先日『加藤清正公製作の七つの鎮宅霊符神鈴』のブログ記事で
鎮宅霊符神鈴の写真を載せているが
そもそも何故、熊本博物館に行くことになったのかの話も
忘れる前に記録に残しておきたい。
今年5月に菊鹿のアイラトビカズラ(優曇華)の花を観に出かけた。
2020年(令和2年)4月に国特別天然記念物のこのアイラトビカズラが
無知な作業員によって半分ほど伐採されたということがニュースになったからだ。
実はアイラトビカズラの花を観たのは初めてとなる。
最近は毎年咲いているという話ではあるがなかなかタイミングが合わなかった。
優曇華の花は3000年に一度しか花が咲かず
その時には金輪王が現世に出現するというのだから
アイラトビカズラが優曇華というのは付会の類となるが
中国の長江流域が原産地と伝えられていて
この地域の常春油麻藤と同じ種類であることは間違いない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/77/80/4aa30ab2db39332f3ad9c1e0d56a6463_s.jpg)
この日の帰りについでにすぐ近くの藤田妃見子(ひみこ)女史が岩戸開きした
日向(ヒムキ)の天の岩戸岩陰遺跡の女神像にも参拝してきた。
この話は過去に『弓梓弓と水の女神 断片集⑦ No178』でブログ記事にしている。
この参拝からしばらくして天の岩戸岩陰遺跡は実際は縄文時代の墳墓ではないかと思い始めた。
それで以前撮った現地の写真を観てみると確かに人骨も出たと記載されている。
ただその時にネット上で調査した内容にはなぜか人骨の記載はなかった。
大切なのは藤田妃見子(ひみこ)さんが岩戸開きした後に
考古学調査がなされていることにある。
産廃物が捨てられたりしていて地元民もあまり近寄らない数メートル登った崖から
この重要な縄文遺跡を良く見つけ出したものである。
(もともと地元では天岩戸という伝承があったらしいが。)
藤田妃見子女史はこの岩穴に天照大神=龍宮の乙姫=豊玉姫=人魚姫が
1万2千年前に幽閉されたと霊視している。
2007年『ムー』6月号の菅田正昭氏筆の特集でも
佐治芳彦氏著作の『龍宮乙姫の謎』でもこの岩戸開きの話は出ても
そこが縄文時代の天岩戸岩陰遺跡で人骨が出てきたとは書かれていない。
ただ『龍宮乙姫の謎』のP160にはその岩戸開きした岩窟から
鹿の骨が見つかったとだけは記載されている。
藤田妃見子女史が感応した龍宮の乙姫とは
この発掘された縄文人骨の主の御魂ではないかと感じている。
1万2千年の時を隔てて霊力を発揮するとはまさに神ががる巫女だと思う。
そしてこの乙姫は私の興味にも答えてくれた。
人骨がどのような状態で出てきたのだろうという興味に対してである。
そしてその人骨の性別は当然に女性でなければならない。
ある日この人骨そのものかもしくはそのヒントが熊本博物館にあると感じた。
私にまで何かを伝えてきたのである。
その何かが何であるかは潜在意識は知っているものの
顕在意識はまだ理解できていない。
とにかくそういう状態で熊本博物館に出向いた。
そこで以下の写真を見つけた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/52/df/92d8343bb908291b05f16674a9c85531_s.jpg)
この写真は私にはインパクトがあった。
この写真からでも伝わる強力なメッセージとは
御魂の慰撫の必要性である。
この人骨はいまだ物ではないのである。
御神霊に対して慰撫と鎮魂の祭祀が求められているようである。
ただしこの人骨が1万2千年前のものであるかは不明である。
この岩戸に初代龍宮乙姫とその後の巫女の2重の封印が為された
可能性についても考慮する必要があるのだが
私へのメッセージをこの人骨が発していると仮定した場合は
以下の様な仮説が成り立つ。
この人骨の御魂は藤田妃見子(ひみこ)女史の岩戸開き以降、
彼女に神懸りしていたのであるが、
藤田妃見子(ひみこ)女史が逝去された後に
元の遺骨(依り代)に戻ろうとして遺骨の場所が変わり
そのためにいまだ彷徨える可能性がある。
確かに私は龍宮の豊玉比咩信仰を持ち毎日祭祀する身ではあるが
残念なことにこのことを解決する手段を知らない。
考古学的発見とされる墳墓の人骨等は文部科学省に属するものと思われ
信仰の対象から剥奪されてしまう。
それが国家を危うくするとしてももちろんそれは迷信という事であり
全くのお構いなしである。
そこに宮内庁書陵部の天皇陵墓参考地と文部科学省との軋轢がある。
あとはこの人骨が女性であることの検証が残る。
もし男性であったとしたらこの記事は無かったことにしたい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/21/53/f5fbabc5a5ac9f336a58678932bb6c5f_s.jpg)
※参考文献
竜宮乙姫の謎 : 日本列島の母なる神 佐治 芳彦(著)
2007年『ムー』6月号の菅田正昭氏筆の特集
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/65/30/77afebd67fc65bd2c65713bfb31cdcad_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/34/88/13d5c333e7aa674ee655438c77f2e244_s.jpg)
鎮宅霊符神鈴の写真を載せているが
そもそも何故、熊本博物館に行くことになったのかの話も
忘れる前に記録に残しておきたい。
今年5月に菊鹿のアイラトビカズラ(優曇華)の花を観に出かけた。
2020年(令和2年)4月に国特別天然記念物のこのアイラトビカズラが
無知な作業員によって半分ほど伐採されたということがニュースになったからだ。
実はアイラトビカズラの花を観たのは初めてとなる。
最近は毎年咲いているという話ではあるがなかなかタイミングが合わなかった。
優曇華の花は3000年に一度しか花が咲かず
その時には金輪王が現世に出現するというのだから
アイラトビカズラが優曇華というのは付会の類となるが
中国の長江流域が原産地と伝えられていて
この地域の常春油麻藤と同じ種類であることは間違いない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/5f/a9/e586f83104523477fc45a94078b41c59_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/77/80/4aa30ab2db39332f3ad9c1e0d56a6463_s.jpg)
この日の帰りについでにすぐ近くの藤田妃見子(ひみこ)女史が岩戸開きした
日向(ヒムキ)の天の岩戸岩陰遺跡の女神像にも参拝してきた。
この話は過去に『弓梓弓と水の女神 断片集⑦ No178』でブログ記事にしている。
この参拝からしばらくして天の岩戸岩陰遺跡は実際は縄文時代の墳墓ではないかと思い始めた。
それで以前撮った現地の写真を観てみると確かに人骨も出たと記載されている。
ただその時にネット上で調査した内容にはなぜか人骨の記載はなかった。
大切なのは藤田妃見子(ひみこ)さんが岩戸開きした後に
考古学調査がなされていることにある。
産廃物が捨てられたりしていて地元民もあまり近寄らない数メートル登った崖から
この重要な縄文遺跡を良く見つけ出したものである。
(もともと地元では天岩戸という伝承があったらしいが。)
藤田妃見子女史はこの岩穴に天照大神=龍宮の乙姫=豊玉姫=人魚姫が
1万2千年前に幽閉されたと霊視している。
2007年『ムー』6月号の菅田正昭氏筆の特集でも
佐治芳彦氏著作の『龍宮乙姫の謎』でもこの岩戸開きの話は出ても
そこが縄文時代の天岩戸岩陰遺跡で人骨が出てきたとは書かれていない。
ただ『龍宮乙姫の謎』のP160にはその岩戸開きした岩窟から
鹿の骨が見つかったとだけは記載されている。
藤田妃見子女史が感応した龍宮の乙姫とは
この発掘された縄文人骨の主の御魂ではないかと感じている。
1万2千年の時を隔てて霊力を発揮するとはまさに神ががる巫女だと思う。
そしてこの乙姫は私の興味にも答えてくれた。
人骨がどのような状態で出てきたのだろうという興味に対してである。
そしてその人骨の性別は当然に女性でなければならない。
ある日この人骨そのものかもしくはそのヒントが熊本博物館にあると感じた。
私にまで何かを伝えてきたのである。
その何かが何であるかは潜在意識は知っているものの
顕在意識はまだ理解できていない。
とにかくそういう状態で熊本博物館に出向いた。
そこで以下の写真を見つけた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/52/df/92d8343bb908291b05f16674a9c85531_s.jpg)
この写真は私にはインパクトがあった。
この写真からでも伝わる強力なメッセージとは
御魂の慰撫の必要性である。
この人骨はいまだ物ではないのである。
御神霊に対して慰撫と鎮魂の祭祀が求められているようである。
ただしこの人骨が1万2千年前のものであるかは不明である。
この岩戸に初代龍宮乙姫とその後の巫女の2重の封印が為された
可能性についても考慮する必要があるのだが
私へのメッセージをこの人骨が発していると仮定した場合は
以下の様な仮説が成り立つ。
この人骨の御魂は藤田妃見子(ひみこ)女史の岩戸開き以降、
彼女に神懸りしていたのであるが、
藤田妃見子(ひみこ)女史が逝去された後に
元の遺骨(依り代)に戻ろうとして遺骨の場所が変わり
そのためにいまだ彷徨える可能性がある。
確かに私は龍宮の豊玉比咩信仰を持ち毎日祭祀する身ではあるが
残念なことにこのことを解決する手段を知らない。
考古学的発見とされる墳墓の人骨等は文部科学省に属するものと思われ
信仰の対象から剥奪されてしまう。
それが国家を危うくするとしてももちろんそれは迷信という事であり
全くのお構いなしである。
そこに宮内庁書陵部の天皇陵墓参考地と文部科学省との軋轢がある。
あとはこの人骨が女性であることの検証が残る。
もし男性であったとしたらこの記事は無かったことにしたい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/32/82/4845aa97a69bced1cee51222c59025a1_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/61/a3/121b7b387778f169806a8d0a4fd456aa_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/21/53/f5fbabc5a5ac9f336a58678932bb6c5f_s.jpg)
※参考文献
竜宮乙姫の謎 : 日本列島の母なる神 佐治 芳彦(著)
2007年『ムー』6月号の菅田正昭氏筆の特集
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/65/30/77afebd67fc65bd2c65713bfb31cdcad_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/09/22/475772e82775e837628b17424f10cbab_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/34/88/13d5c333e7aa674ee655438c77f2e244_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/00/b5/2984e51185cbcf97294c3b231009a1f7_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/63/6e/9d90fe83a94770ec983cfa04b41df3b1_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/17/4c/47d28f08efb949f2ade276eb4f6a49f8_s.jpg)
ほぼお昼12時頃にたどりつきました。
ある角度から、人魚豊玉姫像を撮りますと、光のシャワーが降り注ぐように撮れました。その時、湿度が高く空気中の水分が多かったのです。
直前まで、雨が降ったり止んだり、、
洞窟に着いたとき正午であり、日・太陽が射したのです。白いキラキラ・・空気はどんより水分で重く。
人魚豊玉姫像の右手は、高く掲げ三叉矛(三本の指)を表しています。そして、どちらかというと聖母マリアの雰囲気なのです。
このあたりは、カクレキリシタンの雰囲気も感じ、、初めての訪問でしたが、私のよく知る場所でした。
川の感じとか、鄙びた感じとか。
それで、全く予定してなく、ナビを見て知ることになった裏に位置する「吾平山」に行きたいと強く思い、その吾平山近くに、菊鹿のアイラトピカズラが存在します。
私は、小学生の頃から、優曇華の事が気にかかり、金輪王の絵を描いたりしていました。
山鹿の豊玉姫との出会いから、世界情勢の変化で祈願登山したりと、何かしら祈願をすることをちょくちょくキープしています<(_ _)>
この記事が書かれましたので、久しぶりに他人様の山鹿の豊玉姫を訪問したブログを何個か読みました。
霊的感応を換金されている方を何人か見受けられました。直接的なお金儲けではなくても、宣伝効果を兼ねて書いている様なものもありますね。
この天岩戸岩陰遺跡で見つかったのかもしれない、
熊本博物館の人骨の事を検索していました。
記事の写真を見て、「歯が綺麗なのです」
羨ましい。それと、面長か、頭長かどちらかと思います。
それで、玉蝉で、「閑」から知り得た縄文遺跡の事を思い出し、あれも縄文人の「歯」が関係しました。
それと、日本最古の人骨も「歯」が綺麗です。
栃木宇都宮大谷寺なのですが、、、
何故か、京丹後の大谷古墳がヒットし、女性首長のようですので、張り付けておきます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%B0%B7%E5%8F%A4%E5%A2%B3_(%E4%BA%AC%E4%B8%B9%E5%BE%8C%E5%B8%82)
次に、栃木大谷寺にある「縄文人最古の人骨」
雨上がりのペイブメント様より
https://blog.goo.ne.jp/sasuke-botan-06/e/d07123bef0d1dc8aace4803022b7cfc9
※二つ張り付けたリンク先を読みますと、この記事中の人骨は、女性のような気がしますね。
少し気になったのは、女山(ぞやま)神籠石の古墳の山の高さは△158なのです。
(多分、女性首長だと思うのですけど、、女をゾとしているのも疑問であり、象王権現のゾかな?
