吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

FC2BBSから移動しようと目論んでいます。
http://reyline.web.fc2.com/index.htm

英彦山の天忍穂井の真名井の霊水 No553

2020-08-21 09:34:42 | 神霊界考察
以下のさくら様のコメントを読んでいて
英彦山の御神水の事が気になったので自分の過去ブログを検索したのだが
全く記載したと思っていることがヒットしない。
どうもサボっていて頭の中では書いた気になっていたものが
実際にはブログに記事を書いていなかったようだ。
とりあえずながら過去のブログには写真を追加した。

『老体に鞭打って英彦山 求菩提山 高千穂峰等 神霊界探訪してきました No519』
『英彦山の鬼神社 No522』

私への伝達のために罰金7千円だったとしたら申し訳ない限りだ。
比沼麻奈爲神社は丹後五社の中の一社であり
豊受大神が稲作りなどの農業を此の山麓ではじめられた嶽が最初であり
九州の天忍穂井の真名井の霊水を移された清水の湧き出る霊峰であるので
真名井岳とも呼ばれる。

比沼麻奈爲神社の由緒書にも記載されている九州の天忍穂井の真名井の霊水が
どこにあるのかということだが、
一般的には伊勢や丹後の伝承ではその御神水は「高天原の天の忍穂井」とされていて
九州の天忍穂井の真名井の霊水」という具体的な話は筆者も知らなかった。
天忍穂といえば天忍穗耳尊のことで間違いない。
『鳥栖市姫方町の姫古曽神社と小郡市大崎の媛社神社 No544』にても
『呉氏骨=おしほねの行方 No436』について言及しているが
小郡市大崎の媛社神社の近くにある天忍穂耳神社は
福岡県神社誌によると元は忍骨命神社らしい。

参考『福岡県神社巡り福岡神社参拝帳』
 

この神社はもともと鳥栖市姫方町の姫古曽神社と小郡市大崎の媛社神社と
繋がりの有る呉系姫氏の骨格となる呉氏骨神社だといってよいと思う。
天忍穂耳神社や忍骨命神社はgoogle検索でも全国に数社のみしかない。
天忍穂耳尊を祀る神社はさくら様紹介の通り許波多神社や木幡神社がある。

しかしこの辺りや背振山や香春岳や高千穂あたりでの調査では
呉氏骨の真名井の霊水の御神氣を感じることは無かった。
例えば高千穂の天真名井も候補からは外れると考える。
この天真名井は瓊々杵命が降臨の時にこの地に水がなく
天村雲命が再び高天原に上がりてこの場所に水種を移したと
伝えられる御神水であるがこのことからいって
ここは高千穂とは呼べても高天原ではない。
この霊水はやはり英彦山に求められるべきものであろう。

 英彦山の高天原伝承
「高天原この堀にて瓊瓊杵尊御降生あそばされ日向之国に天降り給いし霊地也」

 

 玉屋神社例祭の御池神事は旧暦6月3日に実施される

 般若窟横の石清水の清め水

英彦山は霊的には三重に上書きされた神域であり
古くは縄文信仰の聖地であったのだが
倭奴国(狗奴国)により威奴神が祭られている。
それが異奴の鬼とされてしまい
その封印となる大修験の霊山としての歴史も長い。
伝承では継体天皇25年(531年)に北魏の僧の善正(ぜんしょう)が
英彦山山中で修行していたというが
わざわざ北魏から来訪した本当の狙いから考慮していく必要がある。
藤原恒雄伝承の白鹿や3羽の鷹が持つ意味も気になる。
また求菩提山においては開山伝説にて、
行善和尚に白山大権現が現れその言葉により求菩提山を開いたとあるが
ここでいう白山権現は新羅系といわれる白木神ではなく
倭奴国(狗奴国)の威奴神の化身である。



