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「国銅 上下」斜め読み1/3

2023年11月01日 | 斜読
 book558 国銅 上下 箒木蓬生 新潮社 2003


 箒木蓬生氏(1947-)のこれまで読んだ本はどれも史実をもとに壮大な物語を構想していて、新たな知見と感慨を受ける。
 梓澤要氏著「阿修羅」を読み終えた(book557参照)。45代聖武天皇・光明皇后~46代孝謙天皇の政治に対し橘奈良麻呂が乱を起こす展開だが、聖武天皇が紫香楽宮(現在の滋賀県甲賀市)で盧舎那仏造顕の詔を出し、その後、聖武天皇は平城京に還都して盧舎那仏も現在の東大寺に移される話が挿入される。「阿修羅」を読んでいて、箒木蓬生氏が盧舎那仏造顕を主題にした「国銅」を書いているのを思い出した。「阿修羅」の次に「国銅」を読んだ。
 「国銅」は大仏造顕を担う人足の国人が主人公である。国人が、長門周防で銅を掘り出し精錬して棹銅にする苦役に従事していたが、大仏造顕の詔が出され、国人たち15人が都に行かされる。5年間、大仏造顕に汗水垂らし、大仏が完成する。年季明けで仲間が帰り、最後に国人たちが故郷に向かう。途中で仲間を失って国人一人が故郷にたどり着くが、心の支えになっていた僧侶景信、心の希望になっていた吹屋頭の娘・絹女はすでに亡くなっている展開だった。
 読み終えて国人が気の毒でしばらく気が抜けた。箒木氏は、大仏造顕が人々にとっていかに艱難辛苦な重圧だったかを訴えたかったのだろうが、心の支えになっていた景信、心の希望になっていた絹女が国人を出迎えるなどの明るい幕締めにして欲しかった・・幕引きは自分で書き換え、国人を幸せにすることにした・・。

 長編なので上下巻に分けられている。上巻は①奈良登りと呼ばれる銅の採掘・精錬所で主人公の国人が真面目に働き、前向きに学ぼうとする話、②国人たちが棹銅とともに舟で瀬戸内海を渡り都に向かう話、③国人が高さ15mの大仏作りに精を出しながらも歌や詩に興味を持ち、薬草にも力を入れる話の途中で上巻から下巻に移り、③大仏が完成し大仏開眼供養会を終える話、④国人たちが年季明けになって都から若狭に抜け長門に帰り着く話、に大きく分けられる。
 箒木氏の筆は淡々と国人を描いていく。淡々とした筆裁きが国人の素直さ、利発さ、前向きな生き方、人を思いやる気持ちを表していて、ダイナミックな動きはないが、国人は次にどうなる、次にどうすると国人に引きつけられた。


①国人が奈良登りで熟銅生産に精を出す一方、薬草を知り、字を習い、みんなから好かれ、吹屋頭の娘・絹女に出会う


 天平15年743年の暮れ、長門周防・榧葉山の銅採掘場に建つ奥行き2間、間口6間、地面を掘り柱を立てただけの茅葺き人足小屋で、国人が火床の見張りをするところから物語が始まる。火が消えれば寒さで凍え死んでしまうから、一晩中、交代で火床を見張らなければならない。
 国人の両親は3年前のはやり病ですでに亡く、姉の若売は嫁いでいて、国人は兄広国と銅採掘場の人足として働く。広国は無口だが仕事に熟練で、修行僧・景信から文字、薬草、仏の教えを学ぼうとし、国人には人足は一生人足、銅採掘場から出ろ、奈良登りにとどまるなと言う。
 採掘の穴は縦穴の本切りと横穴の斜切りがあり、どちらもたえず水が湧き出すので水替え人足が休みなく水をくみ出す。本切りの底に毒気がたまるので、風箱で風を送らねばならない・・朝から晩まで暗い穴の中で、命の危険と背中合わせに、璞石を取る作業は過酷である・・。
 国人は、榧葉山の中腹の斜め切りに入り、松明の薄明かりで鉄槌をふるって岩壁を砕き、砕いた石を背負子に入れ、運び出す。何十回も繰り返し、精も根も使い果たしたころ、労役終わりの号令がかかる。食事は、たにし雑炊、里芋、にら、沢蟹の醤漬けなど貧しく、朝夕2回だけで、あとは水を飲んでしのぐ。広国の助力で国人はつらい課役に耐えることができた。
 掘り出した石=璞石から釜屋で焼鉑を取り、吹屋で焼鉑から粗銅の含まれた鈹をとり、隣の真吹床で鈹から荒銅をとり、荒銅から真吹銅をとり、丸い形の棹銅にする。これまではこの銅で和同銭がつくられた。
 
