吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

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追記 咤枳尼天の日本仏教への影響  No390

2014-12-05 23:09:27 | 神霊界考察
咤枳尼天について
『寒巌義尹(かんがんぎいん) の感応  No387』
『咤枳尼天の日本仏教への影響  No388』
二つの記事を書いてきたが
咤枳尼天については『寒巌義尹(かんがんぎいん) の感応 No387』
野生動物ジャッカルの神聖化されたものと記載しているが、
ジャッカルの図柄といえば天川弁財天曼荼羅図が思い出される。



左右の蛇は首に五十鈴を付けられており
まるで鵜飼の鵜のような蛇を従えるジャッカルが
中心となる天川弁財天曼荼羅図であるが
この信仰では弁財天の本当の姿はジャッカル=咤枳尼天ということになる。




追記
品様から以下のような質問があったので少し内容を補足したい。

『教えて下さい。ジャッカル=白蛇という事でしょうか?
それとも、ごく限られた弁財天社のみジャッカルなのでしょうか?』

ジャッカル⇒咤枳尼天ということは記載した通りだが
ジャッカル⇒咤枳尼天=蛇 あるいは咤枳尼天と蛇が
三位一体の関係にあるのかについては
十分な検証が必要だと思われる。
さらに天河以外の弁財天社で咤枳尼天=弁財天とされた例があるのかだ。
まずジャッカルという動物が日本や中国にいない以上
ジャッカルが狐に模されたことはなるほどと思える。
最上位経王大菩薩や荼枳尼天がまたがる動物が
ジャッカルでなく狐になっていることも仕方ないものであろう。

さて蛇についてであるが
これは縄文信仰や出雲の神の信仰に繋がるのだが
この蛇信仰は日本人だけでなく人類の深層心理に刻み込まれたものである。
この蛇神を邪神として怖れ封じようとすることは
新しく生み出された信仰形態においては必須とされてきたように感じる。

日本においては例えば出雲において
今なお龍蛇神として深く信仰されているが、
日本神道の主祭神として龍蛇神が祀られることは表立っては無くなっている。

下の写真は伏見稲荷神社の靈符である。


伏見稲荷で狛犬の代わりの狐が
銜えているものは鍵や稲穂や験(しるし)の杉であるが
この写真では俵の上に乗る蛇が銜えていている。
三個の宝珠は三位一体の霊徳の象徴であり
この秘密を本当に守っているのは蛇神であることを
この靈符は伝えている。
簾 ( すだれ ) があるのは一般人はそのことを知る必要がないということだ。
※米俵の上の蛇は宇賀神とされる。

次の写真は空海に由来する第12番札所 摩廬山 正寿院 焼山寺の
三面大黒天の靈符である。


大黒天 毘沙門天 弁財天?が三位一体となり
その頭には霊徳の象徴である宝珠を乗せている。
しかし俵の上に乗るのは三天であり蛇ではない。
蛇はというと俵の下にいて俵に抑えつけられている。
この焼山寺の伝承では空海が虚空蔵菩薩の力を借りて
大蛇を岩窟に封じ込めたという事であるが
これは蛇神が守る宝珠を真言密教が奪い取ったという事を意味する。
※稲荷神社の白狐信仰は真言密教由来という話もある。

さて縄文信仰や出雲の信仰では龍蛇神は祀られているが
動物神は祀られていないようである。

ジャッカル⇒咤枳尼天
蛇⇒宇賀神⇒弁財天
という習合の流れは確かにあり
咤枳尼天=弁財天という錯誤も天河であるのだが
ジャッカルと蛇とは別の存在であり
例えばジャッカル⇒狐と蛇の間で
狐=蛇とするような錯誤の例は知らない。

結論としては天川弁財天曼荼羅図が示すように
咤枳尼天はどこにでも紛れ込むということである。


追記2
さらに品様から以下のような情報が寄せられたので本文中で紹介しておく。
『伏見稲荷霊符なのですが、とても面白い高察がございます。
草野俊子様の著作の「古代からの暗号」の中で
霊符の下部右側の黒い狐の実の姿が鼠ではないかと記されています。
黒い狐の手足の形象を、よくよく拝見すると狐のそれと違うとの事。』


この草野俊子女史の考察は以下の点にある。

①稲荷社の祭神=宇迦之御魂大神=穀霊=蛇=宇賀耶=宇賀神=大國主命
②出雲の大國主命にまで繋がる理由として杉と蛇の組み合わせの例が
大國主命を祀る大神神社にあるとしている。
また白鳥は新羅との関係を
白い餅とは杵でつく餅であることより杵築大社を現している。

