吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

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美具久留御魂神社と二上山と檜原神社 No523

2019-08-18 16:47:11 | 神霊界考察
2008年の事だから10年以上も前になるが
私の住む西区の産土神である北岡神社の茅の輪くぐりの案内看板が気になった。

この景色の背景の山は二上山ではないかと推察した。
二上山は北方の雄岳(517m)が少し高く南方の雌岳(474m)が少し低く
二つの山頂がある双耳峰となっている。
この絵では左側の山が高いので二上山の西側から眺めた図になる。
地図でざっと探すと美具久留御魂神社ではないかと推察できた。
この際に過去の記憶に残る檜原神社の事も頭に浮かんだ。


  美具久留御魂神社

檜原神社


今回実際に足を運んでそれぞれの位置から眺めてみたが
この二つの神社には霊的に相関関係があると感じられた。

googleで調べてみると

この檜原神社と美具久留御魂神社を線で結ぶとちょうど二上山の馬の背を通る。
この線の角度は約5.7度となっている。

  

美具久留御魂神社では御神霊の氣が強かった荒魂を祀る別宮の和邇宮(龍神社)を
通過しているが参道の方向も二上山に向かう設計となっているようだ。

しかしこの由緒書によれば大国主命の荒魂は和邇神と称された龍神であったとあるが
この話は初見である。
 とても強力な神氣で守られている和邇宮

出雲大社では龍蛇神を御神体としているし
大国主命の和魂は三輪山に祭られる大物主神で蛇神とされる。
また大国主命の荒魂は狭井神社に祀られている。
『大倭神社註進状 並 率川神社』によると大国主命の荒魂を大国魂大神としている。



私見では狭井神社と率川神社はもともとは塞ノ神ともされるクナトの大神を
祭祀していたと考えているが
大国主命の荒魂とはまさに大国魂大神であり
大国魂大神=縄文の久那戸大神=龍蛇神=和邇神と考えてもいいのかもしれない。

狭井神社と率川神社については『出雲井神社のサイ神 No152』及び
『奈良の三笠山と蘇我氏 No148』を参照していただきたい。

この美具久留御魂神社の別宮の和邇宮がどういう位置付けなのかは
分からないが何か秘密が隠されていそうである。

2011年に美具久留御魂神社の大蛇と白雲宮と二上山に祭られる「神蛇大王」との
関係については『美具久留御魂神社の「白雲宮」と二上山の「深蛇大王」 No291』
まとめているので参考にしていただきたい。

またこの神社の由緒として以下の伝承がある。
祟神天皇(人皇第十代)時代に丹波の国の氷香戸辺の子に、
『玉藻鎮石。出雲人祭、真種之甘美鏡。押羽振、甘美御神、
底宝御宝主。山河之水泳御魂。静挂甘美御神、底宝御宝主也。』
という神様のお告げがあり、天皇はそれをお聞きになって、
活目入彦命(垂仁天皇)を河内国支子(きし)に遣わし当社を祀らせ、
山河之水泳御魂=美具久留御魂神社と御名を称えなさった。
(日本書紀第五巻崇神紀六十年條・出雲国風土記)

これは出雲の神宝である玉藻鎮石 真種之甘美鏡 底珠が祭祀
されていないことによる出雲神の呪詛のことを言っている。

この氷香戸辺の子の歌であるがネット情報のホツマツタヱでは
『玉藻垂つ 出雲祭らば まくさまじ』とも歌っている。

どうでもいいことかもしれないが
山河之水泳御魂から付けられた神社名であれば
「みくぐるみたま」であって「みぐくるみたま」ではない。

今回三輪の檜原神社との相関もあると筆者は判断したので
水泳御魂と三輪の三重に巻く意にも相関があると判断する。
つまり御諸山が三輪とされたのは
「水泳御魂」を由来としている可能性が高い。


※コメントは検索でヒットしなくなりましたので
私の備忘録として自分のコメントを検索用に添付させていただきます。
吉田一氣 (ulalaさまへの返信) 2019-08-22 02:20:09
コメントありがとうございます。
2011年の8月にこの神社についてのulalaさまブログを
読ませていただいてからちょうど8年が経過しましたが
やっと遅ればせながら参拝出来ました。
以前の記事では丹後の真名井神社との類似性について
指摘させていただきましたが、
今回は檜原神社との相関について記載しています。
これは全く別のアプローチからたどり着きましたが
檜原神社も真名井神社も天照大神を祭祀する
元伊勢という関係にあります。
私にとっては今回やっと美具久留御魂神社の記事を
書かせていただいてそこのulalaさまのコメントから
瓢箪から駒を得た思いです。
夢に見たという「わたしはみくる、ワカヒルメとして
和歌山の山中深くに祀られる」
という話を私が聞くのは初めてでしょうか?
当時の私には分かり得ないのですが、
このワカヒルメが今自分がテーマとしている呉音神と
大きく繋がっていると考えていて
ずっと調べているところなのです。
ワカヒルメは天照大神と最も近い存在ですが
機織りの神霊であるところから
呉系の姬氏がもたらしたと私が信じるところの
養蚕と機織りを司る神霊ではないかと思っています。
たぶん呉系姬氏の巫女なんだろうと判断しています。
紀の國の紀はもともと姬氏の國という話も信憑性があり
この紀の國は素戔嗚尊と五十猛神に征服されてしまい
姬の国は木の國になり五十猛神は木の神様となりますが
呉系の姬氏の巫女のワカヒルメは姬の国紀伊半島に
封印されているのではないかと感じていました。
その候補が玉置神社とか
あるいは八大龍王姫松明神あたりです。
ulalaさまの夢通りに「みくる」であるなら
やはり河川が必須のようにも思われます。
とにかく私にとって有難く興味深い話です。


