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2010-1101-man0000
万葉短歌0000 開肇献詠
訪ぬれば いづれか見ゆる ことなれば
さまよひ入らむ よろづ葉の森 悠山人
0000 万葉短歌0000 ShuA000 2010-1101-man0000
□たづぬれば いづれかみゆる ことなれば
さまよひいらむ よろづはのもり
○悠山人(ゆうさんじん)。
=万葉短歌 開肇献詠=
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2015-0330-man1681
万葉短歌1681 後れ居て1540
後れ居て 我が恋ひ居れば 白雲の
たなびく山を 今日か越ゆらむ 後人
1540 万葉短歌1681 ShuE058 2015-0330-man1681
□おくれゐて あがこひをれば しらくもの
たなびくやまを けふかこゆらむ
○後人(のちのひと)=未詳。前歌参照。
【編者注】「後人歌二首」(1680~1681)の第2首。「雑歌(09-1664~1765 一〇二首)」の第18首。
【訓注】我が恋ひ居れば(あがこひをれば=吾恋居者)。たなびく山(たなびくやま=棚引山)。越ゆらむ(こゆらむ=越濫)。
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2015-0329-man1680
万葉短歌1680 朝もよし1539
朝もよし 紀伊へ行く君が 真土山
越ゆらむ今日ぞ 雨な降りそね 後人
1539 万葉短歌1680 ShuE058 2015-0329-man1680
□あさもよし きへゆくきみが まつちやま
越ゆらむけふぞ あまなふりそね
○後人(のちのひと)=未詳。(依拠本読み、「こうじん」。)「旅に出ずにあとに残っている人。待つ妻をいう。」依拠本の読み下し、04-0520歌では「のちのひと」。編者、05-0872歌では「○」。
【編者注】題詞は、「後人歌二首」(1680~1681)、その第1首。「雑歌(09-1664~1765 一〇二首)」の第17首。
【訓注】紀伊(き=木)。真土山(まつちやま=信土山)[奈良県五條市と和歌山県橋本市の境。吉野川(紀ノ川)北岸]。
2015-0328-man1679
万葉短歌1679 紀伊の国に1538
紀伊の国に やまず通はむ 妻の社
妻寄しこせに 妻といひながら ○
1538 万葉短歌1679 ShuE050 2015-0328-man1679
□きのくにに やまずかよはむ つまのもり
つまよしこせに つまといひながら
○=未詳。
【編者注】「大宝元年辛丑冬十月太上天皇大行天皇幸紀伊国時歌十三首」(1667~1679)の第13首。「雑歌(09-1664~1765 一〇二首)」の第16首。「雑歌(09-1664~1765 一〇二首)」の第16首。脚注読下しに、「一には<妻賜(たま)はにも 妻といひながら>といふ」と。左注読下しに、「右の一首は、或いは<坂上忌寸(さかのうへのいみき)人長(ひとをさ)が作>といふ。」と。
【訓注】紀伊の国(きのくに=城国)。通はむ(かよはむ=将徃来)。妻の社(つまのもり=妻社)[和歌山県橋本市妻の森神社]。言ひながら(いひながら=言長柄)。
2015-0327-man1678
万葉短歌1678 紀伊の国の1537
紀伊の国の 昔弓雄の 鳴り矢持ち
鹿猪取り靡べし 坂の上にぞある ○
1537 万葉短歌1678 ShuE050 2015-0327-man1678
□きのくにの むかしゆみをの なりやもち
ししとりなべし さかのうへにぞある
○=未詳。
【編者注】「大宝元年辛丑冬十月太上天皇大行天皇幸紀伊国時歌十三首」(1667~1679)の第12首。「雑歌(09-1664~1765 一〇二首)」の第15首。
