吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

FC2BBSから移動しようと目論んでいます。
http://reyline.web.fc2.com/index.htm

新元号 「令和」 No512

2019-04-04 22:27:48 | 神霊界考察
久しぶりにTVをつけて元号発表を見させていただいた。
菅官房長官の報告も興味深かった。
「令和」という漢字そのものには特に違和感が無かったが
これからの社会と文化は『技術発展の令和時代』と呼ばれることになる。
平成時代に根を張ったものが芽吹く時代の到来を予感させる。

万葉集「初春の令月、気淑しく風和らぐ」が出典という事で
それは喜ばしい事なのだが
筆者も岩波書店の万葉集注釈にも書かれている以下の詩の転用の件が気になった。
中国文選巻十五の張衡の「仲春令月、時和し気清らかなり」

これは早速ネットで当日夕方には話題となっていた。
しかしまあ漢字二文字で元号を表わす決まりがある以上
中国古典を完全に避けることは逆に至難である。

「令和」の読みはReiwaだそうだが
万葉の時代の参照であれば「律令」「令義解」「令集解」の読みに習い
Ryouとした方が馴染む。
令の呉音はリョウ 漢音はレイであるがレイという読みは「冷」に繋がり冷たい。

また和の呉音はワで漢音はカであるので
「令和」は漢音のレイと呉音のワが合わさったものとなる。
なぜ柔らかな響きのある「リョウワ」としなかったのかが残念な気もする。

和は聖徳太子の「和を以て貴しと為す」という憲法たる詔令(みことのり)があるが
これも『礼記』に「禮は之和を以て貴しと為す」という言葉が存在する。

「令和」を総じると和を大切にせよと云う詔令(みことのり)という意味であり
元号として非常にいい意味となる。

ちなみに令については『弓梓弓と水の女神 断片集12 No182』
零・霝は令と通じ「よい めでたい」と結んでいる。
令はliengで零・霝はlyengで声が近く同じ語系といえよう。








ulala様へ
見つけられた歌碑というのは以下写真の歌碑でしょうか?



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31 コメント

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活日神社の竜型金ぴか金具 (さくら)
2019-08-04 07:29:24
近々遠出をするため、何かヒントが得られないかと思い、
「野間神社」古名「布留社」に参拝に行きました。
近くの資料館で、月峯寺・聖徳太子・日羅のDVDを貸出していないか尋ねたところ
教育委員会に直接問い合わせれば良いと分かりました。
こちらの資料館のケヤキは、神社の御神木であり、祭神は吉野蔵王権現説があります。

野間神社に参拝をして、やはり「野間半島」と何かしら関わりがあるのではないかと言う気がしました。
近くの「久佐々」という名前を私は、三輪の素麺発祥の「さいくさ」さんからかと思ったのですが、野間半島の「笠沙」もアリかもしれないと推測しています。
布留宮の摂社に、七郎神社があり、その祠に「龍の金ぴか金具」が掛かっていました。
あと、気になる摂社が「住吉弁天神社」になります。
陰陽の石庭もあり、月読神社もあり、祓戸神社もありました。
竜の金具はお知らせになるはずです。
創建が推古(605)と古いのです。
「鹿屋野比売命」、、11面観音、、
百済と新羅。勾玉。
返信する
霧島六所権現 (さくら)
2019-07-13 12:41:35
(゜-゜)実に残念です。
霧島六所権現+白鳥神社+古宮址+霧島神宮に参拝に行き、「乙護法童子」詣りは、完全制覇だと思っていました。
背振山は出向いてないですので、実はまだ未完です。

上記コメントの高千穂峰には登山はしていないのですが、ビジターセンターでのお話しでは、登山後の景色は
「この世のものとは思えないぐらい美しい」と、坂本龍馬役の福山雅治さんや西郷隆盛役のせごどんのスタッフが言ってたと聞きました。
それで、是非次回は登山に来てねと、、PRされていました。

偶々、性空上人の後継者はどなたなのかと調べていまして、、
「霞神社」と言う文字をみました。
白蛇がいて、この岩窟には昔から白い蛇が棲み、その姿を見ると幸運を授かると言われています。

五色の蛇と伝わる全長30㎝程度の小さな蛇が白蛇様と呼ばれる理由は、保護色であるためにいくつもの体色を有し、特に岩肌の白色に反応し、白い姿を私たちの前に表すからだそうです。俗にいう青大将の白化したものとはまったく種類の異なるものです。

狭野神社の別当寺だったみたいです。
狭野神社は格式高い雰囲気でした。
由緒のかいてある小冊子を購入しましたが、紛失しています。

確かに、狭野神社にほど近い道路沿いに看板が出ていました。修験者の守護と金運向上と書いてあった記憶もアル、、白蛇って、書いてある。
蛇さん行きたい、、と言いましたが、今からまだまだ、神社めぐりするから時間が無い、無理だと言われました。