菅原道真公の子孫の左座家(そうざ)も気になっているのです。)
これは、妙観山(独鈷山)△158と同じです。
この事は、タチバナの契りの時にずっと考えていて、結論が出ていないことになります。
それで、個人的に物凄く仰天したのが、、、
山鹿の天岩戸岩陰古墳調査記の写真にあった
鹿角です。
あれっ、私の持ってるのと一緒っぽい。時空超えた?
菊池川流域文化財調査報告書PDFより、写真ではなく、絵になります。
横穴式古墳が多数あるのと、十字の紋章のような石器も気になっていました。
若狭野古墳の特徴、三段式。横穴式古墳。
その日は、やけに「杖」が気になっていました。
パワーヨガを終えて、そこで、目に留まった山歩き用の杖を買おうかどうか、物凄く迷ったのです。
結局買わなかったのですが、、、
記事の中の「依代」と言う言葉を見て、「御杖代」と言う言葉を思い出していました。
倭姫と天照大神の関係です。
それと、丹生大明神告門で、色々な場所で忌杖刺します。
当時は意味も分からず、毎日声をだして読んでいました。
今、その文章を読み返しますと、少し意味がわかるようになっています。
常春油麻藤の特性 メモ
生薬名: 牛馬藤
http://dream-garden.co.jp/works/airatobikazura.pdf
アイラトビカズラ 学 名:ムクナ センペルビーレンス この菊池川流域から発見された
古代の土器に付着していた
籾痕のDNAを調べたところ
揚子江流域と一致した・・・
古代製鉄の地域でもある
ムクナ豆
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%A6%E3%83%9E%E3%83%A1
跡見群芳譜より
http://www.atomigunpofu.jp/ch2-trees/tobikazura.html
※中国では、全草を薬用にする。種子は食用にし、油を採る。塊根からは澱粉を採る。茎の皮の繊維からは麻袋を作り、紙を漉く。
2007年『ムー』6月号の菅田正昭氏筆の特集記事を
本日コンビニのコピー機にてデーター化して
とりあえず添付させていただきました。
御拝読していただけると幸いです。
この記事は消す可能性があるのでお早めにお願いします。
でも、こんなん書いてもなぁと思って削除したのですが、、、なんだか、怖いですよ(-_-;)
古田さんって、お名前が気になっていました。
フルだよなぁって、、
妃見子(きみこ)さんだとばかり思っていましたが、「ひみこ」さんだったのですね。
申し訳ないのですが追記添付事項を読ませていただいて、、色々と被りすぎてますね(-_-;)
古田さんの写真のお姿は、あえて言うと、母方祖母に似ています。
熊本博物館の事について、書いていこうと思っていたのです。
・神来貴船神社
・山鹿温泉 山鹿装飾古墳 本当は今年7月に菊鹿温泉に泊まる予定でした。
岩戸というのもね。
多分吉田様熊本博物館の在住時に、私たち(私とはいせ様)は大阪で岩戸神社において対決していたのです。
まぁ、そんなことは今更なのかもしれないですね。
もう~どうします?
まぁお互い頑張りましょう\(^o^)/
菊池川流域文化財調査報告書
https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/16332
それにしても立派な歯ですが、こうして何千年としっかり残っているものなんですね。すごいな~
先日、土蜘蛛さんの慰霊および調査で茨城県袋田の滝に行って来ました。山なのに潮の匂いがしてなんだろうと思っていたら、一帯はパンゲア大陸やゴンドワナ大陸の頃の海の底が隆起して山となって地層が露出している地域。化石も出るそうで、さざれ石みたいに砂利が固まったような岩そこここにあり、流石ジオパーク!と思っていました。
袋田の滝付近も観光地化が進んでいて、以前の自分なら「自然破壊!」と憤っていたと思いますが、今はそういうこともちょっと傲慢な気がして、現状をまずは受け止めて思いを馳せることも大事かなぁと思っています。
地層のエネルギーはやはりすごいので、そういうところには征伐祈願の伝承が残っているのが興味深いです。
犬歯を抜歯なんですね・・・
確か、お骨を拾う時に、「喉ぼとけ」の説明を受けたことを覚えています。声変わりしたり、二次性徴の目印です。
喉ぼとけは、甲状軟骨であり、その上部に位置するのが、舌骨。
一緒に入れたチタンのモノは骨と一緒に残っていました。
この記事を読む限り、吉田様は山鹿の豊玉姫の巫女神霊と感覚で解りあえるようで、、、
伝達、メッセンジャーの役割をえているのでしょうね。
藤田女史が亡くなったのが、2006年ですから単純に言えば、約14年間彷徨ってられるという事なのでしょう。
女性なので、女性に神がかるのが一番良いわけですが、変性男子として男子でも良いのです。
過去の偉大な神霊伝達能力のある男子たちもそのようにしていますね。
私はそのような仕組み変性を最近知ったばかりです。
何人か、潜在意識で呼び出しがかかりその地に出向いているのでしょうが、、上手くその人の心魂の上昇度合い、波長が合わないと
依り付けないという事ですね。
もう、吉田様の元にキタレてますね。
今まで、ハートと散々言ってましたので、、
同じ神霊系統だと思います。
2020イツキ一月に「ルート化=解脱の問題点」での記事を書いた見解は、こちらの豊玉姫・乙姫さんからのご指示だったのではないでしょうかね。
私も「ルート化」の記事に、「豊玉姫神の願い」とコメントを書きました。
しかし、ほんとこのあたりから世界情勢が一気に変化したのです。隔世の感を感じます。
何故、「金」を欲しくなったのか、、、意味がわかりました。
龍宮乙姫の護符を見て、やっと分かりました。
それで、大金背負って、本気で買いに行った事を大変喜ばれたように感じています。
金よりも、プラチナ(白金)の方が価格がサガっていますので、どうしてですか?と聞いたり、、
景気や経済指標と同じ動きが、プラチナの価格変動の動きと言われました。
金は別格だそうです。
私は金を買いに行き、「星」と「十字」の証をもらえた事が不思議だったのです。
この報告書の最後に公式の天岩戸岩陰遺跡出土人骨の
保管用の写真が添付されていますが
本来はあったはずの喉仏と脊椎が収集写真からは消えてしまっています。
そのことと実際どこに保管されているのかがとても気になりますね。
ところで龍宮乙姫像の別バージョンが
滋賀県高島市の風車街道沿いにあるようです。
https://plaza.rakuten.co.jp/ginkai/diary/
実はですね。
この高島市、朽木、安曇川沿い、鵜川四十八体(呉服)辺りに行くお知らせを待っていました。
というのも、近々比叡山に宿泊予定していまして、それもその日だけ最後の一部屋が空いていたらしいのです。
私が指図したわけではないのですが、比叡山宿泊が決まっていました。
夫は、舟に乗って竹生島に行きたいと。
その後、奥比叡山ルート使って宿に行くので、高島、安曇川沿い、この前行ったシコブチさんとか、石仏の辺りで行きたいところ探しておいて。湖西線でないとダメと釘刺されていました。
私は思いつかなくて、、お知らせを待つと言っていたのです。
ふーん。ササ君の子孫の本拠地にもなるのかな?
沙沙木神社も良いですね。
面白いですね。
本当は、牛王神社とか、忍勝勝の将軍で赤い石とか気になっていましたけどね。
喉仏と声帯は頭の中にあったものが人間が二足歩行をはじめたときに首に移動してきて話せるようになったそうです。
何か都合の悪いことがあって隠されてしまったのでしょうか。
調査に出すと現物が戻ってこないということも各所で聞きます。国家を保つために隠されたことがいろいろあるのでしょう。
さまよえるご神霊と言われると乙護法童子とのご縁結びをさせていただいた(と勝手に思っている)自分としては心が痛みます。
今、天照大神と海照大神と三輪のサイ神のことを調査しているので、ここで龍宮乙姫が出てきたのが不思議ですが、龍宮乙姫が安らいで本来のお力が発現できるようお祈りいたします。
それで、そのことを調べていて、気になるサイトを見つけました。
三本指のサイン=占い師の一言ブログ=なのですが、
広告が多いので貼り付けはやめておきます。
アイラブユー。恋人同士にしか分からないサイン
①あいら・・ぶゆう。吾平武勇。山鹿野豊玉姫は吾平山で祀られていると思うため。
②占い師のブログで「T」とでてくるのです。これは、相談者の恋人トニーのことなのですが、、、私にはこの「T」の文字は、覚悟の金購入秘話に出てくるワードとなります。
③ルート化において、イクトゥスをアイラブだと思った。
1101
どうも、ラリーは親トランプ派らしいですね。
法華経寺と禅(玉蝉)の事が無ければ、ラリーの事は取り上げなかったです。
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2020-09-19/QGXDAODWLU6901
デジタルは国の運命を変えることになるので、気になるところです。
続きです
④520は記事「川上村の神秘」にて、中国語で、吾愛する。中国語の「我爱你」と発音が似ているからです。
アイラブユーと同じ意味だと知る。
⑤5月20日、白山姫神社に寄付。馬子の命日。
⑥土地の値段の対比88対520
⑦川上村の記事に、「角大神」と鹿角の事を色々と書く
⑧20190914「角大師」の記事にて、八大龍王神⇒潮井⇒牛鬼(うしおととら)⇒角大師の角について⇒山鹿野豊玉姫の願いの祈願終了宣言⇒三角・・・三つの角について書いていた
※と書かれていますね。このように公に堂々と書いている御仁は仙台の方のようです。
セッションとか書いていますので、お金に換えていると思います。
私が実際の山鹿野豊玉姫の事を感じたのは、川辺郡の肝川八大龍王神のことになります。調べていると、日向と思いつくのです。そこから、独自に山鹿の日向の洞窟とどうつながるか検索していたという事になります。ちらちらと肝川龍神は、日向の豊玉姫とコメントに記載した覚えがあります。
記事「縄文から弥生時代への変革」NO505
吉田一氣 (さくら様への返信)2018-12-14 08:26:57
記憶を蘇らせることが出来ました。
ありがとうございました。
以前私が観たストリート360°では
赤い鳥居があってこの2010年の写真では
赤い鳥居が無いということが
違和感の原因ではないでしょうか?
