817作成 吉田一氣
『特別投稿 禮月さま伯母の夢啓示のページP1』へのリンク
『特別投稿 禮月さま伯母の夢啓示のページP2』へのリンク
『特別投稿 禮月さま伯母の夢啓示のページP3』へのリンク
『特別投稿 禮月さま伯母の夢啓示のページP4』へのリンク
P2最終コメント
でも断片的な情報だけは (禮月)
2016-08-17 12:43:32
伯母がどうしても伝えないといけないと言った部分だけはここに載せます。
例の集団の起源はネットで噂されているより遥かに古い。
フランス王家のカペー家と藤原五摂家は幹部クラスにおり、他にも幹部となっている世界の名家がある。
伽耶諸国と蘇我大王家の滅亡にも大いに関与していた。
秦氏の一部と徳川一族の過半数はシンパになっている。
ハプスブルグ家とロマノフ家はこの組織?の幹部に乗っ取られて王朝終焉となった。
人間から動物を出産させようとしている。
(個人的にこれが一番ショッキングでした。)
4567(ゴロが良すぎです。)
6816
このP3に続けてください。
20160817作成 吉田一氣
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『特別投稿 禮月さま伯母の夢啓示のページP3』へのリンク
『特別投稿 禮月さま伯母の夢啓示のページP4』へのリンク
P2最終コメント
でも断片的な情報だけは (禮月)
2016-08-17 12:43:32
伯母がどうしても伝えないといけないと言った部分だけはここに載せます。
例の集団の起源はネットで噂されているより遥かに古い。
フランス王家のカペー家と藤原五摂家は幹部クラスにおり、他にも幹部となっている世界の名家がある。
伽耶諸国と蘇我大王家の滅亡にも大いに関与していた。
秦氏の一部と徳川一族の過半数はシンパになっている。
ハプスブルグ家とロマノフ家はこの組織?の幹部に乗っ取られて王朝終焉となった。
人間から動物を出産させようとしている。
(個人的にこれが一番ショッキングでした。)
4567(ゴロが良すぎです。)
6816
ご好意を感謝致します。
伯母さまに従います。1338
本来は一昨日の夢だったのですが、時間が無くて書けませんでした。
伯母「諸記に書かれている葛木皇子と中大兄皇子はやっぱり別人よ。天智天皇とされている人も二人いる。これは3人のコメンテーターさん達の意見が見事に合致していたわ。ただ、誰が葛木皇子で中大兄皇子かは意見が分かれていたわね。葛木皇子と中大兄皇子の候補には蘇我連子、豊璋、翹岐、金春秋そして中には李元祥(唐の高祖の20男)を比定している人もいたわ。ただ、中大兄皇子の候補には二人目のコメンテーターさんがこの五人に加えて蘇我日向を上げていたのよ。史実の天智天皇は蘇我連子で一致していたけど、諸記に見られる天智とは連子と日向を除く四人のうちの誰かで議論が成されていたわね。李元祥は大野果安(大友皇子を裏切って天武に付いた果安の方)の正体とも三人目のコメンテーターが言ったわ。」
中大兄皇子が那珂大兄皇子なら日向の可能性が出てきます。安曇・句奴国・安羅そして高句麗の血統が見えてくる様な気がしました。
この場合、中大兄皇子は天智になったのではなく、 少なくても斉明として即位した事になります。
5140
8765(これもキリの良い数字です)
天智になる前の皇子は、蘇我の可能性はありそうに思います。ダイレクトに斉明に繋がると早く理解できるようにも。斉明は女性でなく男性がいたという事になれば歴史では消された可能性が明確なのでそこもショートカット出来る気がします。
またコメンテーターさんが異論を出す理由がこれまでもありましたが恐らくこちらも進まないと出てこない情報なのか?と思いますから4+日向ってのは興味深いです。4は、ホウショウさんがやはり私は気になりますね。以前は天智と鎌足がすりかわっていると思った事がありまして。鎌足がホウショウ寄りもっと遡るとしたらホウショウは入ってくるでしょうが、悪の根源的よりは藁人形かとも今は考えています。天智はある意味でのワンポイントヒッター的であり、天武へ繋がるストーリーの立役者になります。擦り寄っていた側は天武の方だと思います悪者と作るとまとまりやすいですからね。唐+百済の百済の使い方なのでは?と。いざという時はきれるそんな風にかな?