看板観てたのに、残念です。
ネット画像で我慢します。1335
返信する
乙護法童子と鵜戸神宮 (さくら)
2019-05-31 16:16:36
私が感じた乙護法童子は、高千穂峰に御鉢と呼ばれる火口があります。上記コメントに書いていますが
その御鉢を実際に見ますと、赤と黒の縞模様でした。
丸い鉢の形の赤黒縞。鉢は蜂で、八なんだと思いました。まだ、はっきりと童子姿を感得できていません。
感覚と想像の域で、色々と予測はしています。

そして、油津の祇園神社。
鵜戸神宮と参拝に行きましたが、鵜戸神宮の入り口付近に神犬石があります。
本殿を守護するように見えることから、神犬石だそうです。豊玉姫神、稲荷の奥に吾平津姫山古墳。
洞窟の中で、滴り落ちる水。海の古代生物の死体からの栄養が含まれる水。海沿いを辿ると、洞窟元宮があるらしいです。

返信する
「高橋」さんからのリンクです2 (さくら)
2019-04-26 12:38:33
偶然にも「高橋」さんのお名前をまた発見したのです。
それは、霧島神宮での参道の灯篭の名前が「霧島神宮 宮司 高橋○○」と書かれていました。
高橋さんですか、、と気になり
調べてみますと、書写山円教寺の方が記事をUPしていました。
そして、霧島神宮は西の日光と書かれていて、、
談山神社のこともリンクされています。
確かに、本殿等彩色が派手に施されていて、美しいです。赤が基調で、鵜戸神宮の雰囲気も醸し出していました。大阪住吉大社にも、似ています。
宮崎神宮、鹿児島神宮、霧島神宮、鵜戸神宮この四社のことが霧島神宮略記に書かれていました。
豊玉姫、玉依姫が絡むことが多いのです。特に豊玉姫さん。
日光東照宮、、、
玉井宮東照宮。
御香宮神社で何故か、裏から入り最初の参拝は東照宮でした。
九州宮崎入りした日の夢は、うつらうつら、赤い気配の海の龍神国母、子供のようなやんちゃでいう事を効かないもてあますような龍神、、この事を何度も繰り返し見た気配があります。

高千穂峰を実際見ましたが、火口付近は赤と黒の縞模様です。
なぜ、二上、クシフルと呼ばれていたのかは納得しました。
登山はしていません。




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「高橋さん」からのリンクです (さくら)
2019-04-22 10:56:05
現実に電話をかけてきた主の「高橋」さんは
宮崎出身です。宮崎にある
「油津」と言う地名が、土蜘蛛伝承の「田油津姫」とそっくりで、名前の中に「つぶ」が入っているので、呉系だと思うのです。

それで、油津の由来を調べました。

 油津の地名は、神武天皇のお妃、吾平津妃のお立ちになった故地に由来し、吾平津神社の縁起にもなると言われています。
 吾平津神社は、海の民・油津の人たちの氏神でもありますが、古代神話に彩られる鵜戸の岩屋同様、油津も神代の浦であり、自然が織りなす天然の良港であったそうです。
 また、7世紀ごろ油津の浜に百済の王漂着の伝説が田野町に伝わっております。

特攻兵器「回天」の地→広島「呉」の大和ミュージアムを観て、私はこれが一番心痛めた兵器です。

堀川橋の西側の袂に鳥居がある。吾平津神社の鳥居だ。吾平津神社は「元明天皇の御代の和銅2年(709年)の創建」と伝えられているそうだが詳細はわからない。元々は「乙姫大明神」といい、1881年(明治14年)に「吾平津神社」と改名されたものだが、地元では今でも「乙姫神社」、あるいは単に「乙姫さん」と通称している。堀川橋は通称を「乙姫橋」とも言うが、その名もこの神社に由来する。吾平津神社はその名が示すように吾平津姫を祀り、天照皇大神、武甕槌命、天児屋根命、木花咲耶姫、経津主命、倉稲魂命を併せて祀っている。吾平津姫は神武天皇がまだ日向に居た頃の妃で、この油津の出生であったという。吾平津姫は神武東征には同行せず、油津の地に残って東征の成功と道中の安全を祈ったと伝えられている。吾平津神社は飫肥11社のひとつで歴代の飫肥藩主の崇敬を受け、古くから航海安全、商売繁盛の神社として人々の信仰を集めている。例大祭は11月14日に執り行われ、御神輿や獅子舞が町中を練り歩いて賑わうという。

油津の由来は、辿っていくと「乙姫」のようです。
場所的に日向なんですね。

堀川橋、めがね橋など、「橋」もでてきます。
以前、「霧島高千穂で呉音神に感応した性空上人」no
491

霧島 乙宮神社 (さくら)2018-08-26 23:09:01
霧島に乙宮神社がありまして、
祭神が豊玉姫命、•豊磐間戸神(トヨイワマドノカミ)
•櫛磐間戸神(クシイワマドノカミ)http://www.kagojinjacho.or.jp/search/airaisa/kirishima/post-240.html
http://www.komainu.org/kagosima/kirishimasi/otsumiya/otsumiya.html
乙姫からなのでしょうね。
性空上人に関係ないと思いますけど、門守り神がでてきましたので、
コメント残します