箕面山瀧安寺の観音堂側ということが
分かればいいです。
箕面市の北側に位置する妙見山は
熊本霊ラインの延長線上に近いのですが
この能勢妙見山 妙見宗総本山 本瀧寺と
箕面山瀧安寺との関係及び肝川八大龍王神との
関係を調査したいと思っています。
能勢妙見山は能勢家が『鎮宅霊符神』を祀ったのが
始まりというブログを見つけました。
大本教で一度は祭祀された肝川八大龍王神が
今どこに降臨されているのかが気になっています。
※この時に、肝川龍神の事を調べて、山鹿の豊玉姫のことかもしれないと思っていました。
ということは、仙台の方が2018年4月ですから、、、
それから、八か月後に私は漸く気がついたという事になります。それも、吉田さまからの返信が無ければ、一生分からなかったという事になります。熊本の山鹿に訪問することになったのも、、何か不思議な御縁でしたし、偶然が重なりました。当日まで、夫に反対されて山鹿野洞窟に行けるとは思わなかったのです。
まぁ、琵琶湖の黄金の人魚像つまり、高島市風車街道辺りは遊びも兼ねて、何度か訪問しています。それに、変人ですので夢見で訪問していました。あれは、12、3年前の出来事になります。
石仏の夢を見たのです。鵜川四十八。佐々木六角氏が亡き母(呉服御前)の為にあの場所に創ったようです。
琵琶湖を見下ろす。お昼時、12時頃に行きました。
そこでも、かなり光が降り注いだことを覚えています。
それで、反応があったので、行って良かったと思いました。
その時に、実は夢で「三浦」という言葉も感じていました。
今思うと、「三浦春馬」さんの事も含まれるかもしれないですね。
あと、二人「三浦」と言う名の知人がいますので、、、
春馬さんの逝去までは、知人関係かな?と思っていました。
石仏訪問は、イツキ一月11日でした。ゴロがいいので覚えています。
そのひと月前、12月にシコブチさんの祠、高島、朽木をぐるっと五、六か所お酒を持っていきました。
この時は、何故か阿蘇の生目神社の風景と重ねて観ていました。
年末12月、年明けて1月と二週間おいて、、似たようなとこ(⁽高島市・安曇川)を訪問させられたのです。
今思うと、佐々木氏は私の父方の遠縁だと思います。
それで、私が呼ばれたのだと思いました。
20200420だけです。
他に、琵琶湖母神像を探しましたが見つけられませんでした。
不思議ですね。
それに、文字の写真には、虫の抜け殻のようなものが一緒に写っています。
私が20200420に書いたコメントは二つ
「鳥栖市姫方の姫古曽神社と小郡市大崎の媛社神社」
・儚い夢の話 (さくら)2020-04-20 09:14:03
・玉置神社 (さくら)2020-04-20 20:45:23
夢の話しは、意味深やわ。
はいせ様と一緒に頑張ると言ってます。
天岩戸岩陰古墳の人骨調査は、長崎大学医学部となっていますね。
長崎大学は江南からの古代人の骨など調査しています。
長崎大学研究者総覧
http://research.jimu.nagasaki-u.ac.jp/IST?ISTActId=FINDJPDetail&userId=357
全く買う気がなかったのですが、、、
「どうですか?」という関西弁の指摘を受け、、
骨董を少し色々と見てしまいました。
その場所では奥に、玉蝉が何個か売っていました。
それで、値段を問うと、「負けて、38000円」というのです。
それは、大きすぎるので、小さい玉蝉を買いました。
玉蝉だけのつもりが、、、丸い円盤の双魚も売っていました。
それを見て、「ヴィシカパイシス」を勉強したことだし、これも買っておこう。
この玉蝉が変わっていて、裏が藤の花になっています。
私が沢山見た画像では蝉の形は、竜に変化していくのだけれど、、、
裏模様の藤の垂れさがった花は、こちらの「アイラトビカズラ」を指しているのかな?
それとも、熊野の藤白龍神のことかな?
(鈴と穂積)
と考えていました。
骨董市に行く前の堀越神社で見た絵馬が、「馬と七つの藤と太陽半円」で意味深であり、、、
昔の鳥居の形状を考えますと、鎮宅霊符神社と熊野第一王子社の位置は正しくあり、現在の配置はきっと何者かの意図によって変えられています。
聖徳太子が七の神社を作って配置したうちの一つである堀越神社。
茶臼山とか、三光神社との関連が気になります。藤白では、藤の花が鱗に変化して、龍へと変化しているので、、玉蝉の裏が藤花はあり得る形象なのでしょう。
あまり詳しく書くことはよくないかと思い、記録保持の為にコメント残します。
この秋のお彼岸中お墓参りとか行きましたが、、異常に体が重いのです。
少し出かけただけで、すぐ帰宅しそのまま疲労感いっぱいで、倒れこむように寝込むことばかりでした。
それで、熊野神社本庁の「高御位山神宮」に行きたいと思い、「おうしこ」さん石の宝殿と同じ山脈の山に登ろうと頑張ったのですが、、、思ったよりもゴロゴロ石の波動にヤラレテ、登り切れませんでした。
道がないも同然で、精神力で昇ることはできるのですが、、、その後吐くことが予見されたので、無理はしませんでした。
それで、いつものことながら、マイペースで登りますので、どんどん抜かされるのですが、色んなドラマを垣間見るのです。このようなアルアル話は、実際に登った人同志の楽しみです。
「三浦一郎」氏についてですが、、、
高御位山を登るに際して、色々な情報を得ようと検索していましたが、あまり出てこないのです。
ふと、こちらの「龍宮乙姫の謎」を書かれた佐治
芳彦さんは、「九鬼文書」についてを書かれているのです。
九鬼文書を調べますと、三浦一郎著作があり。
別バージョン龍宮乙姫による、高島からの昔の夢見で呉羽と六角佐々木氏と三浦ですので、、、
きっと伝言だと思います。でも、三浦というよりも、九鬼家を調べらたら良いという事かもしれません。
九鬼家は熊野大社の代々宮司だったような。
サイトを貼り付けます。
http://www.mars.dti.ne.jp/~techno/column/text5.htm
ここで、大本のことがでてきます。
出口なおと王仁三郎の関係は、古来の神の雛型、男女夫婦で陰陽であり、、ヒコヒメらしく、、、二人で一つのようです。これは、双魚の交わりを得た事もあり、気になります。
藤田女史もヒコヒメについて書かれています。
それで、上田喜三郎さんの小幡神社の奥社、高熊山。
私は、「ひめこそ」神だと判断しました。
あの辺りは、佐伯、稗田、蘇我なのですが、、、
播磨の斑鳩寺敷地内に、何故か稗田神社の御旅所がありました。
高熊山と高御位山との関係。
熊山と熊野。
出雲と熊野。
九鬼家と三田藩。摂津有馬氏。
メモで一宮の配置。古代史の解析様より
https://komori2012.exblog.jp/16349416/
播磨神島レイライン
http://mysteryspot.org/report/kamishima/kamishima.htm
青龍窟からのメッセージ
https://trakl.exblog.jp/18065621/
十二の門の謎を調べに行きましたが、新設された用明殿があり、
用明天皇のことかな?と思いました。
http://sakuwa.com/yw-29.html
最初から最後まで、日向洞窟にいくことは反対されていました。ガイドブックには載っていない場所。
不動岩に行きたいと伝えられていました。これは、ガイドブックに載っています。
私としては、アンテナを張り巡らして、どのような結果になるのか、様子見ながら進めて行きます。
まず、不動岩に行きます。そこで、首引きの逸話があることを知ります。
不動岩に行くには、「三玉地区」を通り抜けました。
首引きと三玉が気になります。生目神社もありましたので、三玉とはなんぞや?と考えていました。
不動岩の由緒に書かれていた、「薄野神社」に行きたいと思いました。
ここの記事の熊本博物館所蔵天岩戸岩陰遺跡の人骨は、ぱっと見たときに「一つ目」を意識しました。
確か、この薄野神社は「一つ目大明神」をお祀りしています。
蛍の里とも書かれていました。「ほたる」も光る虫で、色々と私の調べものででてきます。
水源であり、湧き水が豊富で、芹とか、クレソンとか清水に生える草が沢山あった記憶があります。
一番は、五七の桐紋だという事でした。
それと「よど池」が傍にあり、淀姫の名残かと思いました。
若山連吉田氏が代々神主らしいのですが、、、
和歌山?なのかと思いましたが、痕跡がありません。
肥前の若山国が唯一でてきます。
佐賀県鳥栖市牛原町
http://kyusyu-sky-net.com/saga/castle/saga23/wakayama.html
勝尾城とか書いてあります。
筑紫氏のお城のようです。筑紫神社。
卑弥呼かも?の一人。
甕玉依姫がいます。
それで、薄野神社のあと、日向地方に行ってみました。グルグル回ったおかげで、アイラトビカズラのことと、吾平山の事を知ることになり、ほぼ迷うことなく人魚像のいる、豊玉姫洞窟に行けました。
※薄野神社は菊池川の源流となっていました。そこには、八大龍王神が祀られていました。
それに、木幡神社(天忍穂耳命)も祀られていましたね。彦岳と首引きしたらしいのです。
本当は、時間があれば伝説を巡りたかったのですが、、端折りました。
藤田女史は宗教法人化していないのですが、川見氏のお蔭でネットワークとして月刊の機関紙を発行されて御縁のある人には存在が知られることになったという経緯ですので、そこのところをよくよく理解しなければならないですし、それで偽か善かがわかるという事になります。
今後注意して気にしておきたいと思います。
高御位山に完登できなかったことは残念でしたが
無理しない事が大切です。
ところで偶然にも入手されたという玉蝉ですが
なかなか目にすることがないようなものですので
特別の縁があったということなのでしょう。
材質は石だったのでしょうか?
琵琶湖母神像はポケモンのポケストップになっているようですね。
吾平武勇にピンときました?
何か変化が起きるかもしれませんね。
高御位山は、残念でしたが、、
年内には宿泊兼ねて再チャレンジ決定しています。
登れなかった、登山当日に播磨の宿の予約取りました。
岩がむき出しで、暑くて駄目だった・・・と感じたからですね。寒い冬場、、雪が降る前に行く予定です。
牛の顔、牛頭、と身体はわかったのですが、、、
課題としては、三尾、牛尾がどこを指すのか?
