『光は東方より』という言葉はローマの文化は、
東にあるギリシャの文化を受け継いでいるの意。
転じて、世界の文明は初めにエジプトやメソポタミアなど
オリエント(東方)に興ったの意も含む。
エデンの東とは旧約聖書創世記に以下のようにある。
「東の方のエデンに一つの園を設け、彼の造った人をそこにおかれた」(第二章八節)
「エデンの園の東にケルビムと自転する剣の炎とをおき」(第三章二十四節)
ダヴィデの子孫が王国を再建するというが
創世記49章10節
王権はユダを離れず、統治者の杖はその足の間を離れることはない。
ついにはシロが来て、国々の民は彼に従う。
失われたアーク(聖櫃)とは十戒の石板とアロンの杖と
マナを入れる金の壺が入った箱のことで
神とイスラエルの「契約の箱」なのだが
これを得たものは強大な力を有するという。
噂では失われた十支族とともに極東に運び込んだという。
エゼキエル書43には彼はわたしを門に導いた。
門は東に面していた。
その時、見よ、イスラエルの神の栄光が、東の方から来たが、
その来る響きは、大水の響きのようで、地はその栄光で輝いた。
最も古い時代の旧約聖書の写本の死海文書には
失われた十支族を復活させる「アロンのメシア」と「イスラエルのメシア」の
二人の救世主が現われると書かれているが
現代の旧約聖書の記述から失われた一人のメシアは
日本から現れるのではないかという噂がある。
ヨハネの黙示録16には神の激しい怒りの七つの鉢を地に傾けよ。
という内容の記載があるが
その-12には日出づる処の王たちに道を備えるために
ユーフラテス川の水が枯れたという文言がある。
聖徳太子はそれを知っていたのか日本の天皇のことを
日出づる処の天子であると中国の隋の煬帝に知らしめている。
古代インドでは転輪聖王≒金輪聖王が世界を統治すると言っているが
金輪王は日天子ともされるが少なくとも10世紀には日本においては
天皇が金輪王の権限を引き継いでいると考えている人が少なからず存在した。
要は古より世界には東から出現する救世主が世界を統一するという
預言があるということになるのであるが
これに呼応して日本では天皇を中心とする八紘一宇思想を啓蒙した。
世界を統べる極東の地として八紘一宇を掲げた日本であったが
これに対しアメリカは日本のさらに東と称し強く対抗した。
※これのための条件はイギリス<アメリカの国力であり
イギリス>アメリカであっては
アメリカは世界の極西にされてしまうことになる。
結局はご存知のように日本はアメリカに敗戦してしまった。
この理由はこのブログでも過去に触れたことがある。
GHQはアメリカが極東の王に君臨するために
戦後日本で古墳を調査したりと情報を収集し
その後にいろいろと画策し情報操作している。
しかし宮崎にある八紘之基柱たる八紘一宇の塔を
破壊することまでは出来なかった。
アメリカは世界の王の王たる理論として
Novus Ordo Seclorum=New Order of the Agesを世界に啓蒙した。
Novus Ordo Seclorumは「時代の新秩序」を意味するラテン語で
英語ではNew Order of the Agesとなる。
今ではNew World Orderと同義であり
アメリカによる新世界秩序のこととされる。
しかしながら戦後70年経ってアメリカの覇権は綻びを生じ
新世界秩序は世界を救うどころか混迷の迷路に迷い込ませている。
金メッキは所詮金メッキでしかない。
世界を修めるのは結局アメリカでも中国でもロシアでもなく
日本であるべきだということが神霊界では明示されている。
その方法も明示に暗示に示されている。
ただこのことは私の祈願の範疇外ということになる。
私の次の代の純日本人が
「妙見妙音妙理の統括尊たる斎姫山門五音大神」
の画期的プログラミング方法に気づくことを願うばかりである。
東にあるギリシャの文化を受け継いでいるの意。
転じて、世界の文明は初めにエジプトやメソポタミアなど
オリエント(東方)に興ったの意も含む。