【訓注】紀伊の国(きのくに=木国)[和歌山県]。弓雄(ゆみを)。鳴り矢(なりや=響矢)。鹿猪(しし=鹿)。取り靡べし(とりなべし=取靡)。
2015-0326-man1677
万葉短歌1677 大和には1536
大和には 聞こえも行くか 大我野の
竹葉刈り敷き 廬りせりとは ○
1536 万葉短歌1677 ShuE050 2015-0326-man1677
□やまとには きこえもゆくか おほがのの
たかはかりしき いほりせりとは
○=未詳。
【編者注】「大宝元年辛丑冬十月太上天皇大行天皇幸紀伊国時歌十三首」(1667~1679)の第11首。「雑歌(09-1664~1765 一〇二首)」の第14首。
【訓注】大和(やまと=山跡)。大我野(おほがの)[和歌山県橋本市西辺か]。竹葉(たかは)。
2015-0325-man1676
万葉短歌1676 背の山に1535
背の山に 黄葉常敷く 神岳の
山の黄葉は 今日か散るらむ ○
1535 万葉短歌1676 ShuE050 2015-0325-man1676
□せのやまに もみちつねしく かみをかの
やまのもみちは けふかちるらむ
○=未詳。
【編者注】「大宝元年辛丑冬十月太上天皇大行天皇幸紀伊国時歌十三首」(1667~1679)の第10首。「雑歌(09-1664~1765 一〇二首)」の第13首。
【訓注】背の山(せのやま=勢能山)[和歌山県伊都郡かつらぎ町、紀ノ川右岸。対岸に妹山]。黄葉(もみち[2か所])。神岳(かみをか)[明日香村ミハ山か]。
2015-0324-man1675
万葉短歌1675 藤白の1534
藤白の 御坂を越ゆと 白栲の
我が衣手は 濡れにけるかも ○
1534 万葉短歌1675 ShuE050 2015-0324-man1675
□ふじしろの みさかをこゆと しろたへの
わがころもでは ぬれにけるかも
○=未詳。
【編者注】「大宝元年辛丑冬十月太上天皇大行天皇幸紀伊国時歌十三首」(1667~1679)の第9首。「雑歌(09-1664~1765 一〇二首)」の第12首。
【訓注】藤白(ふぢしろ)[和歌山県海南市下津町、下記注参照]。白栲(しろたへ)。我が衣手(わがころもで=我衣手)。
【編者注-藤白峠】JR紀勢線海南駅から宮原駅への間道(熊野古道紀伊路)で、前半に藤白峠、後半に拝の峠(はいのと、-とうげ)と、急坂が続く。青年有間皇子が皇位継承に巻き込まれ謀反罪で殺されて、藤白入り口辺りに有間神社がある。
2015-0323-man1674
万葉短歌1674 我が背子が1533
我が背子が 使来むかと 出立の
この松原を 今日か過ぎなむ ○
1533 万葉短歌1674 ShuE037 2015-0323-man1674
□わがせこが つかひこむかと いでたちの
このまつばらを けふかすぎなむ
○=未詳。
【編者注】「大宝元年辛丑冬十月太上天皇大行天皇幸紀伊国時歌十三首」(1667~1679)の第8首。「雑歌(09-1664~1765 一〇二首)」の第11首。
【訓注】我が背子が(わがせこが=我背児我)。今日か過ぎなむ(けふかすぎなむ=今日香過南)。
2015-0322-man1673
万葉短歌1673 風莫の1532
風莫の 浜の白波 いたづらに
ここに寄せ来る 見る人なしに ○
1532 万葉短歌1673 ShuE037 2015-0322-man1673
□かざなしの はまのしらなみ いたづらに
ここによせくる みるひとなしに
○=未詳。
【編者注】「大宝元年辛丑冬十月太上天皇大行天皇幸紀伊国時歌十三首」(1667~1679)の第7首。「雑歌(09-1664~1765 一〇二首)」の第10首。脚注読下しに、「一には<ここに寄せ来(く)も>といふ」と。左注には、右の一首は、山上憶良の類聚(るいじう)歌林には、長忌寸意吉麻呂(01-0057歌参照)が詔に応えてこの歌を作ったという、と。
【訓注】風莫(かざなし)。白波(しらなみ=白浪)。いたづらに(徒)。ここに寄せ来る(ここによせくる=於斯依久流)。