という事かと思います。
大王の石棺となる竜山石がゴロゴロですから、貴重な経験です。
骨董市で買いました
双魚は、色合いで翡翠だと思っていますが、、、
ペンダント用金具がついていて、梅の花五弁の模様となっています。
これは、自前の銀チェーンに通してとても気に入っています。
これをつけていると、インスピレーションが久留予感がします。
玉蝉、裏が藤花は、、瑪瑙かな?材質は、石です。
セミ部分は、深緑色で、藤花部分は、薄茶色です。
二色に分かれています。
この玉蝉、購入した日は、疲れて夜8時には寝入ってしまったのですが、、、夜中1時に倦怠感で目覚めて、瀬見、蝉を祭壇に飾り付けなければならないような気がして
針を使って、工夫していました。結局、針はどこか落として失くしてしまいました。
玉蝉は発声するときの舌のように少しうねっています。
八大龍王神の神籬の軸の部分に合体させました。
ぴったり、しっくりしていますので、其の為に我が家に来タレたようです。
琵琶湖母神像は、竹生島を遥拝しているのかな?竹生島は黒龍神のようですが、、、
母神は金色と言うのが、とても嬉しいですね。
龍宮乙姫・琵琶湖の龍神は、(ピンク)ゴールsを以前感じました。
息長氏と国常立尊の謎解きでした。
金が下がってきていますね。
金相場見てます。
ポケストップというのは、ポケモンGO!ということでしょうか?
わたしも発売当初、ポケGOしてみましたが、近所には変なムシしかいなくて、すぐ飽きてしまいました。
それよりも、「GO!天正遣欧少年使節」「天草四郎とシマバラン伝説」の動画が面白いなぁとキリシタンの勉強しています。3355
9月26日は、竹生島クルーズと風車街道の日月星の龍宮乙姫探索でした。
どこからどこまで書こうか考えながら、、、
何となく琵琶湖母神に会えたら、何か私の中で転換期になるかもしれないと予感していました。
それで、ここ二、三日朝起きたときの感覚が漠然とした不安でいっぱいでした。
体力、体調に自信がなくなっていました。
何故か、もうすぐ死ぬのかな?と考えることが多かったのです。倦怠感があり、思うように身体が動かないせいでしょう。
でも課題はやって来ます。
琵琶湖母神は少ない情報で、想像をかなり働かせて、かなりの苦労、
風車街道を何回も走ったり、歩いたり、、ぐるぐる周遊しました。
それで、夫が「人魚像探しはもう諦めたら?やることやったでしょう。」と言い、次の予定地比叡山に行こうとします。
それを聞いた私はシュンとして、、
「豊玉姫と一緒に梨食べようと思って、わざわざ皮をむいて持ってきたのに」
と言いました。
夫は、漸くはっとして、、
私が家を出る直前に何故「梨」を剥いていたのか、、、
人魚像を探したいというのではなく、、、
一緒に「梨」を食べることを望んでいたという事を理解したのです。
この「梨」は20200909重陽の節句の台風十号小難祈願後に
神恩感謝の意を込めて、お供えとして買った「水菓子」でした。
私はあの時に、紀ノ國の闘病記の事を書きました。
もう、日付は更新されない。
闘病記の中で、その方の父の命日に果物の皮をむいてお供えしていたのです。「お父さん食べてね」と。
私はその文章がとても記憶に残っていた・・・
もう故人である人への想いが行動となって顕れていて、素敵だなぁと感じていたのです。
夫は、私のそのような経緯や想いを知りませんが、私が豊玉姫と一緒に梨を食べたいという願いを叶えようとしてくれました。
水鳥観察センターに車を止めて、水鳥たちを見ながら、湖畔を歩きます。
植木の整備をしている人達がいました。
夫が、「あの人たちに尋ねたら?俺は悪いけど素知らぬふりしてるから」と言います。
私は「すみません。人魚像が近くにあると思うのですけど、ご存知ですか?」と聞きますと、
二人とも、「知ってるよ。すぐ近くにあります。」
と詳しく色々と教えてくれました。
そのお蔭で、無事琵琶湖母神像にたどりつけました。
その道中に咲いていた、藤の花に似た、「紫の花」を見ながら、、これは「葛」なのかな?とか思っていました。
家からの持参品も広げて、琵琶湖母神の側でゆっくりとした時間を過ごしました。一緒に、梨も食べました。
無事、藤田妃見子さんの想いが形となった琵琶湖母像に会えることが出来、ほっとしました。
裏の石碑に「川見」さんのお名前も刻まれていました。
無事に伝わった気がします。
映画MERUでは最後の100mで諦めました。
さくら様も高御位山登拝を諦めました。
諦めることはとても大切な決断といえます。
でも今回は往生際が悪かったお蔭で琵琶湖母神に会う目的を達成出来ました。
一期一会の機会の中で祈りとか神意というものを
感じながら執念深く行動することが
大切だと私は常々思っています。
御神霊はその時の必死な思いを受け取るのです。
梨を食べることをナシとげられたことは
とてもいい神恩感謝になったと思います。
執念深くですか・・・心に留めておきます。
紆余曲折あり
神恩感謝の意を伝えられたのでしょうか。
その後、夕方急に雨が降り出し、、でも、夕日が輝いていました。
辺りが黄金色に染まり、二重の虹が京都で出現しました。
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/366132
金色の空が神秘的で嬉しかった・・
想いを届けて、その返信だと思いました。
そして、次の日の朝6時に比叡山延暦寺にて、朝の勤行に参加します。
行く時のバスから見える景色は、琵琶湖を照りだす光り輝く朝日でした。
夜に雨が降り、綺麗に祓われた空気の太陽でした。
これも素晴らしい景色でした。
メルーの視聴感想で書いた「VIEW」ですね。
その勤行の始まる前に、上の位置から「瑠璃光薬師如来」を見える場所取合戦が始まっていました。
私は、ぼんやりしていて、出遅れてしまい、、
あまりいい位置につけなかったのです。
でも、四天王寺にてはいせ様と一緒に学んだ事を、より深みを出さなければいけないと、
良い位置につけるように身をずらしたのです。
大きな智慧の為に勉強しなければという思いです。
そうしましたら、私がごそごそとして「好いポジション」を狙っているというのが周りの人にばれたようで、皆さま少しずつずらしてくださって、私は結構薬師如来像の見える良い位置につくことが出来、
目を凝らして、読経と金の音に合わせて、どのように反応するのかじっと見つめていました。
歌のような、節のある、倍音のような、独特の読経が始まります。
そのうちに変性意識になり、色々と変化して見えてきました。
それで、すごいテクニックを取り入れてるのねぇ。
知らんかったわ。
マジカルよねぇ。
昔の知恵者って、凄いわ(*´з`)
とふんふん自分で納得していました。
それは、四天王寺にて、偶然にも回向式をはいせ様と一緒に拝見して、会得したからになります。
それで、泰澄さんのお墓のある「大谷寺」の住職は、四天王寺と比叡山で修行したとおっしゃってられたので、、なるほど~。
私に何かと色々と少しずつ見せてくれるのね。
と感慨深く思っていました。
その時に、久しぶりに逆流性食道炎かな?と思いました。
その後、逆流で気分が悪く、寝付けずに意識のある状態で居ました。
その日は朝から、SDGs関連で自家発電切り替え工事をする予定です。日ごろさぼっている掃除をしなければなりません。早めに起きて、片付けします。
それで、朝8時50分に工事の方が来ます。
我が家のバイクを見つけ、興味津々で聞いてくるのです。どうも、工事担当の方(三人)の内、バイク乗りが二人も混じっていたようです。
その方達が乗っているのは、「カタナ1000CC」と
「ハーレー」らしいのです。
我が家の長男バイクは、モトクロス型で250CCです。
あの二人はマジキチのバイカー(馬乗り)だと分かりました。
その話を聞いたので、よく見ると、がたいも良いし、賢いのです。武士っぽいなぁ
頼んで居ないのに「門扉の扉」を直してくれました。
「有難うございます」とお礼を言うと、「趣味ですから」と言うのです。
これを見て、仕事のできる人達!と感動しました。
この行為は、お世話になった四日市出身のササキ氏と宇治山田出身の方と同じで、さりげなく優しさを感じる出来事が多々あり、感動の連続でした。
無事工事も終わり、すぐさま倒れこむように寝ます。
その姿を夫が見て、晩御飯は作ってくれました。
私「明け方、逆流で寝れてないから異常に眠たかった」
夫「俺も、今朝方変な夢みて、何者かが身体の中に入るんやけど、、、それと格闘して最後肩から出て行って、出て行くと同時に実際に
身体も一緒に動いたから、吃驚した」
とほぼ同時刻明け方の話をしました。
それで、少し比叡山での出来事も書いておこうと思います。
朝の勤行は根本中堂で行われ、色々と法話を聞きます。そこの屋根は改装中なのですが、おおきな鴨居が何個もアリ、その中の一つは、まだ改装していない状態で、金色の鴨居で真ん中が「ハート」でした。
2021年に最澄(822年没)1200年の祭典を企画してるとお話しがありました。
其の下に、沢山のお名前が刻まれていました。
その最初のお名前が「畑 ○○子」さんで、他の人よりも大きく書かれていました。
それを見たときに、この母神像の発起人は「畑」さんなのか?藤田さんの後継なのか?と感じます。
「畑」と言う字が気にかかっていました。
私の産土神住吉神社を調べていて、近くの「畑」天満宮と関連していて、、、
どうも住吉大社と奥天神・生根神社
住吉神社と畑天満宮(生根神・沖の天津神)
としていると思います。
そこから、色々とコメントを書き、最後「なのりそ」で終わりました。
つまり、琵琶湖母神像から「なのりそ」に繋がったのです。
「参考 白澤」NO546
生根神と笹もしくは酒 (さくら)2020-07-09 01:17:47
から始まり
宇治宿禰、美保津姫、最後吾平姫から「なのりそ」という事になります。
腹切り坂の事も出てきて、、、それは、三可和地区になるのですが、ワニ氏の三兄弟像があり、牛角とか被っています。
高御位山の近くに「腹切地蔵」という地名がでてきたのです。
腹切で、北岡神社の藤原保昌さんの事を書いていますが、北岡神社は、花岡山です。
この花とは?何かなと考えていて、
紫宸殿の梅の花で愛を結ぶ由来があるのです。
紫宸殿は橘と桜ですが、以前は梅だったのです。
これは、ゆすら梅(呉系楚人)から桜に変えられたという事かな??と思っています。
ちなみに、花岡山は伊保山であり、美保山と言われていたようです。
藤田さんは「ひみこ」を名のっていました。
卑弥呼の後は、「台与」トヨらしいのですが、、、
偶然にも、此の写真を見て、「一つ目水源」を思い出し、そこのすぐそばの薄野神社の宮司は若山連吉田氏という事で、佐賀県鳥栖牛原のこととなるようです。
よど池があり、佐賀のよど姫を思い出したのです。
それで、よど姫の事を調べて、「豊姫」とも言われていたと書かれていたのです。
神功皇后の妹、「豊姫」は豊玉姫を祀る巫女だろうという事で、、、
藤田さんに憑依した、山鹿の洞窟神霊巫女は、、
豊姫さんではないかな?とちらりと思います。
昨日は、中秋の名月で、大きな丸いお月様を見ていました。
和菓子を買い、準備していましたが、本日ススキを飾ると思います。
あー、薄野のススキですね。
一つ目は満月のことなのかもしれません。
実は、琵琶湖母神と一緒に「梨」を食べた日の夕方は、金色の空と雨の雫のきらめきを見て、嬉しく感じました。
その夜は、なかなか寝付けずにいました。
ゴロゴロして、明け方やっと寝付けたようで夢をみます。
天照大神と五伴緒?が天降る姿です。
天から降りてくるのです。
手には稲穂を持つ人・・・この人は
「厠神考察」20170102の絵の中のニニギ命に稲穂を授ける人、きっと天照大神
(邇邇芸命は斎庭の稲穂の神勅を受けた稲穂の神である)
ここでは、地上でニニギ命に稲穂を授けていますが、、、
私はこの天照大神が他の神霊神を引き連れて、天から降りてくる姿を感じた事となります。
そのご、星が渦を巻いて、、宝珠になる姿なども見ました。
その後、琵琶湖の照り輝く朝日を見て、根本中堂にて朝の勤行に参加するのです。
そこで、変性意識になり、また色々なものを幻視するのですが、、、
偶然にも、色々な事が揃わないとこの幻視が見えないという事が分かりました。
偶々、私は知らぬうちに訓練していたということになります。元々持っていた、妙見力だと感じます。
それに珠が必要であったという事ですね。
それで、はいせ様「玉をだせ」と言われたのでしょうね。
私がその時に何気なく身に着けた玉は、「勾玉と文字の書かれた玉」でした。
何か象徴的な文字珠であり、、購入するときに私はかなり悩んだのを覚えています。
ナノリソを書きましたが、、、
私が名乗らないといけないのです。
「喜んで、謹んでお受けいたします。」
畑の事を書きましたが、「秦氏=朝鮮半島」ではない!と強い否定をすることが命題のようです。
色々とこのブログ記事のコメント欄に秦氏(息長氏、蘇我氏、物部氏、大伴氏)のことが書かれていて、その否定をしなければいけないようです。
それは、確かに協力関係であっただろうけど、、、
秦氏優勢説はやりすぎなんだよ!!限度があるだろう!!
