万葉短歌-悠山人編

万葉短歌…万葉集全4516歌(長短)のうち、短歌をすべてJPG&TXTで紹介する。→日本初!

万葉短歌0432 我れも見つ0380

2011年11月30日 | 万葉短歌

2011-1130-man0432
万葉短歌0432 我れも見つ0380

我れも見つ 人にも告げむ 勝鹿の
真間の手児名が 奥つ城ところ  山部赤人

0380     万葉短歌0432 ShuB298 2011-1130-man0432

□われもみつ ひとにもつげむ かつしかの
 ままのてごなが おくつきところ 
○山部赤人(やまべの あかひと)=第431歌原文題詞には「山部宿祢赤人」。第318歌参照。
【編者注】第431歌(長歌)への反歌二首の第一首。長歌題詞の原文は、「過勝鹿娘子墓時山部宿祢赤人作歌一首」。
【編者注-勝鹿娘子(かつしかの をとめ)】下総国葛飾郡(しもふさのくに かつしかのこほり)の、ここでは現市川市真間の辺りにいた娘子。手児名とも。また題詞脚注によると、東(あづま)の俗語(くにひとのことば)では勝鹿を「かづしか」という、と。


この記事をはてなブックマークに追加

万葉短歌0430 八雲さす0379

2011年11月29日 | 万葉短歌

2011-1129-man0430
万葉短歌0430 八雲さす0379

八雲さす 出雲の子らが 黒髪は
吉野の川の 沖になづさふ  柿本人麻呂

0379     万葉短歌0430 ShuB295 2011-1129-man0430

□やくもさす いづものこらが くろかみは
 よしののかはの おきになづさふ 
○柿本人麻呂(かきのもとの ひとまろ)=題詞原文には「柿本朝臣人麻呂」。第30歌参照。
【編者注】「溺死出雲娘子火葬吉野時柿本朝臣人麻呂作歌二首」の第二首。


この記事をはてなブックマークに追加

万葉短歌0429 山の際ゆ0378

2011年11月28日 | 万葉短歌

2011-1128-man0429
万葉短歌0429 山の際ゆ0378

山の際ゆ 出雲の子らは 霧なれや
吉野の山の 嶺にたなびく  柿本人麻呂

0378     万葉短歌0429 ShuB295 2011-1128-man0429

□やまのまゆ いづものこらは きりなれや
 よしののやまの みねにたなびく 
○柿本人麻呂(かきのもとの ひとまろ)=題詞原文には「柿本朝臣人麻呂」。第30歌参照。
【編者注】題詞原文に、「溺死出雲娘子火葬吉野時柿本朝臣人麻呂作歌二首」。その第一首。「火葬」は「やきはぶる」。
【編者注-出雲娘子(いづもの をとめ)】=「出雲出身の采女らしい。」
【編者注-溺死】采女は男性と関わってはならない。その禁忌を犯せば死に価する。依拠本は、作者が死者への思い遣りで婉曲表現に留めている、と見る。


この記事をはてなブックマークに追加

万葉短歌0428 こもりくの0377

2011年11月27日 | 万葉短歌

2011-1127-man0428
万葉短歌0428 こもりくの0377

こもりくの 泊瀬の山の 山の際に
いさよふ雲は 妹にかもあらむ  柿本人麻呂

0377     万葉短歌0428 ShuB294 2011-1127-man0428

□こもりくの はつせのやまの やまのまに
 いさよふくもは いもにかもあらむ 
○柿本人麻呂(かきのもとの ひとまろ)=題詞原文には「柿本朝臣人麻呂」。第30歌参照。
【編者注】題詞原文に、「土形娘子火葬泊瀬山時」とある。「火葬」は「やきはぶる」。
【編者注-土形娘子(ひぢかたの をとめ)】=「土形氏の氏女か。あるいは遠江城飼郡土形出身の采女か。」(『万葉集事典』)出現はこの1か所だけ。依拠本は、応神天皇につながるの<であれば、「土形郎女」とありたちところ。」
【編者注-火葬】<『続日本紀』によれば、火葬は、文武四年(700)三月十日、僧道照が死んだ時、粟原で焼き葬ったのが始まりだといいう。>


