2010-1101-man0000
万葉短歌0000 開肇献詠
訪ぬれば いづれか見ゆる ことなれば
さまよひ入らむ よろづ葉の森 悠山人
0000 万葉短歌0000 ShuA000 2010-1101-man0000
□たづぬれば いづれかみゆる ことなれば
さまよひいらむ よろづはのもり
○悠山人(ゆうさんじん)。
=万葉短歌 開肇献詠=
【2022年01月31日】2010年11月01開設から ****日
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2022-0130-man4261
万葉短歌4261 大君は3940
大君は 神にしませば 水鳥の
すだく水沼を 都と成しつ 〇
3940 万葉短歌4261 ShuJ286 2022-0130-man4261
□おほきみは かみにしませば みづとりの
すだくみぬまを みやことなしつ
○=作者未詳。
【編者注】巻19(4139~4292、百五十四首)の第123首。「壬申年之乱平定以後歌二首」、その第2首。脚注に、「作者未詳」、左注に、「右件二首天平勝宝四年二月二日聞之 即載於玆也(ここに のす)」。
【依拠本注-大君は神にしませば】天皇を現人神として尊び、その威力を讃える慣用句で、右の二例は作られた時代から見て史上最も古い例である。〔既述、巻3の235、235或本、241は、柿本人麻呂作で、「大君」は天武系の天皇か皇子を指す。〕
【原文】19-4261 大王者 神尓之座者 水鳥乃 須太久水奴麻乎 皇都常成通 作者未詳
2022-0129-man4260
万葉短歌4260 大君は3939
大君は 神にしませば 赤駒の
腹這ふ田居を 都と成しつ 大伴御行
3939 万葉短歌4260 ShuJ285 2022-0129-man4260
□おほきみは かみにしませば あかごまの
はらばふたゐを みやことなしつ
○大伴御行(おほともの みゆき)=「家持の祖父安麻呂(旅人の父)の兄・・・」。原文では「大伴卿(~ まへつきみ)」。「壬申の大将軍と見なされてこの〔大将軍の〕称号が存するものか」。
【編者注】巻19(4139~4292、百五十四首)の第122首。題詞に、「壬申年之乱平定以後(しづまりし のちの)歌二首」、その第1首。左注に、「右一首大将軍贈右大臣大伴卿作」。
【編者注-壬申の乱】天智帝死去の翌年、壬申(672)年、大友・大海人の皇子兄弟が皇位継承権を争い、大海人が勝って天武帝となった。
【原文】19-4260 皇者 神尓之座者 赤駒之 腹婆布田為乎 京師跡奈之都 大伴御行
2022-0128-man4259
万葉短歌4259 十月3938
十月 しぐれの常か 我が背子が
やどの黄葉 ちりぬべく見ゆ 大伴家持
3938 万葉短歌4259 ShuJ281 2022-0128-man4259
□かむなづき しぐれのつねか わがせこが
やどのもみちば ちりぬべくみゆ
○大伴家持(おほともの やかもち)=03-0403歌注参照。
【編者注】巻19(4139~4292、百五十四首)の第121首。左注に、「右一首少納言大伴宿祢家持当時〔(ときにあたりて)〕矚梨黄葉(なしの もみちを みて)作此歌也」。
【訓注】しぐれ(之具礼)。我が背子(わがせこ=吾世古)。黄葉(もみちば)。
2022-0127-man4258
万葉短歌4258 明日香川3937
明日香川 川門を清み 後れ居て
恋ふれば都 いや遠そきぬ 〇
3937 万葉短歌4258 ShuJ280 2022-0127-man4258
□あすかがは かはとをきよみ おくれゐて
こふればみやこ いやとほそきぬ
○=作者未詳。
【編者注】巻19(4139~4292、百五十四首)の第120首。左注に、「右一首左中弁(さちゅうべん)中臣朝臣清麻呂伝誦 古京時歌也」。
【訓注】明日香(あすか)。川門(かはと=河戸)[「川の渡し場」]。古京時歌[「明日香京にずっと住む人が一同の今住む平城京への遷都に感慨を寄せた歌」]。
2022-0126-man4257
万葉短歌4257 手束弓3936
手束弓 手に取り持ちて 朝猟に
君は立たしぬ 棚倉の野に 〇
3936 万葉短歌4257 ShuJ280 2022-0126-man4257
□たつかゆみ てにとりもちて あさがりに
きみはたたしぬ たなくらののに
○=作者未詳。