という事のようです。
これは、私の虐げられた血脈のことになりますので、、仕方ないようです。5852
そのうちの一つが、「針」についてになります。
※SDGsとESGs (さくら)2020-09-25 23:30:23
のコメントの内容の補足になります。
玉蝉と針について。
0923の夜中12時を越えてますので、正確に言うと0924の1時頃です。
ものすごい倦怠感に襲われて起きるのですが、、これは今まで経験したことがないほどでした。
寝ているのに、身体がだるいのです。
それで、恐れをなして、買ってきたばかりのセミの玉を何とかしないといけないと感じます。古物なので、水洗いをして乾かしていました。
祭壇に取り付けなければ、、どうやってとりつけよう。
針を使うしかないと思います。
夜中に、針で玉蝉を取り付けようとしましたが、上手くいかず、針を失くしてしまいます。
夜中だし、、もういいや。針無し(なし・梨)で神籬八大龍王神ののどぼとけ辺りにセミを張り付けました。
針無しでもイケテルわ。
針は角と一緒の意味と考察したから・・・
※川上村記事「角大師」で鹿角考察
山幸彦が兄の海幸彦の針を失くして、豊玉姫に出会う。だから、針を失くして正解。
と勝手な持論で納得して、寝ます。
播磨(ハリ)の蘇我氏。阿蘇氏。息長氏の事を調べていました。播磨の高御位山に登ろうとしました。
結局登れずに、、、琵琶湖母神探しもも断念仕掛けますが、、琵琶湖に「針江」という地名があるのです。
湧き水が綺麗な場所です。
針江と言う場所に、川端と言う意味の地名「かばた」があります。
http://harie-syozu.jp/about
実は、琵琶湖母神探しの時に、ココを調べていました。
「かばた」でお昼ごはん食べようと思っていました。
姫ご膳
https://ameblo.jp/machi549/
結局、ココではなく違う場所でお昼を食べましたが、、この風車街道沿いを走行中に「かばた」を見つけて、ここでお昼食べる予定だったんだとそちらに、目がいってしまったのです。
この針江の「かばた」の反対車線すぐそばに琵琶湖母神像でした。
それを知った時に、、かばた・針に引っ掛かったと思いました。
川端で「かばた」は。。。岡山の小幡氏氏子の姫社神社の本当の名前、「秦原・ハタハラ」は「川の端・かわば・かばた」の意味という事を知っていたからです。
針を失くして、、
その後、失くした針を見つけました。
そのことをコメントに書いておかないとと思っていました。
多分、9月28日夜中か9月29日なのです。
9月29日だと思っています。
祭壇でお祈りしているときに針を見つけました。
9月30日の「ヒミコとトヨ」のコメントに針を見つけたことを一緒に書かなければ、、
と思っていたからです。
「ヒミコとトヨ」は・・・
本来は私はここで、藤田妃見子さんの後の「トヨ」として名乗りを上げるという事を書かないといけなかったのです。頭の中がそのことでいっぱいになって思考停止でしたが、、理性的に勘違いも甚だしいかもしれないと、、、
違う文章にしました。
それは、針がでてきたから、神籬八大龍王神喉ぼとけの位置に針で固定しているので、この事を記載せよとも指示を受けていたからになります。
ここのコメント欄「9月25日」と言う日付でコメント書き残していますが、これは藤田妃見子女史の命日という事になります。8885
コメント削除お願いしたいのです。
トランプ大統領再選祈願をしていますと、、、バイデンにかぶせたコメントを削除した方が良いなと感じました。
このコメント欄の直近二つになります。
①バイデン開始 (さくら)2020-11-06 13:08:44
②我が家の売電状況 (さくら)2020-11-09 17:48:04
申し訳ないのですが、気になりますのでこのコメントの削除をお願いします<(_ _)>
認証番号5252でした・・・
この縄文神龍宮乙姫、七周りの百足(オオナマズ)と関係があるようです。
昨日、20200929明け方4時頃「豊玉姫」と言う言葉が浮かんで意識が目覚めました。
このコメントの続きのような出来事があり、記載しておきます。
20200929明け方のことを書いています。
20210129私は昼間、釈迦仏を彫っていました。
その仏の顔、目と鼻を彫りこんでいて、とても賢い顔つきになり、心の中で自画自賛していました。
特に、左目が素晴らしい。生きているみたいだと思って、その目をじーっと見ていますと、、、
急に蔵王権現の本質のようなものが紐解けたのです。
それで、「毘沙門天の謎」という記事にコメントを記載したのですが、消えてしまいました。
私が左目から得た蔵王権現の本質理解も泡のように儚く、消えてしまいます。
それはそれで文字として残さなくて好いものなのだろうと想ったのですが、何故か熊本博物館(鎮宅霊符神・岩陰遺跡の人骨)に行かなくて好いと思いました。
2021年年明けてから漠然と熊本博物館に行くことを考えていたため。
その思考の影に、琵琶湖のお話し、比良八荒という風の事を考えていたからになります。
左目に宿る神霊
蔵王権現のことと役小角
こんな大事なことを知ってしまったら、何をやらされるのだろうと・・・
その夜中、何を思ったのか、、
色々と文書を討ちます。
ほぼ、思いつくままに、
明け方も文書を打っていました。20210130の明け方
20210130朝起きますと、、、
夫は、明け方地震がなかったか?と聞いてきます。
私は文書を打っていたので、半分覚醒しているのですが、地震は感じなかったのです。
夫は、左足のこむら返りがあり、その後、家がミシッと言って身体が動いたらしく、、てっきり地震だと思ったとのこと。
それを聞いて、地震速報のネットニュースを調べましたが、近畿地方の地震はありません。
それで、20200129のコメントの続きだと気が付きます。
長くなるので、、、
かいつまんで、、
2019年に0123ひふみの風をコメントしています。
雷神と風神のことで、雷神の封印をぶち破ったお話しであり、それは関東の氷川神社のアラハバキ神の補佐として、関東の地震回避のためでした。
※私の中のイメージです。
風神を感じて、そのようなことを書いたのですが、、、
その時に地震を感じたことも書いています。
琵琶湖の高島辺りの地震でした。
これは、今思うと、比良八荒、琵琶湖母神建立の想いを読み取り書いていたみたいですね。
今、私がしているのは個人的な先祖供養であり、、
愛とか赦しとか悟りとかではないですね。
いずれ、そのような高尚なものに近づければよいなと思いますが、
自分自身が人格的に優れていると思ったこともない。
解毒がキーワードであり、それが上手く動くように心を砕いていくのだろうと感じています。
これはこちらのブログで考察されている
妙見妙音妙理の統括尊たる
イツキヤマト大神。ハミト大神・ハズキ大神の事だと思っています。
それで、先祖供養も兼ねてお祀りをさせていただいています。
大江山の鬼のこと、琵琶湖と山鹿の龍宮乙姫のこと、宇治の百足、花岡山の北岡神社と奈良と大阪の県境二上山のことなど探究しなければならないように感じています。
是非とも妙見妙音妙理の統括尊たる斎姬山門五音大神のお祀りを
今後ともに宜しくお願いします。
身近に感じられておられることがありがたくまたとても嬉しく感じています。
・20201029の明け方
・20210130の明け方
今回は、20210308です。
夜中1時から2時頃に色々と音が発生したようです。
家族に確認がありましたが、座敷で寝ている夫以外だれも聞いていません。座敷は牛玉お札がある部屋です。
確かに座敷ワラシが関与するような良いことが偶然ありましたが。
その前日3月7日は、四天王寺訪問後と同じように、物凄く疲れていて、早々夜9時頃に私は寝てしまいました。
その前日3月6日に「京都祇園の少将井信仰」に道君首名公と宗像神の事をコメントしました。
赤司八幡宮は豊姫をお祀りしています。
赤司八幡宮の張り付けたリンク先は、月神の豊玉姫のことを書かれていたと思います。
どうして、祇園の少将井にコメントしたのか不思議に思っていたのですが、、、
記事中の道君さんの名前が誤植で「通君首名公」となっていたからですね。
それは肥後国司としてとして、初代が道君首名公でその後何代目かに藤原保昌の名前があるので、
この二人は同じ宗像神信仰者であり、藤原家からの要請で肥後に赴いたような感触を受けたからですね。
熊本花岡山の事を揖保山で美保山と書いていますが、訂正で、播磨の揖保山は美保山とも言われています。
その播磨の揖保出身が藤原保昌であり、熊本花岡山は朝日山と言う別名です。
それで、3月7日は招待を受け「下鴨茶寮」に行きました。お店はいきなり「日と扇」の暖簾でした。早めに着いたので、近くの下鴨神社内の河合神社に参拝に行きました。
そこで、色々と感じるのですが、八衢毘古神(ヤチマタヒコ)・八衢比売神-道・道の分岐点の守護神が気になりますし、
鴨長明の方丈という摂理も、気になります。
写真に透明な水色の珠が写ったのが、、河合神社の境内外の「三井社」でした。
下鴨茶寮の扇の紋は気になるのですが、、
今まで勉強してきた下鴨神社の知識の中で「摩多羅、斑女」と「扇」と「吉田少将」のお話しが有りますから、、、
この扇は少将井を表すのかな?と思います。
偶然、三井社で水玉が写ったからですけど。
三井寺は尊星曼荼羅で576となりますし、
久留米の御井郡の「三井」かな?と。
ウィキ情報
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E4%BA%95%E9%83%A1
高良玉垂神の事も載っています。
それで、ここ下鴨茶寮の前に京都に住む次男におやつを渡しに行き、すぐそばの「革堂」と言うところにも偶然寄りました。ここは、鎮宅霊符神がお祀りされているのです。
それで行ってみますと、「寿郎神」「福禄寿」がお祀りされて、他にも加茂大明神と書かれていました。