知らなかったのですが霧島神宮に「妙見温泉」が近いのです。
霧島高千穂って、鹿児島だという事も最近知りました。
和氣神社(護王明神)とそこから見える、犬飼いの瀧だそうです。









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いくたまさん (さくら)
2019-04-21 18:08:35
どのような展開になるのかはわかりませんが、
「活日・いくひ」と「玉のを」がリンクして
「いくたまさん」が気になりました。大直禰子神社の祭神、活玉「イクタマ」依姫。少彦名神。
この大直禰子さんって、「オオタ・タネコ」だと思っていたのですが、「おお」「田田根子・なおねこ」かと。
「おお」は「意富」で「直」はあたいの意味で、「おお」氏のネコ
この「ネ」は「権禰宜」など神職を表すのかと思ったりです。
「たたら」「たら」が「たた」に含まれそうなんです。
蟻通神社で
活玉依比売の末裔とされる意富多多泥古(おおたたねこ)と出てきていました。
禰が泥なんです。
これは、陶器を著しているのかと思ったりです。
陶器神社の祭神も、イクタマ依姫でした。「たたら」ですね。

三輪山には、子持ち勾玉が出土しています。
勾玉で、検索すると、
色々と出雲の玉造。ここは、温泉の神様と一緒なのもありました。
大阪の玉造。
「生玉社」
四天王寺の近くです。
もと、四天王寺は玉造稲荷神社・鵲森宮
この「かかさぎのもり」には、亀井の井戸もあったらしいです。摂社の名前が「呉香稲荷社」(本当はこの名前ではないです)「五幸稲荷社」です。

「元四天王寺が残る上町を散策」というテーマで
鵲森宮神社→森ノ宮遺跡→難波宮跡→玉造稲荷神社
→三光神社

三光神社も近くなんですね

それと、「勾玉池」がヒットして、
これが京都の妙音天で調べていた場所近くにあり、「護王神社」もすぐ近くだったのです。
勾玉池、妙音天、呉王神社、、、








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訂正です (さくら)
2019-04-20 21:52:09
訂正があります。
竹の音を、鳥の鳴き声、羽音と雷音と私は捉えましたが、
よくよく、考えますと、
雉は、飛ばない鳥で、鶏とか、孔雀の感じでしょうか。
私が聞いた音は、地面近くの音ではないですので、
この考えはやめておきます。
では、竹の音とは何だったのかは、、
また、いずれどこかで何かわかるかもしれないです。すみません。保留とさせて頂きます。

そして、「高橋」についてなのですが、
神奈備様より
今の昔も神様の事を柱という。一柱、二柱の呼称がそれである。 古代の祭りの多くに、巨木を立て神の降臨を促す行事が記録に多く残っている

「はしら」という言葉をもう少し分解してみると、「はし」という言葉と「ら」という接尾語に分けられる。  「はし」とは二点を結ぶものと解釈され、現在では「橋」「箸」或いは両端の二点を象徴的に現す「端」などにこの言葉は生きている。

あの、ulala様の記事にUPされた活日神社の龍の金ぴかの金具を見て、
この「はし」の二点をつなぐようになっていました。
とても良い感性ですよね。そんな、ご自分でおっしゃられる低レベルのスペックではないです。素晴らしいと思います。
祭神である高橋活日命の名前の由来のものを直感で見つけていますね。

そして、大神神社の東向きの図を載せられました。
この東向きというのが、日向でとても重要な感じがしました。活日神社は丁度、ベストポイントに位置していると思います。
「はし」は「箸墓」の箸もあるかな。
「はし」はこの世とあの世をつなぐもの。
「はし」は「ははき」とも関係ありそう。
「はし」は二つの縁をつなぐものでもあるかもしれない。
8980


 

返信する
ulala様へ (さくら)
2019-04-20 11:59:13
私へのコメントの返信ありがとうございます。
書き忘れていました。
熊本の高橋稲荷神社は、京都伏見稲荷からの勧請でした。
久延比古神社の参道の竹林の竹の葉擦れの音を聞きながら、
伏見稲荷の山の事をずっと、思い出していました。
神宝神社は、饒速日なんですね。
隼人のお守りと、人形の何かがありました。竜頭の何か織物の神様を祀ってられました。
龍の狛犬でしたね。
龍神がいるようです。それも扇と龍神のお札は2000円でしたけど、買いました。
宝船が、関係したかなぁ。記憶が薄いです。
活日神社で、龍の金具ですか?
記事を楽しみにしています。

鳥の羽の音を竹の葉擦れ音にして、ulala様のカーンから雷の音と合体して、雷震子を書きました。
確か、少子部さんは、三諸山の神様として、「大蛇」を捉えてきて、その大蛇は、目がキラキラ光っていたと思います。雷神でしょう。