さくら様コメント抜粋
2020/08/19 16:30:48 五箇と久留と角のお話し
綾部辺りのSAで、熊の牙をもつおじさんの目利きで選んでもらった鹿角細工を購入して、
ウキウキして、車中で鹿角の写真を撮ったりしていました。
長男とは別行動で、(長男はバイク。私達より30分ほど先に家を出る)
丹後の甲山レストランで待ち合わせです。
私達は高速なのですが、、熊の牙をもつおじさんと長話したせいか、
高速を降りたところで、長男がもう待ち合わせの甲山に着いたと連絡がありました。
それで、夫が高速なのに、地道のバイクに負けた!と切れ気味に、
丹後峰山の道を走っていると、、、
交差点のようなところで、パトカーとすれ違います。
普通に走っているし、私はシートベルトもしているのに、
何故かパトカーがランプを鳴らしながら、、何か拡声器で言っているのです。
音楽を聞いているので、よく聞こえなくて、はぁ?何も悪いことしてないのに、
なんでパトカー付けてくるの?
「五箇」と書かれたバス乗り場近くで、車を止めます。
よくよく、話を聞くと、一旦停止違反らしいのです。
夫がかなりの塩対応でしたが、警官の方も慣れているでしょう。
それも、一週間前に別場所の一旦停止注意勧告をうけたばかりだったのです。
なんか、点数がどうとか話していましたが、、、
半沢ドラマみたいに、顔芸土下座したら?許してくれたかもよ
・・・とか言いましたが、
国家権力には逆らえないと。ここで、罰金7千円決定です。
その「五箇」の側に、「ヒヌマナイ神社」の案内がありました。
比沼眞名井ですね。比ですね。
「五」って、平家の「五箇荘」の「五」でしょう。
ヒヌマナイ神社も平家と何か因縁があるのな?と感じました。

2020/08/19 21:03:32 五のお話し~続き
実は、一番気になりましたのが、摂社で五元五柱神と書かれた「大川神社」になります。
先ほど、五箇で比沼眞名井神社で、、、また、五なのか?

大川神社は京都府舞鶴市字大川に鎮座している神社です。
大川神社の創建は顕宗天皇元年(485)、
冠島から金色の鮭に乗り由良川を上がってきた神が
地元の漁師に自らを祀るように告げたことから
宮柱を立て奉祭するようになったのが始まりと伝えられています。
現在の祭神は保食神ですが、元々祀られていたという大川の神の詳細は不明とされ、
出現自に左手に五穀の種、右手に養蚕の桑の種子を持ち金色の鮭に乗っていたことから
農家や養蚕、漁師などから信仰が篤く、
境内周辺に古墳が点在していることから当地方の開発神だったとも考えられます。
江戸時代に入ると田辺藩主細川家が崇敬庇護し境内が整備され、
明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃され
明治5年(1872)に郷社、大正8年(1919)に府社に列しています。
祭神:保食神。相殿:句々廼馳命神(木神)、軻遇突智神(火神)、
埴山姫神(土神)、金山彦神(金神)、罔象女神(水神)。
その後、五色浜に行きました。
また、「五」かと思いながら、「うみうし」の泳いでいる姿を堪能しました。
もしかすると、アメフラシかもしれません。
五色浜に行く時の目印は、六地蔵という地名から海岸に下っていくというものでした。



※筆者コメント
比沼麻奈爲神社は怯むことなく田主(田守)を務めるの意と受ける。
天忍穂井の真名井の霊水の神力を持つ妙見妙音妙理の統括尊たる
斎姬山門五音大神の日本国の国防力は祭祀により更に強力なり。
他人を巻き込まず我に直接来タレ。



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まだ、続きがあります (さくら)
2020-08-21 16:40:12
この丹後(五)真名井紀行は、何故かパトカーの絡みがまだあるのです。
丹後峰山道を走行中、最初パトカーと出会った交差点のようなところは、、二箇という場所だったのです。
違反の7千円罰金払い込む紙と一緒に、水色の証明書のようなものを渡されて、そこには、二箇と言う場所で違反と言うようなことが記載されていました。
この「二箇」と言う場所と「五箇」と言う場所は、
比沼麻奈為神社に行く時のバスの降り場なのです。
https://f3-list.net/jinja/1058.html
これを知った時に、二(ふじ)と五(ひめ)の確執を感じました。
それで、五箇の神社は、元社ではないかと言われている、「藤社神社」があるのです。
ここで、鱒に乗る神様が出てきて、蚕の神様でもあるのです。
大川神社の鮭は、鱒だと思ったのはこちらの由緒からです。
http://engishiki.org/tango/bun/tag390308-02.html
乙女神社とか、八天女とか、羽衣とか、
奈具神社とかあります。この奈具は、米子(砂と平)の奈具です。