エデンの東とは旧約聖書創世記に以下のようにある。
「東の方のエデンに一つの園を設け、彼の造った人をそこにおかれた」(第二章八節)
「エデンの園の東にケルビムと自転する剣の炎とをおき」(第三章二十四節)
ダヴィデの子孫が王国を再建するというが
創世記49章10節
王権はユダを離れず、統治者の杖はその足の間を離れることはない。
ついにはシロが来て、国々の民は彼に従う。
失われたアーク(聖櫃)とは十戒の石板とアロンの杖と
マナを入れる金の壺が入った箱のことで
神とイスラエルの「契約の箱」なのだが
これを得たものは強大な力を有するという。
噂では失われた十支族とともに極東に運び込んだという。
エゼキエル書43には彼はわたしを門に導いた。
門は東に面していた。
その時、見よ、イスラエルの神の栄光が、東の方から来たが、
その来る響きは、大水の響きのようで、地はその栄光で輝いた。
最も古い時代の旧約聖書の写本の死海文書には
失われた十支族を復活させる「アロンのメシア」と「イスラエルのメシア」の
二人の救世主が現われると書かれているが
現代の旧約聖書の記述から失われた一人のメシアは
日本から現れるのではないかという噂がある。
ヨハネの黙示録16には神の激しい怒りの七つの鉢を地に傾けよ。
という内容の記載があるが
その-12には日出づる処の王たちに道を備えるために
ユーフラテス川の水が枯れたという文言がある。
聖徳太子はそれを知っていたのか日本の天皇のことを
日出づる処の天子であると中国の隋の煬帝に知らしめている。
古代インドでは転輪聖王≒金輪聖王が世界を統治すると言っているが
金輪王は日天子ともされるが少なくとも10世紀には日本においては
天皇が金輪王の権限を引き継いでいると考えている人が少なからず存在した。
要は古より世界には東から出現する救世主が世界を統一するという
預言があるということになるのであるが
これに呼応して日本では天皇を中心とする八紘一宇思想を啓蒙した。
世界を統べる極東の地として八紘一宇を掲げた日本であったが
これに対しアメリカは日本のさらに東と称し強く対抗した。
※これのための条件はイギリス<アメリカの国力であり
イギリス>アメリカであっては
アメリカは世界の極西にされてしまうことになる。
結局はご存知のように日本はアメリカに敗戦してしまった。
この理由はこのブログでも過去に触れたことがある。
GHQはアメリカが極東の王に君臨するために
戦後日本で古墳を調査したりと情報を収集し
その後にいろいろと画策し情報操作している。
しかし宮崎にある八紘之基柱たる八紘一宇の塔を
破壊することまでは出来なかった。
アメリカは世界の王の王たる理論として
Novus Ordo Seclorum=New Order of the Agesを世界に啓蒙した。
Novus Ordo Seclorumは「時代の新秩序」を意味するラテン語で
英語ではNew Order of the Agesとなる。
今ではNew World Orderと同義であり
アメリカによる新世界秩序のこととされる。
しかしながら戦後70年経ってアメリカの覇権は綻びを生じ
新世界秩序は世界を救うどころか混迷の迷路に迷い込ませている。
金メッキは所詮金メッキでしかない。
世界を修めるのは結局アメリカでも中国でもロシアでもなく
日本であるべきだということが神霊界では明示されている。
その方法も明示に暗示に示されている。
ただこのことは私の祈願の範疇外ということになる。
私の次の代の純日本人が
「妙見妙音妙理の統括尊たる斎姫山門五音大神」
の画期的プログラミング方法に気づくことを願うばかりである。
その皇宮神社の近くに皇軍発祥の地として、石碑がありました。これが、この記事の紙幣「十銭の塔」だと思います。
住所に横がつくのですが、私の解釈では横は余呉です。呉、五が隠されているのですが、、近くに、平の下とやはり、「平」もあります。
生目古墳。生目神社、名田神社。
平の下地域は名田、那谷、鉈、になっていますが、、奈留多姫も関係あるのかな?