③鼠については大黒天の絵像には
頭巾をかぶり左肩に大袋を背負い右手に小槌を持ち米俵を踏まえた大黒天と
その傍らに鼠が描かれる。
また『古事記』には大國主命が須佐之男命の射た鏑矢を探しに行った野で
火を放たれる試練にあうがその時に鼠が助けてくれるという話がある。
大國主命は根の國を訪問するが
根の国の根は十二支の子=鼠を暗示している。

④秦氏が伏見の稲荷社で祀ったのは滅ぼされた出雲の宇賀神こと大國主命
であり幽界=根の国への入口である出雲の宇賀に祀られているからこそ
宇迦之御魂神ともされた。

⑤狐は木つ根であり古今伝授の三木三鳥の三木を指していると考えられる。

さて黒い狐が鼠の暗示なのかは
それぞれの読者の判断にゆだねるが
宇迦之御魂大神と豊受大神と宇賀神とのつながりは
古来から複数の方の指摘する通り無視できないものがあることは
事実である。
ただ秦氏創建の伏見稲荷が創建時より秦氏由来で
出雲神とつながりがあるかについては、疑問を投げかけたい。

私のブログの『初期のコメント集』を魚拓しているが
そこの 「80 龍蛇神について追記 吉田一氣 - 2008/02/11 16:55 」 で以下のように考察している。

『伏見稲荷の場所はもともとは藤森神社があり
藤森神社は紀氏・賀茂氏が祭祀していたと思われます。
賀茂氏は出雲の風土記では意宇郡舎人郷 賀茂神戸と記載され
島根県安来市には賀茂神社もあるなど
葛城の前に出雲を本貫としたのではないかとも云われています。
葛城一言主神と出雲の事代主命の混同も
出雲に縁がある賀茂氏が葛城に住んだからだと思われます。
その後に賀茂氏は京都にも進出して来たのだろうと思います。
ところで出雲では神在祭にてまず最初に稲佐の浜に上がったセグロウミヘビを
龍蛇神としてお迎えすることから始まります。
出雲大社の分霊を祀る「常陸国 出雲大社」では
祭神に大国主命だけでなく龍蛇神も祭っているようです。』

つまり秦氏が祀った宇迦之御魂大神と大國主命は直接関係が無いのだが
奪い取った伏見稲荷のもともとの祭神が龍蛇神であり
その由来は紀氏・賀茂氏が祭祀した藤森神社にあり
霊的感応者は伏見稲荷でどうしても出雲神である龍蛇神に感応してしまうことにある。
これは私自身の伏見稲荷での体験にも重なっている。

また賀茂氏=秦氏説もあるのだが
これについての考察は別項でしたいと思う。
ただ賀茂氏と三輪山の祭祀には大いなるつながりがある。
大物主命の後裔といわれ三輪山祭祀をするために呼ばれた
太田田根子の子の大鴨積命が大鴨=賀茂と繋がり
これを祖とする地祇系の賀茂氏の系統が存続しているからである。


※伏見稲荷 藤森神社 城南宮 真幡寸神社の関係については
神功皇后の三韓征伐の際に船上に立てられた三光紋の軍旗を
最初に現在の伏見稲荷の有る稲荷山の三つの峯に奉斎したという伝承もあるので
三光紋の調査記として別途記載したい。









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21 コメント

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質問をお願いします ()
2014-12-06 02:48:56
先日の御神業の記事、御苦労様でございます。寒さ厳しき折、御自愛下さいませ。

教えて下さい。ジャッカル=白蛇という事でしょうか?
それとも、ごく限られた弁財天社のみジャッカルなのでしょうか?

ジャッカルという事は、観音菩薩様の眷属なのですか?
返信する
吉田一氣 (品さまへの回答)
2014-12-07 17:06:40
ご質問ありがとうございます。
ごく限られた弁財天社のみというより
ここ天河神社の中世時代にに一時期だけ
ジャッカルになっているようです。
他の例を残念ながら知りません。
ただ咤枳尼天はどこにでも紛れ込むということです。

追記 咤枳尼天の日本仏教への影響にも
さらに記事を追加しましたので参考にしていただけますと
幸いです。
返信する
ありがとうございます ()
2014-12-13 11:20:04
先生、ありがとうございます。追記の部分、強い念が込められていて、なかなか読み進めれ無い気がします。でも必ず拝読致します。