 広国は本切りでの採掘の最中、相方が体調を崩したので採掘と運び出しを一人で引き受け、足を滑らせ梯子から落下して肋骨を折ってしまう。国人は榧葉山の修行僧・景信を訪ね、一両日は苦しまなくてすむ薬草をもらう。広国は国人に景信の弟子になりたかったと話し、息を引き取る。
 国人は、広国を採掘場で亡くなった人足たちの墓場に埋葬する。景信が読経を上げに来て、国人に「生者が死者を思い出す限り死者は生者に力を与える」、と話す。国人は、十日に一度の半日の骨休めのときは兄の墓参りをし、そのたび墓に石を積み重ねる。景信に、墓標の字を習う。
 国人は兄が働いていた本切りに移る。相方は、耳が聞こえず口がきけない黒虫で、二人は気があい、身振り手振りで話しあう。本切りは湧き水が多いが、璞石の質がよく銅の量も多い。
 国人が兄の墓参りに行くと、国人が石を積んだ26の塚に景信が墓標を立て替えていた。国人は景信から墓標の字の書き方を習い、次に天地玄黄、宇宙洪荒など千文字を習う。黒虫は黒光りする瓢箪に水を入れているので、国人はその瓢箪に黒虫と字を刻む。


 前後するが、頭領が聖武天皇の盧舎那仏造立の詔を読み上げる。「・・国銅を尽くして象を鎔し、大山を削りて堂を構え、広く法界に及ぼして、朕が知識と為す・・」。詔は天平15年743年に紫香楽宮で出され、甲賀寺で大仏の工事が始まるが、聖武天皇は天平17年745年平城京に還都し、盧舎那仏は現在の東大寺に移される。


 745年、国人は黒虫といっしょに釜屋に配置換えになる。釜屋では、小片に砕かれた璞石と薪を交互に積み重ね、ひと月燃やし続け、焼鉑をつくる。釜屋は炎熱地獄で、国人は水を飲み忘れ気を失う。
 国人は木簡に字を書いて覚えていたが、釜屋頭は痔病でいつも機嫌が悪く、人足には字は不要と木簡を焼いてしまう。景信は国人に、川流不息=学ぼうとする気持ちは川の流れで、誰も止められないと励まし、自分の利発さ、素直さ、人を思いやる気持ちを大切にしろと話す。
 国人は、景信から痔の薬になる臭木の葉の見分け方、薬の作り方を教わり、痔薬を釜屋頭の妻・嶋女に毎日届ける・・嶋女は国人の気づかいに喜び、釜屋頭も国人に一目置くようになる。
 国人は、釜屋頭の指示で焼鉑を吹屋頭に届ける。吹屋頭から木札の文字を聞かれ、周防国大島郷御調塩三斗と読み、吹屋頭を感心させる。