奈留多姫は八坂トメと同体ですね。諏訪明神の妻となり、京都の仏像展覧会の場所(烏丸)が、「みしゃぐじ」と言う地名で、そこから、京都祇園の八坂神社の地主神社に八坂とめが祀られていたのですが、、、
平の下は元は明平村らしいですね。
生目というのが、生玉依姫(三輪山の活玉依姫)と関係あるのか調べています。3388
「平和」で思い出しました。
私の母方先祖調査の時に、高野山の麓の蟻通神社に参りました。
https://wakayama-jinjacho.or.jp/jdb/sys/user/GetWjtTbl.php?JinjyaNo=4028
ここに、平和宮神社とあります。
私は、先祖との唯一の痕跡は「平和」だと思って、「平和」なんだねぇ、、と感じていたのです。
おおたたねこ、意冨多々泥古神をお祀りしているのです。
三輪山の大物主神祭祀をした、タネコです。
三輪山のタネコを検索していて、見つけた記事。
奈良県御所市の多太神社(葛城)で紹介したオオタタネコを、御祭神とするのが大神神社摂社の大直禰子神社(おおたたねこじんじゃ。別名・若宮社)
三輪山はヤマトの東、朝の日がのぼるところ。つまり、三輪山の神・・・日々生まれ変わってあらわれる太陽(常若、とこわか)を拝む場所、あるいは奉祀する人物を(男女かかわらず)「若宮」と呼び、
大直禰子神社創建の(オオタタネコが三輪山の神に奉祀した)ころ、その務めは「大物主大神」の血統と決まっていたのかも知れません。
旅人様ブログ抜粋
以前、神社検定のテキストで知った、
奈良県の丹生川上神社上社が、
昔は「蟻通神社」という
名前だった事を思い出しました。
※これ以上は書かない方が良いでしょう。
記念に残しておきます。
橿原神宮 御神徳
神武天皇の「八紘一宇」の御勅令の真の意味は、天地四方八方の果てにいたるまで、この地球上に生存する全ての民族が、あたかも一軒の家に住むように仲良く暮らすこと、つまり世界平和の理想を掲げたものなのです。昭和天皇が歌に「天地の神にぞいのる朝なぎの海のごとくに波たたぬ世を」とお詠みになっていますが、この御心も「八紘一宇」の精神であります。
1940年の神武天皇即位紀元(皇紀)2600年を祝うにあたり、国は紀元二千六百年奉祝事業として宮崎神宮の拡大整備事業を行うことになった。
※26百年。26の数字が気になります。
それと、阿比良姫の宮崎神宮と皇宮神社の資料を見せてもらった日に、無から有を得て購入した翡翠模様は「龍と鳳凰」だと思うのです。
ずっと、ネットで検索して同じ翡翠模様を探していましたが、、見つからず。
龍と鳳凰
中国の宇宙観で鳳凰は重要な役割です。中国の神話によると、盤古が巨大な混沌とした「卵」から生まれた時、龍、麒麟、亀、鳳凰の4つの生命も生まれたとされています。これらの4つの生物は四霊と呼ばれ、盤古の天地創造の力となりました。
「鳳」と「凰」は一羽の雌鳥となり、雄龍と一緒に描かれるようになります。この姿が現在最も良く知られています。謙虚で忠実、貞節と慈悲という伝統的に理想とされる女性の性格を包容するため、代々にわたり、特に女性の鑑とされてきました。天上と皇室とのつながりを強調するなかで、鳳凰は皇后を表象し、皇帝つまり天子の象徴である龍に寄り添う理想の伴侶とされてきました。
鳳凰と龍のテーマは民衆の間でも広く用いられています。共に描くことで、至福、吉祥、長久の強さを意味します。「龍鳳呈祥」とは龍と鳳凰がもたらす以外には考えられないような繁栄を意味し、「人中龍鳳」は、人間の間に龍と鳳凰がいるかのような、優れた才能のある人を指します。5111
沢山画を見ていて、だ龍・鼉竜が気になります。
だ龍の鼉とは、ワニらしく、ヨウスコウワニ。
字源
形声。「黽(大きなカエル)」+音符「單」。
意義
ワニ、特にヨウスコウワニ。
黿鼉
呉音: ダ、ダン、ゼン
漢音: タ、タン、セン
※カエルと蝉の字体です。これでしょう!
