万葉短歌-悠山人編

万葉短歌…万葉集全4516歌(長短)のうち、短歌をすべてJPG&TXTで紹介する。→日本初!

万葉短歌0816 梅の花0745

2012年12月15日 | 万葉短歌

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万葉短歌0816 梅の花0745

梅の花 今咲けるごと 散り過ぎず
我が家の園に ありこせぬかも  小野大夫

0745     万葉短歌0816 ShuC087 2012-1215-man0816

うめのはな いまさけるごと ちりすぎず
  わがへのそのに ありこせぬかも
小野大夫(をのの まへつきみ)=原文では「小弐小野大夫」、読下しでは「少弐 小野大夫」。「少弐 大弐補佐役で、大弐とともに大宰府次官。定員二名。官位令では従五位下相当官。」 小野老。第328歌参照。
【編者注】「梅花歌卅二 并序」の第二首。
【訓注】[真名仮名全対応]梅(うめ=烏梅)。花(はな=波奈)。今(いま=伊麻)。咲ける(さける=佐家留)。散り(ちり=知利)。我が家(わがへ=和我覇)。園(その=曽能)。


万葉短歌0815 正月立ち0744

2012年12月14日 | 万葉短歌

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万葉短歌0815 正月立ち0744

正月立ち 春の来らば かくしこそ
梅を招きつつ 楽しき終へめ  紀卿

0744     万葉短歌0815 ShuC087 2012-1214-man0815

むつきたち はるのきたらば かくしこそ
  うめををきつつ たのしきをへめ
紀卿(きの まへつきみ)=原文では脚注形式で「大弐紀卿」、読下しでは「大弐 紀卿」。以下、この歌群では同じ。「大弐 大宰府次官。官位令では正五位上相当官。当時従四位下相当だったらしい。」「未詳。この頃従四位下であった紀朝臣男人[きの あそみ をひと]であったらしい。…天平元年二月に大宰大弐多治比真人県守が参議になっているので、そのあとを受けて大弐に任ぜられたものと思われる。」
【編者注】この歌の前に、以下第846歌までの序文(唐詩ふう)がつく。題詞は「梅花歌卅二 并序」。有名な天平二年正月十三日大宰帥大伴旅人宅梅花宴の、大歌群の始まりである。
【訓注】[真名仮名全対応]正月(むつき=武都紀)。春(はる=波流)。梅(うめ=烏梅)。招き(をき=乎岐)。楽しき(たのしき=多努之岐)。


万葉短歌0814 天地の0743

2012年12月13日 | 万葉短歌

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万葉短歌0814 天地の0743

天地の ともに久しく 言ひ継げと
この奇し御魂 敷かしけらしも  山上憶良

0743     万葉短歌0814 ShuC075 2012-1213-man0814

あめつちの ともにひさしく いひつげと
  このくしみたま しかしけらしも
山上憶良(やまのうへの おくら)=原文に作者名はない。ここでは依拠本注推定に拠る。第799歌左注参照。併せて第34歌、第63歌参照。
【編者注】長歌(第813歌)に続く短歌(反歌との記述はない)。長歌の序文は、建部牛麻呂(たけべの うしまろ)が伝承する(左注)、筑前国の深江海岸二石伝説の由来である。
【依拠本注】この歌には、作者の記載がない。ただし、『万葉集』の目録には、題詞の形で、「山上臣憶良、鎮懐石を詠む歌一首并せて短歌」と記している。…この歌群は、作風・表記などから見て憶良の作と考えてよい。
【訓注】[真名仮名全対応]天地の(あめつちの=阿米都知能)。久しく(ひさしく=比佐斯久)。御魂(みたま=美多麻)。


万葉短歌0812 言とはぬ0742

2012年12月12日 | 万葉短歌

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万葉短歌0812 言とはぬ0742

言とはぬ 木にもありとも 我が背子が
手馴れの御琴 地に置かめやも  藤原房前

0742     万葉短歌0812 ShuC072 2012-1212-man0812

こととはぬ きにもありとも わがせこが
  たなれのみこと つちにおかめやも
藤原房前(ふぢはらの ふささき)=題詞・序文末尾には「房前」。旅人連作の贈り相手の中衛高明閤下(ちゅうゑい かうめい かふか)。「不比等の第二子。北家の祖。時に、参議、正三位、四十九歳。天平九年四月没。<中衛>は中衛府で、のちの右近衛府。神亀五年(728)に創設。<高明>は人の徳をほめる尊称。<閤下>は<閣下>に同じ。高位の人に用いる敬称。」
【編者注】旅人の「謹状」への房前の「謹状」(返書)。
【訓注】[真名仮名全対応]言(こと=許等)。木(き=紀)。我が(わが=和何)。背子(せこ=世古)。手馴れ(たなれ=多那礼)。御琴(みこと=美巨騰)。地(つち=都地)。