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活日神社2 (さくら)
2019-04-20 11:23:58
「活日」を「いきひ」と読んでいました。
「一夜酒」と「活日」で、夜と日で、日月星も表している。
活きは、「息」で「壱岐」で「行」かと思っていました。
行は、行宮。坐摩行宮は、神功皇后と窗神。息長大姫大目。
壱岐は、月読み、武内宿禰の身代わり壱岐真根子。
息は、息長氏、「息のを」とは「玉のを」と同義。
「玉のを」は、石上神宮。物部氏は豊玉姫神を祭祀していたと思う。勾玉と袋。

和歌山の高橋神社の祭神は
日の饒速日、物部氏の祭祀する豊玉姫、火と雷と風。
18善神とは、8+8+2で18、対になっている。
蚕の社とは、対馬の和多都美神社。
壱岐と対馬は、近い。
豊玉姫としての名前ですが、この名前の「玉」は「息」のことなのでしょう。「息のを」の和歌に布をふるようなことが書いてあった。幣のことなのかと思う。
シデかもしれない。そうすると、雷とも、火とも関係する。
水の系統と火の系統と二通りあるのではないでしょうか、、、、二面性?多面性?かもしれない。



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さくらさんへ (ulala)
2019-04-20 10:40:03
活日神社の情報ありがとうございます。
龍の留金具を撮影したのは2017/3/19、石上神宮から大神神社へ、そして明日香へ。
以前岡寺の記事でコメント頂戴したことありましたが、あの日の午前中でした。
あまりに美しかったので、まだ削除せずに残してありますから、あとで拙ブログで画像アップして残しておこうかと思います。

葛城の笛吹神社は参拝したいと調べてましたので、和歌山の高橋神社のリンクも参考になりました。
教えていただいた情報をどこまで咀嚼できるかどうか・・・ここでいつも躓くのです。
返信する
活日神社 (さくら)
2019-04-20 09:13:05
実際、4月10日の私のコメントは、無感覚で書いています。感覚的に書くことを、超えているのです。
返信のしようがないと思います。
その後の、「たらし一族」の一連の私のコメントは、メッセージです。「心を病みかけた友人へ」です。
ulala様は私に対する返信は気にされなくてよいのですが、、、私のコメントに対する反応があったということは、活日神社について書いてもよいということだと、判断しています。
私の場合、あまり闇雲に何でもかんでも書いてはいけないようで、すごくセーブしながら、様子見ながら書いています。

活日神社には、「味酒」の名称が書いてありました。
これは、私にとって、武内宿祢さんからのメッセージとなります。鳴宮と竹の音も、実は武内さんからのメッセージとして受け取っています。それで、現地に出向いきました。大神神社は5年ぶりぐらいです。
そして、シンクロとして、活日神社の祭神と名前が一緒の「高橋」さんからの電話がありました。
わが家への突撃プロジェクトは大成功を納めたと連絡がありました。

活日神社は、元「一夜酒社」と呼ばれていたようです。
一晩で、三輪の神様に捧げるうまいお酒を造れたため。
夜に酵母が醸し出されます。ぶくぶく、泡でしょう。夜の星や月の神秘の力と食物の発酵と腐敗の分かれ目。
小さな小さな酵母の神様を祀った場所だと思われます。

高橋さんの名前の由来の神社があり、
奈良 高橋神社
それ以外に高橋の名前の付く神社も検索
和歌山 高橋神社
熊本 高橋稲荷神社 高橋東神社
西日本だけにしました。

奈良、高橋神社
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%A9%8B%E7%A5%9E%E7%A4%BE
祭神 磐鹿六雁命 (イワカムツカリノミコト)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A3%90%E9%B9%BF%E5%85%AD%E9%B4%88
ここに、武男心命と出てきます
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%8B%E4%B8%BB%E5%BF%8D%E7%94%B7%E6%AD%A6%E9%9B%84%E5%BF%83%E5%91%BD
武内宿祢さんの父だと思います。
味酒さんからの、武内さんからのメッセージですので、これで私の中ではオッケー、つまり了承なのです。
「いかり」という言葉も私が動かされた言葉になります。

一応、和歌山の高橋神社
http://kamnavi.jp/mn/kinki/takahasi.htm
神奈備様のサイトです。
ニギハヤヒ、豊玉姫、18善神、菅原道真公など、、
笛吹さんですので、、葛城の火雷神社です。

熊本の高橋稲荷神社は一番奥に、聖徳太子の祠があるのです。それも、八角形。池辺寺跡にも、聖徳太子の祠があったはずです。白い犬の逸話と。
高橋東神社は天社宮で、88放牛地蔵です。





 
返信する
おはようございます (ulala)
2019-04-20 08:04:06
昨夜は平成最後の満月、キレイに見えました。
そして今朝は上天気で気分も晴れやか。

ブログのコメント返しについては、なんか気の利いたこと書こうと構えてしまうと、ついつい。
そしてまたコメントお寄せくださる読者の方も同じような思いをお持ちなのかもしれません。
気軽に読んだよと反応するだけでもいいのでしょうけど。