鼉です。
ツイッターにて
友人の青木亮輔氏は著書「ワニと龍」の中で、中国の龍は想像上の生物ではなく、大阪で発見された化石種マチカネワニが古代中国には生き残っていて、それを龍と呼んでいたと推測しています。
それが証明されました。
ワニみたいですね。
鼉太鼓がでてきて、春日大社が有名です。https://www.asano.jp/data_list.php?g=8&d=23
宝珠ですね。
鼉龍鏡
https://emuseum.nich.go.jp/detail?langId=ja&webView=&content_base_id=100584&content_part_id=0&content_pict_id=0
乳と勾玉なんですよね。
鼉(だ) ヨウスコウワニをかかれているブログ
https://ameblo.jp/hiki-take40/entry-12725361816.html
美具久留御魂神社の和邇宮と貴平神社・・
和邇池でした。熊野貴平神社を詳しく調べたのは、私が「平」だったからですね。
虹のような光が降り注いだ社は、白雲宮でした。
祭神は神武天皇だったと思います。
白雲宮 - 祭神:神武天皇・皇后(媛蹈鞴五十鈴媛)、後醍醐天皇・皇后(中宮西園寺禧子)、珣子内親王、後村上天皇・皇后(女御嘉喜門院)、長慶天皇・皇后(中宮西園寺公重女)、後亀山天皇・皇后(中宮北畠信子)
丹生川上神社 上社は天空の社と書かれ、
神雨霑灑
拝殿掲額「神雨霑灑(シンウテンサイ)」
神の雨がうるほしそそぎ、恩恵をほどこすの意。
蟻通明神は蟻と星ですが、星は牛に繋がり、雨師の神様と感じます。
元官幣大社 龍神総本宮。
略して、龍宮です。
2月の連休を利用して訪問する予定にしていて、調べますと、、
龍玉という事を知ります。
鵜戸神宮の「運玉」に似ています。
鵜戸神宮は霊石の亀の背に乗せるのです。
そこは、丹生川上神社 中社の近くにある
東(ひむかし)の瀧です。
※東をムカシは日向と言っています。
別名秋津野の瀧、龍神の瀧とも言われています。
秋津は、、神武天皇の和歌で勉強しました。
秋津洲です。吉田様からの返信
(神武天皇が即位後の夏四月、腋の上の嗛間丘に登って国見され「なんと良い国を得たものだ、内木綿の狭い国だが、蜻蛉の臀呫のようだ」と言われ、以後この地を秋津州と呼ばれた。
そしてこの丘は国見山と言われるようになった。
御所市に「本馬の丘」があり、「嗛間丘」と伝承する。)
ここの瀧に龍玉を投げ入れるようです。
カワラケを投げる感じでしょうか・・
カワラケは神護寺と竹生島で投げた覚えがあります。
それと、なでフクロウもあり、フクロウは宮地嶽神社の玉取祭として、フクロウの御朱印をいただきました。友人は、熊本白山姫神社の御朱印がフクロウだったと喜んでいました。
あと、真名井の水もあります。
御神水の「丹生の真名井」は本殿裏手の小牟漏岳(おむろがだけ)を水源とした水でご祭神の力と恩恵を受けた御神水です。
おむろがたけ?室(むろ)はお墓の意味で。
アイヌ語で御所市の室大塚古墳に出向いたことを思い出しました。
奈良県東吉野村にある「丹生川上神社中社」は、675年(天武天皇4年)の創建とされる由緒ある神社で、主祭神は、水に関する一切を司る罔象女神(みづはのめのかみ)です。ここは神武天皇が、戦勝祈願した地という伝承や天武朝以降、度々行われた吉野行幸の離宮跡地との説もあり
飛鳥時代からの歴史を誇る「丹生川上神社」は、古くから水を司る祈雨祈願の神社として、朝廷や地元の人々により篤い崇敬を受けてきました。また朝廷の奉幣にあたり、干ばつの際の祈雨には黒毛の馬を、長雨の際の止雨には白毛の馬を献ずることが絵馬の起源ともなりました。
写真は、朱色が鮮やかな丹生川上神社中社の両部鳥居と社号標です。
両部鳥居をくぐると、左手に龍の造形が美しい手水舎があります。ところで、吉野の山中にある「丹生川上神社」には、上社・中社・下社の3つがあります。本来のものは中社ですがこれには以下のような理由があります。
それは、戦国時代の騒乱で祈雨祈願・止雨祈願が廃絶され、ついには神社の所在地さえ不明になってしまったことです。やがて明治を迎えると、丹生川上神社は何処かという研究調査が行われ、1871年(明治4年)に現在の下市町の神社が、1896年(明治29年)には川上村の神社がそれと推定され、それぞれ下社・上社となりました。