【編者注】巻19(4139~4292、百五十四首)の第119首。題詞に、「十月廿二日於左大弁(さだいべん)紀飯麻呂(きの いひまろ の)朝臣家宴(うたげする)歌三首」。左注に、「右一首治部卿(ぢぶのきゃう)船王(ふねのおほきみ)伝誦之 久迩京都(くにのみやこの)時歌 未詳作主也」。
【訓注】手束弓(たつかゆみ)[「手に束ねるに手ごろの弓の意か。この一例のみ」]。立たしぬ(たたしぬ=立之奴)[「<立たす>は<立つ>の尊敬態」]。棚倉(たなくら=多奈久良)[京都府木津川市山城町付近]。
2022-0125-man4256
万葉短歌4256 いにしへに3935
いにしへに 君の三代経て 仕へけり
我が大主は 七代申さね 大伴家持
3935 万葉短歌4256 ShuJ277 2022-0125-man4256
□いにしへに きみのみよへて つかへけり
わがおほぬしは ななよまをさね
○大伴家持(おほともの やかもち)=03-0403歌注参照。
【編者注】巻19(4139~4292、百五十四首)の第118首。題詞に、「為寿(ほくために)左大臣橘卿〔(橘諸兄)〕預作歌一首」。
【訓注】いにしへに(古昔尓)[以下三句、「建内宿祢〔(孝元天皇の曽孫)〕・・・。<君>は、ここは天皇をさすので、・・・キミガ・・・ではなく、キミノ・・・と訓むのがよい」]。我が大主(わがおほぬし=吾大主)[「諸兄・・・。・・・<ワガオホヌシ>と訓むのがよい」]。申さね(まをさね=申祢)[「<申〔(まを)〕す>は・・・天皇に奏上する意」]。
2022-0124-man4255
万葉短歌4255 秋の花3934
秋の花 種々にあれど 色ごとに
見し明らむる 今日の貴さ 大伴家持
3934 万葉短歌4255 ShuJ271 2022-0124-man4255
□あきのはな くさぐさにあれど いろごとに
めしあきらむる けふのたふとさ
○大伴家持(おほともの やかもち)=03-0403歌注参照。
【編者注】巻19(4139~4292、百五十四首)の第117首。前歌(4254、長歌)題詞に、「向京路上依興預作侍宴応 詔歌一首 并短歌(依拠本訓は、「じえんおうせうのうた」)」、その「反歌一首」。
【訓注】秋の花(あきのはな=秋時花)。種々に(くさぐさに=種尓)。見し明らむる(めしあきらむる=見之明良牟流)[「大君の偉大さ・・・」。「<見〔(め)〕す>は<見〔(み)〕る>の敬語」]。
2022-0123-man4253
万葉短歌4253 立ちて居て3933
立ちて居て 待てど待ちかね 出でて来し
君にここに逢ひ かざしつる萩 大伴家持
3933 万葉短歌4253 ShuJ268 2022-0123-man4253
□たちてゐて まてどまちかね いでてこし
きみにここにあひ かざしつるはぎ
○大伴家持(おほともの やかもち)=03-0403歌注参照。
【編者注】巻19(4139~4292、百五十四首)の第115首。題詞に、「大伴宿祢家持和歌一首」。
【原文】19-4253 立而居而 待登待可祢 伊泥氐来之 君尓於是相 挿頭都流波疑 大伴家持
2022-0122-man4252
万葉短歌4252 君が家に3932
君が家に 植ゑたる萩の 初花を
折りてかざさな 旅別るどち 久米広縄
3932 万葉短歌4252 ShuJ268 2022-0122-man4252
□きみがいへに うゑたるはぎの はつはなを
をりてかざさな たびわかるどち
○久米広縄(くめの ひろつな)=18-4050歌注参照。
【編者注】巻19(4139~4292、百五十四首)の第114首。題詞(要旨)に、掾久米広縄が正税帳使を退任して越中国へ帰任する途次、越前国掾大伴池主の館で遇会した三人(家持と)が飲楽し、広縄が萩を矚(み)て一首、と。
【訓注】萩(はぎ=芽子)。初花(はつはな=始花)。旅別るどち(たびわかるどち=客別度知)[「〔二人が去って〕池主も一人残される・・・。<どち>は仲間同士」]。
2022-0121-man4251
万葉短歌4251 玉桙の3931
玉桙の 道に出で立ち 行く我れは
君が事跡を 負ひてし行かむ 大伴家持
3931 万葉短歌4251 ShuJ265 2022-0121-man4251
□たまほこの みちにいでたち ゆくわれは
きみがこととを おひてしゆかむ
○大伴家持(おほともの やかもち)=03-0403歌注参照。