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30 コメント

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ネットワーク (はいせ)
2021-04-07 01:34:29
三輪山登拝からはじまったヘビを巡る旅ですが、まだ続いています。
旅の最後、井戸尻遺跡を見学した後で甲府で桃ワインを購入します。甲府盆地は桃栽培も盛んで4月上旬は桃の花が満開になります。調べたら縄文遺跡で有名な釈迦堂博物館がリニューアルしていたので、縄文と桃源郷の探索で決まりです。
昨年後半から東京、神奈川、長野と縄文土器を見てきましたが、釈迦堂博物館の水煙土器は私にとっては特別なものとなりました。
ちょうど企画展で水煙土器を扱っていたこともありますが・・・。
5000年の時を経て現代に伝わるものがあるって本当にすごいです。一級の芸術品としても遜色ありません。水煙土器は生々しくなく、大地から霧が湧き起こるその様に御神霊を見た人がいた印象です。「水」なのです。清々しいものを宿しています。それは釈迦堂博物館から桃の花で色づく甲府盆地を見たときにも感じます。所々で靄が立ち上っているように見えます。水の気配が強いのです。
その後ネット検索したところ、甲府盆地は地質時代には駿河湾が入り込んでおり、湖水伝説が残るとのこと。阿蘇と同じような蹴破神話があり、その中には3柱の神が登場し、最初の神(蹴裂明神)が山の端を蹴破り、次の神(穴切明神)が山に穴を開けて水を落とし、最後の神(瀬立不動)がその水を富士川へ導いて川瀬を造ったというお話でした。
その伝承を伝える寺社仏閣もいくつか存在し、その中で「穴切大神社」が気になります。
穴切大神社は当初は黒戸奈神社と称したそうですが、クナド?と思ってしまいました。穴切から蟻通しを連想しましたが、こちらのコメントでさくら様が蟻通神社にご参拝されたことを記載されています。
蟻通神社が気になって、その由緒を調べたところ、「外国の使者に持ってきた法螺貝に一本の糸を通すことを命じられ、法螺貝に蜜をたらし、糸を付けた蟻にその蜜を追わせることで糸を通し、日本の属国化を防いだ神を祀った」ことが由来でした。国防ですね。
この糸をつけた蟻って蜘蛛にも似ています。甲斐国は鉱山師の集団がいたことでも有名です。
やはりいろいろと働きかけてくるものがあるようです。
甲府盆地でもう一つ気になったのが、地方病(日本住血吸虫症)罹病地帯だったが、研究者、医師、そして住民の皆様の病気撲滅への長きに渡る血の滲むような活動の結果、終息宣言が出されるに至ったという記事でした。

認証番号:1023
惜しい。123まであと少しでした~
返信する
十三神社参拝記 (さくら)
2020-10-13 21:57:33
実はこちらの記事にコメントを書くことは意識的に避けていました。
私は、天河弁財天の絵が夢に出てきたことがあり、、そこで神秘体験をしたのですが、、、
そのことを偶然にも軽くいなされてしまったために、
私が見えない紐をひきちぎったからになります。
でも、考え直して、千切れた紐を結びに行くとコメントしています。

※千切れた糸を結びに行きます (さくら)2019-08-23 11:45:15
そうですね。この時に、はいせ様と頑張ると心に決めたと思います。

その後、この美具久留御魂神社の摂社である、
熊野・貴平神社に私は感応があったことがわかり、、
白雲宮は祭神南朝の天皇と書かれていますね。
アタリだと思います。
私が動かされているのは、南朝が関係するみたいです。最近知りました。
それに、私は土蜘蛛さん達の事を調べていました。
十三神社の割と近くに、名草戸部さんが三に分かれて祀られていました。
十三神社の主祭神・国常立尊。
祭神の並びを見ますと、九州の真ん中の秋元神社と似ています。
出雲大神宮の国常立尊と関係あるのか?も気になっていました。

2020年7月、熊本水害ではいせ様と一緒に、「鳩と鵲」で囁いたりして「オオグルミ」が出てきました。
8月後半、二人で大阪探索をします。
ここの別宮 和邇宮に行きました。
別宮 和邇宮はとても良い感じで
いつまでも居たかったのですが、蚊に刺されて退散したくなりました。
特に、はいせ様はしっくりしていました。
この時に、「貴志駅」を入力すると、二人とも、和歌山の貴志がでてきて困り、近鉄職員に尋ねたりしました。

その後、はいせ様がこの「十三神社」が気になるとコメントを書かれて、私も少し調べてみました。
高御位山に登れなかった私は、、「十三神社」は行った方が良いなと思います。
家から十三神社に行くには、海南市の幡多川を通ります。
この「幡多」が気になっていました。
因縁のハタやけど、、字が幡多なので、良かった。
十三神社に行ってみると、地元の方達が皆で清掃されていました。
その間、、すぐ近くの貴志川をじっと見ていました。
翡翠色で、勾玉のようにまがり、、、私の好きな色の川でした。
清掃されているので、先に頒魂神社に行こうとしましたが、相変わらず、道を間違えて、、、
その間違えた道の先にススキの若い軍団がありましたので、それを写真に収めたいと思います。
そのススキを見て、若いのは赤い、紅い、朱いんだと思います。
穂が出ると、黄金色になるのね。ワカヒルメって、朱いねと思います。
道を間違えたので、元に戻りますと、、清掃が丁度終わったばかりでした。
マジマジと本殿の配置をみます。
ちょっと、特殊なのです。
これは、美具久留御魂神社の上段の感じであり、、、
白雲宮の位置は、別宮になり、、鳥居があります。
お酒の神様となっていました。
恵美酒社と書かれていたと思います。
お酒の字が気になりました。そして、ここが霊鳥、大山祇神か、もしくは国常立尊か?蛭子なので、少彦名神でもいけるのかな?ワタツミの神だろうか?とグルグル考えていました。何故か、別宮のことばかり。
それと、熊野大社もこの形式でなかったかな?と思い返しました。
私の感応では、恵美酒社は、、、西宮恵比須神社のアラエビス神=恵美酒神なんですけどね。
これは、松尾の神様ではないか?
大山クイ神、、本当は、橘。
ここが、松尾なら、向こう側は大海神社になるはず。
答えは出ませんが、、、ここの記事にある、
別宮 和邇宮と美具久留御魂神社の関係性と同じと思いました。

その後、頒魂神社に行きます。すぐ近くでした。
別宮 和邇宮とそっくりです。
あの雰囲気。
しかし、こちらの方が湿気が多く、より蛇神さんが好きそうな感触でした。
真ん中に、真新しい朱き鈴のヲが垂れさがっていました。それを見て、ススキの赤い穂を思い出し、、、
はいせ様が、「ワカヒルメ」でないかとおっしゃっていましたので、、きっとそうだと思いました。
本当は、岩笛を喜ばれるだろうに、、持っていないので、、
私は口笛を吹きました。
ここでも、蚊に二箇所刺されました。
こちらの奥の宮にあたる、「蛇岩神社」は蛇岩大明神として、丹生都姫神をお祀りしているそうです。
あー、わかるわ。
高野山の近く、カツラギ丹生都姫神社も良いのだけれど、、、源流だわ~と感じます。
川の名前、貴志のすぐそばに祀られているというのも何か感じますね。
この貴志の秘密は、オレンジロード龍泉寺888に行った人のみに明かされるものでしょうかね。

その後、ススキだらけの生石高原に行きます。
生石神社があり、頂上には、磐座がゴロゴロあります。
高御位山の山頂のお話しをはいせ様から伺いましたが、、それと同じような感じでした(笑)
山の家「おいし」でお昼を食べ、お茶を飲みゆっくりして、もう一回りしたらそろそろ帰ろうかとなりました。
栗を二袋、柿とスダチを買いました。