しかし、その後の研究により1922年(大正11年)、東吉野村の蟻通神社こそが丹生川上神社だと判明。「中社」と称し、3社をあわせて「官幣大社丹生川上神社」として社務所が置かれました。戦後、神社制度の変遷により、3社はそれぞれ別の神社になりましたが、中社は「丹生川上神社」と登記されています。
拝殿内の正面に飾られている「祈雨止雨祈願絵馬」は、1963年(昭和38年)10月16日例祭当日、“世紀の大事業”といわれた黒部ダム竣工を記念し、東京電力株式会社、関西電力株式会社より奉納されたものです。
これは、御祭神の罔象女神が祈雨・止雨のみならず、安定した電力配給の水源をもたらす神様でもあるためです。
また、西殿脇の「相生の杉」付近からは、本殿を横から拝むことができます。
丹生川上神社は、水の神様ということで「水」にまつわる縁起ものがたくさんあります。拝殿の「恋うらない」(300円)は、水に浸すと占いが浮き上がってきます。
罔象女神の力と恩恵を受けた御神水「丹生の真名井」
拝殿の並びにある「丹生の真名井」は、御本殿裏手の小牟漏岳(おむろがだけ)を水源とし、罔象女神(水の神様)の力と恩恵を受けた御神水。
お賽銭を納めると、昔ながらの釣瓶(つるべ)を使って井戸から誰でも御神水をいただくことができます。※住吉大社の大海神社の玉の井と同じですね。
丹生の真名井の右手にある「丹生のなでふくろう」は、山桜の樹齢約200年の老木に彫刻したもので、頭、体、足などを撫でて御神徳をいただくことができます。ふくろうは「不苦労」「福来朗」「幸福ろう」と書き、物事を察知し先を見通し知恵豊かな、幸せをもたらす霊鳥として親しまれています。
社務所では、那智黒石にて謹製の「丹生のなでふくろう」と「ふくろう守り」を授与しています。
神社の境内には、「相生の杉」と「叶えの大杉」という2本の有名な御神木があります。相生の杉は、樹齢約800年の相対するようにそびえ立つ杉の大木で、“夫婦杉”とも呼称し、夫婦円満・延命長寿の御加護があると信仰されています。
叶えの大杉(写真)は、樹齢約1000年の杉の古木で、大杉の幹に両手を当てて、心願を口唱すれば、御神威が授かると言われています。
龍神様をデフォルメした「龍みくじ」が可愛い
おみくじでは、龍神様をデフォルメした「龍みくじ」(300円)が楽しい。底からおみくじを取り出したあとは、お部屋に置いておくと、龍神様が開運・厄除け・恋愛などをよい方向に導いてくれます。
御守りでは、「うまくいく守」(1000円)がおすすめ。祈雨祈願の黒うま、止雨祈願の白うまにちなんだもので、開運厄除・諸願成就のお守りです。うまくいく守には、本水晶とつげの2種類があります。
丹生川上神社中社の御朱印は、上社と下社の御朱印とは違い、中社との記載はありません。清流・高見川(丹生川)の近くに鎮座するお社らしく鮎の印がかわいらしいです。ほかにも、旧官幣大社、壺型で祈雨の印や水神宗社の文字など、特徴があって興味深いです。
丹生川上神社中社のお詣りの後は、神社から徒歩5分ほどのところにあるパワースポット「東の瀧」に行ってみましょう。滝へは木津川に架かる真っ赤な吊り橋「ゆめはし」を渡って行きます。
すぐ近くには、「東吉野キャンプ場」もあって美しい自然の中でキャンプを楽しむことができます。
龍神が棲むパワースポット「東の滝」
東の瀧(ひむかしのたき)は、別名「秋津野の瀧」「龍神の瀧」ともいい、龍神が棲むといわれ、その神秘に触れようと大勢の参拝者が訪れます。日裏川が夢淵に流下する場所にある小滝で、名前の由来は、吉野離宮の東にある滝ということによります。
左右に分かれた水が、滝の中ほどで交差しているのが特徴です。滝の正面には注連縄が張られ、万葉集に「東の滝の御門に侍へど 昨日も今日も召すこともなし」(草壁皇子)と詠われた由緒ある滝でもあります。
※草壁皇子の和歌をコピーしただけなのですが、文章全体をコピーしており、少し削除しながらもこれを残しておきます。
丹生川上神社は品様との会話にでてきた場所ですので、趣深いと感じています。2103
私が以前名づけで、悩んで、でてきた言葉の一つが「みかど」でした。返信が遅いのはだめだったのか、、採用されませんでしたが、、、
