よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

東海道道草ウォーク№32「由比宿~蒲原(かんばら)宿」(静岡市清水区)

2018-02-13 05:46:43 | 「東海道(京~日本橋)道草ウオーキング」

由比宿交流館で一服し、再び街道歩きスタートです。懸念していた雨が本格的に降ってきました。

    

交流館の先には、紀州藩七里役所跡があります。七里役所は、江戸時代の初期、寛政年間 紀州 徳川頼宣は、江戸屋敷と領国の居城の間、百四十六里(584km)に沿って

七里間隔の宿場に、独自の連絡機関として二十三ヶ所に中継ぎ役所を設けた。静岡県内では、《沼津》《由比》《丸子》《金谷》《見付》《新居》に設けられ、この役所を『紀州お七里役所』と呼び

五人一組の飛脚を配置した。これには健脚にして剣道、弁舌、に優れた仲間が選ばれ、昇り竜、下り竜の模様の伊達半天を着て《七里飛脚》の看板を持ち腰に刀、十手を差し

御三家の威光を示しながら往来した。普通便は毎月三日、江戸は五の日、和歌山は十の日と出発し道中八日を要し、特急便は四日足らずで到着した。

幕末の古文書に中村久太夫役所、中村八太夫役所とあるのは、由比駅における紀州家お七里役跡のことである。この裏手に大正末期までお七里衆の長屋がありました。

  

   

蒲原駅まであと1km。ただ、蒲原宿の中心地は、蒲原駅の次のえき「新蒲原駅」です。

明治時代の宮内大臣であった田中光顕伯爵は、間宿の岩淵に古渓荘を建てた後、蒲原に新しい別荘「青山荘」を建てて移り住みこの地で95歳の生涯を閉じました。

2万坪の敷地には、邸宅、庭園の他、菜園、ミカン畑などもありました。 

  

蒲原(かんばら)宿に入ってきました。

蒲原宿は、東海道15番目の宿場。東海道開通当初は、海岸近くにあったようですが、水害により現在地に移りました。当時の町割りや見附、問屋場などの主要な施設の場所が

分かる宿場で古い家並みが残されています。家数509軒、(本陣1、脇本陣3軒、旅籠42軒)、人口2480人でした。

  

蒲原宿西木戸です。もともと宿場は、西木戸より南側の海岸近くにあったそうですが、元禄12年(1699)の大津波によって壊滅的な被害を受け、現在地に移りました。

この西木戸の近くに青木の茶屋(茄子屋)が」あり、「茄子屋の辻」で乱闘が起こりました。承応2年(1653)、高松藩の槍の名人、大久保甚太夫らが江戸へ行く途中、薩摩藩の大名行列と出会い、

槍の穂先が相手の槍と触れたことで口論になり茄子屋で薩摩藩の大名行列と乱闘が始まり、70人近くを倒しました。然し、最後に追っ手に見つかり殺されてしまいました。

当時の竜雲寺の住職が墓地に葬り供養しました。甚太夫の槍の穂先は、現在寺宝として保存されています。

    

蔀戸(しとみど)のある家志田家」・・・蔀戸は、日光や風雨などを遮る戸のことです。上下二枚に分かれていて上半分を長押から吊り、下半分は懸金で柱に打った寄せに止め、

全部開放するときは、下のものは、取り外せます。昼は上に吊り上げて目隠しに用い、夜は、下して戸締りの役を果たしていました。

志田家は、「ヤマロク」という屋号で味噌や醤油の醸造を営む商家でした。

旧五十嵐歯科医院」は、大正時代に町屋を洋風に改築した建物です。外観は洋風、内観は、和風で擬洋風建築と呼ばれていました。歯科医の五十嵐準氏は、大正3年(1914)に開業、

名医と言われ、元宮内大臣田中光顕伯爵も患者の一人でした。

 

   

手造りガラスと総欅の家磯部家」明治42年に建築された。当家は素材の美しさから近世以降寺院建築に多く用いられた欅を材とし、柱や梁から1枚板の戸袋に至るまでが欅造りです。

二階の窓ガラスは、波打つような面が美しい手造りガラスです。

  

本陣跡・佐藤家・・・・・・江戸中期までは蒲原には、東本陣多芸家と西本陣平岡家、2軒の本陣がありました。東本陣は、宝暦年間に絶えてしまい、西本陣は江戸末期まで務め、

明治11年京都に移っていきました。建物は、大正時代のもので大名が駕籠をおいたという平石が残っています。

旅籠和泉屋・お休み処・・・・・・天保年間(1830~1844)に建てられ、安政の2度の大地震(1855)の時も倒壊を免れた旅籠です。2階櫛形の手摺や看板掛け、腕木などに当時の

面影を残しています。現在はお休み処と鈴木家の2軒に分かれています。

  

広重の蒲原宿の浮世絵は、「夜の雪」です。広重が蒲原を通ったのは、真夏の頃と言われ、この絵の題材は、新潟の蒲原のイメージとダブらせた、などの説があります。

実際、この蒲原は、温暖な地でめったに雪が降らないそうです。

昭和35年の国際文通週間の記念切手に「夜の雪」が採用されたことを記念し碑が建てられました。

 

  

15:45雨も本降りです。今日はここまでとし、新蒲原駅に向かいました。

  

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