豊玉姫神を祀る、蛭兒神社に行きましたが、
実は五柱の神(大川神社は犬信仰で黄金の鮭ですが、多分鱒に乗る神様で、蚕と五穀物神)と九州の霧島、宮崎、鵜戸、鹿児島の神様を祀るところでした。
そこで、天津向津姫と素戔嗚尊もお祀りしていると分かります。
海人族であり、貿易で大もうけした庄屋さんの家の祖神を何故か拝んでしまい、羽のある光る玉として、蝉かな?と思ったのでした。
思いつくのは、クマゼミ、油蝉、ひぐらし。
そこのすぐ近くは、小天橋でした。
丸い太鼓橋のような、橋をくぐります。きっと、入り江の舟を通すために、丸くなっていると思います。
その先は、小天海水浴場と書かれています。
その海水浴場沿いを走っていますと、、、またパトカーとすれちがいます。
あのパトカーに乗っているシルエットは、先ほど私たちに切符を切った人達でしょう。
砂地でも、偶然顕れたのです。
向こうも二箇五箇比沼麻奈為一旦停止無視車だと分かったと思います。小天砂地ではお互いの存在を気づきながら、スルーという事でした。
丹後の砂地って、有名なの?とかその時に会話していました。
夕食のデザートが、「砂地メロン」だというのです。
えっ?何?砂地?とか聞き直して、
「この辺りは、砂地でいいメロンがとれるのです。鳥取砂丘の規模には、負けますけど、、砂地があります。」
それで、お土産に砂地メロンは買おうと決めたのですが、「あみ」の砂地メロンを買いました。
「網野」という地名があるのです。
https://www.kyotango.gr.jp/foods/melon/
琴引浜があるのです。
岡山の網浜廃寺の瓦と秦原廃寺の瓦が一緒で、海人族で、安曇族だとコメントに書いたときに、、この「あみ」のメロンのことが思い浮かんでいて、ここも一緒だと想像します。
米子を調べていて、弓ヶ浜が砂で平というのと、奈具というのが、熊本芦北坂本の地名であるというのも調べていました。

米子の類似地名の検討を
たとえば三重県上野市に依那具,熊本県八代郡坂本
村に与那久の例はどうか。それぞれきわめて類似して
いる。これらの地名の地理的位置をみると,前者は上
野盆地南部を流れる長田川の氾濫原にあり(海抜140
米),与那久は八代湾に流入する球磨川中流左岸の渓
谷(海抜40米)にある。


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天忍穂井 (さくら)
2020-08-21 22:10:47
天忍穂井ですか・・・
何も知らなくて、こちらを参考にしておきます。
http://www.hafuri.com/water/woshihoi.html
ここには、日向高千穂宮の事など書いてあります。
あと、霧島東神社に井戸があります。
ここは、参拝しています。
それで、熊本霊ライン大阪篇で彦根の多賀大社など、日向と龍宮と犬神がでてきたのです。
罰金刑は、吉田様に知らしめるためだったようですね。
ちょうど時流と相まって、半沢ドラマの倍返しや顔芸土下座などもでてきたのは、悪戯好きな趣向が感じられますね。私は視聴していないのですが、次回から帝国航空・・・つまり仮想JALのお話しのようです。6816