2015-0321-man1672
万葉短歌1672 黒牛潟1531
黒牛潟 潮干の浦を 紅の
玉裳裾引き 行くは誰が妻 ○
1531 万葉短歌1672 ShuE037 2015-0321-man1672
□くろうしがた しほひのうらを くれなゐの
たまもすそひき ゆくはたがつま
○=未詳。
【編者注】「大宝元年辛丑冬十月太上天皇大行天皇幸紀伊国時歌十三首」(1667~1679)の第6首。「雑歌(09-1664~1765 一〇二首)」の第9首。
【訓注】黒牛潟(くろうしがた=黒牛方)[和歌山県海南市黒江、海南湾(黒江湾)。07-1218(黒牛乃海)、09-1799(玉津島)、-1798(古家丹)]。玉裳裾(たまもすそ=玉裙須蘇) [玉の(美称)裳裾]。
2015-0320-man1671
万葉短歌1671 由良の崎1530
由良の崎 潮干にけらし 白神の
磯の浦みを あへて漕ぐなり ○
1530 万葉短歌1671 ShuE037 2015-0320-man1671
□ゆらのさき しほひにけらし しらかみの
いそのうらみを あへてこぐなり
○=未詳。
【編者注】「大宝元年辛丑冬十月太上天皇大行天皇幸紀伊国時歌十三首」(1667~1679)の第5首。「雑歌(09-1664~1765 一〇二首)」の第8首。
【訓注】由良の崎(ゆらのさき=湯羅乃前)[09-1668歌参照]。潮干(しほひ=塩乾)。白神(しらかみ)[所在不詳]。浦み(うらみ=浦箕)[回(み)る]。
2015-0319-man1670
万葉短歌1670 朝開き1529
朝開き 漕ぎ出て我れは 由良の崎
釣りする海人を 見て帰り来む ○
1529 万葉短歌1670 ShuE037 2015-0319-man1670
□あさびらき こぎでてわれは ゆらのさき
つりするあまを みてかへりこむ
○=未詳。
【編者注】「大宝元年辛丑冬十月太上天皇大行天皇幸紀伊国時歌十三首」(1667~1679)の第4首。「雑歌(09-1664~1765 一〇二首)」の第7首。
【訓注】朝開き(あさびらき=朝開)。漕ぎ出て我れは(こぎでてわれは=滂出而我者)。由良の崎(ゆらのさき=湯羅前)[09-1668歌参照]。
万葉短歌1669 南部の浦1528
2015-0318-man1669
万葉短歌1669 南部の浦1528
南部の浦 潮な満ちそね 鹿島にある
釣りする海人を 見て帰り来む ○
1528 万葉短歌1669 ShuE036 2015-0318-man1669
□みなべのうら しほなみちそね かしまにある
つりするあまを みてかへりこむ
○=未詳。
【編者注】「大宝元年辛丑冬十月太上天皇大行天皇幸紀伊国時歌十三首」(1667~1679)の第3首。「雑歌(09-1664~1765 一〇二首)」の第6首。
【訓注】南部の浦(みなべのうら=三名部乃浦)[和歌山県日高郡みなべ町南部湾]。潮(しほ=塩)。鹿島(かしま)[南部湾内に双子のように並ぶ無人島]。海人(あま)。
2015-0317-man1668
万葉短歌1668 白崎は1527
白崎は 幸くあり待て 大船に
真楫しじ貫き また帰り見む ○
1527 万葉短歌1668 ShuE036 2015-0317-man1668
□しらさきは さきくありて おほぶねに
まかぢしじぬき またかへりみむ
○=未詳。
【編者注】「大宝元年辛丑冬十月太上天皇大行天皇幸紀伊国時歌十三首」(1667~1679)の第2首。「雑歌(09-1664~1765 一〇二首)」の第5首。
【訓注】白崎(しらさき=白埼)[和歌山県日高郡由良町の石灰岩岬。下記注]。大船(おほぶね)。真楫(まかぢ=真梶)。しじ貫き(しじぬき=繁貫)。また帰り見む(またかへりみむ=又将顧)。
【編者注-由良町】岬・港を歌った作品は、07-1220(為妹)、09-1668(白埼者)、-1670(朝開)、-1671(湯羅乃前)。