普段の生活でスルーしたら、無視されたとか、いじめだのうるさいことになり、LINEでも既読スルーが面倒で離れる人もいますものね
ブログでは許されてると言うのは、顔の見えない相手だからでしょうか。
それでもあえてコメント投稿してくださることに、ブログ管理者は感謝してることと思います。

ついでに、ここんとこ誤字脱字入力ミスそのままうっかり投稿してるのが増えて、情けないな、これも老化の始まりかなと思っています。
お詫びして、適当に正しく変換してお読みくださいますようお願いします。
返信する
??? (さくら)
2019-04-19 20:05:50
えっと、よくわからないのですが、、、
ulala様が私の4月10日のコメントの返信が遅れて申し訳ないと言うお話しだと思うのですが、、
私のulala様への返信が遅いので、吉田様の嫌味なんでしょうか?
そこのところは、もうあえて深く突っ込みませんが、、、

何をどう書こうか、迷っていました。
あっ、そして、私のコメントは、吉田様も無視されているかの如く、空気のような扱いを受けていますので、気にされないでください。
本当に、私はこちらのブログにコメントを書いていいのか、迷う時も多々あります。
マイワールドであり、感覚的でなく無感覚で書いていたり、あと、メッセージを伝えたくて書いていたり、、
本人は、記事に則って、真面目に書いているつもりですが、ずれていると思います。

活日神社について、もう少し書こうかと思っていましたが、とりあえずulala様宛に送信させて頂きます。



返信する
吉田一氣 (ulala様への返信)
2019-04-19 18:49:01
お気を使わせて申し訳ありません。
律義さに感謝します。
私の身近な友人知人もこのブログ時々読んではいるみたいですが
コメントする律義さを持ち合わせてはいないようです。
まあお互いを全く知らないから自由に展開できるという側面もありますね。
これからも適当な温度でもって宜しくお願いします。
返信する
さくらさんへ (ulala)
2019-04-19 10:53:17
4/10に頂戴したコメントも読ませていただきました。ありがとうございます。
年度替わりでバタバタしてることもあり、私の容量を超えているものはなかなかお返事難しく、すぐに反応できなくてごめんなさい。
吉田さんに教えていただいた、雄略天皇時代の少子部雷のエピソードも含め、気にはなっています。
いつも不思議だなと思えた疑問を追っかけて結局は頭ぐるぐる、私には無理だと放り出す、これが常でありました。
今回も気になった、疑問に思ったというところでとりあえず保留です。
いつも根本は好きかどうか、気持ちいいかどうかで判断してそれの蓄積で、深く考えると頭が対応できない低スペック。
引き出しにしまったことを覚えていれば、いつか次のヒント見つかった時に繋がる時が来るかもしれません。

活日神社は一度だけ参拝したことあります。
急な階段を上る少し高台ゆえか、私の時もどなたもおられず静かな気のいいとこでした。
龍の金具がめっちゃきれいで写真残してますが、ブログ記事にはしなかったらと思います。

返信する
鳴宮の竹の音から「たらし」一族3 (さくら)
2019-04-18 18:18:22
大体の流れは掴んでいるのですが、文章化することが難しいです。

今、大神神社境内全体の事が思い浮かびまして、
一番下の底辺の部分に位置するのが、大直禰子神社であり、ここが基本。ここから、発信するのだと思う。
誕生石があり、鴨部美良媛が祀られている。
少彦名神と活玉依姫

久延彦神社は小高い丘
そこから、奈良の市街や大和の山々を見渡せる。
この大美和の杜で、頭が変になる。
言葉に置き換えると
サイに対するクナドに値するのかもしれない。
鎮め池で、鎮めてもらったことを、鑑みると、、
ここは、市杵島姫神が弁天さんとして祀られていると思うので、母。
サイは霊水が湧き出る。
三輪の神の荒魂だという。

上記に書いたコメント、雷震子は
燕山で拾われます。燕の山。
私は、天拝山のタイヤを切り裂いた垂纓冠は、燕の尾、燕尾であり、海に関するもので作られているとコメント書きました。
あの時も、調べさせられていたのです。菅原道真さんを通しての天拝山に連なる、雷山へのメッセージでしょう。

鳴宮神社が、滋賀にあるのです。
祭神は菅原道真公です。
そこは、犬上郡に近くて、近江の龍宮の秘密に迫っている時に、この鳴宮神社が出てきていました。聖徳太子創建の胡宮神社の龍宮。多賀大社の日向。そこに到達するまでに、川西鳴尾が、肝になりそうでしたので、鳴るについてはどうすればよいのか、、どうでもよいことを考えていました。
住吉大神とするのがベストなのか?とか。この時も、鳥の鳴き声も考えていはずです。
しかし、目の玉の笹船をお供えするという、奇妙なことをしました。
雉は、桃太郎の家来で、妙見神の目深に相当します。

それで、鳴宮と言う言葉は個人的に気になり、三輪山まで繋がっていたという事になります。
私の地縁では、久延彦神が関係しますので、これからの「みぬま」対策に必要な情報だったのだと思います。