そのまま家に帰るつもりが、もう一つどこか行っても良いと言ってくれましたので、、
「藤白神社」に行くことを、生石高原の帰りに決めました。藤白神社に行くには、幡多川を起点に丁度コメダ珈琲の反対ぐらいの位置でした。
そこは、鈴木さんの聖地であり、、穂積から稲穂となり、聖木(すすき)から鈴木になったと書かれていました。ススキから鈴木だったなんてね。
山鹿の薄野神社のススキは「聖木」だろうなぁ。。。
つまり、穂積なのかな?と。
青麻神社三光宮の穂積氏。
大国魂神の大和神社も穂積氏だったと思います・・
楠の神木が沢山ありました。









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貴志の十三(とみ)神社 (さくら)
2020-09-09 16:31:05
和歌山の紀の川(貴志川は途中合流)龍門山に登っているのですが、、、
そこは、道中に善女竜王神の祠がありました。
貴志の頒魂神社は、はいせ様お好きな感じです。
わかひるめ、若天かな?
十三神社は蛇岩神社の小蛇ですよね。
気になりますよねぇ。
近くの生石高原はススキで有名で、ここも行きました。
私の好きな場所です。ゆっくりと景色を堪能しました。
その時は、「美里」という字が気になっていました。
美里は、、、我が家の枝垂れ梅、白龍の絡みになります。




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水の源 (はいせ)
2020-09-05 00:00:04
和歌山の貴志が気になってネット検索してみました・
以前に話題になっていたかもしれませんが、海草郡紀美野町の十三神社が気になりました。
神奈備 様
http://kamnavi.jp/ny/juusan.htm
天忍穂耳尊が祀られています。ワカヒルメはいませんが、頒魂神社がワカヒルメなのでは?とも思いました。
蛇岩神社が垂涎地とされますし、気になるなぁ。
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粟が池の別宮和邇宮 (さくら)
2020-09-03 14:27:40
別宮和邇宮は素晴らしい場所でしたね。
光り輝いていました。
はいせ様は、しっくりしていましたね。
看板に「石川」の文字が有りました。蝉の穴も何個かあり、くまぜみがひっくり返ったのも、何体かありました。

本殿では、私は、お経のような声がずっと聞こえ、、、
三体の人形、「松竹梅」が気になりました。
鳥居から二上山がはっきりみえるのですよね。
あの時、太陽がギラギラでしたから、あとすこし待てば夕日が見れたような・・・
貴志宮ですから、咸古神社と関係するのですが、、、
貴志駅出てすぐに、大きく聖徳太子と書かれた石碑があり、気になりましたね。
スマホ検索で貴志駅と入力すると、必ず和歌山の貴志駅になり、不思議でしたよね。



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二礼四拍手一礼 (はいせ)
2020-09-02 01:59:31
美具久留御魂神社にはご参拝の作法として「二礼四拍手一礼または一礼二拍手一礼」と書かれた紙が貼ってありました。
こちらの記事で紹介されている和邇宮は本当にずっといたくなるくらい私にとっては素晴らしいところでした。

天照大神高座神社・岩戸神社と和邇宮を結んだ線上に八尾の常世岐姫神、線を伸ばした先に咸古神社があるのかな?ちょっとズれてるかな?と思って地図を見てました。
天照大神高座神社のお祭りは7月7日だそうです。最寄り駅の信貴山口の隣の駅は服部川駅です。

28はニハ・ニワでワニにも通じるのかなと思いました。
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和邇神 (さくら)
2020-07-14 01:49:06
はいせ様へ
かなり、気になるようですね。
何かぼんやりしたお知らせがあるのでしょうね。
私の感覚では、和邇神=狭井の神=水の女神=クナド神=大国魂神=水門神と考えてよろしいと思いますよ。
須世理姫神が出てきているのですね。
これは、伊勢久留麻神の祭神ですね。
大日霊女=須世理姫です
伊勢の鈴鹿にあるのを、淡路島に持ってきました。
大己貴尊と須世理姫尊の2柱の神さまを伊勢の森から勧請。
伊勢の森、と三穂津姫の村屋坐弥冨神社は、守屋の森です。守屋は物部と言う意味でしょう。
だいたい、須世理姫は大国主と結婚していて、そのご、大国主は三穂津姫と結婚したのですよね。

唐王神社と書かれていますね。唐王ですね。「もろこし」でしょうかね。
ここは、また調べ直さないといけないですが、、、
久留麻神社の祭神は、アヤハトリで、漢がつきます。
この漢部(あやべ)とは、何鹿郡の記載があります。綾部とは、大本教の本部でしたかね。
どうも、肝川龍神さんとの絡みがでてきますね。
私のこの記事のコメントに、肝川龍神調査で偶然丹波の埴輪巫女で、何鹿神社に参拝に行っているのが、、恐ろしいですわ。
この事を記載したのは、これも偶々二上山の春分、秋分の太陽の通る道のお話しを奈良実家の友人と話したからになります。
二上山の太陽の道の話がなければ、肝川龍神の調査・・・・という事は、、、




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須勢理姫 (はいせ)
2020-07-13 01:31:56
吉田様が『久留の謎』で記載されている美具久留御魂神社がらみの錯誤とこの記事に記載されている『大国主命の荒魂とはまさに大国魂大神であり
大国魂大神=縄文の久那戸大神=龍蛇神=和邇神』が気になっています。
大国魂大神は伊怒比売(神活須毘神の娘)との間の大歳神の子神。大歳神を呉系姫氏とつながる饒速日命と仮定して上記記載を考えると、縄文の久那戸大神=水戸神=速秋津比古神・速秋津比売神で出雲との繋がりが出てくることから、乱暴な言い方をすると和邇神=須勢理比売命=根の国底の国に坐す速佐須良比売命。
須勢理比売命はネット情報によると唐王神社に祀られてるとのこと。霊験あらたかな井戸があったようですが。そして虫除けが御神徳だそうで。
底宝御宝主は須勢理比売命で水泳御魂で蘇我氏の勾玉を聖水で清める祭祀がされたのでは??と感じていますが・・・。

言葉で説明するのは難しいですね。ぼんやりしたイメージなので、いろいろ誤りがありそうですが…。三輪と須勢理姫に繋がりがあるのかなと考えているところです。
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高野山0825 その後追記 (さくら)
2019-08-31 09:58:18
コメントを書いた後、高野山で見たもう一つ気になった霊宝の感覚を書いて、残しておこうと思っていました。

⑥高野山霊宝館にて、宝珠として、4つ展示されていましたが、そのうちの二番目
楕円形の爬虫類の卵のような、玉が二個ありました。
その一個は欠けていたのですが、
それを見たときに、これは恵果師匠から教えてもらった、「能作生玉」ではないかと思いました。
その欠けた卵石は、私が「牛玉」と言う言葉をきいて、イメージした、「クロセツナ」という牛の胆石に似ていました。
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高野山0825 その後 (さくら)
2019-08-28 15:08:28
夜中三時起こされました。

①そこで、「同一4つの顔の人が上下に連続した絵があり」
これは、何を意味するのか解らないと上記コメントに書いています。
これは、「め」の絵馬の八目のことらしいです。
連続して、八個の目が書かれている絵馬です。