鎮宅霊符神って、確かに老人星(カノーブス)で合ってると感じます。
そこは、掛け軸に文字を書いてもらえるようで、、
どんな御利益があるのですか?と話しかけて、お葬式の時に掛け軸をかけて、死後の世界が良いところに行けるというお話しを聞きました。
円行上人と言う人が、鹿の皮を着ていたらしく、、
この円行上人は大分の「速見」出身で、鎮宅霊符神鈴がある「速吸日女神社」と何か関係があるはずと思っています。皇円大菩薩、金光上人は円証、円仁、円珍と「円」が付くお名前が多いのです。
最後に、高野の妙音天に行きました。
其処は、大蛇、白蛇をお祀りしていて、、
双頭の蛇だった・・・のです。
ああ~、清瀧権現と善女龍王神だと思いました。
八角形のお堂でした。
玄松子さま・・・抜粋
早吸日女は「速来津姫」という名で、肥前国風土記に登場する。
名前に「久留」「来」が入っています。
『肥前国風土記』彼杵郡によると、天皇が熊襲親征で宇佐宮にあった時、 陪従(みとも)の神代直に命じて、速来村の土蜘蛛を捕らへさせた。 この時速来津姫が来て、自分の弟の建津三間が石上神之木蓮子玉といふ美しい玉を秘蔵していることを奏上した。 神代直は、その弟を探し出し、石上の神の木蓮子玉と白珠玉の二種類の玉を献上させた。
また速来津姫は、川岸の村に住む箆簗(のやな)も美しい玉をもっていると奏上した。 神代直は、箆簗を捕らえ、その玉を献上させた。
神代直は、手に入れた三種の玉を景行天皇に献じたところ、 景行天皇は「この国は具足玉(そないだま)の国というがよい」とおっしやった。 それが訛って彼杵(そのぎ)郡という、。
『豊後国風土記』速見郡によると、景行天皇が熊襲親征で海部郡(大分佐賀関あたり)宮浦に停拍された時、 その村の長・速津媛が来て、この山に鼠の岩屋という大きな岩屋があり、土蜘蛛が二人(青・白)住んでいる。 また、直人の郡祢疑野に、土蜘蛛が三人(打猿・八田・国摩侶)が住んでいると奏上した。 そこで、天皇は兵士を遣わして討伐した。これによって名を速津媛の国といった。後の人が改めて速見の郡という。
※土蜘蛛さん達が討伐されて(速見)、、石上神の珠三種類を天皇(景行)に奪われてます(速来)。物部氏が祀る石上神宮の豊玉姫の珠は元々は土蜘蛛さんたち(海人族・呉系姫氏)のものだったのだろう・・・
早吸を検索していますと、、
瓦が龍宮であり浦島太郎です。
何故か「すいかずら」のような気がしてきました。
吸い葛
別名、忍冬、金銀花
(昨今私が妄想で勝手に対峙している九相龍王は葛の藤色龍王と思っています。)
別名は、キンギンカ(金銀花)、ミツバナ、スイバナ。葉や中国植物名は、忍冬(にんどう)といい、冬場を耐え忍び、枯れずに残ることからこの名がついている。異名である「金銀花」は、花色が白から黄色に変化することに由来する。
白⇒銀
黄色⇒金
鎮宅霊符神のある堂には、加茂大明神がありました。これから、下鴨茶寮に行くし、高鴨神社で買った腕輪をしていました。
カモづくしと感じていたのですが、、、
下鴨茶寮から食事をしながら見える風景は東山連峰大文字山の「大」が見え、鴨川が流れ、桜並木が見えます。
そこに懸けられた掛け軸の文字が難しくて、
「寿入千林・・・」までしか読めません。
それで、此の文字をスマホで入力しますと、
「春入千林処処鶯」と出てきます。
それも偶然にも、有馬頼底 老大師の書とでてきます。
号 大龍窟
臨済宗 相國寺派 七代管長、
金閣寺(鹿苑寺)住職、
銀閣寺(慈照寺)住職、
久留米藩主 有馬家(赤松氏流)の子孫。
この林と鶯が気になっていました。
私は梅酒を頼んだのですが、、銘柄を問うと、京都城陽市の梅酒で
山城の国ですと言われたのです。
青谷梅林は知らなかったです。
掛け軸に掛かっていた字は、「鶯」なのですが、
禅語で
春入千林處々花
秋沈万水家々月
春と秋。朝日と夕日。花と月。林と水。
対になっているので、、
ハミト大神とハズキ大神のことかな?と思いました。5256 5626
藤崎八旗宮と池辺寺跡に行きました。
その直前に、武内宿禰公の姿は見えねど、二回も潜在意識に顕れて示唆と守護が有りました。
※この時に、「おきながたらしひめ・息長帯比姫」を護ると言われた。しかし、歴史上の有名人の名前をだすと厄を受けるため、「名もなき衆生」が良いのですが。
それと現実世界の生きている人「誰それ、彼それ」の嫉妬(悪意)に気を付けろという事でした。
その出来事がなければ、藤崎宮神職さんとお話ししなかったと思います。
池辺寺は道君首名公の悪龍伝説があります。
「味生池」になります。
この味生池に後程空海が訪れます。
私の感覚では呼ばれたのでしょう。
それで、熊本霊ラインに最澄日吉比叡山と空海高野山ラインも生じるのでしょう。
久留米御井郡の赤司八幡宮に池王神社で道君首名公と国長明神が祀られています。
豊姫と道氏の関連を調べていました。
豊姫は、神功皇后の妹で、豊玉姫を祀る巫女だろうという事です。
この豊姫(とよ)の系列が私の感覚では道氏(息長氏)だとおもいます。
池王神社と池辺寺の池は同じと直感で思います。
※熊本の宿泊したANAホテルの人と「池」の読み方で散々ボケとツッコミを繰り返したため。
わざわざ、熊本まで行かされた意味が2年後に判明しました。
香春の忍骨命神社を調べていますと、、
第三殿に豊姫が出てきます。これは、最近私が呼ばれた地がこのアタリですので、それで、忍骨命を調べていました。
「日本三大実録」貞観13年2月26日壬辰条(871)
豊前国従五位上辛国息長比咩神。
忍骨神並授ー従四位上。
阿波国正五位下天石門和気八倉比咩神従四位下。
など・・
書かれていて、、837年は、辛国息長大姫大目命の名前になっていますが、祭神の名前が色々と手を加えられています。
四国の八倉姫神社の事が一緒に書かれていたので。
他にも、穴師神社も書かれていた。
それで、同じ霊統だろうと思います。
葛城の大倉姫も八倉姫と一緒だと思います。
八倉姫(とよ巫女)ですが、ここでは天石門和気となっていますので、「豊玉姫」をお祀りすると思いますけど、、、素人の知識です。
徳島市に天石門別豊玉姫神社があるからです。
この八倉姫は「とよの系列」なのだろうと思います。奥津彦神、奥津咩神、火産神→竈神。荒神。
2021年熊本訪問で北岡神社にて、この竈神のお札を購入したので、阿波国八倉姫神社と一緒と感じたのです。
それで、道氏と池辺寺をずっと調べていて、
「筑後国府マップ」久留米市市民文化部文化財保護課が出されている資料をみます。
筑紫の国三井の地に国府という役所が出来、最も古い国司が道君首名公。
そこに「味水御井神社」(うましみずみいじんじゃ)と書かれています。
湧水「朝妻の清水」
国司館と高良山を結ぶ道の途中にあり、
944年筑後国神名帳に「味水御井神」と記載され、朝妻七社ともいわれ、七の神の中に「国長神」が含まれていることから。国司が参拝していたと考えられています。
※これで、味生池の龍神は、味水御井神(国長神)と同じか、、、ハミト神、ハズキ神と言う意識。同じようでいて、見方によって違ってくるのと思ったり。
武内宿禰公末裔味酒さん。
大神神社の高橋神社の味酒の看板。
熊本高橋東神社に道君首名公が祀られています。
朝妻七社(七社権現)
清水池の東奥に鳥居と石の祠があり、朝妻七社は朝妻の各所に別々に鎮座していた七社(朝妻七社)を合祀して、「七社権現」と呼ばれている。味水御井神社には社殿がないため、朝妻七社と混同勘違いされることがあります。
祭神は
神功皇后(息長足姫 おきながたらしひめ)
国長明神(道君首名 みちのきみおびとな)
古父(いふ)
古母(いぼ)
妙見(天御中主命 あめのみなかぬしのみこと)
乙宮(豊玉姫 とよたまひめ)
西宮(事代主 ことしろぬし)
となっています。
以前、妙見で七郎権現の事を調べていましたが、、ここの朝妻七社は妙見神の傍にいる七面天女のことかもしれないと感じます。8077
メモ宮原様ブログより抜粋
応神天皇9年4月、武内宿祢を筑紫に遣わし、左衛に居ませ、百姓を監察せしめる。後の人、神廟を起て、蚊田の渟名井(かだのぬない)の水を酌みて、浅水間の井(あさづまのい)に移し、これを祭る。高良玉垂命神社
赤司の八幡神社の止誉比咩神社本跡縁記
誉田別尊の誕生の翌年、豊姫(ゆたひめ)を道主貴の神形代(みかたしろ)となし、右衛を竃門山(宮地嶽)に築き、左衛を山田の高牟礼(高良山)に築き、中瀛宮(なかつみや)を西海鎮護となす
※豊姫を道主貴の神形代です。宗像神となります。
これは赤司八幡宮の縁起となるのですが、、、
ここで、水沼の君。
浅水間の井から朝妻の泉となるようですが、、
道氏は御井・三井からのミチであり、石川郡「味知」ということなのかもしれないです。
朝妻で検索します・・
滋賀県米原市朝妻筑摩(あさづまちくま)付近の古名。琵琶湖の東岸。
現在の奈良県御所(ごせ)市の地名。朝嬬。阿佐豆磨。
朝妻湊跡・・・地名は米原市坂田です。私が訪問した息長古墳、山津照神社、国常立尊、青木神社、日撫神社、藤ヶ崎龍神になります。
琵琶湖岸の神話の町~朝妻湊跡と湖底遺跡、世継の七夕伝説、
朝妻神社は米原市朝妻という琵琶湖沿いの住宅街の中に鎮座する神社です。天野川を挟んで対岸にある蛭子(ひるこ)神社と同様、七夕伝説の伝承があります。
※私見で道君氏の事を息長氏系譜と書いています。
これは、私の知る情報から辿るとそのように感じているのですが、、朝妻と言う地名から北陸との交通要所があった場所に息長氏と七夕伝説がありました。
朝妻は伯耆国の御姫様だとか、孝霊天皇と倭迹迹日百襲姫命と関係するようなことが記されています。
それも「ささ・笹」も関係するようです。
https://tokyox.sakura.ne.jp/wordpress/%E5%AD%9D%E9%9C%8A%E5%A4%A9%E7%9A%87%E3%81%AE%E4%BC%9D%E6%89%BF/
朝妻姫の名前がでてきます。
倭迹迹日百襲姫命として
鳴門市北灘町 葛城神社摂社定水明神社