この記事をはてなブックマークに追加

万葉短歌0427 百足らず0376

2011年11月26日 | 万葉短歌

2011-1126-man0427
万葉短歌0427 百足らず0376

百足らず 八十隈坂に 手向けせば
過ぎにし人に けだし逢はむかも  刑部垂麻呂

0376     万葉短歌0427 ShuB292 2011-1126-man0427

□ももたらず やそくまさかに たむけせば
 すぎにしひとに けだしあはむかも 
○刑部垂麻呂(おさかべの たりまろ)=未詳。第263歌参照。
【編者注】題詞原文に、「田口広麻呂死之時」とある。
【編者注-田口広麻呂(たぐちの ひろまろ)】依拠本注は、「慶雲二年(705)、従従五位下になっ田口朝臣広麻呂か。作者ともども姓(かばね)を記さない。」講談社版『事典』では同定。


この記事をはてなブックマークに追加

万葉短歌0426 草枕0375

2011年11月25日 | 万葉短歌

2011-1125-man0426
万葉短歌0426 草枕0375

草枕 旅の宿りに 誰が夫か
国忘れたる 家待たまくに  柿本人麻呂

0375     万葉短歌0426 ShuB291 2011-1125-man0426

□くさまくら たびのやどりに たがつまか
 くにわすれたる いへまたまくに 
○柿本人麻呂(かきのもとの ひとまろ)=第30歌参照。


この記事をはてなブックマークに追加

万葉短歌0425 川風の0374

2011年11月24日 | 万葉短歌

2011-1124-man0425
万葉短歌0425 川風の0374

川風の 寒き泊瀬を 嘆きつつ
君があるくに 似る人も逢へや  山前王

0374     万葉短歌0425 ShuB289 2011-1124-man0425

□かはかぜの さむきはつせを なげきつつ
 きみがあるくに にるひともあへや 
○山前王(やまさきの おほきみ)=第424歌参照。
【編者注】第423歌(長歌)への「或本反歌二首」の第二反歌。


この記事をはてなブックマークに追加

万葉短歌0424 こもりくの0373

2011年11月23日 | 万葉短歌

2011-1123-man0424
万葉短歌0424 こもりくの0373

こもりくの 泊瀬娘子が 手に巻ける
玉は乱れて ありといはずやも  山前王

0373     万葉短歌0424 ShuB288 2011-1123-man0424

□こもりくの はつせをとめが てにまける
 たまはみだれて ありといはずやも 
○山前王(やまさきの おほきみ)=「忍壁皇子の子(…)。慶雲二年(705)十二月、無位から従四位下。養老七年(723)十二月二十日没。」「やまくま」の読みは採らない。
【編者注】第423歌(長歌)への「或本反歌二首」の第一反歌。長歌左注原文は「右一首或云柿本朝臣人麻呂作」だが、依拠本は「山前王の原案を人麻呂が修正した(…)と見るのがおだやかであろう。」反歌二首にも、紀皇女が死去したので石田王に代わって山前王が作った、との左注がある。これら長反歌三首については人物同定に複数説があるが、反歌二首の作者は山前王としておく。


この記事をはてなブックマークに追加

万葉短歌0422 石上0372

2011年11月22日 | 万葉短歌

2011-1122-man0422
万葉短歌0422 石上0372

石上 布留の山なる 杉群の
思ひ過ぐべき 君にあらなくに  丹生王

0372     万葉短歌0422 ShuB281 2011-1122-man0422

□いそのかみ ふるのやまなる すぎむらの
 おもひすぐべき きみにあらなくに 
○丹生王(にふの おほきみ)=第421歌参照。
【編者注】第420歌(長歌)への第二反歌。


この記事をはてなブックマークに追加

万葉短歌0421 およづれの0371

2011年11月21日 | 万葉短歌

2011-1121-man0421
万葉短歌0421 およづれの0371

およづれの たはこととかも 高山の
巌の上に 君が臥やせる  丹生王

0371     万葉短歌0421 ShuB281 2011-1121-man0421

□およづれの たはこととかも たかやまの
 いはほのうへに きみがこやせる 
○丹生王(にふの おほきみ)=未詳。「石田王の妻の一人であろう。大伴旅人と交際のあった丹生女王と同一人と思われる。」 前出紀皇女(1-119以下)に先立たれた石田が妻としたか。
【編者注】第420歌(長歌)への第一反歌。長歌題詞は、夫石田王(いはたの おほきみ)(700年前後)の死を悼む妻丹生王の歌の意。