12神将が玄奘訳《薬師瑠璃光如来本願功徳経》には宮毘羅(くびら),伐折羅(ばさら),迷企羅(めきら),安底羅(あんてら),頞儞羅(あんにら),珊底羅(さんてら),因達羅(いんだら),波夷羅(はいら),摩虎羅(まこら),真達羅(しんだら),招杜羅(しやとら),毘羯羅(びから)と記される。12という数が中国において十二支と結びついたと推定され,やがて十二神将は昼夜12時をたえず護ると信じられるようになった。

※音的には、「めきら」が一番怪しいのですが、画像では八目の人物像は見つけられませんでした。

②常喜院は常世で岐(貴志、喜志)のことらしいです。

③お供えにした「白ゆり」は、正式名称を調べますと、「タカサゴゆり」でした。
知らないうちに、「高砂」をお供えしていました。
この「高砂」は傍にいたお地蔵さんに供えたのでした。

④高野山に入る手前で、前の車の後について、「獄弁財天」の道に行きそうになりました。→がでて、鳥居がありました。今調べますと、弁天岳があるのです。
https://www.norichan.jp/jinja/renai/dakeyamabennzaiten.htm
https://高野山-御朱印.jinja-tera-gosyuin-meguri.com/category/%E9%AB%98%E9%87%8E%E5%B1%B1%E3%80%8C%E5%B6%BD%E5%BC%81%E6%89%8D%E5%A4%A9%E7%A4%BE%E3%80%8D%E3%80%90%E9%AB%98%E9%87%8E%E4%B8%83%E5%BC%81%E5%A4%A9%E3%80%91

⑤帰りに蟻通神社にお礼参りに行きましたが、そこにも「はしを繋ぐ龍の金具」がありました。そこは、平和宮でした。大田田根子縁の神社には、この「はしをつなぐ龍」が関係しそうかと思います。5006



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高野山0825 感想 (さくら)
2019-08-27 22:05:11
霊宝館で見た、数々のものは
対になっているものが多く、空海は
金胎不二の世界を表現したかったのでしょう。
灌頂儀式に使う鏡が対であり、これはどのようにして使うのか興味を引きました。梵字が書かれていました。
穴の開いていない真珠を何個か使う宝玉もありました。
あと、12神将の絵があったのですが、全部ではなく、4枚ぐらい飾っていました。古代中国人物風の作画であり、見たことのない、同一4つの顔の人が上下に連続した絵があり、これは、何を意味しているのか、、、理解できませんでした(-.-)

そして、今ちょっと、ガイドブックを見直していたのですが、、
高野山の宿坊に「常喜院」があるのです。
常と言う字が入っている。国常立尊。
この中にある、「真っ赤なお地蔵さん」
これと、「牛の大将」に目がいきました。
きっと、、呉音関係だと思います。

高野山宿坊ガイド様より
https://kouyasan.net/jokiin/
※金の玉を持っています。左足を見せています。
正式には恵方地蔵尊(えほうじぞうそん)といい、愛称として 赤地蔵・紅箔地蔵・玉地蔵ともいうそうです。

なお、この「恵方地蔵尊」は福徳・財福を大地の如く内蔵し、その福徳を命あるもの全てに恵み与えるとされ、赤ん坊のように赤く福々しい身体の上に金箔を貼ることから「紅箔地蔵」という愛称で呼ばれるようになったそうです。

・好物:赤いもの(紅白まんじゅう、金時人参、李、福神漬、大福餅、三宝柑、甘栗、桃)
・お姿:身体の赤色は、高野山の鎮守・丹生明神の丹生(水銀朱)から来ている(水銀朱は仙薬の仙丹の色でもある)
・お衣:空海が唐から持ち帰ったマンダラの中に描かれている地蔵菩薩の御衣を着ている
・持物:錫杖と宝珠

丑大将
これは薬師如来の十二神将の一尊である招杜羅大将(しょうとら)であり、十二支における丑神に当たります。

赤地蔵は非常に怪しいとにらんでいます。
阿蘇山は古名赤山ですからね。阿蘇山の信仰で乙護法童子が真っ赤になって祭祀されていたのでが思い起こされます。
高野山と白山ラインが重なっているのが何か意味している可能性があるのかな。6667
返信する
高野山0825 (さくら)
2019-08-25 22:24:33
本日、2018/01/02以来の高野山行きです。
急に8月22日の夜に高野山に行くことになりました。
私の意思ではなく
同行者に0825に高野山に行きたいとお願いされました。
行くのは構わないけど、、満月0102に行った場所に供養に行くことが条件だと提示しました。
満月0102には明神社、高野四所明神を祀っている場所をメインに行きました。
つまり、丹生都姫神、高野明神を祀っている高野山の一番の元になる神社になります。
その時に、善女龍王(清瀧権現)も偶然参拝しました。
勝尾寺の最古の荒神と言われている場所からの参拝でしたので、その時に護摩行があり、しっかり煙を浴びてから行きました。

今回も意味深なことが多く、
高野山行きを決めて、次の日の夜歯を磨いていると、ぼろっと歯が取れました。何故に、犬歯が、、、
激しく落ち込みながら、翌日朝一番に馴染みのお医者さんに駆け込みました。それで、差し歯ですので、すぐつけてもらって、安心しました。

今回、供養に行くのに、何を用意すれば良いのか探りながら過ごすのです。
歯医者さんの後、お買い物に行きます。
その道中に、白ユリが咲いているのが気にかかります。白ユリを供えて欲しいんだとろうなぁと気になります。
買い物に行くと、スペインの有名ブランドの亀の子のようなリュックが70パーセントオフなのです。そのリュックは、7色違いの爬虫類の皮?合皮?で出来ているのです。亀蛇じゃない?と思いながら躊躇なく買います。
その他にも結構お得な気持ちで、買い物をします。
その帰りに、また道中の「白ユリ」を見て、供えることを決めます。
ゆりが欲しいために、一本道で、急に車留めろとか、むちゃぶりを言いますが、明日、朝、高野山に行く前に自分のお金で「ゆり」の花を買いなさいと諭されます。

0825、朝一番にゆりの花を買いに近くのお店に寄りますが、まだ朝早いために閉まっていて、、、
どうしよう、、ユリが要るのに、手に入らない。
我が家の庭に、今年の夏は見たことのない「紅い花」が咲いていたのです。どうも、蘭の花の一種のような風情で、気に入っていたのですが、実家にユリの花が咲いていたことを思い出します。
急遽、実家に寄って、一本だけ蕾であった「ユリ」を手に入れて向かいます。
蕾が咲かないかと思いながら、、暑くて、しおれないかと気にしながら、一番に供養に向かいます。
久しぶりに訪れたその場所に、ユリの蕾を一本供えて、御線香を焚いて、我流のお祈りをしました。
その時に蚊に4か所刺されます。
以前訪れたときは気がつかなかったのですが、善女龍王神や、八大龍王神の名前がありました。

