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「風炎の海」は江戸末、16ヶ月漂流し、イギリス船に助けられ、アメリカ沿岸~カムチャッカを経て帰国する冒険譚

2017年12月27日 | 斜読

book455 風炎の海 二宮隆雄 実業之日本社 1998  (斜読・日本の作家一覧)
 メキシコを舞台にした本を探して見つけたが、当時のスペイン領サンタ・バーバラ=現アメリカ合衆国カリフォルニア州が数ページ登場しただけで、メキシコの予習にはならなかった。しかし、主人公重吉の数奇な漂流記、冒険譚は、高田屋嘉兵衛を主人公とした司馬遼太郎著「菜の花の沖」に迫る読み甲斐があった。

 時代は、重吉が69才で息を引き取った翌1853年にペリー提督が来航する設定でなので、重吉の生年は1884年ごろ、没年が1852年になる。
 「第1章 漂流」では、29才の重吉は尾張国知多半島半田村出身で、督乗丸という名の千石船の船頭だったこと、千石船には12人の乗組員が乗っていたこと、三毛猫の雄が海の気象変化を嗅ぎ取ると珍重され重吉は大枚で買い取った雄の五郎丸と、宿の娘から五郎丸の嫁にともらったタマを船に乗せていること、などが紹介される。

 p10・・1813年10月17日、重吉は日和見をして、駿河灘の小浦を出航する。ところがとつぜん風が変わり、雨が降り出す。横波で船が傾き、乗組員の一人の要吉が海に落ち流されてしまう。伊良湖崎に近づいたがまた風が変わり、大波で舵が壊れたのでやむを得ず帆柱を切り倒すことになった。舵無し、帆柱なしのため伊豆七島にも近づけず、流され続ける。

 12月に水が底をついた。p42・・重吉は大釜で潮水を煮つめ蒸留水を集めるランビキ法で真水をつくり一難を乗り切る・・。正月に入り米も底をつき、大豆でしのぐが体力が落ち重吉をのぞき、みんな寝込んでしまう。
 7月に一人、続いて一人、また一人、ついに10人が息を引き取ってしまい、重吉と音吉、半兵衛衛の3人になる。
 9月に奇跡的に大雨が降り、鰹が続いて釣れ、3人は元気を取り戻す。五郎丸とタマは船内のネズミを喰って生き延び、その後フサが生まれる。2度目の正月を過ぎる。2月、ついに二本柱の異国船に救助される。海の描写は迫力がある。船員の心持ちや信心深さもていねいに描き出している。

 なんと著者は、日本選手権、世界選手権で名を馳せたヨットマンで、海を舞台にした本を何冊も書いていた。この本のここかしこに海の男の苦労、知識、知恵が盛り込まれている。

 「第2章 ピケット船長」で、重吉、音吉、半兵衛を救助したイギリスの交易船フォレスタ号はまずスペイン領サンタ・バーバラに上陸する。言葉の通じない重吉はここを長崎の出島と勘違いする。始めは身振り手振りで、やがて重吉は少しずつ英語を身につけ始める。
 次にフォレスタ号は舵の修理でロシア領ルキン=現カリフォルニア、コロンビア川河口のロングビューを経て、ロシア領アラスカのシトカに上陸する。この間、船長ピケットが、重吉の16ヶ月の漂流を生き抜いた精神力を気に入り、しかも船頭としての威厳を忘れず、英語と航海術を学びとろうとする前向きな生き方を高く評価し、重吉に対等に接する様子を描いている。
 あいまあいまに、世界進出を図ろうとするイギリス、フランス、ロシアの思惑も史実を踏まえて紹介されていく。3人は、ピケット船長たちと暮らすうち、イギリスの考え方、生き方の影響を受ける。そして半兵衛がクリスチャンになろうと意志を固める。重吉は、英語力を身につけ、先進航海術を会得していく。

 「第3章 カムチャッカ」では、フォレスタ号がカムチャッカ半島のペトロパウロフスクに入港すると、カムチャッカ長官代理のルダーコフが日本語で重吉たちに話しかけてきた。
 1811年、ロシア船艦ディアナ号が千島列島を測量していたため、幕府はゴローニン艦長を捕縛した。リコルド副艦長は翌1912年国後島沖で高田屋嘉兵衛(1769-1827)を拿捕し、ペトロパウロフスクに連行する。
 嘉兵英はロシア語を学び、ゴローニン解放に尽力をする。長官代理ルダーコフはこの本の副艦長リコルドのようだ・・発音表記の違いか?・・。
 ルダーコフは丁重に重吉たちをもてなすが、日本に向かう船がないためペトロパウロフスクで越冬することになった。そこへ漂流しロシア船に助けられた薩摩の喜三左衛門が到着し、いっしょに越冬することになった。
 フォレスタ号は交易のため広東に出航したが、ピケット船長はペトロパウロフスクに残った。やがて重吉は、ロシアは日本と友好的に交易をしたいので喜三左衛門のような日本の漂流者はロシア政府が面倒を見て日本に送り届けるが、重吉たちはイギリス船が助けたのでロシア政府の指示を仰ぐためにサンクトペテルブルクまで往復すると2年を要することになる、そこで内々で重吉たちを帰国させるためピケット船長が後見人として残ったこと、を知った。

 p161・・ピケットは重吉という勇気ある日本人船頭に強い友情を抱き、それが海の男への尊敬と変わり、・・シーマンシップを突き動かした・・、著者はこの本の一つの主張としてシーマンシップをあげている。海の男、ヨットマンならではであろう。
 p204・・哲学とは多面的に物事を考察し、さまざまな価値を認めたうえで、自分の信ずる道を確立すること・・哲学にかかわらない日本人は物事に無批判になり・・鎖国を誰も不思議と思わない・・。これも著者の主張で、鎖国による矛盾、退廃、反動を重吉を通して何度も語っている。
 半兵衛に続き重吉も改宗する。しかし、重吉は改宗を心の奥底にしまう決意をする。
「第4章 帰国」「第5章 尾張国」は重吉たちが日本で何度も厳しい詮議を受けた後、ふるさとに帰る展開である。それぞれまだまだ根の深い話が語られていくが、紙数が長くなったのであとは読んでのお楽しみに。

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