高松市西春日町 鶴尾神社摂社田村神社
大川郡大内町 水主神社
大川郡大内町 艪掛神社 大内町丹生に鎮座。百襲姫がヤマトより到着の地。
高松市一宮町 田村神社
※水主神社というのが、あります。
この水主神社は他にも山城国京都城陽市にあるのです。
田村の名前も気になるところです。
阿蘇神社の名前もあります。
肥後国 阿蘇郡 阿蘇神社 孝霊天皇の時、御子速瓶玉命に勅して大神を祭られたのが当社創建の始め。
肥後国 蘆北郡 陣内阿蘇神社 孝霊天皇の9年(前281年)現在の阿蘇郡一の宮町に阿蘇神社と して祀られたと伝えられている。
私のことですので、大したことないのですが、、
序 鵜戸神宮にてのコメントに、
2022年12月9日
太陽神の奇蹟
3月26日の出来事に依り、藤田妃見子さんの後押しがあり、コメント書くと記載しています。
頑張らないと・・・
本日は、2月12日ですので、22・フジ。
不二の日です。
2月2日に府中で殺人事件があり、2月3日勝負の日に見たネットニュースで府中の事件は「日向の封印」だと勘づきました。
根拠を書いていきますと、かなり長いので、どう端折るか・・
この記事は加藤清正の鎮宅霊符神鈴と同じ熊本博物館にあった、菊鹿町日向の洞窟遺跡からの人骨を見て書かれたと思います。
清正の鎮宅霊符神つまり、星田妙見と私は関係があり、その後切竹矢筈十字のところで、蛇神とご縁があり。
妙見神を随分と調べました。
略
藤田さんは大峯山の奥の院「蛇の蔵」で修行されています。七尾でした。
コピペ
修験節律根本道場 蛇之倉七尾山は役行者による大峰山修行の起源となった山岳宗教発祥の霊山と云われています。約1,000年前に蟷螂之窟に二匹の大蛇が棲息し人々に危害を加えていました。すると修験道中興の祖・聖宝理源大師がその雄を退冶しましましたが、一匹が山中の洞窟に逃げ込みました。
その後山中にある奥の院に摩王大権現が現れ、一般諸人が洞窟に近づくのを禁じ、龍神を守り神とすることを厳命したため、開山することができませんでした。
しかし昭和二十七年に再び開山され、奥の院への入洞が許されるようになり現在に至ります。
大峰山寺と同様に毎年5月3日〜9月23日まで登拝可能です。現在は休止中
まだ詳しい内容は分からないですね。
この蛇の倉の龍神が、翡翠の玉として得た和邇神でないのかなと考えています。
実際に呼ばれているのは、白山菊理姫神妙理権現。
金大磐になります。
富士山爆発の事象と関係するのか、藤崎龍神と藤崎宮のことが思い浮かびました。
あの時、滋賀琵琶湖の藤崎龍神の龍宮磐座コインを熊本の藤崎宮に繋ぎました。
そこで、見たのは武内宿禰と九曜紋です。
藤崎は富士山が爆発して裂いた、火花、噴煙、溶岩ドロドロ。
これが火山の木花咲哉咩のことでしょうか。
さくやひめ、身の潔白の為に火を放ちます。
巳の潔白⇒白蛇・白龍・火⇒母なる縄文の海の女神(富士山ろくの龍宮)これが、原母イザナミとして熊野信仰にも変遷しています。
縄文の女神は人魚伝説(八尋和邇・マチカネ鰐)
例えば半魚人で古代中国の例は
中国の古典博物誌『山海経』には、複数の人面魚体の半魚人が記録されている。たとえば「海内北経」の姑射(こや)国の条に「陵魚は人面で手足あり。魚の身。海中にあり」と記述がある。4本の足を持つ人面魚である。
また、東晋時代に書かれた『捜神記』には、南方の海に棲む「鮫人」の記録がある。鮫人は機を織って暮らし、泣くと涙が珠になったという。同時代に書かれた『博物志(中国語版)』には、鮫人と人間との間の報恩譚が記されている。
そして、身の潔白ということで、吾平津媛は木花咲哉咩(桜大神)に置き換わっていますね。阿多隼人の娘。
日向の吾平津媛の神格は分離させられて、岩長姫と咲哉姫に変わったのでしょうね。
それは、吾平姫と媛蹈鞴五十鈴媛(日本書記)もしくは比売多多良伊須気余理比売(古事記)と言う分離となっていると思います。
比良を名のるのは荒魂とされて貶められているので、富士に名前を変えて祀られていると思います。
本質は一緒ということです。
向島の比良明神は、ムコの女神と対なのですが、、
地蔵菩薩「地面、大地」と天空;虚空蔵菩薩「空、宇宙」と対になり。妙見神の女神の形となるのです。それは、秩父の武甲山の妙見神は女神型で、同じムコの女神六甲山になるのでしょうね。
天村雲命は、大音大明神と伊香具神社で勉強しました。大音大明神は国常立尊調査で知ります。
蘇鉄の導きでした。
https://myagi.jp/ja/html/travel/travelBg.html
その後、春日大社が怪しいと知ります。
最近は若宮、四宮に行きました。
そこで、神功皇后のお手植えの楠が合図をしてくれて、吃驚しました。
善女龍王の玉や、五十猛命も祀られていて、勿論神武天皇を祀る社もありました。
阿俾良依姫 メモ
(1)神武天皇
「元初の最高神と大和朝廷の元始(以下、元初)」に依れば、彦火明命(ヒコ
ホアカリノミコト)-天香語山命(アメノカゴヤマノミコト)-天村雲命(ア
メノムラクモノミコト)-…と続く海部氏系譜の天村雲命の事績に神武天皇の
事績をなぞらえているという。確かに、彦火明命は神話上の“神”であり、眞
名井神社のある祭祀場の眞名井原の背後の山(御神体)を天香語山とも言うこ
とからすると、実質の海部氏初代大王は天村雲命とも言えるだろう。
また、海部氏と兄弟分家の尾張氏の宮、熱田神宮で三種の神器の草薙神剣が
祀られているが、元は「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」と言われ、神話
上の謂れの背景には天村雲命との関わりが推察される。それは、大王の印たる
鉄剣である。神話では、八岐大蛇の尾をスサノオが十束剣(とつかのつるぎ)
で切った時に刃がたたず、尾を裂いたら出てきたのが草薙神剣とされる。縄文
時代はまだ銅の文化で、海部氏が製鉄技術をもたらしたから、この神話は草薙
神剣が鉄剣で、十束剣が銅剣だったことを示唆する。ならば、そのような製鉄
技術を持った海部氏に、青銅器文化の縄文人は敵うはずがない。いわゆる“戦
わずして勝つ”ということである。これが、縄文から弥生への国譲りであり、
天皇の御名に「武」がある由縁でもある。
海部氏祖神の彦火明命は市杵嶋姫(イチキシマヒメ)を娶ったとされる。神
話は時として、人間界を投影している。市杵嶋姫は宗像三神の一柱で、一般的
には宗像大社の主祭神として知られるが、宇佐神宮周辺の古い土着の神ともさ
れ、宇佐神宮の祭神にもなっている。とりわけ古代では、敵の娘と婚姻関係を
2
結んで和平を結ぶのが一般的だったことからすると、これは弥生王家の大王が
縄文王家の姫を娶ったことが投影されているのである。実際、天孫本紀の伝系
に依れば、天村雲命は日向国の阿多君(アタノキミ)の一族、阿俾良依姫(ア
イラヨリヒメ)を后とされ、古事記に依れば、日向国の阿多の小椅君(オハシ
ノキミ)の妹、阿比良姫(アイラヒメ)を娶ったとされ、いずれも后は日向国
姶良(あいら)の姫であり、かつての宇佐神宮の領地に近い(そのもの?)場
所であることから、天村雲命の婚姻を、彦火明命と市杵嶋姫の婚姻に投影して
いると考えられる。そして、海部氏は弥生海人だが、航海の女神でもある市杵
嶋姫は後に弁天様とも習合され、水神としての性質が強いことからすると、そ
の縄文王家は縄文海人一族である。(水神=陰に対する陽としての火が彦火明命
である。)第 82 代・籠神社宮司・海部光彦氏が宇佐神宮社家からの婿入りなの
も、こんなところに理由があるのだろう。
そして、そのような婚姻が可能だったのは、縄文王家もまた、最高神は違え
ども、シュメールの神々を祀る一族であったからである。縄文の最高神は地球
の主エンキ、弥生の最高神は豊穣の女神で太陽女神のイナンナである。
※シュメールの神ですか・・
イナンナは鳥ですよね。5266
海部氏系図ですね。
阿多之小椅君の妹とされる吾平津姫ですが
天村雲命は後小橋命(のちのおばしのみこと)という別名を持っていますから
阿俾良依姫(アイラヨリヒメ)を正后として小椅君の称号を受け継いだ
という信憑性は高いと思ってよいでしょう。
阿多之小椅君の姉妹か娘ということになるのではないでしょうかね。
https://pds.exblog.jp/pds/1/202201/30/13/d0287413_22294179.jpg
そう考えるとその子の天忍男は「あまの潮」という名前に思えてきます。
私が感応した謎の潮大神は豊玉姫の血統だと思いますが、
吾平津姫の父親は火須勢理命であるとのAIによる未確認情報もあります。
今からの調査の糸口になるかもしれないと感じています。
調べると迷路に入り込み悩みましたけど、そこをなんとか潜り抜けて、辿り着いた感じです。
※四国の伊比良咩神社をしつこく調べました。
他人には絶対に紐解けない封印がされていて、平和を希求するためにあえて、なのかもしれないと思いました。
道祖神とされているのではないかな・・
塞ノ神と久那土神。
鵜戸神宮のコメントに書きました「言霊の里」にある道祖神を思い出し
近くに若宮神社があるのに、隼別神社を建立したのか?の疑問がなんとなくわかったような気がしました。
富士山爆発のことをずっと考えていて、障偈神に思い至り、障偈神を信仰するとどうなるのか検索していました。行者さんのお話しによると、つきつめると観音信仰に移行しなければ本物でないと書かれていました。
そこで、山鹿の吾平姫は、吾平観音になっていて、観音様でした。救世観音でした。
それは、聖天で、象の頭の神様であり、象王権現。
象王権現は蔵王権現なのか。
象は、釈迦如来か、普賢菩薩。
普賢菩薩の封印は強固でもれない。
聖天は、十一面観音と餓鬼(毘那夜迦)
昔は、誓約(うけい)として一族同志の結婚で、、平和が保たれた。生物の種としての本能で争いが起こることは必然であり、それを回避する方法が婚姻による結束でしょう。
戦争は国境、境、境界の争いですね。
AIに尋ねました?