その後、霊宝館にて、空海と恵果の対の像を見たり、宝珠の数々、深沙大王と執金剛神のペアを見たり、眼福の数々を堪能しました。
最後、深沙大王の御朱印帳を買いました。
人生、初御朱印帳です。

最後、蟻通神社に寄り、お礼参りをしました。
丹生都比売神社にも、お礼参りに行きたかったのですが、次回機会があれば訪れることになると思います。

今回は、「父鬼」「平」地区を抜け、平道路を使い、瀧の妙見神社があり、その近くは「くしがきの里」の道の駅だったと思います。星川とか、、、伊都と星が関係するのかも知れないと思いました。









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さくらさんへ (ulala)
2019-08-25 18:25:59
近々高野山へ行かれるのなら、
壇上伽藍の御社に丹生都比賣大神が祀られてるそうなので、すでにご存知かもしれませんね。
過去何度か高野山行ってますが、その御社は参拝した記憶がありません。
その頃は丹生都比賣大神を全く存じませんでしたから。
その御社がもともとの地らしいです。
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吉田一氣 (さくら様への返信)
2019-08-25 02:10:07
さくらさまの強い信仰心は不二のものです。
「88の母なる大蛇の供養」宜しくお願いします。
数日前に自宅の門扉の中央部分に死んだ蛇がいました。
1mを超える青大将でした。
自動車の通りが多いのですが自動車に轢かれたわけではなさそうでした。
この蛇に関しては『自宅の庭に蛇の抜け殻が No317』の蛇であったかもしれません。
三輪山参拝から1週間たっていなかったので
理由を考えつつねんごろに弔わせてもらいました。
本日この記事を読みものすごく感じ入るものがありました。
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千切れた糸を結びに行きます (さくら)
2019-08-23 11:45:15
近々、高野山に行く予定です。
88の母なる大蛇の供養に向かいます。
そこは、今こちらのコメントなどを読みますと、丹生都姫神かとも思います。
紀州九度山が本拠地なのですが、芦屋の六麓荘、六甲山、甲山なども怪しいと思っています。
紀ノ川の善女龍王から、導かれていました。
わかひるめ、とよひるめ、
この二つは対であり、不二であるのだろうと予測しています。天照の原型。
瀬織津姫と饒速日として、上書きされているものとも今のところ思っています。
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三輪にくくる (すずたま)
2019-08-23 07:31:47
個人の感覚的な発言で間違っているかもしれません。やはり水に潜る(みくくる)巫女の姿が脳裏にうかびます。

三輪山から流れ出る水を一身に受ける。山から海へ、また海の水蒸気が山に雨を降らし樹々が保水する、という大自然の水の循環の中で、水霊・大自然霊と一体になる。
そしてまた、三輪山に降りる太古からの太陽神霊を身に孕む・・・?

三輪山の神は蛇神にしろ龍神にしろ、「巳」神、本来は純粋な太陽螺旋エネルギー体でしょう。
太陽を身に孕む思想はあちこちで見受けられますが(日光感精神話)、三輪の場合、丹塗矢の神話となっているのだろうかと思います。

全国の村々でも、選ばれた娘が巫女となって「水くくる」祭祀をした様子があって、水辺に湯河板挙(ゆかわだな)という小屋を作り、川で禊をした巫女が神の衣を織りながらやってくる神の一夜妻になるという伝承があるようで、その巫女たちを棚機津女といったようです。有名な折口信夫の「水の女」あたりから流布された一種文学的な話として、学術的には疑問視されているようですが。

しかし機を織る姫だったというところに、スサノオに蹂躙されたアマテラス神話を思い出しますし、「呉から来た織姫」「機織りの神霊ワカヒルメ」にも呼応します。
機を織るのは、縦糸と横糸を交互に組み合わせていくことに神聖な呪術性があるのでしょう。

(そこから私としては、縦と横を縦横に宇宙をククル姫を思い出しますけど?
雪を抱く白い峰々から流れ出す水への信仰は、パミールあたりの青海のほとりで生まれた云々は、どこかにコメントした覚えがあります。)

以上は辰砂の話とはまた別となり、二上山とも特に結びつかず、頭が整理できません。
水くくり祭祀は農耕民の降雨祈願でもあったでしょうが、そこから犠牲牛も絡むのかもしれませんが、大自然の恩恵に辰砂や鉄も含めれば、金属資源を求めて来た呉の民の信仰も混ざってくるのかも・・・?

宇佐のヒルメはどちらかいうと鍛冶神の巫女的のようです。
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吉田一氣 (ulalaさまへの返信 追記)
2019-08-22 12:01:00
多分関係ないとは思いますが参考までに。
御栗栖神社は(みくるすじんじゃ)という名前の神社が
京都の宇治田原町にあります。
祭神は天津彦根神で雨乞いの神ですが、
三上氏の系図には天津彦根命の娘が比売許曽命(息長大姫刀自命)となっています。
私が祭祀する呉系姫氏とは微妙に繋がっています。
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吉田一氣 (ulalaさまへの返信)
2019-08-22 11:27:28
ご体調の件心配ですね。
私も他人ごとではありません。
残暑厳しき時節ですのでくれぐれもご自愛ください。
紀伊國一之宮の丹生都比売神社には近いうちに参拝させていただきたいと
思っています。
でもたぶんもっと小さな封印されたみくる社があることを感じています。
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氷上の石生の水わかれ (ulala)
2019-08-22 11:06:58
さくらさんへ
美具久留御魂神社の創建由緒に
丹波の国氷上郡の氷香戸辺が神懸かりして
「玉もの鎮石。出雲人の祭る。真種の甘美鏡。押し羽振る、甘美御神、底宝御宝主。山河の水泳る御魂。静挂かる甘美御神、底宝御宝主」

これが気になって、実際に石生の水わかれを見学に行った記録は、
最も低い分水界★氷上回廊
石生の水分かれにある いそべ神社

探しやすいようにリンク貼らせていただきます。
https://blog.goo.ne.jp/goo3820/e/ebc4070aa020c93c4ca015d56ff4b41f

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吉田一氣 (さくら様への返信)
2019-08-22 11:05:31
吉野の井光神社には参拝したことありますが
吉野郡川上村井光の井光神社は未参拝です。
今回三輪山から玉置神社に行く際に
天河大辨財天社を回ったのですが
国道169を通って井光神社と丹生川上神社に参拝すればよかったと後悔しています。
天河大辨財天社はほんと良くない。
厳島や竹生島とは違い得体のしれない怖さがあります。
観光参拝では問題ないのでしょうが神業で近づくのは私的にはお勧めできませんね。
考えてみるとあそこはもともと神社繋がりで参拝したのではなく
役行者が開かれた熊野から吉野にいたる大峰山系の調査で訪れたのでした。
今回さくらさまが偶然にも氷香戸辺と井光のことを記載されていますが
御神霊に軽く責められているなあと感じています。
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丹生都比売神社 (ulala)
2019-08-22 10:52:07
和歌山の山中深くに祀られるワカヒルメ、ということで丹生都比売神社に2回参拝しました。
とても心惹かれるところでした。
拙ブログでブログ内検索していただかれば参拝記録がヒットします。
そちらで賜ったキーホルダは今でも愛用しています。

