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2021.10新潟・村上を歩く1 イヨボヤ会館

2022年03月22日 | 旅行

新潟を歩く>  2021.10 新潟・村上を歩く1 岩船神社 諸上寺公園 エチゴビール イヨボヤ会館
 
 新発田城址を歩いたあと、左に海を見ながら国道113号線を北に走る。松林が続きところどころに工場、物流倉庫が建っているが食事処はほとんどない。新発田駅前で海鮮丼を食べたのは正解だった。
 風力発電用の風車が何基も立っていたがどれも羽が止まっていた。たまたま風が無かったのか。・・翌日の帰りに同じところを走ったがやはり羽は止まっていた。季節的に風の吹かない時期だったのだろうか。建設コストに比べ年間発電量が心配になる。脱化石燃料の観点から風力発電が期待されるが、事前の調査、シミュレーションで発電効率を入念に検討するべきだったのではないだろうか。

 村上町に入った。荒川を超えると国道113号線は国道345号線に名前を変える。
 ガイドブックに岩船神社が紹介されているのでナビに入れる。県道3号線に折れて石川を渡った先の5差路に面して朱塗りの鳥居が立っていた(写真)。鳥居の扁額、手前の石柱に岩船神社と記されている。
 直接日本海は見えないが、左=西は海の雰囲気が迫っている。鳥居で一礼し、石段を上る。神社は高台の中腹に建っていた。瓦葺き入母屋屋根の質素な本殿は海に向いた西向きである。
 由緒によると、648年、大和朝廷の城柵として磐船柵が設置されたとき、すでに石の祠があったとされる。807年、北陸道観察使秋篠朝臣安人が京都・貴船神社の祭神を勧請して社殿を建立したそうだ。
 向拝はガラス戸で囲われている。冬風の厳しさが想像される。ガラス戸を開け、二礼二拍手一礼する。先に婦人が参拝していて、私たちのあとに男性が参拝に来ていたから、地元では信仰を集めているようだ。
 境内から海は見えないが、こんもりした社林の彼方は日本海の雰囲気である。日本海に向いた西向きの本殿は海の安全、航海の守護を願ってであろう。
 
 ガイドブックには、岩船神社の建つ高台の先に諸上寺公園が整備されていて絶景スポットと紹介されている。県道3号線から急な坂道に入り、上りきると公園駐車場で、日本海が見えた(写真)。
 晴れていれば佐渡島が見えそうな気がするが、雲に隠れている。雲が無ければほどなく夕日の絶景が眺められそうだが、雲が動いているので夕日は難しそうだ。
 しばらく日本海を遠望する。海辺を見下ろすと今日の宿瀬波ビューホテルが見えた。雲が途切れれば宿から夕日が期待できそうなので宿に向かった。

 宿の手前に鮮魚センターがあったのでのぞいた。店内を見ていてクラフトビールのエチゴビールを見つけた(写真)。
 こしひかり越後ビール(写真左)が気になり、ピルスナー(写真中)、エレガントブロンド(写真右)の3本セットを購入した。
 新潟出身の青年がローマを拠点に演劇家として活動していてドイツ女性の絵本作家と知り合い、彼女の故郷レーゲンスブルクでビール文化に開眼し、自分の故郷新潟でクラフトビールを創業したそうだ。2日に分けて寝酒に飲んだが、コシヒカリを加えた越後ビールは辛口ですっきりしたのどごし、ピルスナーは苦みのきいたラガービール、エレガントブロンドは口当たりが柔らかくフルーティーな香りだった。
 
 瀬波ビューホテルは、部屋からも露天風呂からも食事処からも日本海を遠望できる。夕日は雲に隠れていたが、穏やかな海を眺め、のんびりする。自宅では毎日欠かさず近所をウオーキングしているが、同じような風景では気分転換が難しい。遠出し、新しい風景を歩くと「心」「身」が壮快になる、と実感する。
 夕食は、ポークの角煮もあったが、鮭麹漬けなどの前菜、岩船産スズキなどのお造り、鮭の朴葉焼き、白魚の鍋物、赤魚の煮付け、甘海老の蓋物と海の幸が続いた(写真)。
 酒は地元村上の酒蔵大洋酒造の紫雲をいただいた。端麗な味わいで、どの料理にもなじんだ。
 寝しなに波の音を聞きながら露天の湯につかり、気分壮快で休む。

 2日目朝、日本海はどんよりしていた。食後、浜辺を歩いているときパラッパラッと降ってきた。浜辺のウオーキングは止めてチェックアウトし、イヨボヤ会館に向かう(写真)。イヨボヤは村上の方言で鮭のことだそうだ。鮭会館よりイヨボヤ会館の方がインパクトがある。
 は川で生まれ、1~2歳のころ海に下り(=降海)、えさの豊かな海で1年ぐらい育ち、成長すると同じ川を上って(=遡上)産卵する習性(=母川回帰)がある。村上を流れる三面川でも鮭が降海、遡上していて、かつては鮭を都に献上していたこともあり、村上藩を支える重要な資源だったが、江戸時代の乱獲で漁獲量が枯渇寸前になってしまった。
 村上藩士青砥武平治(1713-1788)は、鮭の母川回帰の習性を知り、三面川から分流させた種川に蔦、柴の柵をつくり、鮭の遡上をここで止めて産卵させる方法を試した。人工的な鮭の産卵ふ化は成功を収め、藩の財政立て直しに大きく貢献したそうだ。

 イヨボヤ会館は種川に面して建てられていて、地下1階の全長50mに及ぶ生態観察室は種川を側面から観察できるようにガラス窓が設けられている(写真)。
 見学したときは小さな魚が泳いでいるのを見ることができたが、どれが鮭の稚魚かは分からなかったし、鮭が産卵床を掘る様子や、鮭が産卵する様子は見られなかった。
 1階の鮭のミニふ化場ではガラスケースの中で鮭の稚魚が泳いでいた。ほかにサケの仲間、村上歳時記、三面川のサケ漁が展示されている。2階には村上のサケ文化、村上の自然、人々のくらしなどの展示があり、3階の展望室からは三面川と分流された種川を眺めることができる。

 子どものころ、北海道産の塩引き鮭をよく食べた。以来、鮭は好物でよく食べる。今のマンショに移ってから、隣のショッピングセンターで見つけた切り身の冷凍村上名産塩引鮭を食べることが多くなった。その村上の鮭は、三面川から種川を分流させ鮭の人工ふ化を考案した青砥武平治の熱意で復活したのである。帰宅後、ショッピングセンターで購入した冷凍村上名産塩引鮭を食べるたび、イヨボヤ会館、鮭の人工ふ化を思い出す。これが旅の余録である
 ガイドブックには町なかの「千年鮭きっかわ」が紹介されているので、きっかわに向かうことにした。  (2022.3)

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