伏見稲荷霊符なのですが、とても面白い高察がございます。草野俊子様の著作の「古代からの暗号」の中で、霊符の下部右側の黒い狐の実の姿が鼠ではないかと記されています。黒い狐の手足の形象を、よくよく拝見すると狐のそれと違うとの事。でも、本当に書かれている通りに思います。他にも大変面白い高察がございました。
話が逸脱しまして申し訳ございません。
先生、ありがとうございます。お勉強させて頂きます。
返信する
吉田一氣 (りひとさまへの返信)
2014-12-20 23:32:59
ご訪問とコメント記載ありがとうございます。
是非いつの日か阿蘇に来て
自然の雄大さを満喫していただけると
幸いです。
今後とも宜しくお願いします。
返信する
吉田一氣 (品さまへの返信)
2014-12-20 23:34:59
大変有意義なコメントありがとうございます。
これで伏見稲荷霊符についての考察内容をさらに
深くすることが出来ました。
返信する
神仏習合と古代東北アジアの歴史 (禮月)
2014-12-21 14:09:00
古神道の視点のみの考察だけでは、日本の信仰体系のあらましは解明できないでしょう。
日本には役小角に始まる修験道や空海の密教の歴史も長い故に、神仏習合の視点からも考察が必要だと思います。
根の国の支配者・大国主と黒ネズミの考察はなかなか興味深いです。黒(死を現す色であり、大黒様も暗示、サンスクリット語で大いなる時を現すマハーカーラ)いネズミ(根の国)で大国主の存在を示唆。代わりに白蛇が追いやられているのが何故かもかなり気になります。
新羅という国の黎明期や民族の変遷についても気がついた事があるのですが、長くなるので後述します。
返信する
草野俊子氏が書かれていた新羅とは、どの時代の新羅か? (禮月)
2014-12-21 16:23:46
古代朝鮮半島の新羅という国は、日本古代史との関わりが深いとされています。所で、この新羅という国は各時代毎に支配層と被支配層の民族が何回か入れ替わっている事がわかりました。
古代中国の歴史書には新羅の起源は、秦の遺民が本土での重税と戦乱に耐えかねて朝鮮半島東部に建国した秦韓だとの事です。この時の秦韓の支配者層は中国南東部にいた民族です。
イギリス人研究家が書いた古代東北アジア史の書物には、秦の遺民が支配した後は、倭人(中国江南地方から列島に渡来した民族と同族)が支配層になったと書かれているそうです。これが高麗時代に成立した朝鮮半島の三国史記に書かれている瓢公と黄金の鶏のエピソードがある、昔氏・尼師今(にしきん)朝の時代に概ね合致します。尼師今朝は魏史倭人伝の卑弥呼と壹与の時代にバッティングします。(卑弥呼と壹与の出自に関しても意図的に隠されている様な気がしてならないのですが)尼師今朝の時代の辰韓地方は斯路(しろ)国と呼ばれていました。新羅とはこの斯路が訛化したものと考えられます。ただこの時代の斯路国は、小さな都市国家です。三国史記には卑弥呼と治世の被る時代に倭人が侵攻してきたと記録があるのですが、同時代の中国の歴史書でこの事実が書かれているものは、私の知る限り現存していません。一部の日本古代史研究者は、この記述から神功皇后の三韓征伐に準えています。
問題はこの後の新羅です。これまで接点の無かった斯路国と倭人との関係が突如として緊張を帯びてきます。同時に百済や高句麗、扶余の国力も急速に衰えます。黒龍江省北部からアムール河沿岸に住んでいた北方遊牧民・勿吉(後の靺鞨)の南下です。勿吉が南下を始めてから急速に新羅も領土を拡大して、朝鮮半島を統一します。
草野氏が書かれている新羅とは、秦系の民族の辰韓の事か、倭人系昔氏朝の斯路国の事か、それとも北方遊牧民・勿吉(靺鞨)系の新羅の事か非常に気になります。
返信する
秦氏と秦帝国 (禮月)
2014-12-21 19:14:13
秦氏の出自は、その漢字から秦帝国の遺民たという説があります。
中国江南地方を逃れ、朝鮮半島で旧帝国のコロニーが秦韓。秦韓(辰韓)時代に倭人と交流が始まり、勿吉(靺鞨)人の南下に伴って半島を追われて日本列島の出雲→奈良の三輪山辺り→京都の太秦と拠点を変えてきたと言う説なのですか、個人的に有力な説だと思います。
新羅に伝わる3つ目の始祖神話と宗教は、他のシベリア・モンゴル系民族との共通点があり、人間と熊や虎等の哺乳類との異種婚によって生まれた英雄によって建国されています。