とりあえず、吉田様の鳴宮の私見の二つ目。
「もう一つは智慧の神様として雷公=菅原道真を
祭った時代があった可能性です。
鳴宮神社といえば菅原道真公を祭った神社が存在します。」

こちら二つ目が、私には個人的に縁がありましたので、こちらの鳴宮について書いてみました。

たらし一族の話まで、繋がりませんでしたが、、
鳴海神と山津岬たらし神と天一目神と多度神社などが
連鎖していきました。また、書けるときがきましたら、書かせていただきたいと思います。8877







返信する
鳴宮の竹の音から「たらし」一族2 (さくら)
2019-04-18 13:11:47
久延彦神社参道の竹は、背が高いのです。
参道が急な坂になっているからでしょう。
葉ずれの音と、ざわめきがメインでした。
それで、もし竹と竹がぶつかる音でのカーンは、雉・鳥
の鳴き声に似ていたのではないかと想像しました。
古代中国の周の文王の子供、100人目は雷震子です。
この雷震子は、牛皮で出来たものを見ますと、鳥と雷神の合体でした。

雷震子とは
朝歌に向かって出発した姫昌・文王ですが、途中の燕山(えんざん)という所で雷雨に見舞われます。
そして、大きな雷が落ちた後に雨がやむと、従者たちに周辺を捜索させました。

すると、古墓の傍らに赤ん坊が泣いていたので、姫昌は赤ん坊を拾い100人目の子供にする事にしました。

実は、姫昌には100人の子供が居なければならないと占いに出ていたのですが、子供は99人までで

100人目の子供は一向に生まれてきませんでした。

そこへ、1人の仙人が現れ、赤ん坊を預かると言ってきました。

仙人は終南山(しゅうなんざん)の玉柱洞(ぎょくちゅうどう)の雲中子(うんちゅうし:崑崙山(こんろんさん)の仙人の1人)でした。

雲中子は雷雲と共に現れたその赤子に「雷震子」(らいしんし)と名付け、姫昌から預かりました。

返信する
鳴宮の竹の音から「たらし」一族 (さくら)
2019-04-17 21:02:47
「鳴宮と竹の音」のコメントを書きましたが
私も非常に「鳴宮」が個人的に気になっており、
ulala様が記事をupされた週末には、私も直接竹の音を聞きに「大神神社」へ行きました。
いつも行くそうめんのお店は、記事に書かれていたお店と一緒でした。季節のご飯はつくしご飯だったのですね。つくしは庭に沢山生えてきているので、頼まなくてよかった、、、です。
私は、にゅうめんと柿の葉寿司を注文しました。

祓戸社、本殿など参拝し
まず、久延彦神社に「鳴宮」と言う文字と由来が載っていないか確認します。参道両脇が、竹林で、風に揺れています。私に聞こえてきたのは、揺れる竹の葉の葉擦れのざわざわした音でした。「カーン」ではないなぁ。
雉の鳴く声に近いのではないかと想像しました。

久延彦社に書かれている看板の字を丹念に全部読みます。
「鳴宮」の由来は何も書いていない。どうして、ココが鳴宮なのか?謎のまま、、
私の以前参拝した、伏見稲荷の裏の竹林や、やはり伏見稲荷の頂上近くの神宝神社の雰囲気に似ていると感じました。竹林、かぐや姫、織物の神様、十種神宝、隼人のお守り、ここは、扇の絵の中に龍神が書かれたお札があり、私はそれが欲しくて出向いていました。

長い高さのある参道です。小高い丘の上に本殿があります。
そこから、奈良の山々を眺められるように二か所ほど工夫されていました。しかし、「鳴宮」の手がかりを得られないまま、展望台のある「大美和の杜」に行きます。
桜の花が満開で、大勢の人で賑わっていました。
展望台に着くと、何故か、私の頭の天辺が変な感じがします。
やたらと、自分の頭が気になり、早々に立ち去ります。
そのまま、狭井神社に行きます。
狭の字に、二人の「人」の字が書かれていて、ふーん。
何だか、ちょっっと気になるなぁと思います。
そこは、先ほどと違い、池があり、「鎮池」。
雰囲気がしっとりしています。先ほど、頭が変になったので、ここの水場の水をぺちぺちと皮膚に叩いて、変になったのを鎮めます。

霊水を汲んで、、
歩いていると、何故か「活日神社」の看板が目に留まります。
看板を読むと、「味酒の三輪の舞」と書かれているのです。なに?「味酒」さん?!祭神は高橋活日命さんですけどね。
これは、太宰府の牛のお話しの武内宿禰さんの末裔「味酒」さんかもしれないと、参拝に行きます。
少しだけ、上に昇るのです。
それで、人がいなくて、私はここにずっと居たいと思いました。木のざわめきと風と光が降り注ぎ、とても落ち着き、かなり悩んでいたことが元気づけられた気がしました。良かった、、、今日はここに来ることが目的だったと思いました。
人がくる気配がしましたので、最後「大直禰子神社」に行きます。
ここは、お寺で、今まで何故参拝していなかったのか、不思議に思いました。
ここが私個人にとって、一番大事な場所のような気がします。