角大師 No526
思いつくまま・・・2 (さくら)
2020-03-25 13:06:24
三角「みすみ」としましたが、、「みかど」と読む方が良いらしいです・・
「御門」「帝」「美角」
「みとら」の当て字「み」は「味」を入れたいかな。
「いつき」と「ひむか」は
月と日だったのです。三文字でしたら、、「つきひ」大神ということになります。8388
ミカドの象意を読んでいきたいと思います。
「どうでも良い話NO1」の中身は天皇の読み方なのですが、聖徳太子と妙見菩薩来迎図を紹介しました。
東京都多摩郡日の出町に「妙見宮」があり、そこは奈良斑鳩の法輪寺、聖徳太子と妙見菩薩来迎図がある妙見菩薩を勧請したと書かれています。
日の出が、日向だと感じていて、ですが意匠は朝鮮半島の文化のようになっていて、私的には大変残念だと感じる場所です。
日向の封印だと思っています。8189
その後、「神来貴船神社」にて品様と会話がありましたが、私に「はじめまして」と言われて、吃驚したのです。そして、紀州友ヶ島の深蛇池(深沙大王)に手作りの笛を持って行ったとしかコメントしませんでしたが
品様に笛を吹かなくて良かったわね。
と言われました。
どうして、ご存知なのか?と思います。
確かに私は笛を吹いていません。
船に乗せて、ひな人形と一緒に奉納しただけです。
全て地球に優しい素朴なものでつくりました。
笛は、広島、東広島辺りの竹の小さなもので作りました。
あの時は、余計なことは一切しないように。
ご褒美をもらう事があっても、小さなツヅラで。
と謙虚にするように言われていたからです。
品様は違う空間を見ていて
その品様が感じている龍神様は、平尾台青龍窟の龍神様かと思ったのですが、、私の主観なので違うかもしれないです。
私とご縁があるかどうか聞いてきたからです。
私は平尾台青龍窟は自分の先祖と関わると直感して、砂(深沙)を撒きに往きました。
砂は乙護法童子・妙音太子(独鈷山千手寺)を観じた亀岡の砂です。
品様曰く、眼玉を欲しがるというのです。目玉?
本当は、琵琶湖の隣余呉湖の菊石姫のお話しがすぐ思い浮かびました。天女伝説もあります。
それで、私の目玉を欲しがられるのは困るな・・・
と言うのが私の本心でした。
それで、ゴマ化したお返事をさせていただきますと、ご立腹された感触で
関わると「命とられる」と警告を受けました。
ここまでが私のコメントやり取りの背景です。
私からの視点です。
品様、色々と勉強させていただき有難うございます。
実際に、想念と現実リアルを重ねて行動していますので、食い違いが出ると命取りになります。
左目の神様が顕れた感じでしたので、、
余呉湖の菊石姫のお話しを勉強し直していました。
大平良山があります。「おおひらやま」
比良明神と関係あるかもしれないと感じますが、近くは朝日山神社があることぐらいしか出てきませんでした。
朝日山神社は白山姫命をお祀りしています。
http://www.shiga-jinjacho.jp/ycBBS/Board.cgi/02_jinja_db/db/ycDB_02jinja-pc-detail.html?mode:view=1&view:oid=1156
ココの記事に一つ目のピラミッドがありますが、、
これを感じたのは、六甲比売善神です。
切支丹=桐支丹生 (さくら)
2019-05-26 08:15:24
昨日、呉音神祭祀の秘密部屋の榊の左側だけ枯れていました。右はイキイキしています。
水枯れかと思ったのですが、指している茎(九鬼)は濡れています。
それと、埴輪の踊る人が右向きに変わっていました。
フリーメーソンのあの独特な三角形に目のマークについて、見解がありました。
目は、満月を表す。あの三角形は、鏡面の世界。違う異次元の世界。それで、閉ざされた秘密結社。
ドクターストレンジで描かれている、鏡面の世界に通じるものがある。
六甲姫善神に7年ぶりに、一人で参拝に行きました。
雲が岩が、紫雲と共に毘沙門天が顕現したと書かれていました。
左目から日本神話、天照大神が産まれています。
右目は月読尊です。
日と月。日天、月天。
妙見菩薩は日と月を両手に持っています。
