万葉短歌-悠山人編

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万葉短歌0803 銀も0734

2012年12月04日 | 万葉短歌

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万葉短歌0803 銀も0734

銀も 金も玉も 何せむに
まされる宝 子にしかめやも  山上憶良

0734     万葉短歌0803 ShuC046 2012-1204-man0803

しろがねも くがねもたまも なにせむに
  まされるたから こにしかめやも
山上憶良(やまのうへの おくら)=第34歌、第63歌参照。
【編者注】第802歌(長歌「思子等一首并序」)への反歌。長歌の「序」は43字と長く、長歌と合わせて、釈迦の煩悩の教えは分かっているが親が子を思う気持ちは何ものにも代え難く尊い、という。有名な長短歌。
【依拠本注】続く反歌は、各句の続き具合に諸説があって、難解。『古典大系』に説くところを最も穏当と見てその意を通すと、
  銀も金も玉も、どうして、何よりもすぐれた宝である子に及ぼうか。及びはしないのだ。
ということになる。こうして、この歌一首だけを取り出すと、子ほどよいものはないという、それだけの歌のように見える。しかし、これは、序文を経、長歌を経てきた、一群の結びであり、序文や長歌と切り離して味わうべき作でないことを知る必要がある。
 この反歌に述べるところは逆説だと思う。子への我執を煩悩と知る心が深いだけに、憶良は、逆に、子の何物よりも尊いことを絶叫して全体を結んだのだと思う。ここには、大声を張りあげることで、心にひそむ罪意識を追い払おうとするような姿勢がある。そしてそれだけに、子どもに対する、憶良の深い愛情が伝わってくる。そういう意味では、一首を、子への無類の愛情を述べた歌と見る一般の解釈にまちがいはない。ただ、あくまで知っておくべきは、汎愛と愛執との相克の重く深い過程を経、愛の苦しみを土台とした上で、一首がなりたっているという、一事である。
【原文】銀母 金母玉母 奈尓世武尓 麻佐礼留多可良 古尓斯迦米夜母
【長歌(08020)】瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲(しぬ)はゆ いづくより 来りしものぞ まなかひに もとなかかりて 安寐(やすい)し寝(な)さぬ