実は、コメントに書いた夢を見て、その後現実に電話がかかり、そのかけてきた電話の主は、「高橋」さんだったのです。活日神社の祭神の高橋さんとシンクロしましたので、気になっていたのです。








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Unknown (追記)
2019-04-11 20:38:33
画像は説明書きの看板で、岩に篆刻された歌碑は道の向かいにあるようです。
私は運転席側のまで側に座ってたので信号待ちで、小さな丘と看板が目に留まりました。
香具山過ぎて甘樫丘の1つ手前の角でした。
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全くこの通り(^^)v (ulala)
2019-04-11 20:31:57
私がバス車中から撮影した画像かと思ってぐらい、一致してます。
ずーっと地図とか探してまして、次の談山神社の記事で、その地図画像載せようと思ってました。
雷山ではなくて、明日香は雷丘でしたね。
https://www.asukanavi.jp/point.php?pid=28

大君を讃えるには小さすぎる丘で、北九州の雷山の方がしっくりくるなと思われたのでした。
明日投稿予定の談山神社の記事も見ていただくと幸いです。
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吉田一氣 (ulala様へのご質問)
2019-04-11 20:18:52
ulala様へのご質問です。
googleストリートマップで探し出した歌碑の写真を
本文中に貼り付けていますが
この写真のところをバスで通過されたのでしょうか?
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Unknown (小川)
2019-04-10 21:43:57
雷山は、福岡の伊都国にある、
雷山であろう。
だから、言ってるだろう。
三輪山のニギハヤヒは、
私の出身て…。
雷山豆腐とか、
高いけど、
地元では、聞く。

まあ、仕事から聞くことは多いだけどね。

だ~から~、
言っている。

ニギハヤヒさんとは、マブだちなる、マブオッチャンてな(笑)。

吉備団子を蒔いたかいがあったな。

ふぉぉおお、

ワカッタカナ、吉田君。

訳のわからない行動でも、意味はあるのだと。
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鳴宮の竹の音 (さくら)
2019-04-10 19:04:04
ulala様
ご無沙汰しております。
先ほど、お昼寝の最中にulala様の夢を見まして、
ulala様が私に接待してくださるのです。
だされた料理は、一番下に木の塗りのお皿その上に色違いのお皿三枚、中でも、青緑色のお皿が綺麗でした。
「とても、お洒落な感じですね、でもお皿洗うの大変です。」とお気遣いに感謝しながら、主婦目線でお話ししました。
その最中に、電話が鳴り、夢は覚めました。

その電話には出れなかったのですが、また、すぐに電話が鳴り出てみますと、会社の部下男性二名から、我が家へ突撃訪問したいとのお願いでした。
快諾しましたが、夢と違い、現実では、私が接待することとなりました。

前置きが長くなりました。
雷山ですね。
三輪の神様については、最近の「財布に種銭」の私のコメントで、三輪の馬車の図柄が出てきていまして、気になっていました。馬(うま)、車(伊勢久留麻神社、太陽の道)
我が家の近くの八幡様に「武内宿禰」公とともに、
久延彦神が智慧の神様として、大きな丸い穴の石碑、つまり、知恵の輪があるのです。
このような知恵の輪の石碑がある場所で知っているのは、赤山禅院です。ここは、魚のような感じの石碑です。私は、少彦名神だと思っています。
この北摂辺りでは、久延彦神を頼りにして、智慧の輪で神様仕事をしていると感じています。
カバノキ科のシデの木から、同じ科目のハシバミのトール神、雷神として書きましたが、豊穣の神であり、智慧の神であり、性の神でもありました。
シデと言う言葉は、雷を表します。
吉田様の紹介された子部神は、蠶で、蛇の小さい感じかと想像しています。多氏、太陽の道に通じる、多神社にありましたかね。神八井耳神のなのです。
三輪山の頂上に、日向神が祀られています。
祭祀は大賀茂氏となります。
大物主の祭祀は、大三輪氏であり、雨増、少彦名神の祭祀は神宮部氏となっています。

太陽の道であり、神八井耳神であり、蘇我氏の末裔の石川氏の氏寺であり、美具久留御霊神社も関係すると思います。





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雷山 (ulala)
2019-04-10 15:52:34
柿本人麻呂の歌は二首あり対になってるそうです。
235 皇は神にし座せば天雲の雷の上に廬らせるかも241 皇は神にし坐せば真木の立つ荒山中に海を成すかも
(歌碑では皇が大君となっています。)
この雷山は明日香ではなくて九州だというのを見つけました。
以前話題になった九州のサムハラお授け所である雷山千如寺がある雷山のようです。
私の理解を超えてまして、サラ~っと読み流せませんが、なんかありそうな気がします。
http://koji-mhr.sakura.ne.jp/PDF-4/4-3-1.pdf

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Unknown (小川)
2019-04-09 21:00:00
ふーむ、君のは、わかりにくい。

言っている意味は、あとに、 なんとなく理解できる。

1%ぐらい?