万葉短歌0811 言とはぬ0741

2012年12月11日 | 万葉短歌

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万葉短歌0811 言とはぬ0741

言とはぬ 木にはありとも うるはしき
君が手馴れの 琴にしあるべし  大伴旅人

0741     万葉短歌0811 ShuC066 2012-1211-man0811

こととはぬ きにはありとも うるはしき
  きみがたなれの ことにしあるべし
大伴旅人(おほともの たびと)=謹状(序文)原文では「大伴淡等」(たびと)。第316歌参照。
【編者注】題詞原文に「僕報詩詠曰」。第810歌参照。この連作は「大伴淡等 謹状」で始まり、「謹通 中衛高明閤下」で終わるが、贈り相手の中衛高明については第812歌参照。
【訓注】[真名仮名全対応]言(こと=許等)。木(き=樹)。うるはしき(宇流波之吉)。君(きみ=伎美)。手馴れ(たなれ=手奈礼)。琴(こと=許等)。中衛高明閤下(ちゅうゑい かうめい かふか)。


万葉短歌0810 いかにあらむ0740

2012年12月10日 | 万葉短歌

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万葉短歌0810 いかにあらむ0740

いかにあらむ 日の時にかも 声知らむ
人の膝の上 我が枕かむ  大伴旅人

0740     万葉短歌0810 ShuC066 2012-1210-man0810

いかにあらむ ひのときにかも こえ知らむ
  ひとのひざのへ わがまくらかむ
大伴旅人(おほともの たびと)=謹状(序文)原文では「大伴淡等」(たびと)。第316歌参照。
【編者注】「大伴淡等 謹状」で始まる序文は漢文。形式的には、「琴娘子(ことをとめ)」の詩詠(0810)に「僕(われ=旅人)」が報(こた)える、という歌群。
【訓注】[真名仮名全対応]いかにあらむ(伊可尓安良武)。日(ひ)。時(とき=等伎)。声(こえ=許恵)。人(ひと=比等)。膝(ひざ=比射)。我が(わが=和我)。枕(まくら=麻久良)。


万葉短歌0809 直に逢はず0739

2012年12月09日 | 万葉短歌

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万葉短歌0809 直に逢はず0739

直に逢はず あらくも多く 敷栲の
枕去らずて 夢にし見えむ  丹生女王

0739     万葉短歌0809 ShuC064 2012-1209-man0809

ただにあはず あらくもおほく しきたへの
  まくらさらずて いめにしみえむ 
丹生女王(にふの おほきみ)=第421歌、第553歌、第808歌参照。
【編者注】「答歌二首」の第二首。
【訓注】[真名仮名全対応]直に(ただに=多陁尓)。あらく(阿良久)。多く(おほく=於保久)。敷栲(しきたへ=志岐多閇)。枕(まくら=麻久良)。夢(いめ=伊米)。見えむ(みえむ=美延牟)。


万葉短歌0808 竜の馬を0738

2012年12月08日 | 万葉短歌

万葉短歌0808 竜の馬を0738

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万葉短歌0808 竜の馬を0738

竜の馬を 我れは求めむ あをによし
奈良の都に 来む人のたに  丹生女王

0738     万葉短歌0808 ShuC064 2012-1208-man0808

たつのまを あれはもとめむ あをによし
  ならのみやこに こむひとのたに 
丹生女王(にふの おほきみ)=以下二首は題詞だけで、作者名を記さない。ここでは、依拠本注推定による。第421歌、第553歌参照。
【編者注】題詞原文は「答歌二首」。その第一首。
【依拠本注】[0806~0807について]この序文と歌とは、大宰帥大伴旅人が都のさる女性に送ったものと思われる。事実、このすぐあとに、女性の呼吸を持つ返歌二首が登録されている(808~9)。しかし、その女性の名は不明。旅人には女性の知友丹生女王(にふの おほきみ)がおり、女王が大宰帥旅人に送った歌が巻四にあった(553~4)。この丹生女王でないかと見る説がある(…)。妥当な見解であろう。
【訓注】[真名仮名全対応]竜の馬(たつのま=多都乃麻)。我れ(あれ=阿礼)。あをによし(阿遠尓与志)。奈良の都(ならのみやこ=奈良乃美夜古)。たに(多仁)。