黄泉比良坂にあった2つの大きな石が死者の国を塞いだ岩なのであろうか。あの下に、死者の世界に通じる穴があるのだろうか。
じつは、この神話には続きがある。黄泉の国から帰ったイザナギは、けがれを落とすためにある泉でみそぎをする。その時、その左目から生まれた神が天照大神(あまてらすおおみのかみ)、右目から生まれたのが月読命(つくよみのみこと)、鼻から生まれたのが須佐之男命(すさのおのみこと)。神話の世界で有名な「三貴子」である。後に承知の通り、須佐之男命は出雲神話で大活躍する。
※六甲比売神、白山姫命、龍宮乙姫、九頭龍神
が関係すると仮定しています。ウジャトの目。
余呉湖の天女像を見ていますと、足がなく
羽衣ですので、雲と足は魚の尾びれ?っぽいなと思います。
衣で、布で、羊毛、、羊妙見の事もかなり調べました。
笛を作りましたが、吹かなかったのです。
どちらかと言うと、扇子を見せました。
扇子なんですが、大事なのは紐で、紐を蛇、大蛇、深沙に見立てていました。
あの時「雛流し」をしました。
今日はひな祭りですので、書くのに良い日だと思います。
まずは役行者と深蛇池
http://www.hunterslog.net/dragonology/ryujatan/kinki/tomogashima/01.html
ここで、役行者のやり方、加太の少彦名神(お雛様)に祈願しています。
困り果てた島民の嘆きを聞いたのが役行者で、行者はまず神島に渡り、島に鎮座する少彦名命に武運を祈った所、神の啓示があって剣の池から一振りの神剣を得た。そこで剣をかざし、蛇穴で呪文を唱えて大蛇をつかまえ、とどめを刺そうとすると、大蛇はしきりに許しを乞うた。
役行者としても殺生が本意ではないので、命を助ける代わりに、二度と悪事を働かぬ証として大蛇の爪を剥ぎ、深蛇池まで連れていって封じた。そしてただ「夜、笛を吹くときだけは出てきて良い」との約束を与えた。大蛇の爪は飛竜の爪といわれ役行者姿写しの鏡とともに、旧家に秘蔵されている。この家の先祖は善鬼某と名のり、役行者を加太に迎えた家筋であるということで、俗に迎之坊(むかいのぼう)と呼ばれたと言う。
※深沙大王は日光修験と関係するのですね。
友ヶ島周辺でも「友が島で遊ぶ者は笛の類を携えることを避け、夜、口笛を吹くと命を落とすといって忌みきらったという」とある(『日本の伝説39 紀州の伝説』)。私はこれはかつて蛇遣いが笛で蛇を操るものだった、という話によっていると思う。
友ヶ島の大蛇譚
http://hukumusume.com/douwa/new/2016/07/18.html
役小角は、池の底に封じ込めた大蛇に言いました。
「池のそばで笛を吹く人間は食べてもよい。だが、笛を吹いていない人間は決して食べるな」
そして役小角は近くの村々に大蛇を封じ込めた事を伝えると、この島で笛を吹く事を禁じました。
それ以来、大蛇が姿を現わすことはありませんでした。
※このようなお話しがあるのですが、当時はあまり深く読み込んでいませんでした。ギリギリまで人形(男女)と船を制作をすることで必死でした。
脳内に降りてきたメッセージで、少彦名神事をしなければいけないと、最後に何故か手作りの鳴らない笛を作って一緒に雛流しをしました。
このお話しを他人にしますと、何故か品様は「安芸津」の人だと言っていました。確かに背景に多額の金額が動いたのは、東広島だったのです。
日光修験=深沙大王と笛は切っても切れない因縁があるようです。日光と言えば、徳川家の墓所、東照宮です。日吉大社のそばも東照宮があります。
それで、徳川の子孫が刀「静御前」(牛若丸のお相手)を渡して、助けてもらうお話しもあるようです。
※藤田妃見子さん、静御前と神功皇后の和歌の間に石碑(龍宮乙姫)でした。
役行者が修験で封印した笛を吹くこと。これは大蛇(深沙大王)の封印が破られるということなのかもしれないですね。
その時に、命か(目玉)を取られるのでしょう。
元々、二上山祭祀をしていたのは、神武天皇だと感じていますが、、
3月26日に、阿蘇神社(健磐龍命・神武天皇の孫神)に往き、英彦山や青龍窟のそばを通ることになるとは思いもしなかったのですが、、
3月27日に、白蛇(赤い目・うっすらピンク)の夢はやっぱり、私の元に戻ってきたのだろうなと感じています。1589