やれやれ、私の偉大さが理解できたかな?

吉田さんのような、知的水準が高いわりに、

理解できて、構ってあげる人物は、

私以外いないと言うこと。

このブログを見て👀、コメントは、女性陣が

多いこと。

この意味がわかるには、

男と女の、脳にある。

釈迦か、マハヴィーラが、解脱しにくいとは、

女を捨てることができない。

マハヴィーラは、全裸で過ごしていた。

しょせん、どいつも、こいつも、口先だけである。

ひとりで、全裸になることもできない。

馬鹿であることでさえ、できない。

優秀さは、必要ない。

女性は、君のような優秀さへに惹かれているだけ。

本当に絶体に必要されている人物は、

名が知られることもない。

優秀さがゆえに、

…、

自分自身は、特別だと思ったかな?

認めろよ、

最低な自分自身をな…。

…。

自分自身をさらけだすこともできない、

輩を、私は、信用しない。

…。

認めることだ。

ただ、それだけだ。

…。

誰にしろ、どす黒い感情はある。

…、

もし、きずいてないなら、

君は、最低のままだ…。
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Unknown (小川)
2019-04-09 20:02:42
日本人は、
他人による支配体制が強いから、
令和を、命令と感じるのだろう。

貴方が、言う天皇は、
支配者ではなく、
導くもの。

真の王。

天皇家を見れば、
王の系統ではない。

血筋ではない、
天武天皇までなら、認める。

だが、傀儡とされた王の末裔を、
…。

大化の改新。

藤原、天智、天武の考えがあったのだろう。

私たちは、感情で動く。

あれは、悪党だの、

善人だの、…。
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Unknown (小川)
2019-04-08 21:39:36
令和は、古典から来ている。
中国は、命令の類いだが、
本来の令は、君子から来ているのだろう。
言語を呼ぶ音である。

真面目な話しだが、
吉田氏が呉音を気にする意味はわかる。
それは、音という鏡を認識するからだ。

ところで、もう少し、解説をわかりやすく
書いたほうがいいと思います。

もしくは、
知的能力が、
優秀すぎる反面、
他者への言語理解を変換できないか…。
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Unknown (小川)
2019-04-08 21:09:10
ふむ、やはり、訓読みが正しいのだろう。
神界の世界は、"詩"でできている。
もともと、万葉集など、
言葉は、神である。

"音"がキーポイント…。

は…。

キタ━(゚∀゚)━!。
yes。
yes。
yes。

扉が開く…。
アヒャアヒャ(゜∀。)。
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お返事ありがとうございます (ulala)
2019-04-08 10:21:43
鳴宮というのが気になってたのでうれしいです。
なるほどと、今朝拙ブログの該当記事のコメント欄でご紹介させていただきました。
後になりましたらご了承賜れば幸いです。
差し障りがあれば削除しますのでお知らせくださいますようお願いいたします。

ちなみに、昨日は奈良の桜巡りをしてきましたが、ツアーバスで談山神社へ向かうまでに、雷山を通過。
バス車中から柿本人麻呂の歌碑が気になって撮影し、帰宅したら調べようと思ってました。
コメントにお返事頂戴してるのを拝見し、雷繋がりで何か縁を感じました。
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吉田一氣 (ulala様への御返信)
2019-04-06 21:48:48
コメントありがとうございます。
山の呉音はセン 漢音はサンですね。
呉系文化地域でセンと呼ばれる可能性が高いように思われます。
ところで久延彦神社が昔鳴宮と呼ばれていた事にについてはとても驚きました。
初めてこのことは知りましたが可能性として私見では二つ考えられます。
一つは三諸岳の神を少子部蜾蠃が捕らえてきますがそれは雷蛇神で鳴雷しました。
その後に少子部蜾蠃は少子部雷という名を賜っていますが
古い時代に少子部雷を祭祀していた可能性があります。
三輪山の東10km程度のところに雷神小部神社があります。
もう一つは智慧の神様として雷公=菅原道真を
祭った時代があった可能性です。
鳴宮神社といえば菅原道真公を祭った神社が存在します。
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ご無沙汰しております (ulala)
2019-04-06 09:29:32
元号のreiwaという響きは今風でいいのですけど、漢字の「令」に違和感持ちました。
イメージが冷たいし、やっぱり命令されてる感じ。
せめて呉音で「りょう」と読めば、語感イメージはぬぐわれますよね。

ところで「山」も「サン」と読むか「セン」と読むかは呉音と漢音の違いなんでしょうか。
昔から、中国山地の大山や氷ノ山はなんでセンと読むのかなと民族が違うのかなと思ってました。

もう一つお尋ねしたいことがあります。
大神神社の末社である久延彦神社は、昔鳴宮と称されたとしおりに書かれてありました。
鳴宮の由来をご存じでなないでしょうか。
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