万葉短歌0807 うつつには0737

2012年12月07日 | 万葉短歌

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万葉短歌0807 うつつには0737

うつつには 逢ふよしもなし ぬばたまの
夜の夢にを 継ぎて見えこそ  大伴旅人

0737     万葉短歌0807 ShuC061 2012-1207-man0807

うつつには あふよしもなし ぬばたまの
  よるのいめにを つぎてみえこそ 
大伴旅人(おほともの たびと)=題詞脚注原文では、「大宰帥大伴卿」。第316歌参照。
【編者注】「歌詞両首」の第二首。
【訓注】[真名仮名全対応]うつつ(宇豆都)。逢ふ(あふ=安布)。ぬばたまの(奴婆多麻能)。夜(よる=用流)。夢(いめ=伊昧)。


万葉短歌0806 竜の馬も0736

2012年12月06日 | 万葉短歌

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万葉短歌0806 竜の馬も0736

竜の馬も 今も得てしか あをによし
奈良の都に 行きて来むため  大伴旅人

0736     万葉短歌0806 ShuC061 2012-1206-man0806

たつのまも いまもえてしか あをによし
  ならのみやこに ゆきてこむため 
大伴旅人(おほともの たびと)=題詞脚注原文では、「大宰帥大伴卿」。第316歌参照。
【編者注】題詞原文は「歌詞両首」。その第一首。「歌詞」表記は、題詞の前の序文が漢文のため。
【訓注】[真名仮名全対応]竜(たつ=多都)。馬(ま)。あをによし(阿遠尓与志)。奈良の都(奈良乃美夜古)。


万葉短歌0805 常磐なす0735

2012年12月05日 | 万葉短歌

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万葉短歌0805 常磐なす0735

常磐なす かくしもがもと 思へども
世の事理なれば 留みかねつも  山上憶良

0735     万葉短歌0805 ShuC052 2012-1205-man0805

ときはなす かくしもがもと おもへども
  よのことなれば とどみかねつも
山上憶良(やまのうへの おくら)=左注は「筑前国守山上憶良」。第34歌、第63歌参照。
【編者注】第804歌(長歌「哀世間難住歌一首并序」)への反歌。長歌と合わせて、世間は常住すべくもなく、老いて嫌われるのは哀しい、と詠う。左注に「於嘉摩郡撰定」とあるところから、以上の長短三群は嘉摩三部作と呼ばれる。
【訓注】[真名仮名全対応]常磐(ときは=等伎波)。かくしもがも(加久斯母何母)。世の事理(よのこと=余能許等)。