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背後の動きを読み込む (さくら)
2020-08-22 22:14:27
罰金7千円は「七」の封印であり、まだ融けていない。
一週間前(七日)に別場所で一旦停止をしているのに、警官に呼び止められ、注意勧告を受ける。
その時も、かなりの塩対応をしたが、罰金は無かった。
停止をして確認しているためで、停止線より30センチ超えたので、呼び止められた。
実際、停止線を越えて目で確認しないと状況が見えない場所。
単車に乗った警官とか、わらわらと沢山寄ってきた。
見えにくい場所に隠れて、集団で見張っていたので、五人ぐらい居た。
8777、七で八を封印している。
まだ、この状況。
この五箇停止無視のあと、、足の親指が腫れる。
すぐ治ると思ったのに、膿んできて、、、
ネットなどで、症状を調べたら、蜂火織炎かと思う。
本当は、蜂(わざわい)織炎と言う字であり、
内科に予約をすると、八番の番号札をもらう。
七番の人は、発熱しているという。
567が怖くて、本当は内科でなく、皮膚科にしたかったと思う。
どうも、まだ七にやられている感じがします。
其の為か、背後の動きがあり、八で倍返しをする模様。
この現象がどのような形で顕れるのかは、分からない。
ウミウシは海牛でアメフラシは海兎。
牛と兎。実は角と耳は一緒。
聖徳太子と最澄は同じ。
何故、同じにしたのか?
この疑問は、英彦山縁起、つまり、熊野権現垂迹縁起の王子晋縁起説。3690・・ミロクが出てきた。



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千手観音とせみ(石川の瀬見) (さくら)
2020-08-24 10:05:13
西国三十三至宝展で見た、千手観音について感想を書きましたが、、
手のひらサイズで小さいのです。
それは、菊池一族が持っていたものによく似ていて、
千手の手が羽に見えて、、ようやく、セミのことだとわかりました。
あの熊之郷の海人族の祖神が崇敬していたもの、鳥(鶴か鷹か)の影のあと、セミのような羽のある光る玉を感じて、私の手に触れたあと、七色亀の子リュックに入ったのです。
このリュックは、20190824・・・
あー奇しくも丁度、一年前です。
高野山にユリの花を供えることを決めた時に偶々、70パーセントオフで買ったのです。
あの時、「しらゆき子」と少しだけ名乗っていました。
今思うと、、、苦笑。
白山姫に縁のあると思われる私の祖母の名前です。

セミについては、ずっと気になっていました。ここのコメントを書いてようやく、今までの知識、熊野権現12所とか調べて(友人が古くからの熊野速玉大社を奉祀する氏子の縁も大きい)、生駒山(家から見える)の般若窟とか、、、長野の山(二上山を通る輝線の奈良友人のフォローがあり)に登ったからわかったことになります。

セミのことを調べていて、本当は
「冬虫夏草」虫とキノコについて、書こうと思っていました。
以前書きました、セミのお守りとして唯一ヒットしたのが。「若狭野天満神社」
「若狭」というのが、福井の若狭咩・豊玉姫となるのですが、、そこは「藤」のお祭りであり、京都貴船神社と葵まつりと籠神社に引き継がれています。
兵庫の相生市若狭野古墳は、蘇我氏が眠る古墳だと思います。
※ 鶴亀池はこの辺り一帯が蘇我入鹿の領地であったことから入鹿渕と呼ばれている。

今、若狭野天満神社の祭神を検索しましたら、
天忍穂耳命と書かれています。('◇')ゞ
http://www.hyogo-jinjacho.com/data/6321019.html
アジサイが有名と書かれていて、、不比等と百川でアジサイについて書いたので、まだいろいろとつながっているなぁと思っていました。

相生市 名所旧跡
http://denpatu.yamanoha.com/aioi/meisyo_wakasano.html


返信する
九州の天忍穂井の真名井の霊水 (さくら)
2020-08-24 18:25:46
この九州とは、日本の九州ではなく、
古代中国全体を表す雅称、九州のことであり、その真名井霊水が日本の九州の英彦山の石清水の湧き水という事なのですね。
英彦山も「ひこさん」であり、日子坐王、彦坐命の「ひこ」ではないのかな?
それに、「彦星」の彦にも重なっていて、うまく単語(丹後)のヒコが咬み合います。

それで、私は蝉について調べていたのですが、、、
九州が古代中国の雅称だということで、この蝉も中国的なお守りなのか?と調べましたら、、
皇帝などが亡くなった時に、舌の上に玉蝉を乗せるのだそうです。
呪術的な意味合いですが、
不老不死、再生、蘇りの意味があります。
仙人になるためです。「羽化登仙」
玉蝉の輝き=有馬様=
https://www.hiroshima-u.ac.jp/bungaku/izanai/izanai_arima_takuya
装飾品の中でも蝉形の玉が選ばれたのは舌の形に近かったためで、これが後に玉蝉となった
西周ごろには、地位の高い者が亡くなった際にこのような「玉蝉」を口に入れて埋葬し、復活を願う習慣が生まれた。

