yaaさんの宮都研究

考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日本・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。

【主張】 屍になっても靖国神社には行かない!

2006-02-05 01:15:54 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都

 今日は第6回考古学研究会東海例会が静岡大学であった。TB大学のOTさんが岐阜に来ていただいて熱い議論を提示して下さってから早くも半年が経つのである(今回も来ていただけるかと、お風呂に入らずにお待ち申していたのに、お風呂談義ができず、残念!!)。今回は、弥生文化の地域性を、東海地方の東西の両端、静岡清水平野と濃尾平野で比較するという試みだった。その詳細はまた後日するとして、今日は少し過激な発言を・・・。


 私は学者ではありません。私は冷静に、客観的に物事を見続けることはできません。所詮、愚かな一人の人間です。だから靖国神社の資料館が博物館学の対象としてどんなに優れていても、絶対に見学には行きません。それを、予断と偏見に充ち満ちた「偏向学者」の行為だと非難されようとも、どんな強制を受けようとも、生きて靖国の鳥居をくぐるつもりは全くありません!

 もちろん私の頭にインプットされた「靖国情報」はある種の「偏向」に基づく情報かも知れません。しかし、戦前、全国民が靖国神社の崇拝を強制され、天皇のためにと言って自らの命を無駄に捨てさせられたことだけは事実です。そんな神社が未だにあること自体が間違っています。本来戦後直ぐに解体されるべき物でした。そして今日、その過ちが妖怪のごとく日本列島を覆おうとしています。私には既に戦前の社会が再現されているようにしか見えません。

 靖国神社に参れないものは「非国民」「埒国家北朝鮮の金正日と同じ!」と毎日新聞が書き立てます。これに異を唱える新聞、言論は全て、「偏向」「北のスパイ」です。こうして恐怖感を煽り立て、物言うことを少しずつ押さえ込むというのがかつての方法でもありました。そして今、同じ光景が繰り返されつつあります。

 単純な総理大臣は、無駄な死を捧げた人々に詫び、二度とその行為を繰り返さないために、靖国神社に参るだけだと言っています。本末転倒です。もしそうだとするなら、彼は靖国神社を廃止した上で、全国の戦死者の一人一人の墓を訪れ、一人一人にわびるべきです。死ぬまでその行為を繰り返すべきです。そうすれば彼は最も信頼すべき政治家と評価されるでしょう。

 もちろん私は正当学者としての山田博士の行為を否定するつもりはありません。ただ単に、「私は」しない!と言っているだけです。私は学問にそれほどの自信がありません。客観的に資料を読むなどと言うことはとてもできません。私の原点は、「客観的」ではなく、「人間的」です。もちろん人間的で客観的であるのが理想です(山田博士はこれができます)。しかし私にはできません。目の前で人が殺されている時、自ら手を下さなくとも、辿れば自分の黙認がその人々に死をもたらせていると想像するだけで、私は客観性を失います。いえ失ってきました。これからもそうあり続けたいと思います。

 誤解しないで下さい。極めて感情的な私には靖国神社を客観的に「見る」ことができないのです。博士のように隅々まで気配りのできる学者こそ見学なさるにふさわしいと思います。しかし、恐らく、その見学者の99.99999・・・%の人々はそうではないでしょう。彼等、彼女らの「感動」を誰が否定することができましょうか。

 私は、彼等、彼女らを靖国に行かせないことこそ大切だと思います。そして、靖国を否定するためにその博物館こそ見学させるべきだと思います。

 以前に韓国の朝鮮王国の宮殿復興や歴史遺産検証について触れたことがあります。私は今、何故、「チャングム」が韓国の、日本の人々の心を打つのか、その最大の要因は朝鮮王国が存在しないからだと思っています。当事者の子孫がいないから、チュンジョン王の治世を「ドラマ化」できるんです。

 博物館学の対象として、靖国のそれがそれほどまでに優れものの博物館なら、人権のための日本一の博物館を花園大学に造って欲しいと思います。今、戦争に向かう恋人との別れを美化した映画が上映され、「戦争はイヤだ」という若者達の反響で話題の映画があるそうです。涙した女性は異口同音に戦争を否定するそうです。しかし。それは今だから言えることです。戦争が始まった時、誰も戦争反対などと言うことはできません。既にそうした「空気」ができあがっているからです。では戦争が始まる前に?それはいつのことでしょうか?私には既に戦争は始まっているとしか思えません。小泉の靖国参拝が美化され、次期総理大臣として「靖国に参るのは総理大臣としての責務だ」と言い切る人物が最有力視されていること自体がもう既に、戦時下です。

 このブログを読んだその筋の方々が嫌がらせにお出でになる日もそう遠くはないでしょう。しかし、私は屍になっても靖国神社の鳥居はくぐりません!