父は火須勢理命かもですか。
忍は、呉氏だと思っていましたが、丑(お)潮、牛尾、、、海幸彦ですね。
四国に伊比良咩神社がありますね。
ここをしつこく調べて、天村雲命がでてきました。
「天道日女命」対馬・天日神をもっと詳しく調べないといけないと感じました。天照大神を祭祀する巫女か、神様でしょうね。天日神とされていますので、ご神霊として祭られていますね。
「佐手依姫」対馬・天之佐手依姫は、鏡で調べた人物だと感じています。
系譜に書かれた「素戔嗚尊」と「櫛稲田姫」は京都八坂神社の祇園祭神だと感じます。櫛稲田姫は仏教では、玻璃采女とされています。
南海龍女と法華経。
これとは別で、久しぶりに心が動いた場所があり、、それは、岐阜の恵那でした。鏡池と八重垣神社。エナと可愛。エナはくるみ神。
そして、太霊道に興味を持ちました。
藤崎龍神や妙音弁才天からの伝言です。
桜の花が咲くころに出向きたいと思います。
とても注意が必要であると感じています。
後小橋命とされた天村雲と阿俾良依姫との間の子供の
天忍人命(アメノオシヒト)、天忍男命(アメノオシオ)、忍日女命(オシヒメ)は
オシ≒呉氏なのか? 確信が持てていません。
興味深いのがどうも四国での祭祀が多いということですね。
特に愛媛県伊予郡の高忍日賣神社に祀られる
ラスボスの高忍日賣大神がどなたなのか?
http://www.takaoshihime.jp/gosaijin.html
豊玉姫とどう繋がっているのかを解明する必要性があります。
また箒神ともされているようですが
これは大歳の子供の波比伎神を暗示させているように感じます。
もう目をつぶってしまってました。
呉氏とするのはまだ尚早です?
感覚では月読神社創始の押見宿禰の押、押手(手形)の押、呉氏で良いと感じていますが、、
歴史の闇ですか・・
大歳(素戔嗚尊の系譜)の子供の波比伎神としますと、、お祀りされているのは
大阪では坐摩神社になり
熊本では、菊池川流域の玉名の疋野神社になります。
配偶者は天知迦流美豆比売(あめちかるみづひめ)
奥津日子神(おきつひこ) - 熾の神。
奥津比売命(おきつひめ) - 同上。別名 大戸比売神(おほへひめ)。竈神(かまど)の女神。
大山咋神(おほやまくひ) - 別名 山末之大主神(やますゑのおほぬし)。比叡山の山の神で日吉大社・松尾大社の祭神。
庭津日神(にはつひ) - 庭を照らす日の意。屋敷の神。
阿須波神(あすは) - 屋敷の神。
波比岐神(はひき)
香山戸臣神(かぐやまとみ)
羽山戸神(はやまと) - 山の麓を司る神。
庭高津日神(にはたかつひ) - 庭を照らす日の意。屋敷の神。
大土神(おほつち) - 別名 土之御祖神(つちのみおやのかみ)。土の神。
もしかして、鬼火の藤大臣も気になりますね。
玉垂宮・山桜桃沈輪です。
吾平姫は桜桃沈輪かもしれないです。
桜大神だと感じていますので、桜という名称の出自、以前ということで、、
四国、金比羅宮、象頭山(和邇、クンビーラ)から聖天(障偈神・荒神と観音菩薩)のことを書いています。
双身毘沙門天と聖天(大聖歓喜大自在天)の沐浴。
最近では、妙見神調べで大黒天・マハーカーラも沐浴すると知りました。
箒神は、ほうき、はひき、あらははき、と一緒に考えていますが、、掃除、クリーニング、祓いの神なので、、大祓詞にでてくる祓戸の神様。
形として、火を仰ぐ扇子の神様だとも思っています。それは宿神で女性(子宮)を表すとのことです。
ラスボスの高忍日賈大神は、河内の国一宮の枚岡神社の祭神・比賈大神だと思います。
それは、宇佐神宮の比賈大神とも一緒かもしれません。
枚岡神社
比賈大神=天美豆玉照比売命(あめのみづたまてるひめのみこと)
http://www.hiraoka-jinja.org/history/
平尾台青龍窟の豊玉姫は牛の姿でした。
下鴨神社の印鑰社から、吉田様が教えてくれた
ここは元々印鑰神社でしたので過去に私が参拝したおりに道君首名公の縁で
少彦名神を祭祀した記憶があります。
「おしで」とは押手ですから手形の事です。
今は赤ちゃんとか相撲取りの手形しか目にしませんが
天の押し手と言えば月もしくは天の川のことだそうです。
おしで大神には月読神の気配が感じられます。
月読創始の押見宿禰(父方祖母系統)
下鴨神社の印璽大神(押手の神)と倉御魂神
押手の神が祀られる香取神宮(父系統)
を調べていました。
押手の神 (さくら)
2021-08-10 20:06:41
香取神宮に押手の神様いらっしゃいますね。
https://ameblo.jp/unonosarara0206/entry-12658198428.html
下鴨神社の印璽社と印納社と対比されています。
私は香取神宮は未参拝ですので、よくわからないのですが、、
要石=かなえいしのところに押手の神様です。
押手=手形=約束手形(お金)になるのですよね。
※ここから、香取市の豊玉姫神社のことは知っていました。
http://www.komainu.org/chiba/katorisi/toyotamahime/toyotamahime.html
香炉型縄文土器の事も知っていました。
https://www.chibanippo.co.jp/news/local/64318
享保の社記には「天忍男命・大鷦鶺命・阿俾良姫命」。
他の社記には「阿俾良姫命・天忍人命・天忍男命・天村雲命・大鷦鶺命」。
江戸末期の社記には「天忍人命・天忍男命・天忍姫命」。
特に素鵞神社が摂社に有る事が気になります。
木の根元に幾つかの小石があり「産土」とある。
心願のあるものは砂や円満石をお守りとし、成就した時は倍返しなのだそうだ。
※これは、京都月読神社の月延石を思い出します。
それと、滋賀沙沙貴神社の牛玉「牛玉寶印」の白い石もここの「産土」みたいです。
ちなみに香春神社の白石と沙沙貴神社の牛玉と大阪比売許曽神社の赤玉を三つ同じ座布団に置いてお祀りしています。
高忍比売神を調べていて、、
倭迹迹日百襲姫、天村雲命、吉備津彦のブログを見つけました。
http://tokyox.matrix.jp/wordpress/%e5%80%ad%e8%bf%b9%e8%bf%b9%e6%97%a5%e7%99%be%e8%a5%b2%e5%a7%ab/
以前もこのブログを張り付けたと思います。
香取神宮の事を記載して、香取市の豊玉姫神社と縄文時代の香炉を書いています。
以前、比良明神で調べますと、
香取本があり、それには、比叡山と平野山の事が書かれています。
「鬼の霊木と龍宮たる比叡山延暦寺の水神 酒呑童子」になります。
※酒呑童子は私が研究しないといけない分野です。
https://wisdommingle.com/hasedera-engi-emaki-the-narrative-picture-scroll-of-the-legends-of-hasedera-temple/
『阿娑縛抄あさばしょう』の「諸寺略記」に記されている「長谷寺縁起」が気になっています。
これは、双身毘沙門天とも関係するかもしれないからです。
高忍日賈神社です。
高忍比賈神社と書いています。
日です。日神。
もしかすると、大日如来?あたたかく平等で見守る感じです。
私の中では、答えは確信を持ってるのですが、文章で見つけ出さなくてはいけないのかと思います。
>ラスボスの高忍日賣大神がどなたなのか?
http://www.takaoshihime.jp/gosaijin.html
豊玉姫とどう繋がっているのかを解明する必要性があります。
八大龍王神(善女龍王神・水と光の霝神少彦名神)と倶利伽羅龍王神(龍宮乙姫・剣に巻き付く玉を持つ)との違いのような感触です。
高忍日賈大神・・・産婆の御神徳です。
産婆の御神徳は、馬(牛馬)の少彦名神がうけもっています。牛馬は車神(乗り物)ですが、うしは雨師も兼ねて慈雨の神徳であり。
馬は麻・朝(朝妻・女神型)も兼ねていて、麻から布(蚕・羊)などが導き出されました。
馬⇒麻は火を点けるときの点火材料。
豊玉姫が船で渡海の最中に産気づき、近くの海岸で産屋を立てるのですが、蟹が沢山邪魔して難産になり、名(高忍日賈大神)を呼びます。
そうしますと、応えてくださり、、
三人を遣わします。
蟹というのが、土蜘蛛、海蜘蛛の例えだと思います。つまり、その海岸に住んでいた縄文時代日本土着の海人族が豊玉姫の出産を邪魔した。新しい時代に移行することを拒んだ。
高忍日賈大神一族が豊玉姫の出産がスムーズに進めることが出来るように助けたという例え話だと思います。
私の行動と矛盾しますね(-_-;)
高忍日女様が阿俾良依姫だと感じます。
豊玉姫の出産を助けた役割、久留麻神、牛馬の神さま、少彦名神を信仰する一族です。
火と雷が気になるのですが、、雷は、田を豊穣にする役割。天叢雲命は、蛇の姿の雷神だと言われています。1888
高忍日賈大神一族の箒神とは、箒星のことも兼ねているのかもしれないです。日と星・・陰陽。
軸星の事を表していて、北斗七星は蛇、龍の形だとずっと思っていました。布の煌めく幣のナガモノ、、目はしずく、涙の霝。海の貝、真珠(白玉)。
秦氏の勧請した稲荷神の眷属、黒い狐は北斗七星です。
ここを抑えておかないと自己が分離してしまう。
矛盾点を考えます。
高忍日賈大神は、豊玉姫の出産を助けますが、、
蟹守の長になっています。
帚守(かにもり)です。
二上山の縄文神祭祀でも思考しました。
ハハキ・箒=蟹=土蜘蛛・海蜘蛛=呉系姫氏
縄文神を祭祀する妙見信仰を持つ蘇我氏(息長氏)と仮定。
仮定して、思考して、進めて矛盾があれば引き返す。
私の考える豊玉姫とは、八大龍王神⇒龍宮乙姫・玉をもつ倶利伽羅龍王⇒縄文の八岐大蛇⇒波動蛇型生命を産みだす母神
妙音=波動としますと、音は玉となって飛び跳ねることにより流れを紡ぎ出す。これは万有引力の法則。引く力が生じて、音が出る。
極小ミクロの音玉が連なっている様子が、波動のような動き。
瀧に妙音天が祀られるのは、水玉のしぶきのことで、波は水玉。豊かな玉。豊かな音。
阿俾良依姫は、産婆、乳母の役目を司り
豊かな玉を産みだす母神を補助する一族。
としておきます。
参考になります。
ご指摘の字は日賣であり日賈とも違うようですが
この日賣という字は全国で唯一高忍日賣神社でのみ使われています。
ただ日女であれば與止日女と宇奈岐日女が九州の神社で祀られています。
この高忍日賣大神は九州のお日様の神様であるとの感じを受けるのですが
何故四国で祀られたのかも謎です。
お日様で日向の神様でしょうかね。
高忍日女大神が阿俾良依姫という考察には
非常に親近感というか既視感があります。
あと阿俾良依姫の俾ですが読みはヒのようです。
そうするとアヒライ姫で吾平津姫はアヒラツ姫で
こう読むと発言的には同一人物に近くなるのですが
とりあえず姉妹と考えて
アイラヨリヒメとアイラツヒメなのでしょうね。
岩長姫と木花開耶姫ですね。
切ないですね。
憎み合う事になって、、
それで、距離をとっているのでしょう。