※どうも志多羅神、舌羅神、牛鬼(牛尾・潮)の舌家。
などが思い浮かぶのです。
シタラ神は、みたらし神という事になるのですが、、、
蝉はメスを求めて鳴くことも関係するのでしょう。
土の中に長くいるのも、后土神とも何か関係がありそうだと思います。
仙人=羽化
仙人とは、羽が生えること。
少彦名神も天子の羽が生えています。


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五のお話し~続続 (さくら)
2020-08-25 12:16:37
まだ、あるのです。何か神意的なものが、、、
熊の牙と鹿角と牛角の絡みは書きました。
ここで、何故か仮想JAL123も絡んできます。
それで、鹿角を購入した後、車中でウキウキして鹿角の写真を撮ります。
その写真に、ちらっとバスが写っているのです。
このバスが動きが遅くて、いや法定速度順守で安定な走りでした。
長男の地道バイクに負けた夫は、車中、急に目の前のバスの悪態をつきます。おとぎ話、亀とウサギのようなのです。
私は、何イライラしてんのかな?と思っていました。
そして、あの写真のバスを抜く機会があり、、数分後
集団で隠れて狙っていたわけでなく、、単なるパトロール中のパトカーと出逢いました。
一分でもずれていたら分からなかったことになります
それに、バス停近くに止めたのです。五箇
本当の比沼麻奈為神社は、二箇バス停。
今思うと、藤社神社は、天忍穂根命が祭神でした。
※ここは、耳でなく骨です。それと八柱明神。
この忍穂長根命は、宇治の木幡、許波多になります。
宇治のこはたさんの住所に五がついたのです。
そして、私たちが五箇で警官(珍しく男女)と話している最中に、あの写真に写ったバスが、何事も無く安定の走りで抜いていきました。
なんだか事象的に感じたのです。

その後、豊玉姫神と鳥と蝉のお話しになるのですが、、
若狭野之天満神社の祭神が「天忍穂耳命」です。
西国至宝をみて、千手観音をセミと見立てたのです。
そして、下鴨神社に石川の瀬見の小川があります。
賀茂川本流のことなのです。
セミから蘇我入鹿のことがでてきまして、
相生市の名所を張り付けました。
それで、吉田様がすでに記事にしている相生市の蘇我氏のところに、はいせ様が蘇我馬子の小河の伝説を教えてくれました。
相生市矢野(やの)町小河(おうご)には蘇我馬子をまつったという宇麻志(うまし)神社があります。
この小河(おうご)が賀茂川(石川の瀬見の小川)のことじゃないかな?と思います。
おうごという名前も、「王護」「近江の牛」「牛王」「護王」とか思います。

それで、千手観音からセミでして、
熊野速玉大社の御縁の事を書いています。
ここの第五殿 禅児宮 忍穂耳尊高倉下命 おしほみみのみこと となります。
何故、熊野速玉大社かというと、国常立尊が祀られて、扇の神事があり、平重盛、手植えのナギの樹があります。
五で禅児で忍穂耳で高倉下命となります。
先ほど、蝉で天忍穂耳命⇒蘇我入鹿(鹿角)
禅児って、、蝉と言う字ににてる。児は、子供「蛭子」のことです。
禅と蝉を調べました。
看中国というサイトに、「蝉と禅」がありました。
抜粋します。私と息子の問答

