世田谷のボロ市は、1578年の小田原城主北条氏政の「楽市掟書」により、当初は一と六の日に一ヶ月6回開催されましたが、江戸時代に年一回12月15日の歳の市となりました。明治6年太陽暦の導入により、旧暦の歳の市相当する1月15日にも開催されるようになります。更に明治中期には16日にも開催されるようになり、現在に至っています。明治中期の市商品は草鞋の補強や野良着を繕うぼろや古着が大半で、「ボロ市」の名称の由来となりました。
「ボロ市」の賑わいについては予てから聞いておりましたので、後学のために見物に出かけてみました。噂に違わずものすごい人出でした。左側通行に規制され、押されながら進むという状態で、買い物どころの騒ぎではありませんでした。特に名物の漬物の出店は大変な人ごみで、田舎沢庵には早くも売り切れの札が下がっていました。結局5~600メートル程のボロ市通りの片道だけ歩いて、村国銘の剪定鋏をゲットし、つけそばと甘酒を味わい、馬事公苑、世田谷美術館に寄り道して帰宅しました。
写真はおばあさんがボロで作った人形や吊るし雛を陳列している出店です。ここで上手に買い物をするには何回か通って出店を覚え、「今年はあそこであれを買う」と決め手から出かける必要があると実感しました。
ボロ市を 人を掻き分け 年は暮れ
「ボロ市」の賑わいについては予てから聞いておりましたので、後学のために見物に出かけてみました。噂に違わずものすごい人出でした。左側通行に規制され、押されながら進むという状態で、買い物どころの騒ぎではありませんでした。特に名物の漬物の出店は大変な人ごみで、田舎沢庵には早くも売り切れの札が下がっていました。結局5~600メートル程のボロ市通りの片道だけ歩いて、村国銘の剪定鋏をゲットし、つけそばと甘酒を味わい、馬事公苑、世田谷美術館に寄り道して帰宅しました。
写真はおばあさんがボロで作った人形や吊るし雛を陳列している出店です。ここで上手に買い物をするには何回か通って出店を覚え、「今年はあそこであれを買う」と決め手から出かける必要があると実感しました。
ボロ市を 人を掻き分け 年は暮れ
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