秦氏と6世紀以降の新羅の支配階層とは、民族的な繋がりがあるのか否かは非常に疑問の余地があります。日本神話と新羅の深い関係性を説いている本が多いのには驚かされます。
新羅という国名も、国の支配階層の民族も紀元前からずっと同じだったという誤解の元に考察を進めている学者が何とも多い事だなと感じています。
秦帝国を建国した始皇帝は、古代中国神話の三皇五帝時代に出てくる蚩尤(しゆう)出身なのでは?という仮説も面白いです。蚩尤という集団は頭に角があり、牛や鬼(牛頭天王やツヌガタラシト、密教のヴァジュラ・バイラヴァ)の外見にも相通じるものがあります。蚩尤は高度な製鉄技術を有していた為、製鉄との関連性がある出雲王朝とも関わりが深い様に思えます。この蚩尤の姿は、時代によっては亀or玄武の姿になっている図版が存在しています。出雲大社(杵築神宮)の紋章は亀甲紋なので、秦の遺民は出雲王朝建国にも関わった可能性があります。国名を新羅と改めた後間もなく(4世紀末~5世紀)造られたとされるサロ王の墳墓にも見事な亀の石像があります。サロ王が秦の遺民で、秦氏と関係があったら更に面白いのですが…
所で倉稲魂命の白蛇の出自も秦氏が持ち込んだものなのでしょうかね?龍蛇信仰の蛇とは被りますが、白蛇独自の信仰は大神神社の三輪山(大物主)信仰が有名です。仏教では観音菩薩と弁財天の信仰がありますし。出雲王朝=秦氏と三輪氏の連合王朝だったのでしょうか?
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富氏、三輪氏、秦氏と出雲王朝 (禮月)
2014-12-21 23:12:34
連投してしまい、大変申し訳ございません。
出雲王朝と言えば忘れてはいけないのが富氏でした。富氏は富家だけに伝わる口伝によれば、クナト大神とアラハバキ大きい神の間に生まれた大己貴命が始祖とされていて卑弥呼も大己貴命と同族になっています。吉野裕子氏によれば、アラハバキの意味は樹木に絡み付く蛇の意味だとの事です。龍蛇信仰の起源がアラハバキにあるのだとすれば、三輪山の白蛇信仰も富氏のアラハバキ信仰を吸収したものと考えられないでしょうか?
出雲大社の大国主が大神神社の大物主と同一視されるのもここからと考えれば、奈良県にも出雲に関連する地名がある事にも納得が行きます。大国主が須佐之男の娘婿とか、六代後の子孫とか、氷川神社の大己貴に至っては須佐之男と櫛稲田の嫡子とされているのも、秦氏が三輪氏と富氏を取り込む形で、征服(とは言えども共存できていた感じがしますが)したからではないでしょうか?
アラハバキ、大神神社、大国主、須佐之男、たたら製鉄、縄文神、鬼というキーワードと共に必ず語られるのが出雲王朝です。出雲王朝もまた富氏→三輪氏→秦氏と支配階層が変わって行きつつも、この三者は何とか共存できていたのでしょう。ただ縄文神の流れを組む富氏だけは、秦氏に対しても良くない感情を持ち続けたのかな?という気がします。
返信する
倉稲魂命(大国主)ダキニ天 (禮月)
2014-12-22 08:41:57
伏見稲荷の由来は、富氏の信仰も取り込んだ秦氏が藤原氏によって歴史上から抹殺されようとしていた富氏の祖霊を弔う為だったのでしょうかね?
吉田様も以前書かれていましたが、出雲に眠る(実際には封印されている)富氏の始祖の魂は凄まじい憤怒の形相だったとの事です。チベットの絵画に描かれているダキニ天の姿は、恐ろしく残忍です。倒した敵の頭蓋骨を喰らっていますから、インド神話のカーリー女神にも似通っています。ダキニの凄まじい迄の破壊的な霊力に、歴史上消された事になっている富氏の怨念が共鳴し合ったという気がします。
私が苦手とする場所は、不動明王の他に稲荷神を祀った社もあります。私にとっては、稲荷社からは強い負の感情が感じられるので、長居できません。
稲荷社に祀られているのが倉稲魂命=大国主命だとしたら大国主命の怨みは今でも晴れてはいないのだと実感します。
話は逸れますが、豊臣秀吉が出雲王家の末裔だったという、トンデモ説がありました。しかしながら流石にこれはどうか?と思います。(汗)
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