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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
お風呂上がり (TB大O)
2006-02-06 01:08:37
山中先生ご無沙汰しております。お風呂上がりにブログ拝見いたしております。

東海例会(静岡)、1月下旬に東海フォーラムに参加した折にあらためて内容お聞きして、是非参加したかったのですが、こちらで所用が重なり残念ながら失礼いたしました。

たしかに昔は風呂嫌いであったことは否定いたしません。1~3月の入浴3回という大記録を樹立したこともございます。でも全て前世紀のお話。最近はタバコとお風呂が生活の潤いと感じております。

失礼ながら、たま~に入浴するから体がびっくりして調子を崩すのではないでしょうか?

それはさておき近代化遺産調査に携わっている友人が丹念に軍人墓地など調べ上げていて

ここのところよく話題に上ります。対外戦争に関係づけて自らを語る村の社の戦勝記念碑やことさらに巨大な戦没者墓碑はもの悲しいですね。

僕も靖国にはひどく嫌悪感をおぼえますが、山あいの哀れな墓石を生み出した近代を理解するためには対極にある靖国も努力して冷徹に観察したいと思うのです。

いまだに靖国は更地にならないし、新しい歴史教科書なんぞが出てくることは考古学も一員であるところの歴史学の(今のところは)敗北と言わざるを得ないと感じています。でもまだ根絶やしにされたわけではありませんから敗因を真摯に分析して立て直しは可能でしょう。もっとも「崖っぷち」と感じているのは少数派かな?・・・・・・・・・どうも湯アタリ気味ですね。失礼いたしました。

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これが世代差なのかも・・・ (yaa)
2006-02-06 02:02:01
きっと山田博士やOさんのご意見が正論だと思います。



敵を知らねば・・・

学問とはそういうものですもの。批判するには相手を熟知せねばというのは当然のことです。まず研究史から始める!でしょうか。



それでもなおかつ私の脳味噌は感覚的に靖国神社は受け付けてくれません。受け付けたくない!という腹の底からの憎しみがマグマのように熱くどろどろしているのでしょう。



この熱が冷静さを失わせています。しかし、私はそういう激情も学問には必要だと思うのです。果たしてこれまでの考古学は、本当に冷静に資料だけを見つめて議論してきたのでしょうか?どこかに主観があり、感情が論理に影響することはなかったでしょうか。



以前著名な考古学者が山田博士の信奉なさるTB先生のことを下ネタも含めてぼろくそに批判しました。私は両者にどんな争い事があったのか、よくは知りません。ただ感じたのは、どうも学問は論文の中味だけでは評価できないのだと思いました。「人格」「人徳」も必要のようです(その点なら私は一番の失格者かも)。



よく私の長岡京論を揶揄して「長岡京にどっぷりと浸かっているからだ」という人がいます。でも、そういう人もまた、平安京に浸かっていたり、平城京に浸かっていたり、難波京に浸かっています。私に言わせれば、情熱が表に出ていないだけで、お互いの腹の奥には熱い熱い○○○宮への思いが渦巻いているのです。その熱い思いに動かされて論理展開しているのです。決して全てが論理的とは必ずしも言えません。



もちろんこのマグマは前向きのマグマです。靖国に対する私の否定的なマグマとはまた違うのかも知れません。



私は言いたいのです。69年大学闘争の時どこぞの党の青年部○△は、トロツキストに扇動されるな、我々こそ真の反戦活動の主体だと言って、言うだけで何もしませんでした。暴力反対のシュプレヒコールもあげました。果たしてあの時暴力を一般化して「反対」することが可能だったのでしょうか。



人間にはいても立ってもいられない衝動があるはずです。その衝動がなせる行動が全て倫理的とは限りません。



まず事実が大切だから、アメリカがそのような無差別攻撃をしているか調べなければならない。本当にナパーム爆弾を使用しているのか、虐殺が行われているのか、きちんと調べなければならないと言いつついつまで経っても資料調査は終わりませんでした。そのうちアメリカが撤退すると、彼等は私達の冷静な行動がアメリ¥カを追いつめたのだと誇らしげに主張しました。