大野さんんは恐らく民族的にも怖い方なので果安の黒い方だと思っていましたけど伯母さまからも出ましたね。この戦いに強い民族になって行く前に同じ役割をした民族がいたはずでその転換期がハタヤスなのかもしれませんね。
納得です。
私はなんだか、稲目の方に遡った所に誘導されているようで前方後円墳が終わりかけて方墳、それも大昔も気になりNHKで見たのか?また縁ができたのか改めて出てきた都塚古墳に興味持ち始めました。稲目節がありますので前方後円墳との稲目の頃なので応神期から蘇我の流れへどうつながるのか?マイワークみたいです。以前伯母さま情報でいっぱい出た時代なので安心して探ってみます。5241
5961
コメンテーターさんの話しから、私は李元祥という人物こそが鎌足の異母妹が嫁いだ先の人物で、史実の不比等の実父ではないか?という仮説を考えました。諸記に中臣鎌足として記されている人物の中身です。不比等は実父李元祥に母方の伯父である鎌足の仮面を被せた。
つまり不比等は唐皇子(大野果安)の息子という事です。藤原は(とうげん)と音読できますし、壬申の乱以降に大野果安が天武に重用された事と、藤原不比等の台頭ぶりが全て納得が行きます。
李元祥と高宗は叔父と甥の関係ですが、歳が殆ど離れていないか下手をすれば叔父の元祥の方が年下の可能性があります。不比等は高宗の従弟かつ武則天の娘婿でもあるそうですし。
3133
7348
中臣鎌足 ➡史実は豊璋か翹岐?
日本書記では李元祥≒大野果安で不比等の実父。
葛木皇子 ➡ 史実は蘇我連子でこちらが天智天皇。日本書記では翹岐か豊璋の実績が書かれている。
中大兄皇子 ➡史実は那珂大兄皇子で蘇我日向。こちらが斉明天皇。日本書記では翹岐か豊璋の実績が書かれている。
鵜野讃良皇后 ➡史実は鎌足の異母妹。母親は隋の元皇女で夫は李元祥。不比等の実母。日本書記では武則天と太平公主の実績が書かれている。
一先ずここまで
1616
今日たまたま通りかかった時のTVで子役の福くんが宗像大社の中津宮で七夕守りを買っていたのでそこから目が釘ずけでした。どうやら七夕発祥地なのか織姫社と牽牛社があるようです。また七夕のお話しが面白いんです。牽牛が指令で派遣されて4人の姫を連れてきた。その姫の一人と恋に落ちたが会えず。そこでお告げだかで8/7に桶に水を入れるとそこに姫の顔が浮かんだと。番組の人も会えて無いんだあと。びっくりしました。
この話今読んでいる本に同じような葛城の方がいて4人の技術者を連れていきていてその一人の地が桑の付く地で探していましたがなんか繋がるのかなあ?と。
また池田の姫様たちも百済でしたっけ?連れてきたのが葛城さんなら日向って、葛城さん?とかも。
まだまだ妄想ですがかなり面白くなってきました。
また、桶に水を入れたら顔が映ったって鏡の使い方そのもの。
男が鏡を使い、織姫に会えるんですから。常識と違うわけで。
おまけに天照大御神って養蚕と関係あるなんて事も教えて頂いたのでならば、養蚕と言えば私の中では蛾の安曇ですし、日向が安曇で中央から派遣されていたら凄い事になりますね。日向と海運は間違いな接点ありますから。
ちょうど斉明さんが大事とのメッセージ頂きましたがあの古墳も牽牛っぽい名前ですよね?五角形の。七夕のお話は祓いかと思っていたのが裁縫の上達祈願とか?色々な意味で興味深いです。
葛木さんと葛城さんがどういう関係かも?