 天平18年746年正月、頭領が都で大仏造りが始まると話す。国人は、景信に銅で大仏を造る方法を聞く・・国人は向学心が強い・・。
 釜屋頭に蓬の痔薬に持っていき、嶋女から鯛醤をもらい、黒虫と分ける。嶋女と痔薬になる蓬、すい葛を摘みに行き、嶋女からウニの塩漬けをもらい、黒虫と分ける。国人は黒虫に何でも分け合う。
 746年6月、国人は黒虫と吹屋に移る・・国人の素直で、前向きな姿勢、黒虫を思いやる気持ちが見込まれたようだ・・。
 吹屋では、最初の鉑吹床で焼鉑と珪岩の粉、炭をいっしょにして真っ赤に溶かし、からみに水をかけてとれた薄い鈹を奥の真吹床に送る。吹床を勢いよく燃やすためたたらを踏んで風を送らねばならないが、たたらを踏む二人の番子の足の調子がが合わないと風が弱くなる。調子をつけるため「長門国の榧葉山・・・・たたらを踏んで風送りゃ・・・・いとしいお方も燃えて泣く・・・・」と唄が歌われる。
 12月に国人と黒虫は真吹床に移る。土間の壺状の穴の底にたたらから風が送られ、炭と鈹が溶け合い荒銅が出来る。もう一度隣の真吹床に移して炭といっしょに溶かし、熟銅にする。熟銅を丸い形にして棹銅が完成する。棹銅を荒縄で束ね、「熟銅三百斤奈良登り」と国人が木札に書く。
 銅は武蔵、河内、山城、播磨、因幡、筑前、周防でもとれるが、奈良登りの熟銅は流れがよく大仏の鋳込みに使われることになる。国人は、吹屋頭に送られた国司の書状を読む。「熟銅五十枚五百三十二斤の内、上品十五斤、中品三百二十三斤、下品百九十四斤、以後、上品熟銅進上すべし」=良質の熟銅に精進せよ。


 天平19年747年元日、人足に振る舞い酒が出る。国人は吹屋頭の家に呼ばれた。吹屋頭は秦氏の出で大きな屋敷に住んでいる。12・3歳の萌葱色の絹衣を着た娘・絹女に出会う。
 中庭で招待された20人ほどが酒盛りし、床上では頭領、吹屋頭、国司たちが酒盛りをしていた。国人は、吹屋頭から濁り酒をいただき、中庭で釜屋頭の妻・嶋女から糟湯酒を勧められる。珍しい料理も食べる。踊り、音楽が始まり、興に乗った吹屋頭と釜屋頭、国人ともう一人が竹竿を持ち、たたら吹きの唄を歌う「長門国の榧葉山・・たたらを踏んで風送りゃ・・いとしいお方も燃えて泣く・・」。5番を歌い終わった国人は即興で「・・たたら休んで酒飲めば・・好きなあの娘とみつめ合う」と歌う。何度も飲まされふらふらの国人に絹女が鮑を勧める。
 吹屋頭が秦の家に昔から伝わる掛け軸を国人に読ませる「・・ 魂よ 御前だけは帰ろう 郷里の住居に・・」、誉められまたも酒と肴を勧められ、ついに寝込んでしまう。目覚めた国人はよろけながら釜屋頭と嶋女に支えられ帰る。絹女は嶋女の家に泊まるので付いてきていて、絹女の姉が女の血の道の病気と話す。
 国人は景信を訪ね、血の道の病の薬草を聞く。川骨と益母草は夏なので、ふた月ほどで咲くすい葛の花を煮立て蜂蜜を混ぜて毎日飲むと効き目があると教わる。ふた月後、国人はすい葛の花を嶋女に届けに行くと、絹女が留守番していた。緊張しながら絹女にすい葛の花を渡し、飲み方を話す。後日、絹女が吹屋まで訪ねてきてお礼の蓬餅を届ける。


 前後するが、国人と黒虫が鉑吹床に移り、国人がたたらを踏んでいるとき、鉑吹床に居た黒虫が爆発した毒気を吸って息を引き取ってしまう。国人は大事な相棒を失い、落ち込む。景信が野辺送りの経を唱え、吹屋頭が墓標の丸太を削り、国人が黒虫の名を書く。国人は黒虫の瓢箪を形見にする。
 春になり、国人は頭領から都行きを告げられる。全部で15人、通常は3年任期だが長引くこともあるらしい。景信から「お前がお前の燈火、その明かりで足下を照らせ」と言われる。
 国人は小川で川骨を背負子いっぱいに採り、絹女に届ける。絹女はお守りに黄色い組紐を国人に渡す。
 続く (2023.11)
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