しかし、事実はまさに武力闘争が彼等を追い込んだのです。もちろんその先頭に立ったのはヴェトミン軍でした。特に1968年2月のテト攻勢はヴェトナム軍に数万人という大犠牲を強いました(今なら「北ヴェトナムのテロ」となることでしょう)。明らかに軍事的には失敗でした。しかしその累々と築かれた屍の山が世界中の人々の目を開かせました。そして私達日本人の目も。日本が戦争に荷担している姿を白日の下にさらしました。



民主主義の名の下にこっそりとアメリカの援助を行う日本政府にどんな方法で鉄槌を下せばよかったのでしょうか。



もう其処には怨念しかありません。論理ではとても対処できないアメリカと日本に対する怒りでした。空爆によってどれだけの人々が殺されたことでしょう。アメリカ軍の無差別攻撃によってどれだけ多くの農民が犠牲になったことでしょう。その怒りに論理は無用だと私は思いました。



靖国はまさにヴェトナム戦争におけるアメリカ軍です。無差別にどれだけ多くの東アジアの人々を殺したことでしょう。日本人を洗脳し、殺しに行かせたことでしょう。まずこれこそ消し去るべきものです。その上で、靖国とは何だったのかを検証すべきです。手を合わせることはもちろん鳥居をくぐることすら拒否する所以です。あの地にあってはならない存在です。



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本格的敵対攻撃 (yaa)
2006-02-06 02:13:30
とうとう敵がしっぽを現した。



アクセ数280以上なのにランキングポイントゼロ!



よほど頭に来たんでしょうね。しかしこれが彼等の本性!



絶対に筆は曲げないし、こんな操作ができないよう事務局に訴えることにする。ブログ活動に対する弾圧を絶対に許さない!!もっともっとみんなで我こそは靖国をどのようにすべきか議論をてんかいしていただきたい。
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私も (へむれん)
2006-02-06 11:33:57
 靖国には行ったことがないのですよ。山田博士と同じで前の古本屋街で止まっています。正直靖国、とか九段とか聞くとヘドつくような感覚を喉元に感じるのですけどね。

 だから、なぜ靖国に行く事が「英霊に応える」ことなのかがわからないし、「英霊」という言葉にも嫌悪感を感じるのです。

 十数年前に、神社新報で、靖国神社は戦死者の怨霊鎮護の社だと書いて(たぶんUT先生あたりの説の影響?)と書いて糾弾された神主さんがいるらしいけど、その方が神観念としては正論だと思う。でも神社本庁では、靖国経験者の神職さんはエリートコースに乗れる、とも言うし。

 そもそも、明治出来の新しい、個人を祀る神社に、古くからある神社に行くのと同じ感覚で行くのが理解できない。東京の人は明治神宮で何のご利益をお願いするのですかね。

 ちょっと前に、某M大学の学生さんと話してた時に、「あなたはなぜ伊勢神宮にお詣りするのか」と訊ねて「考えたこともない」と逆ギレされたことがある。考えないのですね、普通の人は。それってかなり怖い。確信犯につけこまれる隙になる。

 最近話題の某博物館でも、伊勢神宮を公共がどう扱うか、と言う問題ですごく苦しんでるか、というのはわかる。はっきり言って三重県は伊勢神宮とケンカはしたくないだろうし。

 宗教的感覚を論理的に、というのは難しいけど、靖国にお詣りする人は、それで死者と交信できると信じているのでしょうか。僕にはは理解できない。僕の祖母は中国戦線で弟を二人亡くして、一人は敗戦の詔勅後だったことを何度も言ってたけど、ついに一度も靖国には行かなかった。祖母は保守的で、おそらくJ党以外に投票したことがない人だったと思うけど、それは弟を死に追いやった国家への憤りだったと思うし、それが健全な「日本人」(んにゃ、人間か)だと思っている。

 山田博士のブログで見る限り、遊就館というのは優れた方法でテーマ設定の明確な展示をしているのでしょうね。でも宗教ネタでそれをできるのは、やはりその宗教自身でしかない、のかとも思う。あ、人権ネタの博物館には割合に「客観的」なノリはあるか。

 いろいろ書いてもまだまとまらないよ。そもそも今の人にとって「神社」って何なんだろうすいませんバラバラで。また。







 

 



 
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ところで (へむれん)
2006-02-06 11:35:12
さっき宮内庁のHPを覗いて初めて知った事

 天皇って宮内庁はどういう英訳してるか

  Emperor ですぜ

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Unknown (上野介)
2006-02-21 21:04:26
ほんと胸がすっとしました。よくぞ山中先生おっしゃってくれた。人の道がおわかりな先生が、一人でも多くいることを願っています。
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