ここ一年いろいろ体調わるかったり気になる箇所でてきて、加齢によるものだと思って我慢してました。
あるときブロ友めねふねさんから「もっとワカヒルメを信じたよっていいと思いますよ」とアドバイスもらいました。
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吉田一氣 (すずたま様への返信)
2019-08-22 10:29:46
なるほど空海が感応した丹生都比賣大神ですか。
紀伊国一宮は丹生都比売神社ですね。
考えてみると以前参拝した際は少彦名神との関係の調査でしたので
ワカヒルメとの関係性など頭になかったので
その関係性が全く考察出来ていませんでした。
志摩地方であれば伊射波神社が二礼四拍手一拝で封印された神社ということもあり
私的にはワカヒルメ祭祀でとても気になる神社なのですが、
和歌山ではなく三重ですから候補から外れますね。
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吉田一氣 (ulalaさまへの返信)
2019-08-22 02:20:09
コメントありがとうございます。
2011年の8月にこの神社についてのulalaさまブログを
読ませていただいてからちょうど8年が経過しましたが
やっと遅ればせながら参拝出来ました。
以前の記事では丹後の真名井神社との類似性について
指摘させていただきましたが、
今回は檜原神社との相関について記載しています。
これは全く別のアプローチからたどり着きましたが
檜原神社も真名井神社も天照大神を祭祀する
元伊勢という関係にあります。
私にとっては今回やっと美具久留御魂神社の記事を
書かせていただいてそこのulalaさまのコメントから
瓢箪から駒を得た思いです。
夢に見たという「わたしはみくる、ワカヒルメとして
和歌山の山中深くに祀られる」
という話を私が聞くのは初めてでしょうか?
当時の私には分かり得ないのですが、
このワカヒルメが今自分がテーマとしている呉音神と
大きく繋がっていると考えていて
ずっと調べているところなのです。
ワカヒルメは天照大神と最も近い存在ですが
機織りの神霊であるところから
呉系の姬氏がもたらしたと私が信じるところの
養蚕と機織りを司る神霊ではないかと思っています。
たぶん呉系姬氏の巫女なんだろうと判断しています。
紀の國の紀はもともと姬氏の國という話も信憑性があり
この紀の國は素戔嗚尊と五十猛神に征服されてしまい
姬の国は木の國になり五十猛神は木の神様となりますが
呉系の姬氏の巫女のワカヒルメは姬の国紀伊半島に
封印されているのではないかと感じていました。
その候補が玉置神社とか
あるいは八大龍王姫松明神あたりです。
ulalaさまの夢通りに「みくる」であるなら
やはり河川が必須のようにも思われます。
とにかく私にとって有難く興味深い話です。

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みくる、ワカヒルメ・・・? (すずたま)
2019-08-21 22:26:31
二上山は大津皇子にかかわる山として思い入れがあり、美具久留御魂神社とか深蛇大王とかずっと古い話で自分の理解できる範疇ではないと決め込んでいましたので、この記事も自分にはお呼びではないテーマでした。
ただ、以前からみぐくるは「水くぐる」だろうか、と勝手に思って、勝手に次の歌と関連付けてみていました。
「ちはやふる 神代もきかず 竜田川 からくれないに 水くくるとは」。
なにか巫女が水に潜るような祭祀があったのだろうか、と。その後、牛を屠る祭祀というものが脳裏に入り込んできてあまり目に浮かべたくない光景を思い浮かべてしまったりとかしていました。
でも今回、ulala様の「みくる、ワカヒルメ」が頭に響きわたってしまって・・・

ワカヒルメはアマテラス(=大日霊女)の妹神とか、大日霊女の幼名とかの説がある一方、丹生都比賣神社(和歌山県伊都郡かつらぎ町)では、祭神・丹生都比賣大神(水神・水銀鉱床の神)の別名が稚日女尊である、とあります。

アマテラスの妹神では、からくれないの意味が不明ですが、丹生都比賣なら、からくれない=辰砂の朱色、となるのです。(おまけに深蛇大王に辰砂大王を連想してしまったりして(*´з`))。でもそれでは水クグルが行方不明に?・・・いや、よく読むと水神・水銀鉱床の神と書いてありますから、水神でもあるのですね。
すると、ワカヒルメは水神であり、からくれないの神・・・?
記事の内容がほとんど読み込めてないままの、とんちんかんな書き込みでしたら申し訳ありません。

それにしても「山河之水泳御魂」って、とてもいいですね、好きな言葉が増えました。
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記憶が蘇えってきました (さくら)
2019-08-21 18:11:11
すっかり、忘れていましたが、、
檜原神社は二回参拝しています。
山辺の道を二回歩いているのです。
高校2年の秋遠足(柿を食べた)と社会人3年目の有志春遠足(苺食べた)今から思うと池田市に縁のある会社仲間と私あわせて4人ですね。
山辺の道、最終は檜原神社参拝して終了だったと思います。拝殿の無い、山がご神体のところでした。
檜原神社の祭神は天照大神若御魂神ですね。
天照大御神と書いてしまいました。失礼しました。

ということは、この記事の二上山、北岡神社、美具久留御魂神社、檜原神社、全て参拝済みでした。
一回目の美具久留御魂神社参拝時は170号線からすっと、行けたのですが、、
二回目の時は、楠木正成の生誕地やら、千早赤阪村、カエル見たり、金剛山の麓をうろついて、建水分神社に参拝してから向かいました。そこでも、なかなかの神秘写真が撮れたのを覚えています。
で、其処から向かう際に、170号線ではなく、参道に真直ぐに正面から入る道を案内され、線路の踏切とか通って参道になりましたので、地図を見ますと、二回目は偶然、別宮、龍神社の横を通っていますね。しかし、その当時別宮に気づいたかどうか、覚えていないです。
その後、恩智神社に向かいました。

難波八坂神社と恩智神社が常世岐姫神社、別名八王子神社とゆかりがあったと思います。
この難波八坂神社は祇園牛頭天王を祀り、二つの紋ですので、北岡神社とのご縁もあるのかもしれないですね。
恩智神社に感応院と言って、母木がありまして、聖徳太子の伝説があります。
http://www12.plala.or.jp/HOUJI/otera-2/newpage164.htm
戸原様=河内の式内社=
http://www.y-tohara.com/naka-onchi.html