万葉短歌0803 銀も0734

2012年12月04日 | 万葉短歌

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万葉短歌0803 銀も0734

銀も 金も玉も 何せむに
まされる宝 子にしかめやも  山上憶良

0734     万葉短歌0803 ShuC046 2012-1204-man0803

しろがねも くがねもたまも なにせむに
  まされるたから こにしかめやも
山上憶良(やまのうへの おくら)=第34歌、第63歌参照。
【編者注】第802歌(長歌「思子等一首并序」)への反歌。長歌の「序」は43字と長く、長歌と合わせて、釈迦の煩悩の教えは分かっているが親が子を思う気持ちは何ものにも代え難く尊い、という。有名な長短歌。
【依拠本注】続く反歌は、各句の続き具合に諸説があって、難解。『古典大系』に説くところを最も穏当と見てその意を通すと、
  銀も金も玉も、どうして、何よりもすぐれた宝である子に及ぼうか。及びはしないのだ。
ということになる。こうして、この歌一首だけを取り出すと、子ほどよいものはないという、それだけの歌のように見える。しかし、これは、序文を経、長歌を経てきた、一群の結びであり、序文や長歌と切り離して味わうべき作でないことを知る必要がある。
 この反歌に述べるところは逆説だと思う。子への我執を煩悩と知る心が深いだけに、憶良は、逆に、子の何物よりも尊いことを絶叫して全体を結んだのだと思う。ここには、大声を張りあげることで、心にひそむ罪意識を追い払おうとするような姿勢がある。そしてそれだけに、子どもに対する、憶良の深い愛情が伝わってくる。そういう意味では、一首を、子への無類の愛情を述べた歌と見る一般の解釈にまちがいはない。ただ、あくまで知っておくべきは、汎愛と愛執との相克の重く深い過程を経、愛の苦しみを土台とした上で、一首がなりたっているという、一事である。
【原文】銀母 金母玉母 奈尓世武尓 麻佐礼留多可良 古尓斯迦米夜母
【長歌(08020)】瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲(しぬ)はゆ いづくより 来りしものぞ まなかひに もとなかかりて 安寐(やすい)し寝(な)さぬ


万葉短歌0801 ひさかたの0733

2012年12月03日 | 万葉短歌

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万葉短歌0801 ひさかたの0733

ひさかたの 天道は遠し なほなほに
家に帰りて 業を為まさに  山上憶良

0733     万葉短歌0801 ShuC040 2012-1203-man0801

ひさかたの あまぢはとほし なほなほに
  いへにかへりて なりをしまさに
山上憶良(やまのうへの おくら)=第34歌、第63歌参照。
【編者注】第800歌(長歌「令反惑情歌一首并序」)への反歌。長歌の「序」は75字と長く、国守の立場から反社会的領民(「倍俗先生」)を戒める内容となっている。
【訓注】[真名仮名全対応]ひさかたの(比佐迦多能)。なほなほ(奈保々々)。家(いへ=伊弊)。業(なり=奈利)。為(し=斯)。


万葉短歌0799 大野山0732

2012年12月02日 | 万葉短歌

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万葉短歌0799 大野山0732

大野山 霧立ちわたる 我が嘆く
おきその風に 霧立ちわたる  山上憶良

0732     万葉短歌0799 ShuC032 2012-1202-man0799

おほのやま きりたちわたる わがなげく
  おきそのかぜに きりたちわたる
山上憶良(やまのうへの おくら)=第799歌左注参照。併せて第34歌、第63歌参照。
【編者注】第794歌(長歌「日本挽歌一首」)への反歌五首の第五首。連作は、大伴旅人亡妻追善供養のさい、旅人にささげた歌。
【訓注】[真名仮名全対応]霧(きり=紀利)。我が(わが=和何)。おきそ(於伎蘇)[=息嘯]。風(かぜ=可是)。
【左注】長短合わせて六首連作の最後にある。憶良の長歌も、長歌題詞の「日本挽歌一首」の表現も、長短合わせて一首の数え方も、反歌五首の多さも、中国挽歌に対する日本挽歌(だから真名仮名の一字ごと対応)も、万葉集初出である。左注は、神亀五年(728)七月二十一日に筑前国守(つくしのみちのくちの くにつかみ)山上憶良が上(たてまつ)る、とする。
【編者注-筑前、筑後】依拠本は「筑前」を、第568歌では「ちくぜん」としたが、この第799歌以後では「つくしのみちのくち)と読む(以下、830、839、845まで確認)。「筑後」は第820歌で、「つくしのみちのしり」と読む。岩波書店版、小学館版の各全集では、いずれも音読みである。


万葉短歌0798 妹が見し0731

2012年12月01日 | 万葉短歌

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万葉短歌0798 妹が見し0731

妹が見し 楝の花は 散りぬべし
我が泣く涙 いまだ干なくに  山上憶良

0731     万葉短歌0798 ShuC032 2012-1201-man0798

いもがみし あふちのはなは ちりぬべし
  わがなくなみだ いまだひなくに
山上憶良(やまのうへの おくら)=第799歌左注参照。併せて第34歌、第63歌参照。
【編者注】第794歌(長歌「日本挽歌一首」)への反歌五首の第四首。
【訓注】[真名仮名全対応]妹(いも=伊毛)。楝(あふち=阿布知)。花(はな=波那)。我が泣く涙(わがなくなみだ=和何那久那美多)。