よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

東海道道草ウオーキング№12(庄野宿~石薬師宿)三重県鈴鹿市

2016-07-02 16:48:57 | 「東海道(京~日本橋)道草ウオーキング」

庄野宿から石薬師寺宿までは、約3km。東海道の中でも2番目に短い宿場です。

加佐登駅から1号線に合流します。

  

信綱かるた道:これより1,8kmの間に信綱(佐佐木信綱)かるたの短歌五十首を掲示しています。

  

石薬師の一里塚にやってきました。石薬師の一里塚は,もと蒲川の西岸に位置し,かつては東海道の両側に榎が植えられていた。

記録によると,榎は伊勢湾台風で折れ,終戦後北側にその根元だけが残っていたという。

しかしその後消滅してしまったので,昭和52年に南側に榎の若木を植え,『史跡石薬師の一里塚跡』の碑を建てて保存が図られています。

  

石薬師宿に入ります。

 

 

歩いていると「蒲冠者範頼之社」の看板が目についたのでそちらの方に向かいます。

蒲冠者範頼之社は、御曹子社ともいわれ、源頼朝の弟、蒲冠者範頼を祀っています。武道・学問に秀でていた範頼にあやかって願望成就の神と言われています。

 

説明書を読んでいると、「蒲桜」というあまり聞きなれない桜がありました。伝説によれば、寿永(1182~84)の頃、蒲冠者範頼が平家追討の為、西へ向かう途中、

石薬師寺に戦勝を祈り、鞭にしていた桜の枝を地面に逆さに挿したのが、芽を出してこの桜になったと言われている。その為、俗に「逆桜」とも言われています。

  

宿場の名前にもなっている「石薬師寺」は、奈良時代の僧侶・泰澄が創建と伝わる古刹で、壮大な大伽藍を擁しています。然し、戦国時代の戦火によって焼失し、現在残る堂宇は、

寛永6年(1629)に神戸藩主・一柳監物直盛によって再建されました。また、本尊の薬師如来像は、弘法大師が一夜のうちに爪で彫り上げたという伝説が残されています。

 、 

広重の浮世絵には、この石薬師寺が描かれています。

「浄福寺」があります。この寺は、佐々木家の累代の菩提寺です。境内には、信綱の父、佐々木弘綱の記念碑があります。

  

  

石薬師宿は、唱歌 「夏は来ぬ」 の作詞で知られる「佐佐木信綱」(1872~1963)の生家です。

   卯の花の匂う垣根に ホトトギス早も来鳴きて  

一家が松坂へ移住する明治10年までの幼年期をこの家で過ごしました。

  

   

佐佐木信綱記念館の横には、タイムレコーダーで有名な「アマノ」を創業した天野修一(1890~1976)記念館があります。

  

石薬師宿は、江戸から数えて44番目の宿場です。四日市宿と亀山宿の間が長かったため、この地に宿場が作られました。天領であったこの地に宿駅が設置されたのは、

元和2年(1616)と遅く、それまでは、高富村と呼ばれていました。

弘化2年(1845)の石薬師宿軒別図から職業構成を見ると、人家約180軒のうち旅籠屋が約30軒、百姓は130軒で全戸数の約7割を占めており、農村的性格の強い宿場でした。

本陣は、小沢家、問屋場は、園田家が務めていました。宿帳には、赤穂城主浅野内匠頭の名もあるそうです。

  

石薬師宿の東側には、「北町地蔵堂」があります。

   

時間も5時近くなりました。今日は、ここまでにします。

帰りは、自由が丘バス停から宿泊地四日市まで戻りました。

  

 6/23関宿~石薬師宿までのGPS

 

 

 

 

 

 

 

 


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
お天気も回復ですね (ぼくちゃん 相棒)
2016-07-03 17:57:21
こんにちわ
関宿~石薬師宿までの東海道の道々の様子、
とても詳しくて楽しく読み終えました
始めて歩く道を色々なことを見ながら、記録しながら歩かれているのはいつもながら凄いなあと思います
でも、朝は雨模様が、回復されて良かったですよね 雨だと写真を撮るもの大変です
まだまだ先は長いですが、この先の東海道レポート楽しみにしています
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Unknown (kumasan)
2016-07-04 07:31:25
佐々木信綱記念館のレポートは有難く拝読しました。
鈴鹿を訪れるたびに佐々木信綱記念館を訪れたいと思うのですが、結局行けなくて今日に至っていましたので、よっくんさんのレポートはとてもうれしいです。家内がとても喜んでいます。
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ぼくちゃん&相棒さん (よっくん)
2016-07-06 04:05:23
コメント有難うございます。
長いブログになり申し訳ございません。
今歩いている三重県のことは、あまり知りませんでしたが、歩いているとなかなかいい所ですね。
ちょうど関東の文化と関西の文化が交わっている所で
お正月の餅も角餅と丸餅に分かれているそうです。
まだまだ先は長いですが、ゆっくり楽しんで歩こうと思っています。
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Kumasan (よっくん)
2016-07-06 04:16:06
コメント有難うございます。
佐佐木信綱さんの「夏は来ぬ」は、小学校でよく歌っていました。夏は来ぬの「ぬ」で夏は来ないのでは?とも思っていました。(笑)
このような古典的な表現の歌は、いいですね。
記念館、時間があれば訪ねたかったのですが、行ったときはもう遅く閉まっていました。
また、佐佐木信綱さんの横がタイムレコーダーの「アマノ」
創設者の家とは、驚きました。
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