【編者注】巻19(4139~4292、百五十四首)の第113首。題詞(要旨)に、八月五日、諸僚に視送られて都へ向かうが、大領(郡長官)門前の辺りでの餞宴を受け、内蔵縄麻呂の歌に和(こた)えて一首、と。
【訓注】事跡(ことと)[「昇任、転任などの根拠となる考課の対象としての業績」]。
2022-0120-man4250
万葉短歌4250 しなざかる3930
しなざかる 越に五年 住み住みて
立ち別れまく 惜しき宵かも 大伴家持
3930 万葉短歌4250 ShuJ263 2022-0120-man4250
□しなざかる こしにいつとせ すみすみて
たちわかれまく をしきよひかも
○大伴家持(おほともの やかもち)=03-0403歌注参照。
【編者注】巻19(4139~4292、百五十四首)の第112首。題詞(要旨)に、〔少納言昇進と同時に〕大帳使として上京する前日、介内蔵伊美吉縄麻呂の館で餞宴が開かれ、大伴家持が作った一首、と。
【訓注】しなざかる(之奈謝可流)[「<越>の枕詞。家持の造語・・・」。17-3969(長歌)之奈射加流(しなざかる)、以下集中5か所]。五年(いつとせ=五個年)[「4248の前文<六載>は足掛け・・・」]。宵(よひ=初夜)[10-2098住云男鹿之 初夜不去(すむといふしかの よひさらず)、12-3119速初夜従 綏解我妹(はやくよひより ひもとけわぎも)]。
2022-0119-man4249
万葉短歌4249 石瀬野に3929
石瀬野に 秋萩しのぎ 馬並めて
初鳥猟だに せずや別れむ 大伴家持
3929 万葉短歌4249 ShuJ258 2022-0119-man4249
□いはせのに あきはぎしのぎ うまなめて
はつとがりだに せずやわかれむ
○大伴家持(おほともの やかもち)=03-0403歌注参照。
【編者注】巻19(4139~4292、百五十四首)の第111首。広縄宛第2悲歌。左注に、「右八月四日贈之」。
【訓注】石瀬野(いはせの=伊波世野)[「越中官人たちの狩猟場」。〈越中国新川郡内。所在未詳。富山県高岡市石瀬(いしせ)一帯(・・・)の地か。・・・(『万葉集事典』)〉 19-4154(長歌)芽子開尓保布 石瀬野尓(はぎさきにほふ いはせのに)]。鳥猟(とがり=鷹猟)[鷹狩]。
2022-0118-man4248
万葉短歌4248 あらたまの3928
あらたまの 年の緒長く 相見てし
その心引き 忘らえめやも 大伴家持
3928 万葉短歌4248 ShuJ258 2022-0118-man4248
□あらたまの としのをながく あひみてし
そのこころびき わすらえめやも
○大伴家持(おほともの やかもち)=03-0403歌注参照。
【編者注】巻19(4139~4292、百五十四首)の第110首。題詞に、「以〔(天平勝宝三年、751年)〕七月十七日遷任少納言 仍(よりて)作悲別之歌贈貽(おくり のこす)朝集使(てうしふし)掾久米朝臣広縄之館二首」。続く前文(要旨)に、すでに六年も過ぎて転任となるので、悲歌二首を遺す、と。その広縄宛第1悲歌。次歌に、左注。
【原文】19-4248 荒玉乃 年緒長久 相見氐之 彼心引 将忘也毛 大伴家持
2022-0117-man4247
万葉短歌4247 天雲の3927
天雲の そきへの極み 我が思へる
君に別れむ 日近くなりぬ 阿倍老人
3927 万葉短歌4247 ShuJ254 2022-0117-man4247
□あまくもの そきへのきはみ あがおもへる
きみにわかれむ ひちかくなりぬ
○阿倍老人(あへの おきな)=「伝未詳」。
【編者注】巻19(4139~4292、百五十四首)の第109首。題詞に、「阿倍朝臣老人遣唐時(からくにに つかはさえし〔とき〕に)奉母悲別歌一首」、左注に、「右件(くだりの)歌者伝誦之人越中大目(だいさくゎん)高安倉人(たかやすのくらひと)種麻呂是也 但年月次者(ねんげつの つぎては)随聞之時(きくときの まにまに)載於此(ここに のす)焉」。
【訓注】そきへの極み(そきへのきはみ=曽伎敝能伎波美)[「遣唐使として遠隔の地に行く心を表わすとともに、それほど果てしなく思う、の意・・・」。ほかに、03-0420(長歌)天雲乃 曽久敝能極(あまくもの そくへのきはみ)、04-0553天雲乃 遠隔乃極(~ そきへのきはみ)、09-1801(長歌)天雲乃 退部乃限(~ そきへのきはみ)、など。17-3964歌注併照]。君(きみ=伎美)。