私は息子にセミの話をしました。一般的なセミは長い間(5年、7年、13年、17年など)地下で成長し、やっと地上に出て木の枝に登れるようになっても数日間しか歌えません。まるで花火のようなその命は、咲いてすぐに消えてしまいます。
息子は、「進化論の基礎は、生物が生き残るために、環境のニーズに合わせてより効率的に進化し、環境に適応することです。しかし、セミは数年から十数年間地下に住み、やっと出て来ても数日鳴くだけで、まったく進化していません。こんな生き方はとても非効率なので、もっと早く淘汰され絶滅するはずです」と説明してくれました。
「セミの一生は古代の修練者の話にそっくりです。修練者は洞窟の中や木の下で、或いは山の壁に向かって数年から数十年間座禅を続けます。最後に突然『悟り』を開き、万物全てが判るようになり、生命の頂点に達します。まるで、地中から出てきたセミのように…。しかし、最も素晴らしく最も重要な瞬間は短く、その後、修練者が得道し天国に昇っていくのも、セミの生命が尽きて天国に帰るのに良く似ています」と息子は答えました。
私は息子にセミのもう一つの名前を知っているか尋ねます。息子は知らないと言います。
「セミのもう一つの通称は『知了』で、『知るの“知”』と『了解の“了”』という意味だよ。これは君が今話した修練して悟りを開くという話と完全に一致しているでしょう!」と話しました。

 息子と私は互いに微笑みながら、お互いを賞賛しあいました。 最後に、息子は「セミを蝉と呼ぶのは、裏にそのような『禅』の意味があるからだね」と言いました。








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トラブル発生 (はいせ)
2020-08-25 23:49:50
暑い日が続きますね。
吉田様もさくら様もどうぞご自愛くださいね。

今週さくら様とお会いする約束をしていたのに、トラブル発生です。
このタイミングで出張なくなるかも?!
実は先週末にも10年来お世話になっているマッサージ屋さんで予約ミスがあり、出張スケジュール確認した方がいいかも?と思ってたら案の定・・・。
ま、準備万端にして状況改善を待ちます。

やり残したことがあると嫌なので、万全の注意をして伊豆山神社にご参拝に行って来ました。
ご祭神は伊豆山神(火牟須比命、天之忍穂耳命、 栲幡千千姫命、邇邇芸命)です。
こちらは鎌倉時代に大幅に介入・再構成があったことでも知られていますが、ネット情報によると以下の遍歴があった模様。
1. 黒潮の海人族がもたらした常緑高木を信仰する、漂著神と樹木神の信仰。
2. 伊豆諸島を本地として伊豆三嶋大神とその眷属の信仰。(火山が関係?)
3. 1、2が習合した伊豆のキノミヤ信仰の原形。
4. 権現縁起とキノミヤ-伊豆三嶋信仰を接続しようとする修験の信仰。
伊豆は賀茂氏が入ったことでも有名です。
いろいろ入り混じっています。
今回、奥の宮本宮神社もご参拝しましたが、お祈りの最中、白い冷気が何回かひざ下辺りに纏わり着いてきて背筋が凍りました。嫌な感じはしなかったですが。

魏系の姫氏は. 畢(ビツ)氏。吉備津は魏系畢氏のことではないかと考えています。
返信する
('◇')ゞ (さくら)
2020-08-26 00:22:13
はいせ様
お母さまも大変でしたね。
まだ残暑厳しいですし、はいせ様も
体調気を付けてご自愛ください。
色々と背後が動いているのかな?
伊豆山神社は、海に近いのかしらね。
和歌山紀ノ國と雰囲気が似ているのかも知れないですね。
去年我が家に来訪して下鴨神社に行った友人は、以前播磨の五色塚古墳近くに住んでいて、実家は伊豆で、「蝉の」石川だから、如何にも賀茂ですね。
そう、何故か賀茂が絡みますね。
賀茂は雷神ですよね。
田に立てた鋤に雷が落ちて、豊作になるのです。
でも、滴る水も関係ありますね。6886
返信する
蝉 蛻 龍 変 (さくら)
2020-08-26 08:58:25
相変わらず、まだ玉蝉の事を調べていまして、
とうとう、画像で蝉の顔が「龍顔」に変化しているのを発見しました。
蝉蛻龍変という言葉があるようです。
=トクダス様のサイトより=
総理応接室の壁に掲げられている書について
触れられていました。
「蝉蛻」との言葉が書かれているとのこと。
蝉蛻は「せんぜい」と読み、
蝉(せみ)の蛻(ぬけがら)、うつせみを指します。
そこから、超然として世俗を脱け出ること。迷いから抜け出すこと
という意味としても使われます。(広辞苑第六版)。
蝉脱(せんだつ)、解脱(げだつ)も同様な意味
仏教用語の一つ。