北岡神社は京都八坂神社・感神院で疫神社ですので、久と言う名前の付く摂社がきになりましたが、、
一番は「宮地嶽神社」が摂社で祀られていたことが、、
参拝時にいいなぁと思いました。
憧れの宮地嶽神社です。
この夏に「宮地嶽神社」に行きたいと思い、初めて公式HPを見たのですが、その時に、神職さん達が扇を持って、ダイナミックに舞っている写真があり、
いいね、いい感じよ(*^^*)これが、見たい(*'▽')
調べますと、平日ですので、一人で新幹線で行こうかとか、妄想してます。

私は、元伊勢、檜原神社に参拝していたこともすっかり、忘れるほどでしたが、最近訪れた
「何鹿神社」の事を詳しく調べますと、
丹波国何鹿郡 出石鹿[山石]部神社読み 古 イツシノカノイソヘ、近代所在地 京都府船井郡京丹波町曽根竿代29旧地名 丹波国何鹿
確かに、参道に小川が流れていて良い雰囲気でした。

出石の鹿の磯部で、こちらの氷香戸部の氷上町にも石部神社があり、、
宝賀寿男先生の「石部神」とは
http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/hitori/isibe1.htm
こうして見ると、石部神社及び石作神社の殆どが物部氏族と息長氏族に関連して説明できることになる。そして、石作神社の祭神は石作連の祖神・建真利根命であろうし、石部神社の祭神については、元来が特定の一神であるならば、物部・息長両氏族の共通の遠祖で、天石門別命(紀伊国造等の祖神・天手力男命とは別神)の別名ももつ天若日子(天津彦根命。天照御魂神の子)が原型ではなかったろうか。

と書かれていますが、まあ、まだよくわからないですね。ただ、富山の射水国の事と、石部菅生神社の事が気になりました。石部菅生神社は行く予定中。
氷上町は、石で水分嶺があるのですかね。
こちらも、少し調べてみたいと思いました。





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Unknown (ulala)
2019-08-20 10:24:33
美具久留御魂神社は、富田林の丘陵地にPL教団の平和の塔があり、その反対側東斜面に鎮座します。
南大阪で生まれ育って、8/1の花火大会はじめPL教団には関心あっても、反対側の貴志には全く無頓着でした。

それが初参拝に至ったのは、夢うつつで「わたしはみくる、ワカヒルメとして和歌山の山中深くに祀られる」と聞こえたのでした。
へぇ~「みくる」、ミルクと間違ったらあかんと思い、すぐに「みくる」で検索。
初音ミクと美具久留御魂神社がヒット。
「みぐくるみたま」なのに、私の中では「みくぐるみたま」と定借して間違えてしまうこと多々あり、困ったもんだと思ってました。
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丹波の国の氷香戸辺 (さくら)
2019-08-20 08:17:52
最初の美具久留御魂神社に訪問理由は、
「丹波の国の氷香戸辺」と「井光」が同一かどうかの感触を確かめるために訪れています。
二回目は、神功皇后の肖像画と多色の蛇の夢を見たのがきっかけで、訪れました。
その時は、三社詣り「恩智神社」「美具久留御魂神社」「建水分神社」と南河内の水分神として訪れました。
恩智神社は春日神であり、牛頭天王を祀りますので、元枚岡神社つまり、元春日大社となります。
つまり、春日氏奉祀の和邇神を祀っていることになると思います。
美具久留御玉神社に白雲宮があるのですが、
現在の祭神は神武天皇・南朝天皇 皇后です。
これが、建水分神社も、楠木正成、南朝天皇 皇后を祀ることと被る感じがしています。
ですので、恩智神社と美具久留御霊神社を繋ぐものは、和邇神ということになります。
美具久留御魂神社と建水分神社は、南朝を支えた楠木家の奉祀神、、水分神、、豊布都神、神蛇大王という事になるのかもしれません。
貴志の宮と言われています。
咸古神社にお祈りに行きましたが、「貴志の宮」の紹介チラシがありました。
私は、健軍神社の雨宮神社の御神体神水との感触を得たのですが、、形の相違によって、有るものが浮かび、、結論としています。

八尾の常世岐姫神→恩智神社→美具久留御魂神社→咸古神社→(春日神社・八大龍王神・三弁財天・雨宮神社)
恩智神社→ウサギの関連で、大三輪神社と春日大社、宇治平等院、宇治上神社

そして、
丹波の国の氷香戸辺と井光の検討でしたが、、
吉野の井比鹿ではないと、、思っています。
でも、冷たく凍る感じは似ているのです。鹿と言う字が入るのも丹波の出石の磯神かとも思うのですが、、
その代わり、御所市の長尾神社の水光姫は井光と同じとされていますが、この長尾の水光姫と丹波の国の氷香戸辺は同一と思っています。

それは、長尾神社に水光姫の井戸があるのですが、
石が乱雑にされていて、その石は丸く穿っていたり、筋が彫ってあったり、そして藤の枝が覆っていたとのことで、これは私の前に8月5日丑三時に顕れた水の光の和邇(輪)であり、富士、藤、不二を表す八の神霊の姿だと思えたからです。







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丹波の巫女埴輪2 (さくら)
2019-08-19 16:12:25
丹波の巫女埴輪の事を書くことは
さらっとさわりだけにしておきます。
本来はコメントに書く気はなく、勝手に納得しておこうと思っていました。
京都に泉涌寺があります。末の京都北野観音寺、ここに願行上人筆の不動明王像があります。
22玉に「富士」「不二」「藤」「布字観」で石上神宮の新嘗祭の事を書いています。寝食を神さまと共にするのです。
野間神社にて「久佐々」は、「さいくさ」で三輪素麺の発祥の名前かと思ったと書いていますが、島原半島に出向き色々
感じるものがあり、「菊池」の本質がわかったり、、
島原も素麺が有名みたいです。そのまま、佐賀県に行きましたが、「たいら。太良・たたら・ひら」の連続でした。

願行上人の系譜
清和源氏の系図
貞純親王⇒経基王⇒満仲・・・・願行(相州大山開基也)
どうも、関東に行く前に丹波の船井郡須知町に縁があるようです。
この願行上人が麻生院で鉄の不動明王を作ったりしています。
弟子なのか、憲淳と言う方がいまして、この方は、藤原定家の子、二条為世の子のようです。