そうそう一番びっくりしたのが、中津島があるのが大島だと紹介があったこと。
多岐都姫大好きですけど、大島も大好きなキーワードです。たしか沖津島からは又吉さんが潜入した際はペルシャかどこかの物も。
海運で凄いネットワークがあった一族なら全てを知っているでしょうね。2923
4世紀ごろは、かなりの先進技術がきている可能性がありそうですよ。
そうそう、私の七夕のお守りは神楽坂の赤城神社です。群馬には七夕伝説あるのか?調べてみます。2923
一方の大野果安は、天武について取り立てられた功労者であるはずなのに、生没年どころか出生地と終焉の地も曖昧で不明です。これはわざと書いていないとしか思えません。紀元前からずっと一つの王朝が列島全土を統治していた事にしたい不比等にとって、自分達唐の時代にやって来ては息長、辛嶋、蘇我、物部を王位から追い出して彼が持っていた物を奪い尽くしたなどという史実は何としても闇に葬り去る必要があるからです。大野果安の息子とさせる大野東人は蝦夷(関東以北の先住民)討伐軍の総司令官に任命されます。これも玉藻狩として記録されているエピソードの元になっている様な気がしました。
一方の李元祥の方は、生年が不明なものの没年は680年と確定しています。出生地と終焉の地も判明してはいるのですが、記録に残っている実績が少ない上に妃や嬪の名前が残っていません。中国側の歴史編纂者は自分達と利害関係の無い相手の記録はほぼありのままを書くのですが、自分達にとって都合の悪い事は一切残しませんし。
未だ考徳天皇、天豊財天皇、中宮天皇(もしかしたら女帝?)、古人皇子、表米宿禰、有間皇子(有馬皇子かもしれません)の事は考察が進んでいません。善徳(舒明天皇)の直系は絶えている様に思えてきました。
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4976
うわあ、地震かも?
ちょい大野さんの事は忘れて見ましょっか?
段取りもありそうですから、今は小休止。
父の話では、どうやら上の世界にも秩序があり出たいとか話たいと思っても許可がないとって。
言えない理由なり、最低限のパーツなり何かが努力以外の所で時間的なものでまだ出せない可能性も。
安全センサーとして少し時を待ちましょう。その間の以前の伯母さまのお言葉も振り返ってみますね。
人間が作るものは所詮その利害が絡むことなのでしょう。その中で中立なり平等なりの意識は日本以外には感じられないくらいですから。そういう意味で立派な先祖が日本にいたことは誇りですし、善徳の子孫も必ず何らかの形で出てくると信じていますよ。だって自分のおじいちゃんのその先なんてみんな知らないですからね。
スルーしてみましょう。7783
動いてしまうんですよね、手が。
大野果安と唐の皇族の調査は、諸記に書かれた鎌足の虚像を払って実像を掴む為にも必要だと思っています。よく考えてみると、鎌足という人物は諸記の中で便利に使われ過ぎです。やっぱり唐・百済・金氏新羅等々、複数の人間の顔が鎌足の中に透けて見えるので。姓が中臣➡藤原になった経緯にも、何となくきな臭いものを感じます。鵜野讃良王妃や武則天(この両者は同一人物の可能性)が介入して、鎌足の嫡男定慧を廃して鎌足の後継に息子または婿を据えた様にも思えるのです。鎌足には百済の色が、不比等には唐・金氏新羅の色が強いと感じるので。
すずたま様
すずたま様は辛嶋系の霊統かもしれないのですね。だったら、長宗我部家にも同じ辛嶋の匂いを感じますか?それとも別の霊統の匂いを感じますか?最近は戦国武将の長宗我部元親と波川清宗の血統も気になり出しています。
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