蝉の命の儚さを哀れみ「蝉蛻とともに、龍のように大きく変わる」と
の意を託した「蝉蛻龍変」が使われることもある。

大谷大学のサイト内、
《今という時間》の《「がらりと変わる」河内 昭圓(かわち しょうえん)》中に、
《西晋の夏侯湛が書き、『文選』がこれを収める有名な「東方朔画賛一首并に序」に、
「蝉蛻竜変」の語がある。「蝉のごとく蛻ぎ、竜のごとく変わる」と読む》とあり、
《「蝉蛻」は綺麗さっぱりと変わる、「竜変」は大きくがらりと変わること》、
《蝉蛻は蝉が殻から抜け出て飛び立つごとく、
羽化飛翔して世俗を脱し、仙界に登るを原義とする》
と説明されています。

※今は変革の時ですので、それをうまく乗り越えていく事が求められているとは、わかっているのですが、、
うーん((+_+))
これが9009として顕れたルシファの宝珠としたら、、、
どのように使うのかがわからない・・・

玉蝉の画像を沢山見ていまして、、
平たい石ですので、手の平や足の平なども表していそうであり、二枚合わせ重なったものもありまして、
それは、ホタテ貝のように思えたのでした。
そして、玉蝉と龍顔を調べていて、何故か英彦山のお話しがヒットしたのでした。
返信する
吉田一氣 (さくら様への返信)
2020-08-26 11:25:15
さくら様のものごとへの真摯な探求の姿勢に
感服いたします。
以前翡翠の玉蝉を持っていました。
翡翠の玉蝉は口の中でひんやりと冷たいのです。
その感覚が呼び起こされました。
しかし知了ということや禅との繋がりには
想像が及びませんでした。
そういう小さい現象で気になるところを徹底して
掘り下げて追及する姿勢というものが
魔手から逃れる最善の手段だと常々思っています。
とにかく何事も鵜呑みにせず自分で検証して
確信持って一歩を進めていただくようにお願いします。
私は若いころにいろんな御神霊が神力を発揮すると聞き及んで
いろいろと調査しましたが
騙されて騙す人々の多さに驚きました。
宗教はともかく例えばネットビジネスも同様でした。
そして全てにお金が絡んでいます。
最近MERUという登山のドキュメンタリー映画を拝見しました。
久しぶりに感動したのです。
まずは今の登山家が登山だけでなく動画撮影にも命を懸けていることです。
ヒマラヤ山脈メルー中央峰にそびえる岩壁“シャークスフィン”は
世界の最高峰ルートで最後の難攻不落ルートと言われていました。
進退に対するリーダーのコンラッド・アンカーの決断力が
命運を別けるのです。失敗と成功の両方で命が守られました。
彼は1962年生まれで2011年の成功ですから49歳でしょうか。
私はこの映画を観るまでこの話を奇跡の登攀と思っていましたが
困難に立ち向かう姿勢がいつかは必ず実を結ぶし
彼がリーダーでなければ成功しないことを理解しました。
私の神霊祭祀もこのように用意は周到に強力な決断力を以って
極めていきたいと思っています。
近頃ニュースでスイス銀行に中国共産党の幹部100人が
78兆元、日本円で約1200兆円預けているという報道がありました。
中国人が20年間で稼いだ莫大な資産のごく一部ですが
日本国家も高度成長期以降に莫大な利益を上げていて
日本人1.5億人ぐらいならみんな遊んで暮らせるぐらいの
お金が本来はあったはずなんです。
これが何処に消えたのかということです。
それと同時に日本の借金約1100兆円がどうして嵩んだのかということ。
日本神霊界はこのことについての責任があります。
日本人の戦前戦後と経済発展の消されてしまった努力と
富の分配問題を解決できなければ日本神霊界の栄誉も地に墜ちます。
今後も神霊背景を一刀両断して国家繁栄を祈願していきたいと
思っています。




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