それで、船井郡に行ってみたのです。曽根444号線でした。曽根は阪急沿線にある駅名です。
しかし、ネットに騙されたのか、予想していたようなお寺はなく、どうみても民家であり、すごく遠慮して早々に退散しました。
わざわざ遠くまで高速で来たので、何気なく近くの神社に参拝しました。
「何鹿神社」というのです。
私は、「いかが」と読んでいたのですが、本当は「なにしか」と読むようです。
いや、でも蘇とかいて、「いかる」、斑鳩と読むように。
綾部の鳥「イカル」は「何鹿」と言う字を充てるようです。きっと、「いかる神社」だと思います。
このイカルは、饒速日、物部氏、つまり石上氏の生駒山の近く斑鳩峰のイカルかなと思ったりしています。
交野妙見宮とかあります。
この丹波地区は機織り、七夕関連のような気がしますので。天文館とかありました。
偶々、亀岡で「曽我部」と言う地名を通り、、蘇我氏かな?豊能郡にも曽我部は有ります。
そこは、大原神社と春日神社がありました。やっぱり、春日神社があると思いました。
あと、彦佐知神と書いていました。
そして、近くに古墳があるようで、道の駅になっていました。名前が「味夢の里」
「味?」が付く名前。池には大きな蓮が咲いています。
道の駅はとても充実していて、遠かったけど来てよかったと思いました。
武内宿禰のもう一つの名前か、弟に「味・うま」が付いたと思います。
道の駅で京都西陣織の「絹製品」。模様は、雲と波のうねりの柄二つを買いました。
京都北区「賀茂」にある会社だと紹介を受けました。
そこに併設されている観光案内所に、「巫女埴輪」が飾ってあったのです。
本来は二体、対であるようです。
家に帰ってから、ゆっくり調べようと思いながら、
最後に近くの、「琴瀧」に行きました。
山の名前が美女山、また美女かと思いながら、そこにある「琴の弦のような白糸」の瀧でした。
多羅多羅としたたり落ちる。光が射すとまた違う美しさ。
美女と琴と多羅。琴の生糸は伊香具神社。
その前に「能満神社」にも寄ってみました。
「のま」だと思ったからです。
神武天皇の摂社があり、「烏天狗」。
事代主神、武甕槌神。
鶴亀の池がありました。
亀は水の中にある石であり、そこの亀の上に鶴が(敦賀)降り立つのが瑞祥であり、長寿を表すとのことです。鶴亀遊ぶ。
そして、帰宅後ネットで調べると、琴ではなく「鼓が瀧」と書かれていまして、、私の知っている鼓が滝は、多田と、熊本岩戸公園近くの瀧になります。

以前、偶然北岡神社には参拝しましたが、朝早かったせいか、門が締まって中には入れずです。小高い丘であり、近くの地名は「呉服」でした。神木・夫婦楠木が入り口にあり、八の字に回るのが良いようなことが書かれていたと思います。三輪山や、美具久留御霊神社に関係するのですか?入り口に疫神社があった記憶があります。
京都八坂神社の疫神社は経基さんが祭祀しました。
茅の輪であり、「蘇民将来」ですね。






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丹波の巫女埴輪 (さくら)
2019-08-19 12:58:24
美具久留御霊神社に行かれたのですね。
お疲れ様です。
そして、別宮もきっちり参拝されて、「和邇神」という新たな情報ですね。
美具久留御霊神社の別名が「和邇宮」で出雲族末裔だと本に書いてありました。裏山の眞名井ヶ原。
京都亀岡の出雲大神宮の眞名井の水。
出雲大社近くの「真名井神社」。酒造用の水。
元伊勢、籠神社奥社「真名井神社」
宮崎高千穂の「真名井の瀧」

私も過去二回参拝させて頂きましたが、、
一回目の参拝ポイントは
・太陽の道として、淡路島「伊勢久留麻神社」を起点に東向きのライン上にある寺社仏閣を巡っていた。「久留」と言う字があるので気になった。日向なんでしょうね。
桓武天皇の末裔「平」姓が「クル」を受け継ぐらしい。

・真名井という名称⇒真実。本当の名前は「井」、つまり水神。

・ヒカトベと大蛇伝承。このころ、「にしきとべ」「いひか」「なぐさとべ」を調べていました。「いひか」→「いかり神社」船の碇と関係あるのか?宝船で碇があるのは、大将軍八神社。魔王。妙見神。
広島の双葉山東照宮の近くにあった、「いかり神社」

・咒神と言う言葉。→神呪寺→六甲姫神

二回目参拝時は、こちらのブログのコメントにバラバラと書きました。

この記事とのシンクロ現象としましては、
2018年6月に起きた大阪北部地震余震回避の為に、夏に赴いた小菅山は登拝できなかったため、季節の良い11月にもう一度小菅山に登る計画を立てていました。

その直前に近所の友人達とお昼食べて、箕面山で足湯に浸かりながらの会話。
・私「今度の連休に長野に登山に行くねん」
・友人「登山するの?本名ちゃんのイメージ違うわ。長野まで?長野の何処?長野の山いいよね。」
・私「言っても、わからないと思うよ。小菅ってとこ、不思議な夢見て地震回避の為に行くことになってん」
・友人「そう。有難う。地震回避のお祈り有難うございます。ここら辺で、どこか登山した?登山仲間と来週、河内長野の山に登る予定よ」
・私「二上山とか良かったよ」
・友人「二上山は私の実家から、彼岸の中日・春分秋分の日に、太陽があの二つの山の間を通るのが見える位置にあるんよ」
・私「あー、奈良の実家ね。私達の共通の知り合いが、私と誕生日が同年同月同日で、友人ちゃんと知人は高校が同じだったのよね。卒業アルバム見せてくれたね。」

※あの5,7度のライン上に友人の奈良の実家があるみたいです。ちなみに、檜原神社は私は参拝していません。天照大御神のようですね。
大神神社に誕生石がありますので、ここでもリンクしてきてます。

そして、肝川八大龍王神にちょっとずつ、関わろうかと思い、多田神社と小童寺に参拝してみたのです。
多田神社は、鳥居から見える川と石としぶきの景色が秘境のような感覚で、滋賀彦根の「大滝神社」つまり犬上さんを思い出しました。川は猪名川でした。
道の駅猪名川近くに在る、屏風岩などの景勝地?といえるかどうか、、、と繋がっていることも感じました。
摂末社で厳島神社、金毘羅神社などがあり、六所宮もあり、鳴動するので、吉例としてとらえ、神剣宝馬を奉納して、祈願祈祷を厳修せられたと書いてありました。いわゆる、鳴宮かと思います。
こちらの名前の無い摂社にも、活日神社、野間神社同様金ぴか龍の金具が掛かっていました。
それと、唐椿という木が植わっていたのですが、
看板には、旧多田院檀家の薩摩藩主島津家より贈られた国内最大級のものである。
中国雲南地方より南の亜熱帯地方を原産とする樹木。

小童寺は、「美女丸」という事で出向きましたが、何も手がかりは得られずに、道が狭く、急斜面と角度が直角で異常に気を使いました。次の日に向かう場所で、偶然「美女」が出てきましたので、関係があったのでしょう。










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酷暑お見舞い申し上げます (ulala)
2019-08-19 12:28:38
こちら近畿におこしだったのですね。
蒸し暑かったでしょう。

美具久留御魂神社と大神神社と狭井神社、とてもなじみのある神社です。
三笠山も、阿倍仲麻呂のあの天の原の歌が書かれた掛け軸は、実家の床の間に掛けてあったので懐かしいです。

この先の謎解きワクワクします。
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