この記事をはてなブックマークに追加

万葉短歌0419 岩戸破る0370

2011年11月20日 | 万葉短歌

2011-1120-man0419
万葉短歌0419 岩戸破る0370

岩戸破る 手力もがも 手弱き
女にしあれば すべの知らなく  手持女王

0370     万葉短歌0419 ShuB278 2011-1120-man0419

□いはとわる たぢからもがも たよわき
 をみなにしあれば すべのしらなく 
○手持女王(たもちの おほきみ)=第417歌参照。
【編者注】「手持女王作歌三首」の第三首。


この記事をはてなブックマークに追加

万葉短歌0418 豊国の0369

2011年11月19日 | 万葉短歌

2011-1119-man0418
万葉短歌0418 豊国の0369

豊国の 鏡の山の 岩戸立て
隠りにけらし 待てど来まさず  手持女王

0369     万葉短歌0418 ShuB278 2011-1119-man0418

□とよくにの かがみのやまの いはとたて
 こもりにけらし まてどきまさず 
○手持女王(たもちの おほきみ)=第417歌参照。
【編者注】「手持女王作歌三首」の第二首。


この記事をはてなブックマークに追加

万葉短歌0417 大君の0368

2011年11月18日 | 万葉短歌

2011-1118-man0417
万葉短歌0417 大君の0368

大君の 和魂あへや 豊国の
鏡の山を 宮と定むる  手持女王

0368     万葉短歌0417 ShuB278 2011-1118-man0417

□おほきみの にきたまあへや とよくにの
 かがみのやまを みやとさだむる 
○手持女王(たもちの おほきみ)=未詳。「河内王の妻であろう。」
【編者注】原文題詞は「河内王葬豊前国鏡山之時手持女王作歌三首」、その第一首。河内王(かふちの おほきみ)・手持女王とも、集中ここだけ。「豊前国」は「とよのみちのくちの くに」。
【編者注-河内王】依拠本の注。「天武紀朱鳥元年(686)正月の条に、新羅客金智祥の饗応接待役として筑紫に下った記事が見える。持統八年(694)四月頃、大宰帥として任地で没。」


この記事をはてなブックマークに追加

万葉短歌0416 百伝ふ0367

2011年11月17日 | 万葉短歌

2011-1117-man0416
万葉短歌0416 百伝ふ0367

百伝ふ 磐余の池に 鳴く鴨を
今日のみ見てや 雲隠りなむ  大津皇子

0367     万葉短歌0416 ShuB274 2011-1117-man0416

□ももづたふ いはれのいけに なくかもを
 けふのみみてや くもがくりなむ 
○大津皇子(おほつの みこ)=第107歌参照。
【編者注】草壁との皇位継承に敗れた大津は、逮捕翌日に処刑された。その時の辞世歌。原文題詞に「流涕」(涙を流して)の語がある。


この記事をはてなブックマークに追加

万葉短歌0415 家ならば0366

2011年11月16日 | 万葉短歌

― 挽 歌 ―

2011-1116-man0415
万葉短歌0415 家ならば0366

家ならば 妹が手まかむ 草枕
旅に臥やせる この旅人あはれ  聖徳皇子

0366     万葉短歌0415 ShuB271 2011-1116-man0415

□いへならば いもがてまかむ くさまくら
 たびにこやせる このたびとあはれ 
○聖徳皇子(しゃうとこの みこ)=原文題詞は「上宮聖徳皇子(かみつみやの …)。聖徳太子(しょうとくたいし)が現用通名。<十七条憲法や位階制度を制定、隋との国交を結び、仏教に深く帰依した。推古三十年(622)没。四十九歳。「上宮」は、推古天皇が太子をいつくしむあまり、宮の南の上殿(かみつみや)に住まわせたことによる称辞(推古紀元年)。>
【編者注】聖徳太子の歌は、この一首。
【編者注】挽歌は「死者の棺を挽く歌」、『万葉集』では「哀悼・哀切の歌」一般。


この記事をはてなブックマークに追加